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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第三章

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27、英雄の『待ち人』①

 リアムは走った。無我夢中で、飛び込むように足を動かすと、進路に割り込むように黒い顎が迫る

「どけぇっっ!!!!!」

 ドッ…と一刀で黒い獣を叩き斬り絶命させると、速度を落とすことなく上官に縋り付くように飛びつく。

「だっ…団長っ……団長っっ!!!!」

 倒れたまま動かない長身は、真っ赤な装束をマントまで赤黒く染めてピクリとも動かない。負傷していた脇腹を食い破られたのか、ちらりと臓物が覗いていた。

「ひっ――ぁああああああああああああああ!」

 必死で、喉から溢れる悲鳴を堪えもせず、彼のマントで傷口を体ごときつく縛り付ける。しかし、そんなものがいったいどれだけの効果を発揮するのか。

「なんで――どうして――――――」

 ぼたぼたと勝手にあふれ出す涙を止める術もないまま、絶望の中でリアムは繰り言をつぶやく。

 手が、無意識に、己の胸元に伸びた。

 ――――――騎士が忠誠を誓う、聖印。

 最後に縋る、心の寄辺。

「神様――神様っっ――どうか、俺たちを、助けてくださいっ!!!!!!!!」

 無我夢中の絶叫が喉から迸ると――

 カッ――!

「――――――――!?」

 辺り一帯を、閃光が包み込む。

「な――――――」

 自分の聖印から迸った強烈な光に、目を瞬くと――

「あ、あれ…?」

「お、俺たち…何して――」

 困惑した声が聞こえ、振り返ると、先ほどまで虚ろな瞳をしていた戦士たちが、正気の色をその瞳に取り戻してた。

 一瞬、リアムも呆けるが――一番最初に、我に返る。幾度も、自ら死線に突っ込んでいく鬼神の隣で、補佐官として一番近くで一緒に修羅場をくぐってきた賜物だった。

「お前たち!!!!ナイードに向けて走れ!!!全力で撤退だ!!!!」

「は、はい!!!!」

 怒号に近い指令を飛ばし、カルヴァンの身体を担ぎ上げる。ずるり、といつも以上にその長身が重たく感じられた。

「団長っ…団長、しっかりしてくださいっ…殺しても死なない、鬼みたいなあんたが、こんなとこでッ…死ぬわけ、ないでしょう…!!」

 死体のように重たい――と考えかけた思考を振り払うように憎まれ口をたたき、必死で愛馬に担ぎ上げて乗り込む。

「絶対、助かりますっ…イリッツァさんなら、きっと――」

 閃光が迸って、戦士たちが正気に戻った。

 からくりはわからないが――間違いなく、あれは、光魔法の効果だ。

 『騎士団の皆を守って』と願った、あの少女の願いの結晶だ。

 十五年も領内に魔物の侵攻を一匹も許さなかった少女なら――この訳の分からない絶体絶命の窮地を救った少女の光魔法なら、瀕死のカルヴァンも治癒できるかもしれない。

 それは、もはや、一介の魔法使いの域を――人間が到達できる域をはるかに超えているが、そんなことは今はどうでもよかった。

 脇に抱えるようにしてカルヴァンを固定し、最速で馬を駆っていると、小さくその体が身じろぎをした。

「――…け…」

「団長!?気づいたんですか!?」

 何かの音を聞き取り、驚いて聞き返す。

 奇跡なのか――と思ったが、カルヴァンの口は、リアムにとって絶望的な指示を下す。

「置いて――いけ…」

「な――――――――」

「追い…つか……れる…」

「――――――!?」

 慌てて、スピードを落とさないまま首だけで振り返ると、先ほど広げたはずの炎の勢いが弱まり、魔物が数匹、軍団の背を追いかけ始めていた。

 生き残って敗走している騎士の中で、負傷者を抱えて一頭の馬に同乗しているのはリアムだけだ。当然、重い荷を負う馬のスピードは、他の戦士に比べて遅い。必然的に殿を務める形になっていた。

「だっ…ダメです!何言ってるんですか!総大将の自覚持ってくださいって、いつも言ってるでしょう!」

「う――る、さ…」

 もはや、痛みなど感じないほどの出血で、カルヴァンは蚊が鳴くような声で呻いた。

(――――――あぁ――…死ぬって、こういう、感じなんだな…)

 ぼんやりと、めぐらない頭が取り留めもなく思考する。天才と称された頭脳も、血が廻らなければ思考速度はここまで落ちるものなのか。

(お前も――――こんな、感じだったか――?)

 脳裏によみがえるのは、灰色の空。舞い降りて来る白は、天使の羽のように綺麗だったが、あの日、その羽は、カルヴァンの下に絶望しか連れてこなかった。

 胸からとめどなく血を流し、足を焼かれ、石を投げられ――

 痛かったのだろうか。苦しかったのだろうか。

 あの、人間離れした振る舞いをする天使は――死の間際に、何を、思ったのか。

「――…ァ、ム…」

「喋らんでください」

「リ……ア、ム…」

「喋らんでください!!!!!!」

 返ってくる怒声は、涙にぬれていた。童顔だからか、泣き顔が妙に似合っていて、愉快だ。

 頭の隅でそんなことを考えながら、カルヴァンは口を開く。

「た――のむ…」

「っ…だからっ…しゃべるな!!!!」

「――――――――が…」

 ゴボリ、と喉元に血が押し寄せ、言葉が途切れる。

 ヒュー…ヒュー…と、随分と情けない音が喉から洩れていた。

「あいつ、が――――――――待って、るんだ――」

「っ――――――!」

 リアムが、ぐっと唇を噛みしめて言葉を飲み込んだ。優秀な補佐官は、『あいつ』が誰かを的確に読み取ったのだろう。

 いつだって――十五年前から、毎日、ずっと、ずっと。

 ずっと、探していたのだ。

 ――――――――自分が、死ねる、場所を。

(やっと――――やっと、逝ける)

 天使が、暗闇の世界から救ってくれた幼い日に、誓ったはずだった。神が助けてくれなくても、必ず自分が、どんなときもこの親友を助けると。

 それなのに、その誓いを果たせないまま――たった独り、旅立たせた。

 真っ暗闇の世界に、独りで、十五年も置き去りにしてしまった。

 だから、早く、逝かなければいけない――

 どんなことがあろうと、共にあると――あの日、確かに誓ったのだから――

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