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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第六章

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95、交わる『幸せ』②

「阿呆臭い…――――お前にそんなこと、言うわけねぇだろ…」

「おいお前本当に空気読め。容赦なく傷を全力で抉ってくるな」

 あまりにひどい仕打ちに、カルヴァンは頬を引きつらせて非難する。

 イリッツァはわずかに残っていた涙の残滓を拭い去ってから、キッとカルヴァンを見据えた。

「言っただろ。――言っても言わなくても一緒のことを、わざわざ言う必要ない」

「は?」

「だって――わざわざ『助けて』なんて言わなくても、お前、勝手に俺のこと助けるだろ!!!」

「―――――…はぁ??」

 今度こそ。

 カルヴァンは、思い切り眉根を寄せて、怪訝を極めた声を出した。

「さっきだって、別に、ディーに頼まなくても、助かる方法なんて、いくらでもあった。光魔法で眠らせたって、肘打ち食らわせたってよかった。ただ、そうしたら首ぱっくり裂かれてあたり一帯血の海になっただろうし、いくらそれを全力で回復させるとしても、首から血しぶき上げて一回瀕死の重体になるとこ見せたら、お前目ぇ吊り上げて怒りそうだったし」

「当たり前だろ。何物騒な解決策考えてるんだ、ふざけるな」

 ひくっ…と頬を引きつらせて青筋を浮かべる。本気でそんなことをされなくてよかった。この幼馴染は、一体トラウマを何個追加すれば気が済むのか。

「お前が俺の足元から火を出さなかったのと一緒だ。それしたら助かるし、誰にも迷惑かけないってわかってたけど、お前が怒りそうだからやめた」

「迷惑は掛かる。主に俺に。俺の心臓に」

 わかってはいたが、相変わらずぶっ飛んだ考えを当たり前のようにする幼馴染に、顔が引きつる。そんなことをされるくらいなら、ランディアに素直に助けを求めてくれてよかったとすら思えてきた。

「ディーに『助けて』って言ったのは――言わないと、助けてくれないからだ」

「……?」

「だって、ディーは、お前じゃないから。――目を合わせただけで、俺が何考えてるかとか、わかってくれないじゃん」

 イリッツァは、少し口をとがらせるようにして、ぼやくようにつぶやく。

「もし、ディーがあの場に居なかったら――それでもたぶん、俺、お前に『助けて』なんて言わないと思う。だって、そんなこと言わなくてもお前は助ける前提で動いてるに決まってる。そんなこと確認してる暇があるなら、もっと別のこと考えて伝えたほうがいい」

 きっと、あの場にランディアがいなかったとしても、カルヴァンはどんな手を使ってもイリッツァを助け出そうとしただろう。その常人の何十倍ものスピードで思考する頭脳をフル回転させて、だまし討ちも卑怯な手も、何でも使って、イリッツァを必ず助け出した。仮にあの場で助けられなかったとしても、儀式が始まる前までに助ける手立てを考えたはずだ。そもそものヴィクターの行動原理たるランディアを殺すとか、ヴィクターが決して無視できないよう帝国全土を火の海に沈めるとか、何かとんでもない悪行をしたとしてでも。

「十五年前――もし、あの広場にお前がいたとして。――やっぱり俺、お前に『助けて』なんて言わなかったと思う」

 イリッツァは、静かに目を伏せて当時を思い出し、考えて――何度考えても、同じ結果にたどり着く。

 そっと薄青の瞳を開き、カルヴァンを見据えた。恐らく、十五年――ずっと、トラウマに捕らわれ続けている哀れな男を。

「俺がもし、処刑台の上でお前の姿を見つけて叫ぶとしたら、こうだ。――『ヴィー、その黒いローブの男が黒幕だ!首を刎ねろ!』」

「――――――」

「…助けて、なんてわざわざ言うわけない。…お前はきっと、あの魔法使いを殺して、そのまま、俺のことも勝手に助ける」

 何度『もし』の世界を描いても――何度だって、同じ結論に至る。

 魔法使いの首を刎ねようとカルヴァンが迫れば、魔法使いは逃げるなり戦うなりしようとして、魔法の集中が切れる。当然儀式は中断されるだろう。魔法使いが死ねば、王都民にかけられた魔法だって解けたかもしれない。

 だから、カルヴァンには、あの男を殺せと指示を出したはずだ。そして、きっとカルヴァンは、首を刎ねたその足で、すぐに処刑台の上のリツィードを助けに来る。万が一、闇の魔法使いの首を刎ねただけでは王都民にかけられた魔法が解けなかったとして――それならそれで、カルヴァンはきっと、リツィードを助ける別の手立てを考えたはずだ。処刑人そのものを火だるまにしたり、王都中央広場に火を放って大混乱を巻き起こしたり。

 どんな方法なのか、それは彼の常人には理解できない頭脳がはじき出すことなので、予想もつかないが――それでも、きっと、その場にいれば、多くの言葉はいらない。

 目を見て、声を聴けば、相手が何を考えているかは、わかる。短い指示で、阿吽の呼吸で、お互いすぐに最善を取ることが出来る。

 助けて――なんて、口に出さなくてもわかりきっている馬鹿馬鹿しいことを叫ぶより、ずっと有益だ。

「俺も、考えたことあるよ。あの時、何でヴィーは来てくれなかったんだろうって、思ったことある。あの時ヴィーがいたら何か変わってたんじゃないかな、って思うのは本当だけど――それは、ちょっと、お前が考えてるのとは違う」

 イリッツァは、ふ、と顔を歪める。苦笑に近い、苦み走った表情。

「あの時、ヴィーがいてくれたら、きっと、俺、光魔法を使わない方法で、王都民を救えたのになぁって――そう、思ってた。そうしたら、聖人なんて明かさなくて済んだし――ヴィーに、嫌われなくて済む。そうだったら、どんなによかったかって、いつも思ってた」

「――――…」

「まぁ、やっぱり、お姫様みたいに助けを待つのは性に合わないのは事実だけどさ。お前に『助けて』って言わないのは、別に、お前を信用してないとか、お前じゃ頼りにならないとか、そういうのじゃない。――――誰より信頼してるし、誰より頼りにしてるから、わざわざ言わないだけだ」

 イリッツァはそのまま呆れたように嘆息して、半眼になる。

「ディーに助けて、って言ったくらいで、なんでそんなに拗ねてるのか知らないけど」

「拗ねてるわけじゃない」

「拗ねてるだろ。明確に。――まぁでも、言ってほしいなら、次から言う。でも、いいのか?それ、お前を『その他大勢』と同じ扱いすることになるけど」

「――…じゃあ、いい。今まで通り、勝手に助ける」

「ははっ…解決だな」

 いつものように吐息だけで微かに笑う。長い銀髪がさらりと揺れた。

「俺の幸せは、確かに、民の幸せだ。人を救って、許しを与える。それに幸せを感じることを否定はしないけど――でも、それだけじゃない。それだけじゃ、幸せになれない。だから――…ヴィーが、勝手にどっか行くのは、困る」

 ふ、と微かに笑って、灰色の瞳を見つめる。言葉などなくても伝わるのが、付き合いの長さの良いところだ。言葉にするには気恥ずかしい気持ちも、わざわざ口にせずとも伝わる。

 イリッツァは、話は終わりだ、とばかりに、押さえつけていたカルヴァンの腕から体重を逃がして立ち上がろうとして――

「――なるほど?ぜひ聞かせてほしいもんだな。お前の『幸せ』って、何なんだ」

「はぁっ!?」

 ぐいっと手を引かれたと思った瞬間、ぐるりと視界が回転し、先ほどまでとは真逆の体勢になっていた。女慣れしすぎている幼馴染の驚くほどの早業に、思わず素っ頓狂な声が上がる。

「言っただろう。どちらかというと、俺は押さえつける方が好みだ」

「いやいやいやいや、ちょっ――オイ!!?」

 体重をかけるようにしてのしかかられ、華奢な手首を押さえつけられれば、女のイリッツァに抵抗の余地はない。にやり、と色気を振りまく顔で言われて、かぁっと頬に熱が昇るのが分かった。

「まぁ、さっきの体勢も、悪くはなかった。せっかくの生の太ももの感触を服越しでしか感じられなかったのだけが心残りだが。次はぜひ服を脱いだ状態でお願いしたい」

「お、おまっ――馬鹿野郎!!!」

「でもその前に、はっきりさせておくことがあるだろう?」

 ニッと笑うその顔は、どこからどう見ても悪童としか言いようのない笑顔。思わず口をわななかせ、イリッツァは顔を真っ赤に染め上げる。

「ふ、ふざっ…ふざけっ…わ、わかるだろ!馬鹿!!!言わせんな!」

「全く分からないな。何せ、今の今まで、俺は自分が特別扱いされていることも、信頼されていることもわからなかった。ちゃんと、言葉にして言ってもらわないと、伝わらない」

「その顔は絶対わかってるだろ阿呆~~~~~!!!!」

 真っ赤に染まった顔を見られたくなくて、手で覆って隠してしまいたいのに、押さえつけられていてはそれも出来ない。ぼぼぼっと真っ赤になっていく頬をそのままに、せめてもの抵抗で目を閉じて顔をそむけることしかできなかった。

「ツィー」

「っ――…」

「いいだろ。――聞きたい」

「~~~~っ…」

「ちゃんと、お前の口から、聞きたい。思ってること全部、聞きたい。――俺の独占欲、満たしてくれるんだろう?」

 絶対にわかっているくせに、意地悪に耳元で囁くカルヴァンは、本当に性格が悪いと改めて思う。

「知ってるか?ここは帝国領だ。エルムのお膝元から離れた、異教徒の地だ。――お前が、神の教えに反して、我欲に塗れたことを言っても、聖女らしからぬことを望んでも、神様はきっと聞いちゃいない」

「なっ…そ――へ、屁理屈っ…」

「いいだろ。――聞きたいんだ、ツィー」

 何度も、何度も。

 大好きだった呼び名で呼ばれて、頬が真っ赤に染まっていく。絶対にわかってやっている、と思いながら、イリッツァは羞恥に瞳を固く閉じた。

 手短に話を済ませろと言ったのは誰だったのかと問いただしたくなるような気持ちだったが、今のカルヴァンの表情を見るに、きっとイリッツァが彼の望む言葉を口にしない限り、絶対に話してくれないのだろうと悟る。そんなことまでわかってしまうから、本当に付き合いの長さというのは厄介だ。

「お、俺の、幸せは――」

「うん?」

「本当は――ナイードにいたころみたいに、市井の中で、皆と同じ立場で、目に見える人を救いたい。『民』じゃなくて、一人一人、名前と顔をちゃんと認識して、『この人』を助けたいって、思って――救いたい」

「あぁ」

「だから――神殿に引っ込むのは、い…嫌だ」

「――あぁ。それで?」

「ぅ――…」

 上手くお茶を濁そうとしたのをあっさりと暴かれ、先を促される。

「な…なぁ…これ、言わなきゃダメか…?絶対に?」

「あぁ。絶対に」

 最高の笑顔で言い切られ、夕日よりも真っ赤に頬が染まっていく。

 しばらく沈黙が続き――結局音を上げたのは、イリッツァだった。

「……ヴィーに、会いたい」

「ぅん?」

「毎日――毎日、ヴィーに、会いたい。声が聴きたい」

 ふ、と目の前の灰褐色が笑みの形に変わっていく。

「毎日、ツィーって呼んでほしい。――夜寝る前に最後に見る顔はお前がいいし、朝起きて最初に見る顔も、お前がいい」

「随分直接的で熱烈なお誘いだな」

「っ…へ、変な意味じゃない!」

 まるで毎日一緒に寝たい、と言われているような言葉に、カルヴァンが揶揄う。慌てて否定しながら、イリッツァは頬を染め上げた。

「あ、安心したいだけだ!今日も生きて隣にいてくれるって、明日も一緒にいてくれるって、安心したい」

「なるほど?」

「世界のどっかにいる、じゃだめだ。いつも、隣にいてくれないと、嫌だ。隣で、ずっと、手を握っててくれないと、嫌だ。"俺"の手を、握っててくれないと、嫌だ」

「――?」

 妙なところを強調され、疑問符を挙げる。

 イリッツァは気まずそうに――ゆっくりと、心情を、そのまま吐露した。

「――…お…お前が…」

「あぁ」

「お前がっ――俺以外の、誰かの手を取るなんて、絶対、嫌だっ…」

「――――――――」

「ふ、ふざけんなっ、そんなの絶対ダメだ、ありえねぇ、何わけわかんないこと言ってんだ馬鹿!未来永劫、絶対、俺以外の誰かの手なんか、掴ませないぞ!」

「――…」

 急に激昂したイリッツァを前に、ぱちぱち、と灰褐色の瞳が珍しく何度か瞬かれる。

 それは、カルヴァンがあまり見せない表情。すなわち――驚愕。

「い、意味わかんなっ…ホント、本当に、意味わかんなすぎだ、阿呆っ…今日イチ意味不明だった!なんだよそれ、そんな選択肢、あるわけないだろ、ふざけんな!人生で――リツィードの時もイリッツァの時も、一瞬たりともそんな選択肢、頭の片隅すらよぎったことなかったぞ!?意味不明すぎる!」

「――――」

「ご、五千歩、五億歩譲って、お前が俺の手を離すって言い出しても――でも、代わりに他の誰かの手を取るとか、そんなの許せるわけないだろ、ふざけんな!!!!」

「………」

「お前は男からも女からも、色んな人に求められるのはわかるっ…色んな人が、勝手にお前の手を取って、お前のことを引き留めるのは別にいいし、それでお前が少しでも「生きなきゃ」って思うようになるなら、それは全然いいけど――でもお前が、自分の意思で、自分から手を握るのは、俺だけだろっ!」

「―――――」

「それに、な、何が、世界を旅すれば――だ、ふざけんなっ…!お、俺以上に、お前が誰かを特別扱いするなんて、そんなの、絶対、絶対許さないからな!浮気したらぶっ殺す!」

 ぱちぱちぱち

 カルヴァンは何度もその灰褐色の瞳を瞬く。

 真っ赤になって怒りながらシャワーのように浴びせかけられるイリッツァの罵倒を耳に入れて、一生懸命情報を処理した。

「――――驚いた」

「なっ…何がっ……!」

「まさかお前が、俺以上に独占欲が強い奴だとは思わなかった」

「っ――――!」

 指摘されて、羞恥が込みあがり、かぁっと耳朶まで一瞬で紅に染め上げる。

 カルヴァンは、イリッツァを独り占めしたいと確かに思っているが――他の誰かの手を取ること自体を制限したいと思ったことはない。恋愛の意味以外で手を取ることもあるだろう。友人として、親として、信頼できる相棒として、手を取り合うことはあるのだ。恋愛の意味で手を握り返すのは自分だけであってほしいというのはその通りだが、それ以外の交友関係で手を握り返すことに関して、口を出すつもりは一切ない。例えば、ランディアを友人と認めて手を取り合うことも、カルヴァンがランディアを含めた誰よりも『特別』なのだと示してくれるのならば、関係ないし興味はない。むしろ、どこまでも『人』らしくないイリッツァなのだから、もう少し積極的に人の手を取ればいいのに、とすら思っている。

 だが、イリッツァは、それすら制限したいらしい。

 自分以外の人間の手を取ることなどありえない、と――今日、カルヴァンが『他の人間の手を取る努力をする』と言い出すまで、そんな選択肢があり得ることすら、思い描いたことがなかったというのだから。

「わ…笑うなっ…」

「いや…笑うだろ……意外過ぎる…くくっ…」

 イリッツァを抑え込んだまま肩を震わせ始めた親友に、真っ赤な顔で恨めし気に告げる。ぷるぷると震えるカルヴァンは、酷く上機嫌なようだった。

「なるほど。俺は、俺が思っている以上に、随分とお前に愛されているらしい」

「っ……」

 くつくつと笑い声を漏らしながら言われて、イリッツァは押し黙る。羞恥が極まると無言になるのは、今生になって初めて知った自分の癖だった。

「――ヴィー」

「ん?」

 笑いをかみ殺している親友に声をかける。真っ赤な顔のまま、目を伏せて、少しでも羞恥を逃がしながら――そっと、口を開く。

「『仕方なく』じゃない」

「――…」

「これでも、俺とお前の幸せは、交わらないか?…俺は、ちゃんと、俺の意思で、ヴィーと――ぅわっ!?」

 皆まで言う前に、腕を引かれて無理矢理立ち上がらせられる。そのままよろけるように、真紅の衣に突っ伏すように飛び込んだ。

「さすがにそれは、俺から言わせろ」

 すっぽりと包み込むようにして抱き込まれ、耳元で低い声音が囁く。

 いつもの、どこか不思議に安心する香りに包まれて、ドキン、と心臓が一つ音を立てた。

「ツィー」

「っ――…」

「愛してる。――結婚しよう」

 疑問形ではなく、決定事項のように告げられた、人生で五度目の求婚の言葉に――

「――――――――はい――…」

 真っ赤な顔を胸にうずめるようにして、消え入りそうな声を出しながらも、しっかりと頷いたのだった。

この後まだ、エピローグがあります。どうぞ、読み逃しなく。

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