男そば
「いらっしゃいゼンの旦那!」
のれんをくぐると、いきなりそんな声がかけられた。
店内は小上がり座敷。カウンターの向こうには丁髷を結った店主がいる。
「おいおい旦那は勘弁してくれ」
一瞬江戸にでもタイムスリップしたのかと錯覚しかける勝八。
だが苦笑で店主に応える真っ青なローブの男が、その意識を引き戻す。
「ここが顔の利く店?」
彼――ゼンと店のミスマッチ具合に、勝八は思わず尋ねた。
「あぁ、国内で唯一の、本格的なジーペン料理を楽しめる場所だ」
するとゼンは頷き、勝手に店内を進んでいく。
ジーペン。つまりは緩が作ったエセ日本である。
「へぇ……本格的ねぇ」
ゼンが奥にある座敷に座ったのを見、勝八もそれに倣って机の対面に座る。
緩が大ざっぱに設定したエセ日本の本格的。
ゲイシャ=カブキがあの惨状だ。
少々不安だが、間違った日本感が何処まで進行しているか確かめる必要がある。
「ジーペン人のお主には馴染み深かろう」
考える勝八を前にあぐらをかいたゼンが、厳つい顔を柔和に変形させ笑った。
「……俺がジーペン人?」
彼の言葉に、勝八はつい目を丸くした。
驚いたのは、この世界に来て初めて蛮族以外の扱いをされたからだ。
「違ったか」
「いや、似たようなもんだ」
首を傾げるゼンに、勝八は言葉を濁しつつもそう答える。
ジーペンの元になった国の出身なのだから、同じようなもので良いはずだ。
「その黒髪に顔の作り。それにあまりにも服が似合っていなかったのでな」
勝八の返事に少々不思議そうな顔をしたゼンだが、気を取り直した様子で自らがそう思った根拠を説明した。
「それは余計なお世話だ」
何故みんな口を揃え、勝八には服が似合わないと言うのか。
地球ではきちんと洋服を暮らして生活してるのだが、もしかしてそれも似合っていないのかもしれない。
後で緩に聞いてみようと勝八が考えていると、そこへ着物を着た女が近づいてきた。
「あら、ゼンさんが友達連れてくるなんて珍しい」
どうやら女給らしい彼女は脛に手を入れ膝を折ると、ゼンへと体を寄せる。
「うむ。そこで意気投合してな」
「いや、俺アンタが何者なのかも知らないし」
さらりと嘘をつくゼンの言葉を否定する勝八。
友達の定義云々を言うつもりはないが、異世界大使として正体も分からぬ男を友達扱いする訳にはいかない。
「ただの貧乏貴族の三男坊だ。遠慮することはないぞ」
が、ゼンは勝八が引け目を感じていると解釈したらしい。
クールに笑って自己紹介をし直した。
……やはりこの男、少々傲慢なところがある。
「そうそ。それでいつも遊び歩いてるんですから」
「ハハハ、おかげでこの街の人間は大抵知り合いだぞ」
女給から付け足された言葉を鑑みるに、確かに勝八が引け目を感じるような身分ではない。
ゼンは豪快に笑っているが、勝八など女子の部屋に篭もって世界を見守る仕事をしているのだ。
自宅警備員のハイエンド版である。
それにしても、貧乏ナントカの三男坊。
時代劇か何かで似たような主人公がいた気もするが――。
「ふぃぇー。だから顔が広いのか」
思い出せないので適当に返事をし、勝八は店内を見回した。
壁にお品書きを発見し、目を凝らす。
「蕎麦、うどん……天ぷらまであんのか」
「内陸なんで、野菜だけだけれどね」
ゾマほど目も良くない上、メニューは達筆である。
苦労して勝八が読み上げると、女給は分かってるじゃないという風に頷く。
つい最近ゲイシャに会ったので勝八も勘違いしていたが、ジーペン人はグリフにおいて希少らしい。
ついでに勝八は何の違和感もなく読み上げているが、それは間違いなく日本語であった。
「んじゃ天ぷら蕎麦……あ」
とりあえず注文してから、勝八は懐に手を入れた。
「これで足りるか?」
取り出したのは、先ほど巾着袋からこぼれた硬貨達である。
昼飯代として渡されたので問題ないとは思うが、マリエトルネのことだから素うどんがギリギリの金額を渡した可能性もある。
「大丈夫だよ。お銚子も一本つけられるけど?」
そんな勝八の心配をぬぐい去り、女給は追加の品まで勧めてくる。
「いや、未成年なんで良い」
が、それを断って勝八は金をしまい直した。
すると、目を開いてゼンが彼を見つめてくる。
「どした?」
「あ、いや。我が国では16歳で成人。ジーペンでの元服は14だと聞いたが……」
彼の戸惑いを理解して、勝八はなるほどと納得した。
この国ならば、勝八は成人扱いになるらしい。
元の世界より立派な体格になっている分、年かさに見えているという理由もあるだろう。
「うちの世界じゃ……うちの地方じゃハタチからなんだ」
「それは、我慢強い地域だな。俺には酒を頼む」
適当に誤魔化す勝八。
するとゼンは信じられないという風に顔をしかめ、女給へ酒を注文した。
どうやら朝から嗜むほどに酒好きらしい。
それから彼はツマミを手馴れた様子で頼み、女給は名残惜しそうにしながらそれを店主へ伝えに行った。
その尻を二人で見送ってから、ゼンが口を開く。
「この街に来て日が浅いのか?」
「え、なんで?」
はっと我に返り、勝八は質問に質問で返す。
あの娘だけかもしれないが、ジーペン人は日本人より豊満であった。
「蕎麦の相場を知らなかったようなのでな」
「そばのそうば……」
お主も好きよのうとでも言うようにニヤリと笑い、ゼンは疑問の理由を語る。
一方勝八は、彼の言葉が駄洒落になっていることに気づきまたしてもボンヤリした。
「それに、お主は潰れた宿屋に住んでいると言った。何か事情があるのかと思ってな」
自身の駄洒落に気づいていないらしく、ゼンは涼しい顔でもう一つの理由を付け足す。
そういえば勝八は、スリの少年に巾着袋の届け先として自身の住処を告げていた。
「ここに来たのはえーと……2、3日前だな。宿屋は借りたんだ」
地球とウィステリアを行ったり来たりしているせいで曖昧な答えになりながら、勝八は彼に説明する。
「ほぅ……借りたとな」
そのぐらい覚えておけと顔に出してから、興味深そうに頷くゼン。
ここに至って、勝八はようやく自身が疑われているのではないかと気づいた。
考えてみれば、今の勝八は怪しい事この上ない。
何処の出身かも判然とせず、金の価値も知らないのだ。
勝八達が間借りしている宿屋を国が管理しているのも、周知の事実だったかもしれない。
「……えーと、ペガスってあるじゃん」
友好範囲が広いらしいこの男に疑いを持たれては、この先動きづらくなる。
そう判断した勝八は、ある程度本当のことを話すことにした。
「おう、この間の祭りで騒ぎがあったそうだな」
するとゼンが、身を僅かに乗り出して彼の話に反応する。
どうやらグリフにも、例の勇者御輿ごと粉砕事件は伝わっているらしい。
「そうそう、あそこから色々あって移ってきたんだ」
頷いて、勝八は自身が騒動の中心人物であることは伏せた。
滞在したのは数時間だが、ペガスの「ほう」からやってきたのは間違いない。
具体的な情報が一つ出ると、人は案外勝手に納得するものだ。
上手く誤魔化せたと勝八が自画自賛していると。
「ということはお主、元ユニクールの兵士隊か」
ゼンの目に一瞬鋭い光が宿り、そんな言葉を口にした。
蕎麦が届く前で良かった。
口に含んでいたら思わず吹き出していただろう。
「な、なんで!?」
考えながら、それが真だと裏付けるような動揺した声を出す勝八。
実際にはユニクールの兵ではないのだが、現在彼の身柄がフリオ隊長預かりになっていることには違いない。
「数日前、そういう素性の兵士達を通したと門番が言っていた。それに遅れて、派手なドレスを着た女達も関係者として入国したと」
彼を宥めるように微笑んで、ゼンはそう説明した。
あの門番め……守秘義務という言葉を知らんのかと内心愚痴る勝八。
しかしそうなると、謎の宗教団体員に変装したマリエトルネ達の正体もまたモロバレになるのではないか。
「……それって、結構大きな噂になってるのか?」
「いや、色々と雑多な街なのでそこまでではない。ただペガスとグリフの関係を気にする者には見逃せない情報だ」
恐る恐る勝八が尋ねると、ゼンは何やら含みを篭めた調子で答えた。
「アンタも?」
まさかこの男、ニートに見せかけて別の顔があるのか。
例えば勝八達を追うペガスの何たらのような密偵だとか。
リセエナの忠告を思い出し、珍しく警戒の色を浮かべる勝八。
「俺はただの噂好きだ」
だがそれを笑うように、ゼンはひらひらと手を振る。
「なんだそうなのか」
すると勝八はあっさりそれを信じ、ほっと息を吐いた。
妙なところは鋭いと緩に評される彼だが、あからさまに怪しい場所へその勘が発揮されることは稀であった。
「つまりお主は、ペガスから一緒に来た難民達の警護をしているということか」
「そんな感じ」
自身がユニクール出身ではないこと。
マリエトルネが隊長達レジスタンスへの協力者であることは告げないまま、勝八は頷いた。
意図的に隠したというよりは相手が一方的に勘違いをした形だが、勝八の方から話す義務もない。
そもそも実は神の使いで異世界人などと説明しても、理解してもらえないだろう。
「警護の方は大丈夫なのか?」
勝八の内心も知らず、ゼンはそんなことを尋ねる。
「街中なら平気だろ」
問われて何となく落ち着かない気分になりながら、そう答える勝八。
「最近はこの街も物騒になってきているからな。油断はできんぞ」
彼の動揺を煽るように、ゼンは更に言葉を重ねた。
口元の笑いを見れば、勝八をからかう意図が見て取れる。
その証拠に彼は、「ま、白昼強盗に入る輩はいないが」とあっさり付け足した。
「……あんな堂々としたスリもいるみたいだしな」
からかわれたことに憮然となりながら、先ほどの出来事を思い出す勝八。
活気があって良い街だと思っていたが、考えを少し改める必要がありそうだ。
「あれなどかわいいものだ」
彼に追い打ちをかけるよう、ゼンが苦笑いで言葉を足す。
知り合いと言っていたから、少し責任を感じているのかもしれない。
蕎麦は惜しいがやはり宿へと帰ろうか。
そう思った勝八が腰を浮かしかけたとき。
「あれの父は浄化魔法の使い手でな。代々グリフの水質管理に携わっていた」
今の勝八をつなぎ止めるには十分な単語が、ゼンの口から紡がれた。
「浄化魔法……」
汚水を真水に変えるという、この世界を支える便利魔法のことだ。
勝八はそれを教わっていたし、実際に神官が使うところを目撃していた。
「だが、数年前から浄化魔法でも追いつかないほど水が汚れだしてな」
そして、彼はこの世界の水が汚染された――もとい浄化が間に合わなくなった理由を知っている。
「彼女の父は職務の怠慢や魔法の触媒費用の着服などを疑われ、免職されてしまった」
「……彼女?」
水の話も気になるが、他にも捨て置けない単語がスイと出て、勝八は眉間に皺を寄せた。
目の前の男がしているのは、スリを働いた例のチビの話だったはずだ。
「気づかなかったか? 痩せぎすだがアレは女子だ」
「マジか」
お前女だったのか。
そんなシチュエーションをいつの間にか体験していたことに、勝八は驚きの声を上げた。
よくよく思い返せば、あのチビは男にしては睫毛が長かった気もする。
まぁ、あのわっぱが男だろうが女だろうが、大した違いはないはずだ。
つまみ上げた時、妙に上着の裾を気にしていた気もするが、きっと気のせいだ。
「それが原因で彼女の父は荒れ、身持ちを崩して死んでしまった。彼女がスリをするのは、街の人々への復讐でもあるのだ」
ゼンもそう考えているのかさらりと流し、話を元の路線へ戻す。
どうやらこれが、ゼンがチビ――少女を逃がそうとした理由らしい。
「いや、俺異世界……外国人なんだけど」
とはいえ、勝八がそれで納得出来るかといえば別だ。
青春に悩んだからといって、校舎の窓ガラスを割って歩いて良いわけではない。
水が汚染されたのは勝八が遠因なので、彼女は知らない内に正しい復讐対象を選んではいるのだが……。
「水は低きに流れると言うからな」
勝八のツッコミに、ゼンは鼻息を吹いて応えた。
若干「水絡みの話だけに」というようなドヤ顔なのが癪に障る。
異世界にその慣用句があるのも疑問だが、そもそも日本語で会話できているのがおかしいのだ。
大体は緩のせいだろうと納得して、勝八はその辺りの疑問を飲み込んだ。
「アンタとはその……没落する前からの知り合いなのか?」
「……あぁ。俺も幾度か資金援助を持ちかけたのだが、彼女の母は清廉な人物で中々受け取ってもらえないのだ」
代わりに別のことを尋ねると、先ほどとは違う種類の鼻息を吹くゼン。
「ま、貧乏貴族に申し出られてもな」
遊び歩いてないでまずは自分のところを何とかせいと思うだろう。
遠慮も悪意もなく勝八が呟くと、ゼンは何か抗弁しようとして、言葉を飲み込んだ。
少々言い過ぎただろうかと彼の顔を伺う勝八だが、ゼンは怒っているというわけでもなさそうだ。
男の心中などあまり探りたくない。
彼の顔から視線を落とした勝八は、ふむと考えた。
多少川が汚れようが魔法でチョチョイだろうと考えていた勝八だが、考えが甘かったらしい。
触媒費用などと言っていたから、魔法を使うのもタダではないのだろう。
こうなると、ドロシア・ザ・アイドル計画も早急に進める必要が出てくる。
勝八の手で水神教の規模を大きくすることができれば、娼婦達の負担も軽減できるだろう。
更にドロシアの友達候補――「この人間の為なら水の浄化をがんばっても良い」と思える人材が見つかりやすくなるはずだ。
つまり顔が広くグリフ水道界の現状を憂いているこの男、ゼンに水神教をそれとなく教えることができれば、勝八の目論見は大きく前進するはずである。
よし、やるぞ。
静かに深く息を吸った勝八は、なるべくさりげない風を装って切り出した。
「そぉいやさぁ、水と言えば……水神教? ってのがある……らしいんだけど?」
だが、彼にそんな器用な芸当ができるはずがない。
勝八の売り込みは、ドロシアよろしく自由自在に目を泳がせながらの不審極まりないものになった。
「急に黙り込んだと思えば、何だ藪から棒に」
そもそも慣れない思索を挟んだせいで、この話題を切り出すまでには大分間が開いている。
ゼンがしかめ面で問いただす。
しまった。完全に疑われている。
だが、言ってしまった以上ここで引くわけにはいかない。
「いや、知り合いから聞いたんだ。水を綺麗する精霊がいて、それを信仰するのが一部でごく密かなブームだって」
引くわけにはいかないが、とりあえず落ち着くべきであった。
勝八は混乱した頭のまま、更に怪しげな言葉を重ねる羽目になる。
こういった場合知り合いというのは大抵自身の事であるし、密かなブームは本当は流行っていない。
普段から友人のバカ話を聞いている勝八も、それは分かっている。
しかし、焦りが元々少ない配慮という物を彼から完全に吹き飛ばしていた。
「お主もしや、その怪しげな宗教団体に関わって……」
案の定、ゼンがより深い疑いを勝八へと向けてくる。
「あ、いや……」
関係者というか、形だけとはいえ教祖をやっている身である。
――いっそ、そこまで打ち明けてしまうか。
「それ、私も聞いたことある」
窮地に追い込まれた勝八を救ったのは、盆を携え戻ってきた女給の言葉だった。
「本当か?」
ゼンの視線が、自然とそちらに向く。
それに合わせてホッと息を吐いてから、勝八もまた女給を見た。
治療した人間の中に、彼女の顔は無かったはずだ。
いったいどこでこんな怪しげな宗教の話を聞いたというのか。
「っていうかゲイシャさんが話してたんだけどね」
「ゲイシャ?」
勝八の疑問に、女給はどこかで聞いた単語――いや、男の名前を出す。
「あぁ、うちのお客さんだよ」
勝八の前に湯気の立つ蕎麦を置きながら、彼女は説明した。
やはりあの、ジーペン出身だという奇っ怪な名前の若者で良いらしい。
「一昨日街外れを歩いてたら、女神に会ったって」
勝八が納得していると、女給はすすっとゼンに寄ってそんな事を言う。
まさか、ゲイシャにもドロシアの姿が見えたというのか。
「神を見たと?」
勝八ほどの驚きではないだろうが、ゼンもまた目を見開いて女給を見る。
「いや、そっちは結局勧誘の女の子らしいんだけどさぁ。小さくてぇ、可憐でぇ、ともかく自分の女神だって舞い上がっちゃっててぇ」
彼に大きな目を向けられたことに気分を良くしたようで、女給は右へ左へと体を揺らしながら答える。
あぁ、女神ってマリエトルネの事か。
彼女の媚び売りスタイルと女神という単語がようやく脳内で結びつき、勝八は一人納得した。
マリエトルネから聞かされたので話半分だったが、ゲイシャは本当に彼女へ入れ込んでいるようである。
ともかく、これで自分の疑いは晴れただろうか。
勝八がちらりとゼンを伺うと、彼は顎に手を当て考え込む仕草を見せた。
「水神教か……一度調べさせた方が良いな」
「調べ、させる?」
彼の目には、貧乏貴族とは思えない鋭い光が宿っている。
その言葉に不穏なものを感じた勝八が問うと、ゼンはハッと顔を上げた。
「あぁいや何でもない。とにかく飯だ飯」
あからさまな誤魔化しをし、自身は注がれた酒をあおるゼン。
「おう、そうだな……」
なんだか、余計にまずいことになった予感がする。
考えながら、勝八は蕎麦を手繰ったのであった。
異世界の蕎麦は、少し粉っぽかった。




