41、再び廻る、不思議な『歯車』①
「団長、いくら鬼神と呼ばれる貴方でも、その仕事の処理速度はどうかと思うんですが」
「こんなもの、さっさと片付けてやらねばならんことがある。それだけだ」
朝――リアムが上官を起こしに部屋を訪ねると、すでにカルヴァンは起きていて、ドサリと挨拶より先に大量の書簡を渡された。見てみると、彼が昨晩指示した今回の後処理にまつわる根回しの書類――ナイード領主やブリア領主に牢や馬車や兵士を借りるための報酬や条件が書かれた契約書や王都に魔法使いを護送した後に拘束しておくための牢や人材の手配書など――が半分。もう半分は、今回の一連の事件を王都に報告するための報告書だった。さすがに膨大な量になるのを避けられない文字数となるし、報告書作成は基本的にリアムの仕事だから、昨晩からずっとげんなりしていたのだが――なんと、この優秀過ぎる上官は、その仕事を肩代わりしてくれたらしい。
「余計なこと書かれても困るしな」
「え?」
ぱらぱらと、もらった書類に目を通しながら種類ごとに分類し、必要な部署に正しく送付できるように整理していたリアムが顔を上げる。
それには答えず、カルヴァンはいつになく真剣な表情で補佐官を見据え、口を開いた。
「リアム。それが終わったらお前の知恵を借りたいことがある。騎士団で一番有能なのはお前だと見込んでの頼みだ」
「え――――――」
リアムは、驚愕に目を見開いて――
「いやいやいやいやいや絶っっっっ対に嫌です!!!!嫌です!!!!絶対、絶っっっ対にろくなことじゃない!!!!」
ぶんぶんぶん、とこれ以上ないほど頭を振って全力で拒否の姿勢を示した。
「随分な言われようだな。珍しく褒めてやったというのに」
「珍しすぎるでしょう、アンタがそんなこと言うなんて!絶対、絶っっ対に裏がある!!!!俺の全財産賭けてもいい!」
「失礼な」
しらっと返すが、的を射た発言だったので詳細の言及は避ける。確かに、露見すれば国家反逆罪が適用されかねない謀だ。敬虔な信徒たるリアムからすれば、それはまさに『ろくでもないこと』に違いないだろう。
とはいえ、様々な人材を見てきたこの十五年間、カルヴァンの頭脳についてこれたのはリアムだけだった。その優秀な頭脳を頼らない術はない。
(どうやって丸め込むか――)
完全によからぬことを企む悪童の顔で、カルヴァンはにやり、と口の端を吊り上げたのだった。
激動の聖人祭の翌日、ナイード領は再び和やかな雰囲気を取り戻していた。
昨日は、騎士たちが祭りの朝から領内を警戒していてくれたおかげで、非常事態はすぐに領内全域に知らされ、領民の避難誘導が早かった。一部で火の手が上がったり、広場に魔物の死体が積みあがったりと、とても日常とはいいがたい一日ではあったが、領民にけが人は出ても死者は出ることなく、人々は一晩が明けたら日常を取り戻そうと活動を開始していた。自分たちを守り、散って行った騎士の魂に祈りを捧げ、家族の無事を感謝し、必死に日常に戻ろうと出来ることから着手している。
(皆、強くなったな)
イリッツァは、領内の様子を見て歩きながら、満足気に笑みを刻んだ。
前世で、聖女が死んで結界の効力がなくなったと惑い、魔物の恐怖に怯え、闇の魔法使いに付け入られて混乱をきたした、あのころの心の弱い国民はもういない。魔物に対する恐怖は変わらずあるが、聖女の存在などなくとも、皆気丈にふるまい、日常を取り戻す活力に満ちている。それどころか、兵団は昨日の騒ぎで自分たちの力不足を痛感し、騎士で手の空いている何人かに頼んで、体制を強化するにはどうしたらよいか、訓練内容はどうしたらよいかと、今後についての助言をもらっているようだった。
これなら、自分がいなくなり、結界の効果が薄くなっても、ここの民は大丈夫だろう――
遅くても明日にはブリアから護送用の馬車と人手が送られてくるだろう。そうすれば、自分も騎士たちと共にここを発つ。
その日が――イリッツァ・オームとしてナイードで過ごす、最後の日。
一度、王都に『聖女』として足を踏み入れたが最後、もうこの地を踏むことは、今生ありえないだろうから――
今日中に、イリッツァは出来る限りの領民の顔を見て、声をかけて回っていた。どの領民も、まさか本物とは思いもせず、親しみを込めていつものように気軽く『聖女様』と呼んでくれるのが、嬉しかった。――もう、二度とそんな気安く呼ばれることはないだろうから。
(騎士の皆も、空気を読んでくれているようだし…カルヴァンかリアムあたりが、何か言ったのかもしれないけれど)
領内ですれ違う騎士たちは、ビシッと姿勢を正し「聖女様!」と緊張した面持ちで声をかけられることが多かったが、イリッツァの正体を知らない領民に、その秘密を吹聴して回るようなことはしていないようだった。元来敬虔な信徒が多い騎士たちからすれば、本物の聖女に対して気安すぎると、領民の不敬に腹を立てたり、諫めたくなってもおかしくないと思っていたが、もの言いたげな視線を送ることはあっても、その口は固く閉ざされたままだった。出立まで、ナイードの領民に、イリッツァが本物の聖女であるということは告げないままでいてくれるようだ。
「――――あれ?」
街角で、何やら物々しい様子で立ち話をしている真紅の装束の二人を見つけ、足を止める。騎士団の中でも、最もよく知る二人に違いなかった。
「カルヴァン。リアムさん。こんなところでどうしたんですか?」
声をかけると、はちみつ色の髪がぱっとはじけてこちらを振り返った。
「い、イリッツァさん…!」
「…ど、どうしましたか…?泣きそうな顔になっていますよ…?」
正体が露見した後は、誰もかれもが『聖女様』と呼び敬う中で、リアムだけは、珍しく、イリッツァを変わらず名前で呼んでくれる騎士だ。そんな小さなことに、彼のささやかな気遣いを感じて嬉しく思うが、今はどうやらその感謝を伝えるような場合ではないらしい。例によって例のごとく、どうやらこの優秀な補佐官は、目の前にいる傍若無人な上司に、無理難題を押し付けられてほとほと困り果てているようだ。
「また、カルヴァンが何か無茶なことを?」
「うぅぅ…俺に優しくしてくれるのはイリッツァさんだけですぅ……ほんと尊い……」
苦笑して、彼を苦しめているであろう元凶の方を振り仰ぐ。昔よりも、さらに見上げるようになった角度は、まだ慣れない。
見上げた先には、憮然とした表情の騎士団長が「また、ってなんだ」と不機嫌そうにつぶやいていた。
「リアムはこう見えて優秀だ。知見を借りようとしていただけだ」
「リアムさんが優秀なのはもちろん知っていますが…」
半べそをかいているこの顔は、どう見ても上官に認められてうれしいという顔ではない。頼むから解放してくれと懇願している顔だ。
カルヴァンは不機嫌そうに息を吐き、しれっと相談内容を明かす。
「どうやって王都に入る前にお前を逃がすか、その算段を付けているんだが、部下がどうにも非協力的で困っていたところだ」
「――――――――――――――――…それは、まぁ…そうだろうな…」
ぱちぱち、と目を瞬いた後、呆れ――思わず一瞬、素が出てしまった。ちらり、と見やると、リアムは可哀想なくらい眉を下げている。
「お、俺だって、イリッツァさんには感謝しても仕切れない大恩があります。どうして黙っているのかはわかりませんが、儀式の目をごまかしてまで十年近く守り通されてきた秘密には、何かしらの理由があるんだろうと思うから、叶うことなら見てみぬふりをしたかったです。でも、さすがに――今、ナイードにいる騎士団全員にことが露見し、しかも、闇の魔法使いという国の脅威を抱えているこの状況で、彼女をさらに秘匿するのは、国家反逆罪以外の何物でもない」
「そうでしょうね…」
どこまでも正しいことを困り切った表情で控えめに主張する童顔の青年に、イリッツァは静かに同意する。誰が見てもわかりきったことのはずだが――何故だが、目の前にいる長身の色男は、その『正論』を聴く耳など持たないようだった。
「却下だ。絶対に、聖女として祀らせたりしない。なんとしても王都に入る前に逃がすか、正体を隠しきってナイードに戻らせる」
「だから…無理ですって、そんなこと…」
「知恵を絞れと言っている。お前は誰の味方だ」
「誰の味方でもないですっ…!団長の味方にはなれないですけど、でも、敵にもなりません…っ」
それが、リアムが出来る精一杯だった。
積極的にカルヴァンの企みを助けるような進言は出来ないが、カルヴァンが思いつき、実現可能性について相談されれば、客観的事実に基づいて意見を述べる。決して協力は出来ないが。
あまりに気の毒になり、イリッツァは長身の影を見上げた。
「お前…あんまり部下を困らせるなよ…可哀想だろ」
「部下もだが、当人も非協力的なのが腑に落ちない。最悪、王都に着く直前にお前と二人で雲隠れするという手もあるんだが――」
「やっ、やめてください!そんなっ…団長がいなくなったら、騎士団が瓦解します!誰が次の団長をやるんですか!」
「王都に着けば副長がいるだろう。お前がやってもいいと思っている。――まぁ、どちらにせよ、雲隠れする俺は何も困らない」
「団長~~~~~」
もはや涙を浮かべ始めている。きっと、朝から二人でこんな調子なのだろう。イリッツァは呆れてため息を吐いた。
「昨夜も言いましたが、何と言われようと、私は逃げるつもりなんてないですよ。雲隠れなんてしません」
「それだ。――普通の女なら、無理矢理攫って雲隠れすることも出来るが、お前に本気で抵抗されるとさすがに一筋縄でいく気がしない。剣でも取り出されたら面倒だ」
「そうですね。用心のためにも、出立前に必ず剣を調達しておきます」
にこり、と笑うイリッツァに、カルヴァンは不機嫌そうに渋面を作る。どうせ女に生まれ変わったなら、性格も可愛らしく生まれ変わってくれればよかったのに、と心の中で呻いた。初めて会った時から、リツィードは、変なところで頑固なところがある。何度拒否しても、殴りかかっても、暴言を吐いても、毎日毎日飽きずにカルヴァンの下に「友人になりたい」と笑顔で通い詰めるあの執着を、頑固と言わずして何というのか。
「あとは…そうだな……別の視点から…例えば、王都に入って聖女と明かしても、幽閉されたりしないような何か…」
「そんなことありますか?王都ですよ?聖女降誕祭とかっていう新しい祭りが出来るくらい盛り上がって祀り上げられる未来しか見えないですけど…」
ひた、と一点を見据えるようにやや目を伏せるカルヴァンは、いつものように頭を回転させ――
「リッツァ!」
「――――――――」
唐突にその場に響いた声に、その場にいた全員が、顔を上げた。




