36、戦場の『女神』
外に飛び出した時、領内はすでに混乱をきたしていた。あちこちで悲鳴が上がり、人々が逃げ惑う。遠くを見ると、どこからか黒煙が上がっていた。
「リアム、くれぐれも背中には気をつけろよ。全員、周囲の兵士を視界に入れながら戦えと伝えておけ。俺も含めて、誰一人信じるな、己だけを信じろ、と」
「はは、笑えない指示ですね。了解です。――どうか、御武運を!」
言って、カルヴァンと別方向に走っていく。指示系統をまとめ、避難誘導組と戦闘組とにわけるためだろう。命令に含まれていなくとも、ついでに簡単に周囲偵察くらいはしてくる奴だ。カルヴァンは、優秀な補佐官に絶対の信頼を置いて、新しい相棒になった新品の剣を抜き放ち、逃げ惑う住民の波に逆らうように走り出す。
(入団して日の浅い騎士は、市街地戦なんて慣れていないだろう。兵団勤務が短かくエリート街道まっしぐらだったやつらも同じだ。慣れている奴同士で連携を取りたいが――あぁ、ダメだ、連携なんて、後ろからバッサリやられるリスクのある行為、この状態では無謀だ)
頭で考えながら、必死に走る。
グォオオオオオオオオ
「きゃぁ!!!」
「イリア!!!」
幼い子供のうち、一人が転ぶ。顔立ちがよく似ている。兄妹だろうか。
兄らしき少年が、その小さな体で勇気を振り絞り、妹を守るように立ちふさがり――
ザン――!
「ぁ――――――!」
その牙が少年の喉笛に到達する前に、首を一刀で切り落とし、一瞬で絶命させる。
「きっ…騎士団長――!」
「早く逃げろ!大人たちにつづけ!」
「はっ、はいっっ!イリア、行くぞ、立て!」
「う、うん!騎士団長様、ありがとう!」
幼子らしい舌ったらずな声の礼を背中で聞きながら、魔物がやってきた方にあたりをつけて再び領内を駆ける。
(指揮官が迷っていたら、隊は壊滅する。わかっちゃいるが――この状況で、何が正しいかなんて、わかるか、くそっ…!)
心の中で毒つく。蘇るのは、二日前の悪夢。昨日まで背中を預けていた人間が、急に虚ろな瞳で刃を振りかぶるあの光景だ。
(くそっ…師匠、師匠ならどうする?ツィーなら、こういうとき、どうする?)
戦士として尊敬する二人を心に浮かべ、返ってくるはずのない問いかけを投げる。途中、襲われていた領民をまた一人助け、再び走る。
(己しか信用できない、そんな状態で――いや、己すら仲間に牙をむくかもしれないという疑心暗鬼の中で、複数の魔物と戦いながら、領民を守りきるためには、どうしたら――)
「――――――――!」
がむしゃらにあてずっぽうで、魔物の声がする方に駆けずり回っていただけだったが、どうやら勘は当たったらしい。祭に合わせて作られたであろう祭壇が設置された広場にぶち当たった。そこでは、すでに複数の騎士たちが、押し寄せる魔物に必死に抵抗を続けていた。だが、どいつもこいつも満身創痍だ。先日の戦いの怪我なのか、今日の戦闘でついた怪我なのかはわからないが。
必死に走る――が、足を庇うように必死に戦っていた一人の騎士が、隙を突かれて首に食らいつかれた。
「か――――――――は――…」
ぶしゅぅぅううううう
断末魔すら上げることを許されず事切れる仲間を前に、傍で戦っていた騎士が、ペタリ、と尻餅をついた。
「チッ――――――!」
「ぁ………ぁあああ…」
その目に浮かぶのは、恐怖。前回の戦いの恐怖と、今の光景を目の当たりにして、もう、戦いに向かう気力が潰えてしまったのだろう。
「戦う気がないなら帰れ!向こうの誘導隊にでも合流しろ!」
必死に駆け寄り、怒号を響かせながら、近場の一頭を斬り伏せる。
「だ…団、長……お、俺…俺――」
「っ――くそ!もしも生きて帰ったら今期の給与査定は覚えておけよ!」
恐怖の涙を流したまま、戦場のど真ん中で完全に戦意喪失した戦士を前に、何もしてやることが出来ない。魔物の猛攻のせいではなく――この戦士が、いつ態度を急変して、背中から切りかかってくるかわからない恐怖で、彼が立ち直るまでの時間、彼を背にかばって戦うことすらできない。
これでは、みすみす、救えるはずの仲間すら見殺しにすることになる。
久しく味わったことのない無力感に思わず歯噛みすると――
「いらないなら貸せ!!!!!!」
「――――――――――!?」
視界の端に飛び込んできた影に、思わず目を疑う。
耳に響いたその声は――この、血臭立ち込める戦場には似つかわしくない、女の声。
「な――――――」
カルヴァンが、何か声を上げるより先に、素早く銀髪の女――イリッツァは、尻餅をついた騎士から剣をもぎ取り、襲い掛かってくる魔物の首に突き立てた。
ドッ…
鈍い音が響き――――
ぶしゅぁあああああああああ
あたり一面に、血の雨が降る。
――――魔物の、黒い、血の雨が。
「――――――――皆!全員、こっちをみろ!!!!!」
頭の先から真っ黒な血をかぶった少女は、全く気にする素振りすら見せないまま、朗々と声を高く上げた。思わず、広場にいた全員の戦士が少女に目をやる。
少女は剣を高く掲げ、よく響く凛とした声で叫んだ。
「私は聖女!!!神の化身!!!今この瞬間、ここにいる者すべてに神の加護を与えよう!」
カッ――――
掲げられた剣が、一際輝いたかと思うと、強烈な光を発した。その瞬間、急に騎士たちに力がみなぎる。
(能力向上の魔法か…!)
一時的に、筋力や魔力といった能力を飛躍的に向上させる光魔法の一つだ。戦意を喪失しかかっていた戦士たちに、気力がみなぎるのが分かる。
「恐れるな!お前たちは、神の戦力たる最強の騎士団!!その真紅の衣は、神に命を捧げる覚悟の証!胸に輝く聖印は、王ではなく神に仕える騎士の誇り!選ばれし戦士たるお前たちが、何を恐れることなどあろうか!」
「「「お…おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」
聖女の一喝に、戦士たちの士気が最高潮に上がっていく。
「心を強く持て!魔物にも、闇の魔法にも、お前たちの誇り高き魂は決して屈しない!いつでもこの瞳の聖印が、お前たちの勇姿を映している!何も恐れず、全力でこの地の魔を滅せよ!!!」
「「「はっっっっっ」」」
信徒にとって、聖女の言葉とはこれほどまでに心強いものなのか――
先ほどまで、背中すら預けられぬと今にも泣きだしそうな顔で不安にさいなまれていた騎士たちが、今度は感動に目を潤ませて、強い意志をたたえた瞳で先ほどの数倍の勢いで魔物を殲滅していく。
「イリッツァさん――…かっこよすぎでしょ…これで惚れるなって、ほんと、無理じゃないですか?」
「俺なんかよりよっぽど指揮官に向いているな」
いつの間にかやって来たリアムが、自然にカルヴァンの背中に寄り添い、守るように剣を構えた。
「いいのか?いきなり俺に刺されるかもしれないぞ」
「ははっ、貴方に刺されるなら本望です。あの世で、俺は英雄に刺されたんだぜって自慢してやりますよ。――残念ながら、俺は貴方と違って敬虔な信徒なので、聖女様の鼓舞に死ぬほど高まってるんです。今なら、貴方の剣すら防げるんじゃないか、なんだってできるんじゃないかって有頂天なんです。何言われても水なんて差されませんよ」
「それはなにより――だっ!」
言いながら、ザシュッ…と襲って来た魔物を斬り伏せる。
「とりあえず、聖女様とやらを守れ。今あいつに死なれたら、せっかく高まった隊の士気が、一気に崩れる」
「わかってます!」
言いながら、魔物の包囲を何とかイリッツァの方に向けて切り抜けていこうと――して。
「「――――――――――」」
カルヴァンとリアムは、一瞬、目の前の光景に、同時に言葉を失った。
「ふっ――…」
ザッ――――
それは――まるで、舞のように。
ヒュン――
それはまるで――風のように。
「はっ――!」
それはまるで――何かの魔法のように。
ドッ…ぶしゃぁああああっ
次々と黒い血の雨を降らせるのは、戦場の女神。
何か目を引く剣技を披露しているわけではないのに――ただ、一つ一つの基本に忠実な動作が、とんでもない練度で洗練されていて。
それはもはや――――――芸術、と呼ぶにふさわしい域。
「あ……あれ、俺たちが行く必要、あります…?」
リアムが、ひくり、と引きつった声を上げる。
返り血でその身を染め上げた少女の周りには、魔物の死体が積みあがっている。こうして見ている間にも、一体、また一体と、確実に一刀で相手を絶命させる恐怖の剣は、全くぶれることなく死体の山を築き上げていた。
間違いなく、今日の一番の討伐数記録は、彼女がたたき出すだろう。
「俺たち、むしろ邪魔しないようにこっちに集中した方が――」
「リアム!お前はここに残れ!俺一人で行く!」
「えっ!?団長!?は、ははははい、わかりました!」
まったくこちらに取り合わずに駆け出した上官を見送り、指示に従う。
リアムが言うことは正しいだろう。カルヴァンがわざわざ補佐に入らずとも、きっとイリッツァは一人で淡々と死体の山を築き続ける。あの芸術の剣を、魔物ごときが何とか出来るとは、とても思えなかった。
だが、それでも、カルヴァンには、イリッツァの下に行かなければいけない理由があった。
彼女の――――――――"彼"の、もとに、行かなくてはいけない理由が。




