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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第二章

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22、『悪童』と王都の路地裏②

 翌日――よく晴れた陽光の下で、目当ての少女は輝く笑顔をはじけさせた。

「本当に来てくれたんですね!ありがとうございます!」

 ふわりと舞う銀髪は、柔らかく風をはらんではためく。ミオソティスの優しい瞳は、裏表のない心根を表すように微笑みの形を作っていた。

「ちょ――だ、団長っ…俺、やばいです、超タイプですあの子…!」

「そうか。それはよかったな。立派にロリコンの道を歩め」

「ちょ、俺まだ二十です!五つ差ならギリギリ犯罪臭はしません!団長みたく十五歳差はさすがに犯罪の香りがしますけど!」

 少女に出会った瞬間に、耳まで真っ赤に染めあげて興奮した様子で報告してくる補佐官に、全く興味なさげな平坦な声で返事をする。

「初めまして。イリッツァ・オームと言います。騎士団の方ですよね」

「は、はいっ…リアム・カダートと申します!団長の補佐官を務めております!」

「……カダート…」

(――…って、もしかして、ファムの家名か?)

 かつて、片思いしていた幼馴染をカルヴァンに取られたと騒いでいた同僚兵士を思い出し、イリッツァはリアムの顔を覗き込む。

「あっ…あああああのっ…!?」

「あ、すみません、つい。――珍しい瞳の色をしていたので、気になってしまって」

 にこ、と笑って言い訳を口にすると、リアムは頬を染めて照れたように頬を掻いた。

「そ、そうですか?王都では時々見られる色なんですが――確かに、うちの家系に良く現れる色です」

「そうなんですね。まるで装飾品の模様のようで、不思議な色――とても綺麗です」

「っ………!」

 かつての同僚も、そういえばこんな瞳の色をしていた。蜂蜜色の綺麗な金髪も、一度面影を重ねてしまえば、すべてが懐かしかった。ファムは、この青年ほど童顔でも礼儀正しい感じでもなかったけれど。

「だ、団長…俺、将来はナイードで可愛いお嫁さんもらって静かに暮らします…」

「まずは自分の仕事を全うしろ」

 心臓を撃ち抜かれたように胸を抑えてよろめく部下に、半眼でつぶやく。

「イリッツァさん。少し聞きたいことがあるんですが――」

「はい。私で答えられることならなんでも」

 にこり、と聖女の微笑みで笑いかけられると、リアムの頬が紅潮した。

「あの、今、お付き合いしている男性はいますか!?ズバリ、好きな男性のタイプは!?」

「は、はい――?」

「おい。仕事中だぞ。上官の前で堂々と女を口説くな」

 たおやかな少女の手を握って興奮するリアムをべりっと引きはがし、戸惑うイリッツァを見下ろした。

「部下がすまない」

「あ…いえ、その…大丈夫です。びっくりしましたが」

 数度目を瞬いたあと、薄青の瞳がゆっくりと眇められる。

「リアムさん。大変申し訳ないんですが、私、十七になったら還俗せず修道女になるつもりなんです」

「くっ…やんわりと、でもしっかりあっさり男を振るくせに、その微笑みさえ美しいのはずるくないですか…ますます惚れる…!」

「いい。この馬鹿は放っておいてくれ」

 涙を流しながらもさらに泥沼の恋にはまっていくリアムを追いやり、カルヴァンはイリッツァに向き合う。

「――今日は、どんなお話をしますか?」

 ふわり――と、弧を描く口元。

(――こういう笑みは、あの女にそっくりだな)

 いや――ある種、昔の親友にも、似ていると言えるのか。

 一般人とは一線を画す、聖女らしい慈愛に満ちた、完璧に作り込まれた微笑み。リツィードも、時折こんな顔で笑っていた。

「あ、でも、お話の前に――今日のお祈りはすみましたか?まだでしたら、ぜひ教会の中で」

 言いながら導こうとするイリッツァに、リアムがさっと顔色を変える。

「あ、そそそそうですね、だ、団長、と、とりあえず中に入るだけでも――」

「遠慮する」

 すぱっと言い切った上司に、リアムは苦虫をかみ殺したような顔を作った。

「あいにく、神とやらには、昔から嫌われているのか、相性が悪い。向こうも、俺なんかに祈られるのは御免こうむると思うから、教会には足を踏み入れないようにしている」

「あぁぁぁぁ…団長の馬鹿…」

 手で顔を覆って呻く。騎士団とは、神の戦力だ。神に代わって悪を滅するその軍団のトップが、神を軽んじる発言など、許されるはずがない。不必要な不興を買うだけの行為だから外では控えてくれと何度進言しても、カルヴァンは決して己の態度を改めようとはしなかった。

「――騎士になっても、相変わらずですね」

「――――え?」

「いえ、何でも。――では、リアムさんだけでも」

「はっ、はい!ぜひとも!!!」

 小声でつぶやいた言葉はよく聞き取れなかったが、どうやらイリッツァは聖女並みに心が広いらしい。カルヴァンの態度に何も物申すことなく受け入れ、リアムだけを中に導いた。

「…外で待ってる」

「はい。少しだけ、待っていてください」

 ふわり、と優しい微笑みだけを残して、イリッツァはリアムとともに教会の中へと足を踏み入れた。



 じゃりっ…と石を踏みしめる音に振り返ると、眼鏡をかけた初老の男が優しい微笑みを向けていた。

「こんなところで、どうしました?中に入らないのですか」

「あぁ――いや、放っておいてくれ。部下を待ってる」

 司祭の言葉に短く答え、会話を打ち切る。ダニエルは、小さく苦笑した。

「――まだ、神を信じる気にはなれませんか」

「――――――…」

 カルヴァンは、視線だけでダニエルを振り返る。

「どこかで、会ったことが?」

「いいえ。昨日初めてお会いしましたよ。ただ――貴方のことは、手紙で、聞いたことがあります」

 ダニエルは、ゆっくりとカルヴァンの隣に並び、のんびりと口を開く。冬が近づいているというのに、今日は珍しく青く抜けるような快晴だ。

「フィリアは、この領土の出身で――私の、幼馴染でした。彼女が王都に行ってからも、定期的に手紙のやり取りをつづけていたのです」

「…そこに、俺のことが書かれていたと?」

「はい。魔物に両親を殺され、天涯孤独の身となり、貧民街で這いずるように生きていたところを保護された少年――貴方のことでしょう?」

「――――――」

 カルヴァンは左耳を掻いて、視線を逸らす。否定も肯定もしないが、それこそがダニエルにとっては答えだった。

「敬虔な信者だったはずの両親を魔物に無残に殺され、神を――人を、信じることが出来なくなった少年の心を、どうやって救えばいいかわからない、と…彼女にしては珍しく弱音が書かれていたので、とてもよく覚えています」

「…なるほど」

「教会で引き取ったはいいものの、誰も寄せ付けようとせず、すぐに脱走しようとして手が付けられない。教会で暮らすくらいなら、貧民街の泥水をすする生活に戻る、といって聞かない。引き取り手を探そうにも、手が付けられない悪童で、なかなか見つからない。――痛ましい表情のフィリアを見かねて、ガエル騎士団長が、自分が引き取ろうかと申し出たものの、そうなると当然、聖女の養子というレッテルもついて回る。本来子を持ってはならぬ自分が子を成し、ただでさえ国民の感情を不用意に不安にさせたのに、これ以上国民を裏切ることは出来ない――と、そう書いてありました」

「はっ……それが事実なら、俺は師匠の息子になってた可能性があると?それはそれで、愉快な世界だな」

 その「もしも」の世界では、唯一無二の親友とは、兄弟として暮らすことになったのだろう。

 その「もしも」が叶っていればよかった。

 兄弟として寝食を共に出来ていたら――きっと、彼は、あんなにも孤独に心を凍てつかせなかっただろう。

 彼を孤独から真の意味で救えていたら――あんな風に、独りで全てを背負って死なせることも無かったかもしれない。

「貴方の名前を再び耳にした時は驚きました。――あの手紙の少年が、神に仕える騎士になり、魔を殲滅せんと剣を振るっているとは。神はいるのだと改めて感謝したものです」

「見解の相違だな」

 カルヴァンは鼻を鳴らして切って捨てる。

「神様なんてものがいるなら、毎日のお祈りごときで救われるなら、俺の両親はなぜ魔物に殺された?貧民街で、泥水をすすって生きたあの地獄の日々は、酷いものだった。生きるために暴力を振るい、振るわれ、盗み、盗まれ、だまし、だまされ――実際、そうして生きた日数は、冷静に計算するとそうたいして長くなかったはずなんだが、当時はさながら永遠のように感じた。五歳の子供に、そんな運命を与えるとは、なかなか神様とやらはいい性格をしているらしい」

「――…ですが、貴方は、騎士になった。入団試験で、神の教えに従えないと判断される人間は、他がどれほど優秀でも弾かれるはずです。神を今も信じていないというのなら――貴方が、立ち直り、騎士団に入団するようになるまでの理由を聞いても良いですか?」

「簡単な話だ。――面白くも、意外でも何でもない」

 カルヴァンは、疲れたようにため息をついて、静かに目を閉じた。

「何度突っぱねても絶対あきらめない馬鹿がいた。俺が俺の幸せをあきらめているのに、そいつは、俺の幸せを決してあきらめなかった。大人たちのように憐れむわけでもなく、はれ物に触るように扱うでもなく、悪童だと決めつけて排除するわけでもなく。――あいつは、最初から最後まで、俺を『人』として扱い続けた」

 最初は、穢れのないその天使のような笑顔が、殺したいほど憎くてたまらなかった。

 まるで人とは思えないほどきれいに形作られた笑みを崩してやりたくて、何度暴言を吐き、拒絶したかわからない。

 自分が不幸のどん底にいるのに、この世には幸せしかないんだと信じて生きているかのようなその穢れのない笑顔が、本当に虫唾が奔るくらい嫌いだった。

「ぬくぬくと、悩みもなく無神経に平和な世界を生きてきたんだろうと、ずっとそいつを避けてきたんだが――そのうち、気づいた。あいつは、両親がそろってるのに、親に愛されていなかった。目の前にいるはずの大人に、全く愛情を示されていない。出自のせいで、周囲の大人はみんなはれ物に触るように扱ってくる。「聖女の息子」「英雄の息子」「そのくせ魔法すら使えぬ残念な子供」――絶え間なく注がれる大人たちの雑音に囲まれた、凍えるほどの孤独の中で――それでも、俺みたいなどうしようもない悪童にすら笑いかけられるのは、無神経なんじゃなく――とんでもなく強いからだと、気づいただけだ」

 死んだ両親に愛されないのは、自分を納得させられる。

 だが――生きて、触れて、言葉を交わせる両親から、愛を受けられないのは、どれほどの孤独だろうか。

 両親が健在で、寝起きするための暖かい部屋があって、毎日の食事が用意されていて。――幸せを享受するための環境は確かに整っているはずなのに、彼はそこに、通常ならば当たり前に存在するはずの『ぬくもり』を一つも知らなかった。

 やはり、神様とかいう存在は、残酷だ――親も生まれる場所も選べないのに、一体リツィードが何をしたというのか。

「気づいたら最後、放っておけなかった。――世界で一番不幸だと思い込んで、自分の不幸に浸ってたガキが、自分とは比較にならないほどの不幸な子供を見て、改心した。それだけだ」

 漆黒に閉ざされた世界で、ずっとあきらめず隣にいてくれたのは、リツィードだけだった。何度振り払っても、その手を握ってくれたのも、リツィードだけだった。

 それは、彼が光の世界にいるからだと思い込んでいたが、違った。

 彼もまた――同じく、暗闇の世界にいたのだ。

 だから、暗闇の世界に住むカルヴァンの気持ちが分かった。そのくせ、自分の痛みなんて微塵も感じさせない笑顔で、無償の愛を注ぐその姿は、ただただ痛ましく――放っておくことは出来なかった。

 あのとき、自分が落ちた暗く寒い絶望の世界に、彼が独り佇んでいるのなら――何度でも、手を伸ばし、いつだって寄り添ってやろう。世の中には、確かに光の世界が存在するのだと、彼が見つけることが出来るまで、その手をずっと握っていよう。それが叶わないというのなら――お前とともに、闇に沈むのも、悪くない。

「俺を救ったのは、神じゃなく、リツィードだ。あいつのおかげで、まともに生きることができた。だから、あいつの恩に報いることが出来るまで――あいつが悲しむようなことはしない。気が進まないことでも、あいつが喜ぶことはしてやりたい。――騎士団の神の教えを実行できるか見る試験なんて、簡単だ。――それをしたら、リツィードが喜ぶか、嫌な顔をするか。リツィードだったら、どういう判断をするか。そう考えれば、聖典なんぞ一文字も読まなくても答えはわかる」

「そう…フィリアの息子が、貴方を救っていたのですね。そして、彼の行いは、今もなお貴方の行動指針となっている、と…」

「いい加減、投げ出したくなる時もあるがな」

 どれほどリツィードが守りたかった世界を守ったところで、彼は喜ばない。――死んだ者は、喜ぶことすらできないからだ。

 だがそれでも、幼いころに心に固く誓ったくだらない約束事を、誰に責められるわけでもないが、それでも守り続けている。

 それが、親友を救うことが出来なかった自分が唯一出来る、最後の贖罪だと思うから――

「貴方は、神に誓いを立てない。――己に、友に、立てるのでしょう。ならばきっと、あなたが投げ出すことなどありえませんよ」

 眼鏡の奥に柔らかい光を宿したダニエルは、にこりと笑った。

「ですが、これだけは忠告しておきますよ。――己の命を粗末にする人間を、きっと、貴方の友は許してくれません。天に上った後にも孤独を抱えたくないのなら――彼にも孤独を押し付けたくないのなら、あまり生き急ぐのはお勧めしません」

「――――――…あぁ…肝に銘じておく」

 今度こそ、カルヴァンは左耳を掻きながら、すべてを見透かすような司祭の言葉を素直に受け止めたのだった。

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