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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第三章

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34、『不可解』な女①

 ふっ…と目を開いたとき、眼に入ってきたのは見知らぬ天井だった。何度か瞬きをして、現状整理を試みるが、さっぱりここがどこなのか、今がいつなのか、自分がどうしてこうして見知らぬベッドに横たわっているのかはわからなかった。

 しかも、間抜けなことに――なぜか、体にまったく力が入らない。起き上がろうにも起き上がれず、眉を顰める。

 とりあえず、天井に見覚えはない。聞こえてくる音から状況を把握しようと努めるも、何やら表では騒がしい音が響いていて、なおわからなくなる。

 しばし天井とにらめっこし続け――

 コンコン

 扉から控えめなノックの音が響いたときは、ほっと息を吐いたほどだった。

 返事をする前に、扉が無遠慮に開く。部屋の主が寝ていることを疑っていないようなしぐさに、眉を顰めてやや不快感をあらわにすると――

「えっ、わっ、団長!?起きたんですか!?」

「お前か――…」

 大体予想はついていたが。

 心の中でつぶやいて、うんざりとため息を吐く。訪問者――リアムに向かって、カルヴァンはかすれた声をかけた。

「体が重くて起き上がれない。今はいったいどういう状況だ?報告しろ」

「は、はいっ…!っていうか、その前に――これ、飲んでください。きっと、回復します」

「――――?」

 水差しから水を汲んだコップを差し出され、疑問符を上げるも、リアムは全くためらわずカルヴァンの体を起こして促す。

(まぁ…今更俺に毒を盛るような奴でもないだろうし)

 何の変哲もない水にしか見えないそれを受け取り、ぐっと飲み干すと、確かに体が一瞬で軽くなるのが分かった。

「――――…なんだこの水は」

「"聖水"ですよ。光魔法が練り込まれた奇跡の水です。治癒の力が詰まってます」

「………先に言え…」

「言ったら団長飲まないじゃないですか!」

「当たり前だ」

 苦い顔でつぶやく。光魔法が眉唾だとか、そんなことは思っていない。事実、結界が効力を発揮しているのも知っているし、怪我や病を治癒する力があるのも何度も目にしたことがある。

 ただ、昔からなんとなく気に入らないだけだ。なるべく世話にならずに生きていきたいと思っている。それだけだ。

「…それで?今日がいつで、ここがどこで、あの遠征の日から、いったい何がどうなって俺がこんなところで寝こけているのか、その説明をしてもらおうか」

「はっ、はぃっ…えっと…団長、色々…その、怒るかもしれませんが…心穏やかに、聞いていただけると、ありがたいです」

 リアムは、おびえたように前を置きをしてから、そっと今までのあらましを語った。

 カルヴァンは、すべてを聞き終えた後――深くため息をついて、額を覆った。

「なるほど?……今日は聖人祭で、俺は遠征後丸二日以上寝込んでいたと」

「は、はい」

「ここは宿屋で、隊は壊滅、死傷者多数の上、今もこの宿屋で寝込んでいるものがいると」

「は、はい…重傷者は未だに教会に安置されていますが、聖人祭ですし、司祭様が祭に出ずっぱりになるので、ほとんどの兵はこちらに引き上げさせました。動ける奴は、街に降りて祭りに出てるんじゃないでしょうか」

「ほう…それで俺は、遠征で受けた傷がもとで、一回死んで、あのイリッツァとかいう女の光魔法の効果で、生き返った、と?」

「は――――――はい…」

「お前、馬鹿にしてるのか」

「いやだから、本当に奇跡が起きて――」

「いや、いい。もうこれ以上頭痛の種を増やすな」

 言いながら、カルヴァンは上着を脱いで記憶の中にある右わき腹のあたりを覗き込む。そこに確かにあったはずの大穴はきれいさっぱり消えていて、傷跡の一つも見つけられない。

「死者が生き返るなんてあるわけないだろ」

「だ、だからそれは――その…えっと…」

 リアムが、急にもごもごと口の中でいいごもる。

(――?)

 その様子に、いつもと違うものを感じ取り、カルヴァンはリアムを仰ぎ見た。

「なんだ。何か言いたいことがあるのか」

「えっ、いえ、な、なんでもっ…」

「…違うな。隠してることがあるのか」

「なんで団長はいつもそんな鋭いんですか!!!!」

 泣きそうな顔で言ってくる補佐官に、軽く肩をすくめるだけで受け流す。

 いつものリアムなら、神はいるのだ、ここまでの奇跡を前に信じる気になったでしょうと、鬼の首を取ったかのようにエルム教の話をしたはずだ。

 それが、なぜか口ごもっている。

 それはきっと――この現象を『神の奇跡』と片付けきれない、何かがあることを知っているからだとあたりをつけただけだ。

「吐け」

「え~~…いや…それはちょっと…いくら団長でも…」

「………ふぅん…?」

 じっ…と切れ長の灰褐色の瞳に見据えられ、ぐっとリアムは言葉に詰まる。

 何も話していないはずなのに、何か見透かされているようなこの瞳が、リアムは着任したころからずっと苦手だった。

(だって、この人に隠し事とか本当に出来ないっ…!)

 とにかく頭の回転が速くて何を考えているかわからない人物なのだ。決して自分が分かりやすいわけではなく、単純に、カルヴァンの観察眼が鋭すぎるだけだ。

「…『いくら団長でも』…か」

「っ…!あ、いや、あの、そのっ…」

 カルヴァンは切れ長の瞳を伏せて、物思いにふける。

 リアムの言葉からするに、騎士団にまつわることではないらしい。そもそも、基本的に職務には忠実な男だ。何か重大なことがあったとして――仮に重大ではないことだったとしても――仕事にまつわることで隠し事をするなど、考えられない。また、基本的には心根が優しい男だ。誰かの不幸につながることや、不利益につながる情報を無意味に秘匿するものでもない。つまり、カルヴァンやカルヴァンが率いる騎士団にとって、不幸や不利益があるような何かではないらしい。

 自分たちに直接関係ないが、あえてカルヴァンに黙っていること。それも『いくら団長でも』という言葉つき。つまり、他の人間にはなおのこと言えない、ということだ。

 そもそもの内容が騎士団にかかわることではないならば、カルヴァンの騎士団長という肩書をさしての言葉ではないだろう。カルヴァンの個人的資質に寄与した発言だったと推察する。

 他の人間とカルヴァンが最も異なっている点――それはおそらく、神を信仰しているか否か。

 つまり、先ほどのリアムの言葉をかみ砕くならば『いくら信仰心の薄い団長でも』ということだろう。

 信仰心の薄いカルヴァンにも、言えないこと。

 話題は、死者を生き返らせたという話だった。それが、神の奇跡ではないとリアムが思うような何かがあったとすれば――――

「あぁ。なるほど。あの女、本物の聖女だったのか」

「だからなんで何も言ってないのにそんな答えが出て来るんですか!!いつもいつも、ほんと気味が悪いんですけど!」

 カルヴァンが黙ったのはほんの一瞬。瞬き二つほどの時間であっさり核心に迫る結論を出され、泣き声に近い声でリアムが叫ぶ。カルヴァンは心外だと言わんばかりに、やれやれと肩をすくめた。

「本物の聖女ってのは、死者までよみがえらせる力があるのか?」

「いや、知りませんよそんなの…初耳です。でも、神は死者をよみがえらせるっていうような記述が聖典にありますから、神の化身と言われる聖女様なら、まぁ、ありえなくないことかもしれませんけど――でも、奇跡には違いないですよ。長い王国史上でも、聖女や聖人の奇跡に、死者をよみがえらせる、なんて話は聞いたことないですし」

「ふぅん…まぁ、どうでもいい。とりあえず、俺が死に損なったことだけはわかった」

「もう…団長は、すぐそういうこと言う…」

 リアムは呆れたようにつぶやいて、もう一度水差しから水を汲んだ。

「団長がどう思おうが、まだ貴方はこの国に、この騎士団に、必要な人材です。いくら親友のリツィードさんが待ってるって言ったって、しがみついてでも連れて行かせませんからね」

 リアムの言葉に思い切り嫌そうな顔をしながら、しぶしぶとコップの水を受け取る。目が笑っていないからには、本気なのだろう。そしてこれを飲めという圧力がすごい。

「わかったわかった。…これからは、もう少し後進育成にも力を入れる。ほぼあの世に片足突っ込んだ状態だったのに、薄情な友人は迎えに来てもくれなかったからな。たぶん、まだ来るなって言ってるんだろう。しばらくはお前らの面倒も見てやるから、そう上官を本気でにらみつけるな」

「絶対ですからね。とりあえず、それもう一杯飲んでちゃんと早く回復してください。結局、尻尾巻いて逃げて来ちゃったことは事実なんですから、あの魔物の群れをどうにかする方法を考えないと」

「…そもそも、あの妙な事態が何だったのか、それがわからないと手の打ちようがないがな。生きている兵士で話が聞ける奴らは何と言っていた?」

「それが、何も。自分から仲間に斬りかかった奴に話を聞きましたが、あの時はまるで、何者かに操られているかのようだったと」

「…まぁ、そうとでも言わないと説明がつかないな」

「はい。ただ、特に規則性などがあるわけでもなく…人を操るというと、真っ先に思い浮かぶのが闇魔法ですが、操られた奴らはみんな信仰心が篤いことで有名な奴らばかりでした。逆に、団長みたいに全く神様を信じてない人は正気のままだったし…それに、あえて分けるとしたら、俺は団員の中では比較的信仰心は篤い方だと自負してますが、俺は正気のままでしたから」

「……信仰心以外の要素がある、と?」

「伝承の通りなら、心の弱い者…とか。でも、そんなのどうやって測ったらいいかわかんないですよね」

「そうだな…そもそも、闇魔法の使い手なんてのが本当に相手なのかもわからん。あの場に、魔物はいたが、人影は見当たらなかっただろう」

「はい」

「まぁ、あの混乱の最中で見落としているだけかもしれないが……とりあえず、調査からやり直しか。まずは、ナイードの兵団に協力を要請しつつ、王都から本格的な騎士団の討伐隊を――」

「はい、手配はすでに完了しています。あとは、団長が回復してくれさえすれば」

「…優秀な補佐官だな」

 つぶやくと、リアムは複雑な顔をした。

「正直、今の俺が思いつく限りの根回しは全部やりましたが、それでも厳しいと思ってますよ。王都からの応援が届くのはずいぶん先でしょうし、十五年以上、それこそフィリア様の時代から、ここは手厚く聖女様の結界で守られていたんですから、領地お抱えの兵団の戦闘力には期待しない方がいいでしょう。――頼みの綱のイリッツァさんも寝込んでしまっていますから、結界だって、いつ破れるかわからないですし」

「……寝込んでいるのか?」

 言われて、自分の命を救ったという聖女の存在を思い出す。

「はい。まぁそりゃそうですよね。人一人復活させるような魔法使えば、魔力枯渇してぶっ倒れますよ。今朝様子を見てきましたが、まだ全然目を覚ましそうになかったです。だから、祭は司祭様一人で執り行って、過去見習いとして所属していた娘が身重の体で手伝っているようですが――」

「あの魔物の侵入を抑えていた結界を維持できない、ということか」

「はい。毎日力を送っていたわけではないでしょうし、現にこの二日間、警戒を強めて領内を見回っていますが、結界が破られて魔物が侵入してきたという報告は聞いていませんから、少しは猶予があるものなんでしょう。でも、それが、ひと月なのか、今日この瞬間までなのか、それは彼女にしかわかりませんよ。――誰も、彼女が本物の聖女だなんて思ってもないでしょうから」

「――…なるほど」

 つまり、彼女が起きるまでにその期限が来てしまえば、今のこの満身創痍の一団の状態で敵を迎え撃たなければなくなる。それも、領民というお荷物を抱えての戦闘になる可能性が高いときた。

「まぁ…出来ることをするしかないでしょう。団長がいつ起きてもいいように、剣だけは新品の物を調達しておきました。丸腰なのはさすがに不安でしょうから」

「あぁ。助かる」

「それから――貴方は絶対嫌がると思っていますが、それでも、さすがに、人として、ちゃんとイリッツァさんが目覚めたら、お礼は言ってくださいね」

 調達したという新品の剣を受け渡しながら言われた言葉に、カルヴァンはこれ以上ないほど顔をしかめた。

「ちょっと!そんな顔しないで!絶対、絶対に言ってください!いたいけな少女が、無尽蔵と言われる聖女としての魔力を全部つぎ込んでまで治癒してくれたんですよ!!!?ぶっ倒れて、寝込むくらいまで!!!神様がどーのこーのはこの際置いとくとして、そんな、文字通りの命の恩人に、お礼の一つも言わないなんて、人として最低ですよ!?」

「…頼んだ覚えはない」

「嘘!!!絶対嘘だ!!!」

 リアムはすごい剣幕で言い募る。カルヴァンは大声に顔をしかめて片耳をふさいだ。

「イリッツァさん、絶対団長のこと知ってる感じでしたよ!だって、団長が死んだって知って、イリッツァさん滅茶苦茶に泣いてたんですよ!!?」

「知らん…心当たりがない」

「絶対、絶対団長がすっぽり忘れちゃってるだけです!まるで家族か恋人かってくらい、滅茶苦茶泣いて、滅茶苦茶心配して、たぶんずっと一生懸命隠してたはずの聖印も隠すの忘れるくらい必死で、団長を治してくれたんですよ!?」

「だから――まったくもって、そこまでしてもらう心当たりがない」

 眉間にしわを寄せて呻く。隠しているわけではなく、本心だった。

「あんっっなにかわいい子を忘れるなんて、本当に人としてどうかしてます!過去、深い仲になった女の子のこと一人残らず思い出して記憶たどってください!」

「――…数が多すぎて思い出せないな…」

「お前本っっ当に最低だな!」

 思わず上官と言うことを忘れて素で叫んでしまってから、リアムはゴホンと咳払いした。

「と、とにかく…今や、王都をにぎわす女嫌いで有名な団長が、女性に愛称で呼ばせてるなんて、よっぽどのお相手でしょう?きっと、過去に並々ならぬ関係になったはずで――」

「待て。お前、今なんて言った?」

 おおよそ聞き流せない発言に、カルヴァンが手をあげて制す。きょとん、とリアムは鼈甲の瞳を瞬いてから、繰り返した。

「え…いやだから、イリッツァさんに、愛称で呼ばせてたんでしょう?」

「愛称だと?」

 眉間にしわを寄せて問い返す。

 女は金づるか、性欲を満たすためだけの存在だと思っていた少年時代ですら、そんなことを許した相手はいない。女を積極的に遠ざけるようになったリツィードの死後はなおさらだ。兵士時代の仲間の中には、ファムのように勝手に気軽に呼んでくる人間がいたが、当然全て男だ。愛称で呼ばせたりなどすれば、一気に自分が『特別』なのだと勘違いして面倒くさくなること請け合いだったため、女には絶対に呼ばせなかった。

「で、でも…イリッツァさん、団長を治癒するとき、ずっと、何回も叫んでましたよ?――『ヴィー』って」

「――――――――!」

「あれって、団長の愛称ですよね?最初、すぐに繋がらなくて意味がわからなかったんですが…ちょっと珍しい略し方だし、きっと団長にとって特別な――」

「待て。――――――待て、待て、ちょっと、待ってくれ。話の展開に、全く頭がついて行ってない」

「えぇえ!!!?団長にもそんなことあるんですか!?」

 色を失って口元覆いリアムの言葉を制止したカルヴァンに、思わず驚愕の声を上げる。誰もかれもを会話の中で置いてきぼりにすることで有名なカルヴァン・タイターが、『話についてこれない』だなんて――明日は、ついに槍が降るのだろうか。

「ちょ…待て…どういうことだ…?あいつの知り合い…いや、年齢的にありえない……歳をサバ読んでるのか?…いや、それにしたって…」

「だ、団長…?」

 ぶつぶつと口の中でつぶやきながら思考の渦に入っていく上官を、呆然と見守る。こういう時は、しばし放置すると、勝手に聡明な頭脳が一般人を置いてきぼりにして答えを導き出すとわかっているが、口に出して考えを整理するカルヴァンという珍しいものを見て、リアムは驚きに固まっていた。いつも、少し目を伏せる程度で頭を整理して、余裕綽々な顔で答えをズバッと導き出すのに。

 しばらくぶつぶつと何事かつぶやきながら、常人には追い付けない処理速度を誇る頭脳をフル回転させた後、カルヴァンはすっと冷静な瞳で顔を上げた。

「あ、終わりましたか。結局――」

「さっっぱりわからん。本人に聞きに行く」

「えええええええ!?」

 キリッと格好いい顔で格好悪いことを言い切って、驚くリアムをそのままにやおら立ち上がる。リアムが調達してきてくれたという剣を腰に差し、軽く身支度を整えるカルヴァンを見て、リアムは慌てて声をかけた。

「いや、今朝見てきましたけど、まだ眠ってたってさっき――」

「もう起きてるかもしれないだろ。それに、その"聖水"とやらを無理矢理飲ませれば起きるかもしれない」

「完全に寝込んでる命の恩人相手に鬼畜ですか貴方!?――あーもう、俺もついていきます!心配すぎる…!」

 一回死んでも治る気配のない上官の自由奔放さに、リアムはこめかみを抑えて頭を抱えたのだった。

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