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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第六章

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93、四度目の『求婚』

 人生で四度目の求婚は――まさか、最初の男による二回目の求婚だとは思わなかった。

「―――――…」

 一度目は、全く気持ちのこもっていない、口先だけの求婚だった。おそらく、誰とも結婚する気のなかったはずの彼は、求婚の仕方すら興味がなく、よく知らなかったのだろう。本来跪いて神に誓いを立てるように愛を誓うはずの行為のはずのそれを、手だけを取り、上から見下ろすようにして不敵に嗤って告げられた。女を口説くための手法のように、おまけ程度の口付けを、握った指先に軽く落として。

 あんなにときめきのない求婚など、この世に存在するのかと思うくらいだった。

(――――…え…っと…)

 そんな、神聖な愛を誓う行為を適当な様子で行った男が――今、もう一度、今度は完璧な仕草で、繰り返している。

 これはいったい、何の冗談なのか。

「は、はは、お前、何――」

「――――――」

 いつものように笑い飛ばそうと口を開きかけて――真剣な灰色の瞳と視線がぶつかり、思わず口を閉ざす。

(――――え…)

「ツィー。――――愛している」

「――――――――ぇ…」

 繰り返す言葉に、ドクンと心臓が音を立てた。

 この愛称で呼ぶときは――隠し事は、なし。本音で、話す。

 そういえば、確か、一度目の求婚の時は――『イリッツァ・オーム』とわざわざフルネームで呼ばれたことを思い出す。

 あの時とは、違う。――違う、のだ。

(――――――嘘…)

 見上げてくる、めったに見ることのない真剣な灰褐色の瞳に、言葉を失う。

 長い付き合いだ。

 言葉などなくても――相手の言いたいことも、気持ちも、だいたいわかる。

「っ――――!」

 廻らなかった頭がやっと事態を理解し――羞恥のあまり、一瞬で頬が染まった。

(え、ちょ、待っ――つまり――え、嘘――)

 頭の中が混乱を極めて、何も言葉を発することが出来ないまま頭が灼熱に浮かされていく。首元から耳先まで、真っ赤に茹で上がるように熱を持った顔を、空いている方の手で隠すようにしながらふぃっとそむける。

「――その反応は、どう取ればいいんだ?」

「っ……!」

 少しだけ呆れた声が聞こえるが、何も答えられない。相手の顔を見ることも出来ないまま、ドキン、ドキン、と心臓が人生で聞いたことないくらいの大きな音を立てていた。

「お前、いつもはわーきゃーうるさいくせに、本気で照れると真っ赤になったままで無言になるよな。――馬車の中で初めてキスした時も、さっきみたいに堂々と惚気た時も」

「~~~っ…」

(わかってるなら揶揄うなっ…!)

 居た堪れない思いをもてあまし、心の中で叫ぶが、結局それは音にはならない。カルヴァンの指摘通り、恥ずかしさが極まると口がきけなくなるなんて、今生になるまで知らなかった。

 耳の奥で『女の子』の顔をする、と言ったランディアの声が蘇る。この顔が『女の子』の顔だというなら、確かにこれはカルヴァンにしかしない顔だ。

「声もないくらい真っ赤になって照れてるお前が可愛いのは事実だが――答えがもらえないっていうのは、どうしたらいい」

「っ…ぅ…」

「この体勢、地味につらいんだが」

「っ――!」

 一瞬、空気が張りつめるくらい真剣な眼で求婚したとは思えないほどいつも通りの様子で言われ、思わず息を詰める。

 何かを言わなければと思うのに――うまく言葉に、なってくれない。

「いつ、から…」

「は?」

「ぃ……いつ…から…その――…」

 しゅぅぅ…と音が出ているのではないか、と思う顔を覆って、口の中でもごもごと尋ねる。カルヴァンは呆れたように嘆息してから、それでもちゃんと答えてくれた。

「ちゃんと自覚したのは、玉座の間に行く前日だ。ウィリアムと結婚するとかいうふざけた報が王都中に触れ回ってたあの日」

「ぅ――」

「ただ、リアムに言わせれば、それより前から独占欲丸出しだったらしい。随分前から絶対惚れていただろうと言われた。――まぁ、そういわれてみれば、確かに思い当る節はあった気がするから、そうなんじゃないか?」

「な――ど、独占――…て、何――…」

「そのままの意味だろ。――お前の全部を、独り占めしたい」

 はぁ、とため息を吐いてから、カルヴァンは立ち上がる。ついさっきまで何ともなかったはずの距離なのに、目の前に赤い装束が迫っただけで、ドキンッと胸が騒がしくなった。

「慣れないことはするもんじゃないな。もういいだろう」

「ぅ、ぁ、ぇ…ぇっと…」

「ツィー」

 思わず逃げ腰になり、体を離そうとするのをぐっと引き寄せられる。耳元で呼ばれた声に、心臓が今までとは違う飛び跳ね方をした。

「ちょ、待っ――――ゃ…」

「別に取って食ったりしない。ちょっと離れると、お前、わーきゃー騒ぎそうだからな。照れて黙ってるくらいが、話が早い」

「っ……」

 真っ赤になったまま消え入りそうな声で目を閉じて顔を逸らせるイリッツァに、呆れた声が響く。しかし、言葉の通り、別に何かをしようというわけではないらしい。初めて戯れのように求婚された時は、すぐに腰を抱いたり無意味に色気を振りまく声で囁いたりしてきたくせに、今は不必要に遠くに行かないように手をしっかりと握ったまま軽く引かれただけだ。それこそが、王都一の女たらしと言われたカルヴァン・タイターの『本気』を感じさせるようで、あからさまだった以前よりも、さらに羞恥が煽られる。

 距離としては、友人と恋人の間、というくらいか。友人にしては近すぎて――恋人にしては、やや遠い。

 絶妙なパーソナルスペースの侵略具合に、イリッツァはぐっと言葉を詰めた。

「友愛だの恋愛だのと区別をつけるのが面倒になった。そもそも、どっちかしか持っちゃいけないなんて決まりはないだろう。愛情なんて、偏りがあってもいいはずだ。いつもは友愛だが、場合によっては恋愛だとか」

「そっ…れは…そう、かも…だけど…っ」

「お前を、未だに友だと――リツィードだと思うときもある。友として、孤独に寄り添いたいと思うし、俺以外の人間とも交流して、普通に、『人』らしく幸せになってほしいと思う気持ちがあるのも本当だ」

「ぅ……ん…」

「――だが、男として、俺が、この手で幸せにしたいと思うときもある」

「っ――…!」

「お前が、俺の助けなんていらないくらい強い奴だってことは知ってる。たいていのピンチは独りで切り抜けられることも知ってる。昔と違って、魔法も堂々と使えるしな。――だが、それでも、俺の手で、守りたい。他の男に守らせてやるのなんか絶対御免だ。見知らぬ男に求婚されたとかキスされたとか、正直今思い出すだけでもあいつやっぱりぶち殺したい。キスするときのお前の顔を知ってるのは俺だけだったのにと思うと、今日、戦場で、どうしてあいつの首を跳ねなかったのかと今でも本気で後悔している」

「な――…」

 急に吐露される『独占欲』の内訳に、イリッツァの頬に熱が集中する。

「お前を幸せに出来るのは、自分だけだって思いたいんだろうな。――実際、そうだと思ってた。今日、ここに来るまでは」

「え――?」

 最後の言葉に、思わず長身を振り仰ぐ。

 カルヴァンは、顔いっぱいに、苦笑を刻んでいた。

「何だろうな。昔から、何の根拠もなく――自分は、お前にとって、『特別』な人間なんだと、思っていた。」

「――――――え――…」

 薄青の瞳が、驚いたように瞬かれるのを見ながら、カルヴァンはわずかに目を伏せる。

「だから、結婚しても幸せに出来ると思っていた。お前のことを誰より理解しているのは自分だと思っていたし、鬼みたいに強いお前が、もしも弱みを見せて誰かに頼るようなことがあるとしたら、その相手は自分以外にいないと思っていた。お前も、そうやって赤面したりするくらいだから、嫌われているとは思えなかったしな」

「そ、それは――」 

「まぁ、結果的には、勝手なうぬぼれだったわけだが」

 言いながら、小さく嘆息する。灰褐色の瞳は静かに伏せられたまま、言葉が紡がれた。

「お前が――誰の手も握り返さないと言っていたお前が、俺以外に"友人"を作るとは思わなかった。お前が何より大事にしている王国民の命を奪ったはずのヴィクターを助けるのも意味が分からなかった。何より――」

 ふ、とカルヴァンの口の端に笑みが浮かぶ。

 それは――自嘲に近い、笑みだった。

「命の危機に――俺以外の奴に、助けを求められるとは、思わなかった」

「――――――!」

「あれには、さすがに、心が折られた」

 思い出したのは――十五年前の、王都中央広場。

 夢の中では助けを求めてくれた友人は――現実世界では、一度だって助けを求めてくれないまま、独りですべてを抱えて死んでいった。

 昔から、人の手を握り返してくれない奴だということは痛いくらいわかっていた。どんな些細なことでも、自分から「助けて」なんて言う人間じゃないということも知っていた。

 馬車の中で、次は助けを求めるから、と言われたって、どうせそんなことはしないだろうと思っていた。そもそも、本人が有能すぎて、助けを求めるような事態に陥らない。そして――この親友は、己の孤独と不幸に酷く鈍感で、他人の孤独と不幸に酷く敏感だ。他人を救うために命を投げ出すことすら何とも思っていないような人間が、自分の命可愛さに、第三者に助けを求めるなどありえないだろうと思っていた。

 事実、拠点に踏み込んできて、剣を片手に脱走していたイリッツァと再会したときは「やっぱり」と思った。どうせ、こんなことだと思った、と呆れていた。何やらかなり急ぎでどこかに行きたがっている様子なのに、鉄の輪をはめられて女の脚力という不自由を強いられていながら、そんな些細なことでもカルヴァンに助けを求めようとしない姿には、いっそ彼女らしいと感心したものだ。

 きっと、イリッツァが自分から助けを求めるようなことは、未来永劫ないのだろう。結局自分は、彼女の危機に勝手に焦って、彼女の不幸に勝手に胸を痛めて、求められたりしなくても勝手におせっかいで助けるしかないんだろうと、そう悟った矢先――

『ディー。――助けて!』

 明確に、言葉で――自分以外の人間に、助けを乞うその姿には、目を見張った。

「違っ――だって、それはっ…!」

「まぁ、冷静に考えれば、確かにあの状況で、一番リスクが少なく、確実性が高い打ち手だった。お前の判断は、どこまでも正しい。――そんなことは、わかっているんだが」

 その時に、初めて理解した。

 イリッツァが、助けを求めないのは、彼女の性格ではなく――

 ――単純に、己が、頼りにならないからなんだろう、と。

「本当にやばい時に、お前が助けを求める先は、俺なんだと、何の根拠もなく思っていた。昔、自分が聖人なんだと明かして、お前が抱えているものを打ち明けて助けを求めてくれなかったことが、この十五年間、ずっと堪えていたが――それでも、当日、王都に居さえすれば、あの日、お前は助けを求めてくれたはずだと思っていた。処刑台の上で、きっと、助けを求めてくれたと思っていた。思いたかった。…だから、あの日、王都に居なかったことだけを、一生悔いて生きていくんだと思っていた」

「な――」

「だが、今日、あの暗殺者にお前が助けを求めるのを見て――急に、自信が無くなった。十五年前も、もしかして、当日あの場にいたとしても、お前は「助けて」なんて言わなかったんじゃないかと、十五年、疑ったこともなかった可能性がよぎった」

 カルヴァンは、深く嘆息する。その瞳には、十五年前の寒空が映し出されているようだった。

「それで――今日、お前が、ヴィクターを"救う""許す"と言った時に、疑念は確信に変わった。お前の行動理念は、基本的に誰かを救って、許しを与えることだ。それが、エルム教徒や王国民なら当然だが――敵国の、異教徒ですらも、お前は救いを求める人間であれば、構わず救い、許すんだろう。師匠の仇でも、己の仇でも」

「――――――」

「だとしたら、あの日のお前の最重要事項は、王都民を救うことだったはずだ。救い、許しを与えることだったはずだ。お前自身は、自分が助かりたいなんて、これっぽっちも思ってなかっただろう。だから――たぶん、俺は、あの日、あの広場にいても、助けなんて求めてもらえない。結局、俺が、俺の勝手で、お前を助ける――それだけだ」

 そして、ふっと再び笑みを刻む。苦みと哀愁がないまぜの――イリッツァが、リツィードが、今まで一度も見たことのない、笑みだった。

「このままいけば、俺にとっての優先事項は、ずっとお前だ。お前の身の安全が何より大事で、お前を幸せにしてやりたい。だけど、お前の最優先事項は、人を救い、許すことだ。それが叶っている状態こそが、お前にとっての幸せで――その感覚は、俺には一生理解できない」

「そ――それは――」

「俺の幸せと、お前の幸せは、一生交わらない。お前は目的のためならその身も、命だって簡単に投げ打つ。それこそが幸せだと言って、投げ打つ。それをもし、俺が止めたら――お前は、俺を、恨むのか?」

 ふ…と眇められた瞳に、自嘲の色が濃くなった。イリッツァはさっと顔を青ざめさせる。

「そ、そんなわけ――!」

「まぁ、何より、そんなの、こっちの身が持たない。たとえそれがお前にとっての幸せなんだと言われたところで、俺は絶対にそのわがままを聞いてやれない。毎度毎度、己の身を顧みずに危険にさらすのを助け出すのは――まず最初に、心が折れる。助けたところで、感謝されるわけでもないんだろうしな」

「――――…」

「幸い、身の安全という観点では――あの暗殺者は、俺なんかよりずっと優秀にお前を守ってくれるだろう。そしてそれを"友人"として、心も寄り添う相手として、お前は選んだ。孤独はなくなり、身の安全も保障される。自分の手でそれが叶わないのは悔しいと言えば悔しいが――お前にとっての幸せな世界と、俺にとっての幸せな世界が交わらない以上、仕方ない。俺は俺で、新しい幸せを見つけて、それを共有できる相手を探すさ」

 左耳を掻きながら言う表情は――すでに、いつものカルヴァンだった。

 飄々として、何物にもとらわれない――カルヴァン・タイターその人だった。

「な――なん――なんでっ…」

「?」

「じゃぁ――なんで、求婚なんてしたんだよ!!!」

 イリッツァが、怒鳴るように言うと、カルヴァンはあぁ、と一つ言葉を発した。

「するつもりなんてなかった」

「なっ――!」

「嫌われたくないって泣くお前が可愛すぎるのが悪い。――最後にもう一回、色事に巻き込まれて真っ赤になる"女"の顔したお前を見てから、旅立ちたくなった。それだけだ」

 それくらいいいだろう、と嘯くカルヴァンに、イリッツァはカッと怒りで頬を染める。

「もっ――もし俺が、求婚受けてたらどうしたんだよ!!!」

「受けないだろ。わかってる、それくらい。今日も、恋人じゃないとか言われたしな」

「っ――!」

「万が一受けられても、冗談だと言って撤回しただろうな。そんな結婚生活、俺もお前も幸せにならない」

 カルヴァンは苦笑した。さらり、とイリッツァの乱れた銀髪を撫でるようにかき上げる。

「さっき言った通り、俺はどうやら惚れた女には独占欲が強くなるらしい。自分でもついこの間まで知らなかったが。――自分が結婚しないとどこかで勝手に死にそうだから仕方なく、なんていう理由で結婚されても、嬉しくない」

「な――!」

「相手にとって、『その他大勢』と変わらない扱いなのは我慢できない。自分だけが唯一無二の『特別』でありたい。明確に、わかりやすく、誰よりも特別扱いをしてくれるような、俺だけを見ているような女じゃないと無理だな」

「っ――」

「全員を平等に幸せにしたい聖女様との相性は最悪だろう?」

 くっと喉の奥で嗤う。イリッツァは、ぎゅっと一つ眉根を寄せた。それを見てカルヴァンは、ふっと、手を軽く引いて、耳元に唇を寄せる。

「――ツィー」

「――――――!」

 びくんっとイリッツァの肩が大きく跳ねる。

「最後に、抱きしめていいか」

「っ――――」

 さら、と銀髪を撫でてから、囁く。

「狙って、落とせなかった女は初めてだ。――記念に、ハグくらいいいだろう」

 色っぽさよりも、揶揄の方が多く含まれた声音で――最後に、一言。

「なぁ、ツィー」

「っ……!」

 イリッツァは大きく息を詰め――――

「ふざっっっけんな!!!!」

 声の限りに叫び、容赦なく拳をその胸に叩きつけた。


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