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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第二章

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21、『悪童』と王都の裏路地①

 人が死ぬのは一瞬だ。――本当に簡単に、死んでしまう。

 そう学んだのは、五歳のころだった。

 親は、商売をしていた。隣国に大きい商売をしに行くと言うことで、旅行もかねてと連れて行ってもらったのが、両親との最後の記憶だった。

 王国領土まであと少し――というところで、家族が乗っていた馬車が、大きな衝撃に揺れた。横殴りの衝撃に、座席から放り出されて、体のあちこちをぶつけた。

 何が起きたかわからないうちに、「魔物だ!」という鋭い声が響いた。その後すぐに響き渡る、お抱え御者の断末魔。

 死に瀕した人間は、こんな声を出すのだということも、このときに知った。

 すぐに両親は、馬車の中の貴重品を隠しておく小さな空間に、己の息子を無理矢理詰め込んだ。絶対に声を出してはダメよと母に念を押され、最後に視界の端に見えたは馬車の中に備えてあった護身用の剣を父が手に取る姿だった。

 蓋が閉まるとともに、真っ暗闇に包まれる世界。ガタゴトと、不吉に揺れる空間。

 悲鳴は――御者と同じ、凄惨なその声は、二つほど響いたと思う。

 女のものと、男のもの。仲良くちょうど、一つずつ。

 目を閉じても開いても変わらない闇の中で、ひたすら恐怖に震えていた。何度も母に連れられた教会の宗教画を思い描き、心中で神に助けを請うた。今にも叫び出しそうになるのを、言いつけを守って、両手で押さえた口元に抑え込む。

 神様、神様、神様――

 どうか、どうか、助けてください。

 母も父も、敬虔な信徒だったはずだった。毎日祈りを欠かさず、子供を連れて教会を頻繁に訪れた。商売で得た金は、自分たちの生活に必要なものを除いて、すべて恵まれない子供たちと教会に寄付するほどの清貧さ。神の教えに忠実に従い続ける二人は、きっと、神の手によって救われ得るはずだ――

 そうして訪れる、絶望の静寂。

 静かすぎて、耳鳴りがやまない。

 どれほどの時が経ったのかわからない。絶望と静寂に耐えかねて、ゆっくりと暗闇の部屋から抜け出した。

 目の前には、真っ赤な海が広がっていた。

 腹を食いちぎられて、臓物をまき散らしている体には、父の首がついていた。

 頭部をぐちゃぐちゃに食い破られて、顔の判別もできない体には、母の服が纏わっていた。

 日は高いはずなのに、絶望とともに心ごと真っ暗闇に閉ざされていく世界で、少年は空を仰いで咆哮した。

 そうして幼い心に刻まれる、世界の真理――

 ――――――神など、この世にはいないのだ――――――



 食堂から用意された朝食を持って、リアムは目当ての部屋の扉をたたく。「入れ」と短い声がしたので、少し建付けが悪くて重い扉を開けると、剣の手入れをしている美丈夫がいた。

「食事をお持ちしました」

「あぁ。悪いな」

「いえ。――それと、報告です」

「あぁ」

 わざわざ食堂まで出向かなかった理由は、どこで聞き耳を立てられているかわからない場所での報告を避けたかったからだ。リアムは、「食事を部屋まで運べ」というカルヴァンの指示ひとつでそこまでくみ取り、胸元から部隊員の報告をまとめたメモを取り出す。

「ひとまず、領主の線は消えそうです。あれは、大それた野心も持っていないし、尊厳もない小物ですよ。怠惰というほど怠惰でもなさそうです」

「だろうな」

「あとは、街で暮らす、昨年まで修道女見習いとして教会にいた少女。――名前は、ラナというらしいですが、彼女は今、結婚して子供を身ごもっているらしいです。光魔法の属性はあるものの、安眠や鎮静といった簡易魔法や、軽傷者の治癒程度の魔法しか使えないらしく、結界を張ることなどとてもできそうにないとのことでした」

「そうか」

「残りの者は全員で街に散りました。魔物の影は見当たらず――領民に話を聞きましたが、誰もかれも気のいい人間ばかりで、とても何者かに操られているようには見えないとのこと」

「それは何よりだな」

 リアムからの報告を聞きながら、剣から目をそらすこともなく答える。

 真剣な表情の上官に、リアムは少し苦い顔で控えめに告げる。

「団長の方は、いかがでしたか?さっさと単独行動したくせにさっさと帰ってきたみたいですが」

「…なんだ、棘がある物言いだな」

「そりゃ言いたくもなるでしょう!事前の打ち合わせ完全に無視しないでください!配置換え、大変だったんですからね!?」

 リアムの涙目の抗議を右から左へ聞き流し、カルヴァンは仕上げに布で剣を磨き上げた。

 当初、ナイードに入るまでは、カルヴァンは闇の魔法使いの可能性を探るという打ち合わせをしていた。教会には別の団員が赴く予定だったのだが――人ごみに嫌気がさしたカルヴァンは、さっさとそこから逃れるために、単独行動で一人で教会に赴いてしまったのだ。

「俺がいなくても何とかなったんだろう。なら、結果的にどうでもいい」

「過程にも少しは気を配ってください!新人騎士たちが振り回されて可哀想です」

「俺の下で働くならそれくらい慣れろ、と言っておけ」

 言って、音もなく剣を鞘に納めると、リアムは呆れたため息をこれでもかと大きく響かせた。

「正直、一番怪しいのは、団長が行った教会にいる少女イリッツァです。領内で彼女が何と呼ばれているかご存じですか?」

「?…知らん」

「『聖女様』――だ、そうですよ」

「――――――――あぁ。なるほど。確かに」

 先ほど別れた少女の先代聖女・フィリアにそっくりな容貌を思い出して、カルヴァンはのんきに納得した声を上げた。リアムがカッと言い募る。

「いやいやいや、何が『確かに』ですか!ちゃんと報告してくださいよ!明日は今日を踏まえてまた配置換えするんですよ!?その班分け誰がやると思ってるんです?」

「お前だな」

「わかってるならちゃんとやってください上官~~~~~~!」

 ぜいぜい、と息を吐くリアムに、カルヴァンは少し考えてから口を開いた。

「その『聖女様』っていうのはなんだ?まさか、聖女を堂々と匿っているとでも?」

「いや、まさか。領民の言葉を信じるなら、ただの見習い修道女らしいです。もちろん、光魔法も使えて、ラナという少女と違って一通りの魔法がつかえるらしいです。幼いころから非常に優秀で、神童と呼ばれていたとか」

「…つまり、それは聖女ってことじゃないのか?」

「いやそれが…聖印は、どこにも浮かばないそうです。領民の前でも何度も魔法を使っているらしいのですが――誰も、彼女の身体に聖印が浮かぶところを見たことがない、と」

「服に隠れている個所、ということもあるだろう」

「まさか。見極めの儀は素っ裸でやるんですよ。普段はともかく、さすがに司祭の眼はごまかせません」

「――――…なるほど。つまり、司祭が共犯でもない限り、隠すことは不可能だと」

 つぶやくと、ひくっとリアムは頬を引きつらせた。

「そ、そんなバカな…神に仕える司祭が、そんなこと――」

「……あぁ、そうか。なるほど。長年の疑問が解消した」

「は、はい?」

 急に話が飛んで、リアムは目を瞬く。相変わらず、この上官の思考スピードにはついていけない。カルヴァンは、やれやれと仕方なく言葉の背景を説明した。

「お前たちが聖人とか呼ぶあいつだ。見極めの儀もあったのに、どうして魔法属性がない、なんていう嘘をつき続けて十五年も生きていられたのか…と長年、ずっと疑問だったんだが――あいつの見極めの儀は、六歳になるのを待たず、生まれてすぐに母親がやったと、そういえば聞いたことがある」

「え――」

 聖女が下した結果に文句を言うやつなどいないし、間違いなど起きようはずもない。英雄と聖女の息子ということで期待を一身に背負ったリツィードは、特例ですぐに母親の手で見極めの儀を受けさせられた。

「儀式を執り行った人物が、「聖印は浮かび上がらなかった」と言えば、それが真実になるんだろう。「魔法属性は見られなかった」と告げても、同じだ。見極めの儀は、司祭と本人以外の立ち入りは禁止されているし、ごまかしようなんていくらでもある」

「え…そ、そんな――つまり、フィリア様が――?」

「そういうことだろ。――なんでまた、そんな嘘を吐こうと思ったのかまでは、あの幽霊みたいな美女に聞いてみないことにはわからないが」

(あんなに、息子の人生に全く興味なさそうな顔してたくせにな)

 心の中のつぶやきにはさすがに音を乗せなかった。

 今も思い出せる、ライトブルーの冷ややかな瞳。凍てつくその視線は、万人を等しく遠ざけていた。――血を分けた息子でさえも、等しく。

 彼女にとっての例外はただ一人――彼女が愛した、夫だけ。

「前例がある以上、可能性は否定できない。あの女が聖女――かどうかは知らないが、優秀な光魔法使いで、強力な結界を張っている説を主軸に調査する」

「は、はい」

「引き続き、領内に怪しい影がないかは念入りに調べろ」

 そして、疲れた、とでも言いたげにごろん、と部屋のベッドに横になる。

「明日も、教会には俺が行く。話は以上だ」

「え――――――いやいやいやいや、『以上』じゃないですよ!!?何言ってるんですか!!?」

 大げさに身を乗り出して叫ばれ、カルヴァンは不快感に眉を顰める。

「何だ、問題があるのか」

「大ありですよ!そんな、女の子と初老の男と仲良くおしゃべりするだけの安心安全な任務に最強の男がつくなんて、人員の無駄遣いも甚だしいじゃないですか!貴方は危険が伴うかもしれない領内の調査に赴いてください」

「言っただろう…本当に闇の魔法使いとやらを前にした時、神への信仰心がものを言うなら、俺はこの世の誰より最初に敵の術中にはまる。お前の言う「最強の男」が敵に回る方が恐ろしいと思うが」

「いや――で、でも…」

「今日は、どうにも調子が狂って、大した話を聞きだせなかった。――明日も行くと、相手に伝えてしまったしな」

「え――――――…」

 灰色の瞳を閉じてつぶやく上官に、リアムは驚愕に目を見開いた。

「ま――まさか、ついに団長にも、春がやって来――」

「どうにも最近は、俺をロリコンに仕立て上げたい奴らが多いみたいだな」

 じろっとにらむと、リアムはへらっと笑ってごまかした。

「いやぁ、つい…領民の話では、かなりの美少女な上に心根もまさに聖女と呼ぶにふさわしい女の子だと、誰に聞いても太鼓判が押されていたので……第一、泣く子も黙る天下のカルヴァン・タイターに『調子が狂う』と言わしめるのは、もはやそれだけで才能があるとしか――」

「知るか。――知り合いにやたらと似ていたから、調子が狂っただけだ」

「知り合い?――あぁ、フィリア様ですか?確かに、団長に言わせれば、いわばご友人のお母様ですものね。さすが団長、先代聖女様とも交流があったとは――」

「いや、そっちじゃない」

 リアムの声を遮る。

 目を閉じて思い返すのは、彼女の笑顔。

『ふ……ははっ……』

 くしゃ、と顔を崩して笑うその顔は――似ているという言葉では言い表せないほどに酷似していて、記憶の中に刻み込まれた感情を強烈に揺さぶった。

 あいつは、自分の前だけでは、よく笑った。

 そう――薄青の瞳を眇めて、堪え切れなくなった吐息を漏らすように、控えめに笑うのだ。

 今日見た、あの少女のように――フィリアと瓜二つな、あの顔で。

(時期のせいか――どうにも、感傷的になって敵わない)

 ありえない。そもそも、性別が違う。確かにリツィードは母親に瓜二つの女顔だったが、確かに男だったはずだ。一緒に風呂に入ったことも何度もあるから、さすがにそれは間違いない。一見小柄に見える癖に、着やせする質なのか、脱ぐとゴリゴリの筋肉美を惜しげもなくさらす奴だった。風呂で一緒になると、美人な女顔とのミスマッチが気持ち悪いと同僚の間で評判だったのを覚えている。

 第一、髪の色も長さも違うし、そもそも、生きていたとしたら当然、カルヴァンと同い年のはずだ。つまり、そろそろ三十路になろうというオッサンだ。それが、十五歳やそこらの少女の姿をしているはずがない。

 頭の中の冷静な部分は、確かにそう分析しているのに――

 あの笑顔を見た瞬間は――目の前に、本当に親友がいると、錯覚した。

 彼が死んで、十五年――夢の中でしか見ることがなかった、あの笑顔。

 ずっと、自分が見たいと願い続けた、彼が『人間らしく』笑う表情だった。

(本当に、どうかしている)

 思わず、顔を覗き込んで――

 『ツィー』と、あの日から一度も口にしていない響きが、唇から洩れそうになった、なんて。

「あの、明日、俺もご一緒してもいいですか?」

 おずおずと進言するリアムを、片方の瞼だけをあげて見やると、鼈甲の瞳が興味深げに揺れていた。

「お前…楽しんでるだろう」

「えっ…いやいや、めっそうもない!そんな、ちょっと――ちょぉっとだけ、気になってるだけです!女の影皆無だった団長が、自分から『次の約束』をしてくる女性が、ちょぉおおおっとだけ、気になってるだけです!!」

「――……好きにしろ」

 再び瞼を閉じて呻く。あの少女を前にすると、調子が狂うのは事実だ。――十五年前から固く凍り付かせたはずの心を、全く意図しない方向から強烈に揺さぶられるあの感覚は、たまったものじゃない。リアムがいてくれれば、多少自分を保っていられるかもしれない。

「あ、団長。最後に一つ、いいですか?」

「なんだ。さっさと言え」

 眠いんだ、という不機嫌を態度で示しながら促すと、リアムは肩をすくめた後に恐々と言葉を紡いだ。

「団長って、ときどき、常人じゃ考え付きもしないような角度から物を考えたり物事を見たりするじゃないですか。戦うときも、びっくりするような手を使うときあるし。――剣術大会で足踏んだり、目つぶししたり」

「――…卑怯な男で悪かったな」

「い、いえ、そうではなく!その、そういう、常識にとらわれない発想とかって、どうやって身についたものなんですか?闇の魔法使いなんていう存在が出て来るんだとしたら、正攻法が通じない可能性が高いので…あくまで、参考までに、聞いてみたくて――」

「…そうだな…」

 つぶやきながら虚空を見上げる。改めてそんなことをまじまじと考えたことはなかったが、記憶をたどっていくと――

「――王都の路地裏で、泥水すすって何日か生きてみたら、わかるんじゃないか?」

「――――へ――?あの、それは、どういう――」

「言葉のままだ。――うるさい。もう寝る」

「あっ、は、はい、すみませんでした!おやすみなさい!」

 本気の不機嫌を感じ取って、リアムはさっと身を翻して退室していった。

 カルヴァンは、眉間に深く刻まれた皺をさらに深く刻み込みながら、一瞬心に落ちた影を振り払う。

 今眠ったら、両親を魔物に食い殺され、絶望の淵で天使に出会うまでのあの地獄の日々を夢に見るのだろうか。それとも今日、聖女と呼ばれる少女の顔に重なるように、幻のように一瞬よぎった笑顔の親友が出て来るのだろうか。

 ――どちらにせよ、悪夢に変わりない。

 いっそもう眠りたくないなと思いながら、何かに耐えるようにじっと闇の中で目を閉じていった――

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