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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第四章

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46、『愛』の告白

(どうりであの時、やたらとリアムが必死に制止してきたわけだ)

 今は外で愛馬にまたがっているであろう蜂蜜色の髪をした補佐官の、あのときの本気で上官を殴ってでも止めようとする勢いの制止を思い出し、今更ながら納得する。まさか、たかがキスごときに、そんな意味があろうとは。あの焦り様は、童貞だからではなかったらしい。

 一応、あの時はまだイリッツァがリツィードと同一人物であるなどとは夢にも思っていなかったし、さっさと起こして結界を張りなおしてもらうというのっぴきならない事情があった。事実、あそこでカルヴァンが無理矢理聖水を飲ませたからこそ、イリッツァは意識を取り戻し、その後の領内の戦闘で領民に一人の死者も出すことなくことを収め、闇の魔法使いを捕らえることが出来た。

 だが――やはり、それはそれ、これはこれ、というやつなのだろうか。

「な――――――な、な…な――!」

 事態のあらましを聞いたイリッツァは、わなわなと唇を震わせ――次の瞬間には、首元から耳朶まで真っ赤に染め上げ、バッと己の唇を手の甲で覆った。

(――――こういう表情は、何度見ても可愛い)

 頬どころか、耳も首もすべて紅に染めあげて、泣きそうに目を潤ませている様は――どう見ても、可憐な美少女以外の何物でもない。昔の男友達には到底思えず、カルヴァンは自分の行いを悪びれることなくのんきにその表情を堪能した。

「っ――――!」

 ゴシゴシゴシゴシっ

 真っ赤な顔のまま全力で唇をぬぐわれ、ふっと思わず笑う。今更そんなことをして、何になるのか。

「俺にキスされて、そんな反応した女は初めてだ」

「~~~~~~~~~~っっ!!!!!」

 もっと、とねだられた記憶はあっても、唇をそんな風に拭われたことはない。くっと喉の奥で愉快そうに笑って、カルヴァンはイリッツァを見つめた。悪童と呼ばれるにふさわしい、人を食ったような表情。

「ちょうど良かったじゃないか。このまま還俗すればいい。責任は取ってやる」

「ふ、ふざっ…ふざっけんなっ…!」

 羞恥なのか怒りなのか、その両方なのか。目元まで真っ赤に染めているイリッツァを眺め、くく、と再び喉の奥で笑う。記憶の中にある表情の中でも有数の、『人』らしさが詰まった表情だ。初めて見るイリッツァの表情に、カルヴァンはひどく機嫌よさげにその腰を引き寄せた。

「もう一度してやろうか。――今度は、口移しなんかじゃなく、本当のキス」

「っ!!!!」

 薄くかわいらしい耳たぶが覗く耳元で、過去、幾度となく女性を落としてきた色香を含んだ声音で囁けば、びくり、とイリッツァの肩が震えた。カルヴァンはそれを見て、さらに笑みを深める。

(もう、どこからどう見ても女の反応だな)

 それも、世界一の美女と同じ顔の造詣と来ている。男として、口説き落さないのは失礼というものだろう。昨日まで、これをあくまで男友達だと認識していた自分が、もはや信じられない。

 都合よく自分を正当化しながら、さらりと白銀の髪に指を通し、口元に持っていく。唇でない場所へのキスなら、とりあえず拒否はされないらしい。――もしかしたら、混乱してそこまで気が回っていないだけかもしれないが。

 ふ、と耳元に息を吹きかけてやると、びくんっと大きく肩を震わせてから――イリッツァは、泣きそうな顔でカルヴァンを見上げた。人生で一度も経験したことのないことの連続で、もう頭がパンクしそうなのだろう。

「や、やめっ…ほ、ほんとにっ……頼む、ヴィー…っ」

「そんな風に、泣きそうな声で呼ばれるのもいいな。ぐっとくる」

「~~~~~~っ」

 ニッと上機嫌に笑う親友は、全く願いを聞き入れてくれそうにない。イリッツァは、本格的に泣きそうになりながら目をぐるぐると回した。王都に着くまでに全力で口説く、と言ったのは嘘ではなかったらしい。目と一緒に思考までぐるぐると回り出し、イリッツァの頭は混乱を極めた。

 くっと一つ笑ってから、カルヴァンはイリッツァの頭を胸に抱き寄せ、そのつむじあたりに唇を寄せた。

「何が不満だ?――今度こそ、守る。俺が、全部、守ってやる。もう、お前を独りになんてしない」

「っ――…」

 カルヴァンの、今、胸にあるこの気持ちが、友愛なのか、恋愛なのか、性愛なのか――それはもう、わからない。

 ただし――『愛』であることは、間違いないだろう。

「ツィー。――――――愛してる」

「――――――――っ…」

 ひゅっとイリッツァの喉が、小さく息を吸った音がした。ぎゅっと、昔と比べてずいぶん細く小さくなった白い手が、カルヴァンの真紅の装束を握りしめる。

 ナイードで言われた求愛の言葉とは違う響き。あの時のカルヴァンは、あくまでイリッツァを救うための口実として「愛」を謳った。

 だが今は――その言葉に、口実以外の気持ちが乗っていることくらい、さすがに色恋に疎いイリッツァにも、痛いほどにわかった。

 だからこそ――泣きたくなるくらい、胸が痛い。

 初めて出逢った頃の、カルヴァンを知っている。世界は黒く塗りつぶされ、神の存在も、他人の救いも、すべてを拒絶していた少年。目に映るすべてを恨んで、憎んで――誰の手も取ることなく、いつ目の前から消えてしまうのかハラハラさせられていた。雪国を宿す瞳に浮かぶ孤独と絶望は、どんな言葉も届かせることなく、ただ一直線にどこかにあるはずの死を見つめていた。

 そこから、救い出したかった。手を取って、光の世界へ連れ出したかった。

 やっとの思いで、無理矢理連れ出すことができたと思ったら――リツィードの死が、再び彼をその孤独と絶望の世界へと追いやった。再会したときの彼の瞳に宿っていた見覚えのある陰に、酷く心が痛んだ。

 その、彼が。

 ――愛を、口にした。

 愛の種類はわからないが――それでも再び、光の世界に戻ってきてくれた。

 それがたまらなく嬉しくて――一緒に、光の世界に行けないことが、たまらなく苦しい。

(ダメだ――ダメだって、流されるな――)

 ぎゅっとイリッツァは瞳を閉じてカルヴァンの装束を握る拳に力を込めた。

 述べられた手を握り返してしまいたい。また、彼と一緒に生きていきたい。

 期限付きで彼の手を取り、友人になって見た十年間――世界は本当に、穏やかで、暖かで、幸せに満ちていた。そのたびに聖人としての責務を思い出し、何度も手を放そうと試みても、彼は辛抱強く手を伸ばし、決して離してくれなかった。何度、握り返せないと態度で示しても――実際に、握り返すことなくこの世を独りで去るその瞬間まで、彼はずっと、そばにいてくれた。

 だから、今――聖女としての責務も、聖職者としての矜持も、全部全部投げ出して、この手を取れたらどんなに幸せだろう。

 だが、それは誰かを不幸にする道なのだ。

 救えたはずの誰かを、救えなくなる、道なのだ。

「っ…ヴィー……っ…ご、め…」

 ぐっと唇を噛みしめて、断腸の思いで顔をうずめていた胸から離れる。

「――――――…」

 カルヴァンは、何も言わず――腕を、緩めた。

「…そんなに、独りになりたいのか」

「っ………俺…を…待ってる、人がいる……助けて、って言ってる、人がいるんだ…」

 食いしばった歯の隙間から、呻くようにして言葉を絞り出す。一度だけ深呼吸をして、顔を上げた。

(っ――――――)

 一瞬、後悔する。

 静かにイリッツァを見下ろす瞳は――昔のように、雪国をたたえ、凍えていた。

 世界で一番大切な人を傷つけ、失望させてしまったことを自覚し――それでもぐっと奥歯を噛みしめて、意思を持って言葉を紡ぐ。ガラガラと、車輪の音が必要以上にうるさく響くような錯覚に、負けないように。

「俺の孤独よりも――俺は、皆の幸せが、尊い。皆が笑ってる世界が、いい。俺はきっと――孤独から逃げて、救えるはずの誰かを救えなかったら、きっと自分を許せない。だから――」

「もういい」

 ふぃ、と。

 カルヴァンは、イリッツァの声を遮った。そのまま、少女を抱いていた腕を離し――すっと体の距離も、いつもの距離に戻す。

 ぐっ…と胸に何かがこみあげるような錯覚を無理矢理飲み込んで、イリッツァはうつむいた。

 絶対に諦めない、と豪語していたカルヴァンが、諦めた。

 それはよかったことのはずなのに――どうして、こんなに胸が痛むのか。

 しん…と車内に沈黙が落ちる。ガタン、と馬車が石を乗り越えたのか、一つ大きく揺れた。

 カルヴァンは、しばらく車窓から外をじっと眺めていたが――ポツリ、と小さく言葉を漏らした。

「お前は、また――――――――俺を独りに、するんだな――」

「――――――――――――――」

 ふっ――と。

 イリッツァは、自分の周囲からすべての音が掻き消えるような錯覚を覚えた。


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