君を思ふ
寝床に入ると、勝八は大きく息を吐いた。
割り当てられた部屋には、いつの間にかシーツと敷き布団が用意されている。
地底湖で体を拭いた勝八(ドロシアには大変嫌がられた)はそれにくるまると、入り口の扉へ目線をやる。
そこではゾマが、まるで蓑虫のように丸くなっていた。
危険からいち早く勝八を守る為だそうだ。
が、まぁその危険とやらもそうそう起こるまいとタカをくくり、勝八はそれを容認した。
咄嗟に勝八を守るため隣で眠ル! などという展開になったら落ち着いて眠れない。
それはそれで、とてもとても魅力的な展開なのだが。
「ていうか裸だし……」
勝八の趣味というわけではないが、寝心地の関係で腰巻きは外して側に置いてある。
こんな状態で接近されては色々とまずい。
とにかくこのまま寝れば、地球に帰還しているはずである。
あちらでもう一度眠れるか若干心配だが、今日こちら側で出来ることもない。
せめて昼ぐらいは出来ることを探そうか。
などと考えつつ、勝八がうつらうつらしていると。
「ねぇ、まだ起きてる?」
隣に置いた桶から、ぴちょんという水音と共に声が聞こえた。
まるで眠ろうとしている時に限って届くメール着信のようだ。
「うぅん……」
半ば夢うつつになっていた勝八は、それを止めようと手を伸ばす。
ずちゅり。
「ちょっと、どこに手ぇ突っ込んでんのよ!」
すると、粘液の音と共にドロシアの悲鳴が聞こえた。
どこってどこさ。
確かめるために勝八が瞼を拭うと、彼の手はじっとり濡れており、目はすぐさま醒めた。
「なんだよ一体」
へその辺りを均すように撫でているドロシア。
勝八が尋ねると、彼女は体の中でこぽこぽと気泡を立てながら口を開いた。
「別に、その……」
が、出てきたのは妙に歯切れの悪い言葉である。
ぺこりと腹が凹んでへそが再構成された。
「何もないなら寝るぞ」
それはそれで面白いが、眠気に勝るほどではない。
勝八が再び眠りの世界へと落ちようとすると――。
「あ、あの……ママって、どんな人なの?」
ドロシアの口から、そんな質問が囁かれた。
どうやら昼間に少し緩の事を話した影響で、彼女個人に興味が沸いたらしい。
自分の母親に関して知りたがるのは自然なことだ。
勝八としても、神ではなく緩個人に興味を持ってくれるのは嬉しい。
「えーと、どんな人なぁ……」
だが、いざ説明するとなると難しい。
それに……神を疑っているゾマの前で下手な説明をしてもまずい気がする。
考えてゾマが寝ている方を見る勝八。
すると彼女は完全に眠っているようで、ドロシアの悲鳴にも反応していない。
「思いつく順でいいから」
ドロシアにせがまれ、勝八は言われたとおり緩の特徴を一つずつ挙げていくことにした。
「まず小さい。マリ姐よりはでかいけど、あんなちんちくりんが神様だなんて思えないぐらい」
となると、まず思いつくのは緩の身長である。
「私より小さい……?」
「お前は可変式過ぎて分かんねぇよ。まぁ、今のお前よりはな」
液体ゆえドロシアの身長は分かりづらい。
が、中学生程度に見えるドロシアに比べ、緩は初見ではほぼ小学生だ。
二人が並べば親子だとは誰も思わないだろう。
そもそも種族が違うのだが。
「そう……なんか変な感じ」
前から勝八の話は聞いていても、やはり生みの親であり神である緩には巨大なイメージがあったのだろう。
ドロシアは体をぷるんと震わせて呟いた。
「あとナ行とサ行の発音が怪しい。ゆるふわ三つ編み。昔はロープみたいな三つ編みしてたけどいつの間にかアレになってたな」
変な感じを覚えるのは勝八も一緒である。
自身の中で揺らぎそうな緩のイメージを明確にするかのように、彼は緩の特徴を並べ立てていく。
確か中学生辺りまでは固縛りの三つ編みだったはずだ。
多分高校で出来た友達――机上の空論派ファッションリーダーの沢渡辺りの入れ知恵でゆるふわ転換したのだろう。
元々三つ編みを解くとふわふわとした髪質をしていたので、パーマ等はかけていないのかもしれない。
その証拠にこの前雨が降ったときは、髪の毛が若干ボリュームを増していた。
「好物は豆大福と牛乳……牛乳は育成目的で好物って訳でもないか」
思い出しながら少々可笑しくなって、勝八は含み笑いを漏らした。
彼女が小さな口で豆大福の豆をついばんだり餅をもちもちと伸ばす様は心を癒す。
「育成?」
「体の一部が薄いのを気にしてるんだ。尻は世界を潰せるぐらいボリュームがあるけどな」
ドロシアが首を傾げるので、勝八はユーモアを交えつつ説明してやった。
「……ママは人間の形してるのよね?」
「あー、そこまでデカい訳じゃない。世界と比べてってことだ」
するとドロシアの中でまたしても緩像がおかしな事になったようなので、慌ててフォローを入れる。
このままでは緩の外見イメージがとんでもないことになる。
「後は……何かこつこつ作るのが好きだな。それと頑固。パズルが完成するまで家から帰らなかったこともあったし。歪みが色々出来てるけど、この世界が曲がりなりにも形を保ってるのはアイツがそういう性格だからだと思う」
そう判断した勝八は、緩の内面について話すことにした。
パズルは結局完成しないまま、勝八の家に泊まっていったというオチまである。
「でも、私は……」
だが、そんな微笑ましい気持ちをドロシアは共有することが出来ない。
緩が作った歪み。その被害に遭った彼女は、納得しかねるといった表情で俯く。
「うっかり屋で不器用。落ち込みやすくて、何かあるとすぐ自分を責める。だから、その、出来ればお前を嫌ってるわけじゃないってのは、分かってやってほしいんだ」
勝手だと分かっていながら、勝八はドロシアに頼んだ。
緩がドロシアを嫌っていないのと同様に、彼女にも緩を嫌ってほしくはない。
本当はそう言いたかったが、さすがに傲慢な気がして控える。
マリエトルネにもズバリそう言われたばかりだ。
「アンタは……どうなの?」
勝八が思い返していると、不意にドロシアが尋ねてきた。
「何が?」
首を巡らせ問いただす勝八。
「ママのこと、どう思ってるの?」
すると、彼女は上目遣いで彼を凝視した。
この間彼女に「仲が悪いの?」と聞かれた時は、恥ずかしくてはぐらかした。
だが、今はそういうことが出来る雰囲気ではない。
実際のところ、どうなのだろう。
自分は、緩をどう思っているのだろう。
「助けてやりたい……だと上から目線だな。手助けしたいと思ってる」
しばらく考えを整理して、勝八は天井へ呟いた。
「そうじゃなくて……」
期待した答えとは違ったらしい。
ドロシアが唇を尖らせる。
「アイツとは兄妹みたいに育って、なんもかんもから守って……遮っちまったって気持ちもあるんだ」
「妹……」
だが、それに構わず彼は自身の気持ちを並べていく。
おかげで、ドロシアがおかしなところに反応したのに気づかない。
「だから高校で仲良い友達が増えて、俺からも距離を取って、良いことだと思うんだ。だけど、その」
瞼を閉じると緩の顔が映り、それが遠ざかっていく。
それを厭がり、勝八は目を開いた。
「結構寂しく思ってた。だから、アイツが俺を頼ってくれるなら、全力でそれに応えたい」
残像を掴むように手を伸ばし、握りしめる。
そのままの姿勢でしばらく固まってから、彼は唐突に横を向いた。
「……こういうのって、なんて言うんだ?」
「わ、私に聞かないでよ!」
だが、水の精霊たるドロシアも人間の機微など分からないらしく、困惑した声を出す。
それからしばらく沈黙が続き、ドロシアが尋ねた。
「私のことも、その一環ってわけ?」
彼女の声には、皮肉げな響きが混じっている。
「……お前に関しては、大体俺のせいだろ」
それに対して、勝八もぶっきらぼうな調子で応えた。
緩の手助けをしたい。彼女の悲しむ顔を見たくない。
それが異世界へ来る大きな動機だが、それだけでもなくなっている。
この世界を実際に見て、様々な物に触れ。
殺されたりもしたが、勝八はこの世界に住む人々を好きになってきていた。
ドロシアもその一人だ。
自分の影響で生まれた存在という欲目。
自分のせいでつらい目に遭ったという引け目もあるが。
「だから、お前はもっと俺に怒るべきだ」
その両目を抜いても、ドロシアにはこの世界で健やかに過ごしてもらいたい。
勝八はそう思っていた。
「もう怒ってるわよ」
「甘えてるだけだと思ってたガボガボ」
腰に手を当てるドロシアに、半分本気で口にする勝八。
するとその直後、顔が水の球に包まれる。
「そんなわけないでしょ!」
彼がパニックになり手足をバタつかせると、彼女は割と早めに勝八の顔を解放した。
やはりこの娘は父にデレている。
確信する勝八だが、枕とその周辺がぐっしょり濡れてしまっている。
「今更だけど、俺たちがやってる事って迷惑か?」
仕方なく上半身を起こして、勝八はドロシアへと尋ねた。
枕は取って頭の位置を逆にすれば眠ることが出来るだろう。
「別に……好きにすればいいじゃない」
それに対し、彼女はプイと顔を背けて答えた。
自身も全裸のようなものなのだから、別に勝八の裸体に照れた訳ではない……はずだ。
ともかく彼女は、とりあえず今の半ば詐欺のような人集めは容認してくれているようである。
「お前にもがんばってもらうことになるけど」
だが、問題はその先だ。
集まる人間が増え、緩にドロシアが見えるように設定改竄をしてもらえば、彼女自身にもしてもらわねばならないことが出来る。
「水の浄化? それをするかは……」
「いや、歌と踊り」
「はぁ!?」
水の浄化もしてもらいたい。
だが、それは本人の判断に委ねようと勝八は考えている。
そもそも勝八にとって今の勧誘活動は、ドロシアによるアイドル活動のプロローグに過ぎないのだ。
「そりゃアイドルなんだから歌って踊らにゃ。ファンの心は掴めないぞ」
ドロシアを独りにしないためには、彼女の姿が見えるだけでは不足である。
彼女から働きかけ、ファン――もしくは友人の心を掴まなくては。
「そんなもん掴みたくないわよ!」
だというのに、ドロシアは体をコポコポと泡立て否定する。
「いいじゃん。あっちから適当なアイドルソング見繕ってきてやるし。あ、緩のポエムにメロディーつけるのもいいな」
異世界設定資料集とは別に隠してある緩のポエムノートを思いだし、手を打つ勝八。
「それは……だからやらないったら!」
「母から娘に贈る歌。うむ、大ヒットの予感がするぞ」
一瞬考えてからやはり否定するドロシアだが、もはや勝八は聞いていない。
彼の頭には、母娘二大に渡る壮大なプロデュース計画が浮かんでいた。
そうだ。ドロシアを祀るついでに、その母である緩教も作ってしまえば良いのだ。
キリスト教からマリア崇拝へ派生するような、スピンオフ信仰である。
勝八が絵図を描いていると、不意にドロシアが黙り込んだ。
「どした?」
あぐらをかいた勝八がじっと見つめると、ドロシアは少々躊躇ってから尋ねた。
「ママのママ……両親ってどんな人なの?」
勝八から母娘の話題が出たので、思い出したらしい。
とはいえ先ほどの沈黙から察するに、今までの勝八の話から薄々感じ取ってはいるだろう。
これだけ騒いでも身じろぎ一つしないゾマ。
彼女をちらりと眺めてから、勝八は答えた。
「知らない」
「……何で?」
我知らず、突き放すような声色になる。
それにもめげず、ドロシアはじっと勝八を見つめてきた。
「あいつが小さい頃両方事故で死んでるんだ。それで婆ちゃんの所……俺ん家の隣に引っ越してきた」
仕方なく、勝八はかいつまんでドロシアへと説明した。
直前にゾマを気にしたのは、彼女には話しづらい事だったからだ。
両親を早くに亡くした緩の生い立ちに、ゾマは共感を覚えるかもしれない。
だが、それを盾に取って「だから緩を許してやってほしい」というのは卑怯だと勝八は感じてしまっていた。
「そう……」
やはり予想はしていたのか。
ドロシアの反応は小さい。
それでも彼女が聞いてきたのは、自身の過去、そして未来を彼女の姿に重ねようとしたからか。
「大丈夫だって。もうお前を独りにしたまま放置しないし、友達も作る」
それを察して、勝八はドロシアの頭に手を置いた。
「だ、だから頼んでない……!」
すると彼女の体温――もとい水温が即座に上昇し、その手を拒む。
もうちょっと素直に甘えてくれれば、勝八としても頑張りがいがあるのだが。
「……布団入るか?」
押して駄目ならもっと押せ。
自らの信条に従い、勝八は寝そべり直すとシーツをめくってドロシアを誘った。
「セクハラクソ親父!」
だが彼は自身が腰巻きすら外していることを忘れており、シーツの合間から見えた見えた汚いモノにドロシアの水球をぶつけられる羽目になった。
「おぅふ!」
男の弱点とはいえ、頑丈な勝八には大したダメージは無い。
だが本能的な恐怖は拭えず、彼は悲鳴を上げた。
「アンタら何時まで騒いでんだい! とっとと寝な!」
そうこうしていると、扉の向こうからマリエトルネのお叱りが響く。
どうやら部屋の外にまで声が聞こえていたらしい。
それでも、ゾマは一向に起きあがらない。
相当疲れているのだろうか。
「へーい。んじゃ明日な」
自分もとっとと寝よう。
幼い頃緩の家でお泊まりした際、同じ感じで彼女の祖母に怒られた覚えがある。
「ふん」
思い出しながら勝八が告げると、ドロシアは鼻息一つ吐き出して桶の中へと戻った。
水面から波紋が消えるのを見守って、勝八もまた眠りの世界に入ったのであった。
翌日股間部分がぐっしょり濡れた彼の寝床が発見され、やれ粗相だのおもらしだのと騒がれるのだが、その件は割愛する。




