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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第三章

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33、『始まり』の記憶③

 次の日も、抜けるような快晴だった。

 その日、カルヴァンは、今まで絶対に自分から立ち入ることなどなかった場所に、人生で初めて立ち入っていた。

「あの…カルヴァン。何を、してるんだ?」

「別に。聖女様のご高説とやらを聞いてみたくなっただけだ」

「絶対嘘だろ」

 そこは、王立教会の中の一室――外部から名のある聖職者が来訪したときに過ごすときのための部屋だった。毎月決まった日に同じ時間、ここでリツィードが聖女に神学を学んでいたことは知っている。そして、それが終わるとすぐに恒例の鬼ごっこが始まるのだ。ここでの授業がない日でも、同じ時間に必ず来るリツィードは、妙なところで生真面目だな、とカルヴァンは変に感心する。

 カルヴァンは、窓枠に腰掛けるようにして、日向ぼっこをするかのようにくつろぎ切った姿勢でちらりとリツィードを見やった。いつも通りの完璧な笑顔が、そこには張り付いていた。

「カルヴァンが、教会の建物の中にまで入ってくるなんて――明日は槍でも降るんじゃないか?」

「"友達"になりたいと昨日まで追いかけまわしてた相手の方から、わざわざこんなところまで来てくれたっていうのに、とんだ言い草だな」

「へぇ?ついに友達になってくれる気になったのか?」

「まさか」

 あっさりと否定するカルヴァンに、少しだけ困ったように眉を下げる。彼の笑顔以外の数少ない表情のうちの一つ。

「お前も懲りないな」

「俺は、カルヴァンこそ懲りないと思ってるぞ。――いくらなんでも、そろそろ名前を呼んでくれてもいいだろ」

 その言葉にカルヴァンはかるく肩をすくめるだけで答えた。

「王国の言葉は発音しづらいって言っただろ。しかもやたらと長ったらしい――おまけに、なんでどいつもこいつも、似たような音の名前してるんだ」

「あぁ――…名づけは、エルム様にあやかる人がほとんどだからなぁ。長さはともかく、同じような発音になるのは仕方ない」

 商人だった父は、行商で家を空けることも多かったため、幼いころは母と過ごす時間が圧倒的だったカルヴァンにとって、言葉の基礎となっているのはファム―ラ共和国の言語だ。だいぶ慣れたとはいえ、未だに少し訛りが出ることがあるし、話しづらいと思うことが多い。

「カルヴァンにも、"ル"が入ってるじゃないか。それこそ長いし」

「名前は親父がつけたからな。母さんは、いつも呼び辛そうにしてた」

「へぇ、じゃあどんな風に呼んでたんだ?」

 聞かれて、嫌そうな顔でリツィードを睨む。

「まさか、愛称で呼びたいとでも言い出すつもりか?絶対に断る」

「愛称――…あぁ、アレか。名前を略したりして呼ぶやつ。それいいな。呼んでみたい。友達っぽい」

「勘弁してくれ…」

 呻くように言って額を覆う。昨日、狂人の母親と相対して、ほんのわずかに傷ついた表情を見せたはずの少年は、すっかりいつも通りだった。昨日、一瞬陰りを帯びた世界は、再び穏やかな色合いを取り戻していく。

 やいのやいのと話していると、ふわり、と部屋の空気が動くのが分かった。ぴたり、とどちらからともなく会話が止まる。

「――――リツィード…?」

 入ってきた聖女は、表情をさほど変えないまま、カルヴァンを見て小さな声で息子の名前を呼ぶ。なぜ少年がここにいるのか、と問いたいのだろうが、その問いかけは口にされることはなかった。どうやら、聖女という生き物は、周りが何でもかんでも慮って先回りして動かないといけないらしい。

「今日は、彼も見学したいとのことです。いいですか、フィリア様」

「――――――――――…好きなように」

 昨日、母と呼ばれた時と変わらぬ温度でつぶやき、フィリアはリツィードの前に腰かけた。そのまま、一度もカルヴァンを視界に入れることなく今日の『授業』に入る。その瞳は、幼い息子を前にした母親とは思えないほど凍てついていた。

 カルヴァンは、窓枠に行儀悪く腰掛けたまま、じっとその様子を横目で見やる。

(あぁ――――――なるほど)

 少しだけ目を伏せて、滔々と神の教えを説くフィリアと、熱心にその顔を見つめて、時折忘れたように問いかけられると一生懸命に答えるリツィード。

 やはり、狂っていたのは――母親の方だったようだ。

(一度も、見やしないのか)

 フィリアの桜色の唇から洩れる言葉は、教会に救いを求めてやってきた王国民に言葉を授けるときと何ら変わりない。およそ、まだ幼い愛しい我が子に語り掛けているようには見えなかった。薄青の瞳は、ガラス玉のように何も映さない。

 それでも――息子の方は、瞳に、幼子らしさをにじませるから、見ていられない。

 懸命に、その瞳が気まぐれにこちらを映してくれるのではないかと期待をして――少しでも気をひきたくて、必死に学んで、優等生の仮面をかぶって。

(――――――天使、か)

 初めて声をかけてきたときの顔を思い出す。

 あれは、天使の顔ではなく――優等生の、仮面だったのだろう。

 母の教えを愚直に信じ、励行し続けることで――いつかは、この聖女が自分を振り向いてくれるのでは、という、なんとも子供らしい哀しい感情が、その裏側には確かにあった。

 思い返せば、彼の身のこなしも同じだろう。――父を『師匠』と呼ぶ少年は、父親にも認められたくて、幼い体で、必死に彼の期待にこたえ続けようと厳しい訓練に耐えているのだろう。――彼の言を鑑みるに、おそらくそれも報われてはいないようだが。

 ここまで来ると、なぜ子供など作ったんだと聞きたくなってくる。

(望まれない子供なんて、いるんだな)

 カルヴァンは、膝の上に肘を置いて、じぃっとリツィードを眺めた。授業の内容なんて髪の毛一本ほどの興味もなかったが、健気に、一生懸命に母の期待に応えようとするその横顔は、今まで彼が見せてきたどの表情とも違っていて――誰よりも子供らしく見えて、何故か目が離せない。

(何が聖女だ。――雪女の間違いだろ)

 心の中で吐き捨てる。

 カルヴァンは、幼いころに母から聞いた、ファム―ラ共和国に伝わるという怪談を思い出していた。

 周囲に吹雪と死をまき散らすという冷たい雪女。子供のいない老夫婦や独身の男の家など、人生で孤独にとらわれた人間を狙い、一瞬だけ儚い夢を見せた後、そのまま無情にも相手の命を奪っていく。

 凍てついた湖面のような薄青の瞳も、降りしきる雪を思わせる白銀の髪も、日に焼けたところなど想像すらできないほど白く透明な肌も、世にも恐ろしい吹雪を操る魔女だと言われても何の不思議もない。いっそ、青白くすら感じる肌は、亡霊と言われても信じられるくらいだ。

 そうして、孤独に苛まれる己の息子に、いつまでも叶わぬはかない夢を見せつづけ――最後は、彼女の冷たさで、息子の心を殺してしまうのだろう。

 ちょうど、『人』らしさなどかけらも持っていなかった、カルヴァンと出逢ったあの頃のリツィードのように。

(違う――自分で、殺すのか)

 孤独に耐えられなくて、自分が不幸だと思いたくなくて。

 誰にも愛されない自分を、世の中に一人ぼっちの自分を、認めたくなくて、彼は人に愛を振りまき、幸せを説くのだろう。そうして、自分ではない誰かが『幸せ』になるのを見て、それが『嬉しい』と思い込む。それこそが、自分の生きる意味だと思い込んで、心を保つ。

 たかだか五歳やそこらの少年が抱えるには、あまりにも大きすぎる孤独――それに、気づきもしないでほほ笑むリツィードに、カルヴァンは眉を顰めた。

 夢など見るからつらいのだ。

 もう、いっそ、認めてしまえばいい。――自分は覚めない夢の、明けない夜の中にいるのだと。癒されることのない孤独の中にいるのだと。永遠に、誰にも愛されることなく、寄り添われることもなく、独りきりで生きていくのだと――

(毎日毎日こんな様子で――さすがにもう、報われない夢だったって、わかるころだろう)

 そう――だから、自分のように、認めてしまえば、もっと――

 コツコツ

「…誰ですか」

 授業の途中で扉が叩かれた音がして、フィリアがゆるりと顔を上げる。ゆっくりと開かれた扉の隙間から、声が聞こえる。聖女の前に姿を見せるなど恐れ多い、とでもいうように。

「フィリア様。――ガエル騎士団長が、帰還なさったようです」

「――――――――!」

(え――――――)

 ガタン、とフィリアが腰かけていた椅子が音を立てる。それを見て、カルヴァンは瞳を見開いた。

 先ほどまで、何も映さなかったガラス玉の瞳に、輝きが戻っている。亡霊かと見紛う真っ白な肌は、血色がよくなり、ほんのりと赤みが差していて、この女が生きた人間だったと言うことを思い出させた。

 それは――先ほどまでの、フィリアとは別人だった。

 冷たく凍てついた雪女ではなく――愛する夫を待つ、どこにでもいる、普通の女だった。

「リツィード。今日はここまでにしましょう」

 フィリアは、早口でそう告げると、リツィードの返事を待つことすらなく、さっと歩き出して部屋を後にする。――息子の方に、一瞥たりともくれないままで。

「親父、もう帰って来たのか」

 当たり前のように授業の片づけをしながらつぶやくリツィードの様子を見るに――これは、日常なのだろう。

(――――――なるほど)

 カルヴァンは、心の中でいつものようにつぶやいて、苦い気持ちをかみ殺す。

 夢など、見なければいい。諦めてしまえばいい。そうすれば、どれだけ楽なのだろう。もう五年もこんなことをつづけているなら、リツィードが抱く幻想は叶わぬ夢だとわかった頃合いだと思ったが――

 だが、それでも――彼は、その"夢"を見続けざるを得ないのだ。

 毎日、母が、父を、これ以上なく愛している様を、見せつけられる。母は誰にでも――家族にでも冷たい人間なのだと、割り切ることが出来たら、どれだけ幸せだったことだろう。その、最後の救いを、彼は毎日、父と母がいる家で、無情にも奪われていく。

 なぜ、父は愛されるのに、自分は愛されないのか。

 同じ家族なのに、どうして愛してもらえないのか。何が足りないのか。

 父のように強くなればいいのか、母が望む通りの男になればいいのか。

 答えのない問いかけが、無情な悪夢から、雪女の見せる夢から、いつまでたっても彼を解放してくれない。

 いつか、母が、父に向けるような微笑みを、自分にも見せてくれるのその日まで――

 それは――――――いったい、どんな、拷問なのだろう。

「――――――おい」

「あぁ、カルヴァン。待たせてごめん。お前にはつまらなかったんじゃないか?」

「あぁ、つまらなかった。…いや、そうじゃなく」

 カルヴァンは、静かに問いかける。

「――お前、まだ、俺と友達になりたいとか思ってるのか?」

「え?当たり前だろ、なんで勝手に終わったことにしてるんだよふざけんな」

「…『普通』が知りたいからか?」

 じ、と灰褐色の瞳が薄青をとらえた。いつもの人を小馬鹿にするような空気が鳴りを潜める。

 ふわり、と窓から一筋の風が舞い込み、二人の間を吹き抜けた。

「――――さぁ。もちろん、それも教えてもらえたらいいと、思ってるけど」

 リツィードは少し困ったように眉を下げて、カルヴァンの瞳を真正面から見ながら答える。

「今は、それだけじゃない気がしてる」

「…というと?」

 促され、リツィードは、下げた眉をさらに下げた。ここまではっきりと困った顔を見るのは初めてで、カルヴァンは思わずじっとその表情を見つめてしまう。

 先ほどまでここにいた聖女とよく似た面差しに、彼女は絶対に浮かばせないだろう表情を浮かべたまま、リツィードは考えながらゆっくりと口を開く。

「そうだな…お前と、しばらく一緒にいて、色々と話をして――たくさんの、感情を知った。俺はずっと、誰かを幸せにすることが『嬉しい』ことだと思ってたけど――それは別に、すごく大それたことなんかじゃなくても『嬉しい』んだって教えてくれたのは、お前だ」

「…?」

 例えば、彼が初めて両親の話をしてくれた時。父親が商人だったと言って、彼の行商についていかせてもらった時に訪れた国や領地の風景。母親の出身国ファム―ラ共和国。夫婦喧嘩をする時は異国語で言い合っていたことや、喧嘩した二人を取り持つのはカルヴァンの役目だったこと。好きな料理の味付けや、聞いたことのない調味料の話。

 最初のころの彼は誰にも決して踏み込ませず触らせもしなかっただろうその領域に、初めて触れさせてもらえた時の喜び。それを話すときに、ひどく穏やかな顔をしていることを認めた時の感動。

「神様に救われる、とかそんな大それたことじゃなくても、いっつも誰にでも噛みつきそうな顔してたお前が、穏やかな顔してたら、それだけで俺は『嬉しい』。追いかけっこしたり、殴り合ったりしてる時ですら、毎日――うん。そうだな。『楽しい』って、こういう感じなんだな、って、初めて知った」

「――…殴り合ってはいないな。一方的に俺が殴られただけだ」

「かわいくねーな、相変わらず」

 呆れたように言ってから、リツィードは少しだけ、ほんのりと、眉を寄せた。

 これは、昨日初めて見た表情。

「だけど、なんだろな…毎日楽しい、嬉しいって思えば思うほど…お前にもそう思ってほしい、こうなってほしい、こういう関係になりたいって思うのに…期待をするのに、それに答えてもらえないのは、何ていうか――――あぁ、そうか。これが、『寂しい』ってやつか」

「――――――」

「なるほど。…お前も、皆も、『寂しい』っていうのは、こういう感じなのか」

 初めてその感情に言葉をつけた、とでも言いたげにリツィードはうなずく。

 少年は、言葉通り、初めて知ったのだろう。

「初めて知ったよ。お前と一緒にいたから、この感情の名前が分かった」

 きっと――感じたことだけは、昔から何度もあったはずだ。

 母と、父と、相対するたびに、その感情はこの小さな胸を痛めたはずだ。

 それでも――その感情に、名前を与えてくれる存在は、今まで彼の人生に現れなかったのだ。

 彼に興味がない両親も――彼を『聖女の息子』『英雄の息子』として『人』とは異なるところにある存在として扱う周囲の大人も。

 その事実に思い至り、ざわり、とカルヴァンの胸がかすかにざわめく。

「『寂しい』のは嫌だなって、思った。苦しい。でも――お前は、自分から独りになろうとするから。ちょっと目を離すと、進んで自分から、独りに――『寂しい』に突っ走っていきそうになるからさ」

 ドキリ、と核心を言い当てられてカルヴァンは目を瞬いた。リツィードはふっと瞳を緩めた。

「今はもう、神様を信じてくれなくてもいいって思ってる。神様が助けてくれなかった、って言われても――神様ってそういうもんだよ、って言うのは簡単だけど、納得してほしいとは思わない。お前がいつか、自分から、『神様はいる』って思えるようになるまで、無理に信じなくていい。でも――神様を遠ざけてもいいけど、人まで遠ざける必要はないだろ」

「――――」

「お前の親父さんも、母さんも――お前を馬車の中に隠した時、お前を独りにしたいって思ったわけじゃないはずなんだ。きっと、お前には、生きて幸せになってほしいって、それだけを神様に願ったはずなんだ。鼻も利くはずの魔物が、馬車の中に隠れてるお前を探し出せずに立ち去ったのは、きっと親御さんの最後の祈りが届いたのかなって俺は思う。――って、言っても、お前はいつもみたく鼻で嗤うんだろうけど」

「……そうだな」

 そんなものは、なんの慰めにもならない。

「お前の大嫌いなエルム様曰く――独りっていうのは、よくないことらしい。人の心を一番蝕むんだと。だから、人は、友を作り、恋人を作り、子供を作って、家族を作る。人の輪を広げて、つなげて、愛を与えて与えられ、互いに手を取り合って生きていく。でも今、お前は家族がいなくなって、友になりたいっていうやつの手も振り払って、誰の愛も受け取らないし、与えようとしない。そういうやつは――」

「誰にも助けてもらえない、ってか?大きなお世話だ」

 誰の助けなどなくても、独りで、自分の力で生きていく。ずっと、そう思って生きてきた。これからもきっと、そうやって生きていく。

 吐き捨てるように言った少年に、リツィードはゆっくりと頭を振った。

「違う。――死ぬことが、怖くなくなるんだってさ」

「――――――」

「誰ともつながっていない人は、死すらも恐怖しない。誰もこの世に引き留めてくれないから。生きてても死んでても、どっちでもいい、って思ってるから、簡単にいなくなる。自分の生に執着しない。そういう人は、悪い大人に利用されたり、闇の魔法に付け入られたり、死地に赴く兵隊として駒にされたり…とにかく世界にとってもあまり愉快なことにならない。もちろん、本人にとっても」

「……なるほど…?」

「だから、エルム様は、人は必ず誰かの手を取れ、家族を作れと教えてる。その手を離さないために、つないだ相手を裏切ってはいけない、悲しませてはいけないって教えてる。だから、伴侶は一人の人を愛せっていうわけだけど」

「えらく合理的な教えだな」

 愛することが素晴らしい、という感情論ではなく、それはまるで組織論に近い。人という組織を円滑に運営していくために必要なことを、合理的に説いている。

「まぁ、教義に従うことが何百年も続く一つの国の執政方針そのものっていうような教えだからな」

 リツィードは少し呆れたように言いながら、カルヴァンを振り向く。

「だから聖職者は、そうやって独りになろうとする人の手を取り、つなぐ責務がある。孤児を引き取り、人々の懺悔を聞き、悩みを解決して、誰の手も取れない人の手を取る最初の人になる役目がある。それはそうなんだけど――俺は、そんなの関係なく、聖職者の役割としてじゃなく、一人の友達として、お前の手を取りたいよ。お前が、勝手に独りで、どっかに行かないように」

「――――――…」

 左耳を掻いて、カルヴァンは小さく嘆息した。

 ――それならお前はどうなんだ、と問うたところで望む答えは返ってこないのだろう。

 リツィードの言葉を借りるなら――カルヴァンは、今でこそ死によって別たれたが故に、家族とのつながりがない。だが、過去、そのつながりは確かにあった。そして、彼の言うように、今、リツィードの手を取れば、今度は"友"というつながりが出来るのだろう。仮に断ったとしても、いつか、自分から誰かの手を取るときがあるかもしれない。

 だが、リツィードはどうなのか。

 生まれてこれまで、家族も、友もいなかったこの少年の手を取ってくれる人間は現れるのか。今、自分がここでこの手を拒絶したら――そんな人間は、現れてくれるのだろうか。

 もう、カルヴァンの世界は暗闇に閉ざされてなどいない。ひどく癪だったが、それは間違いなく、孤独をリツィードが埋めてくれたからだろう。

 だが、明るい世界に出たカルヴァンの目には――未だ闇の中にいるリツィードが、はっきりと見える。

 友としてカルヴァンの手を取る、と言いつつ、リツィードの有事の際には、あっさりと手を離してどっかに行くんだろう――それを予感させる闇が、はっきりと。

「――友ってやつは、一方通行ではなれない」

「へ?」

「俺の手を取るなら、お前も俺につながることになる。――お前も、独りでどっかに、勝手に行くことが出来なくなる。――わかってるのか」

「う゛…うーん、そっか。そういうことになるのか」

 案の定、リツィードは急に困った顔になった。再び眉を下げる。

 あぁ――なるほど。

 期待をして、それに答えてもらえない。――『寂しい』っていうのは、確かに、こういう感覚だった。

「なんでそこで困るんだ」

「いや、だって…聖職者ってのは、そういうもんなんだよ。誰か特別な人を作っちゃいけない。誰か一人を『特別』にすると――全員を等しく救えないだろ。何かあったとき、つい、その『特別』な人を優先して助けたくなる。だから、聖職者は家族を作らないんだ。神の教えの代行者として、少しでも多くの人を救うために、全員の人に等しい愛情を注ぐ――それが、聖職者としてのあるべき姿で――」

「知ったことか。というより、お前、別に聖職者じゃないだろう」

「ぅ…いやまぁ、今はそうだけど、ゆくゆくは――」

「将来そうなるとして、今はただの一般人だろ。一般人の期間くらい、『人』らしく生きればいい」

「――――…うーん…なんか、丸め込まれている気がする…」

 後ろ頭を掻きながら、リツィードは唸る。

「あいにく俺は聖職者とかいう人種が嫌いだ。誰にでも優しいふりして、その実誰のことも愛していない。一括りに『かわいそうな子』『救いを与える相手』としか見てなくて、そいつがどういう人間なのか、本質を見ようとしない。誰にでも同じ『救い』とやらを与えて満足してる、自己満足野郎ばっかりだと思ってる」

「う…ひどい言いようだな…まぁいいや、それで?」

「つまり俺は、『聖職者』となんか、友人になりたくない」

 きっぱり、はっきりと、言い切る。

 そして、その薄青の瞳を真正面から見据えて、口を開いた。

「お前の言うところの――"普通"の『人』なら、友人になってやってもいい。どうする」

「――――え…えぇぇぇええ………そんな究極の…う、うーん……」

 ひどく弱った、というように眉を下げて、リツィードがうなり始める。それを見て、カルヴァンはすっと胸がすく思いがした。

 あぁ――なんて、『人』らしい表情だろう。

 にやり、と思わず片頬を歪めて笑うと、リツィードは困った顔のまま、瞳を緩めた。

「そういう表情は――反則だろ…友達にならないと、そういうの、見せてくれないんだろ」

「まぁそうだろうな。聖職者なんて、近寄りたくもない」

「はー……わかった。わかったよ。いつか、俺がちゃんとした聖職者になるときまでな。その時まで――お前のために、俺は、ちゃんと生きることにする。独りで勝手にどっかに行ったりしない」

「約束だぞ」

「あぁ。神に誓う」

 軽く聖印を切って、リツィードはしっかりと言い切った。

 それを見て、カルヴァンも続ける。

「俺は、神を信じていないから――そうだな、俺と、お前に誓おう。お前を友とし、常にともにある。決して、お前を独りにしない」

 それを見て――

「ふ…ははっ…誓って、くれるんだ。お前でも」

 初めて――リツィードが、声を立てて笑うのを、見た。

「…ずいぶんな言われようだな」

「だって…お前から、"誓い"なんて言葉が出て来るとは、思わないだろ。ははっ…」

 まだ、そうして笑うことに慣れていないように。かすかに、吐息を漏らすように、密やかに笑う。

 あぁ、きっと――これは、リツィードが、"友人"にしか見せない、『人』としての顔なのだろう。

 存外悪くない――カルヴァンは、片頬をゆがめて笑った。

「――…『ヴィー』」

「へ…?」

「言っていただろう。――母さんが昔呼んでいた、俺の愛称だ。友人になるなら、呼ばせてやる」

「『ヴィー』…?」

 言って、リツィードは眉根を寄せる。

「どのへんが、『ヴィー』?普通、『カル』とか…百歩譲って『ヴァン』だろ」

「短くて呼びやすかったんだろ。ファム―ラの名前は、そういうの多いしな」

「へぇ…まぁいいや。じゃ、今日からお前のことは、ヴィーって呼ぶ」

「あぁ。…お前のことは、そうだな、『ツィー』とでも呼ぶか」

「えっ!?なんだよそれ、せめて『ツィード』だろ」

「長い」

「長くねーよ短いだろ十分!」

 わいわいと、賑やかなやり取りが聞こえる部屋に、爽やかな風が一陣、ふわりと吹き込んできたのだった。

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