勝八、翔ぶ
「まぁでも、やっぱり意外だったな」
しばらくし、握り合っていた手を解いた勝八はぽつりと呟いた。
手に残る感触を確かめるようグーパーとしていた緩が、きょとんとした顔を上げる。
「お前がゾマに嫉妬するだなんて」
童女のようなその表情を見ると、余計に信じられなくなる。
勝八がからかい混じりの笑みを浮かべると、緩の顔が見て分かるほど紅潮した。
「あ、あれは……だって勝ちゃんが!」
身を乗り出した緩は、手振りで自身の狼狽を伝えながら勝八に抗議する。
分かってる分かってる。
今回の件で、勝八も少しは緩を理解できるようになったのだ。
「俺らが楽しそうに冒険してたのが羨ましかったんだろ? ま、自分で考えた世界だもんな」
彼女を落ち着かせるよう頭をぽんぽんとやりながら、勝八はその心境を察してみせた。
乗せた手のひらから彼女の気持ちが伝わるようだ。
「ぐむぅ」
と、思ったのに緩は勝八の手の下でオリジナルMSのようなうめき声を上げる。
「どした?」
読みきったはずなのにと頭を撫でながら勝八が尋ねると、緩は唇を尖らせながら彼を見上げた。
「ごめんね勝ちゃん。あっちの世界、またちょっと歪むかも」
「なんで!?」
告げた緩の顔は、まだ少し紅潮していた。
そんなことがあって。
「癒しの至玉かぁ。なるほど……」
分厚い本をペラペラとめくりながら、緩が頷く。
「あったよな。鎖解き放ち開け封されし扉。エル・チェイネン・エン・ドアラ」
「もう……なんでそんな事ばっかり覚えてるかな」
勝八がそらんじてみせると、緩は頬を膨らまして彼を上目づかいに睨む。
そうしている内に、彼女の指は目的の項へとたどり着いた。
癒しの至玉というタイトルの下に、1ページ分の設定がぎっちりと敷き詰められている。
「何でも癒す宝玉だったな。設定足さなくてもいけるんじゃね?」
それを見ただけで読む気力が無くなり、勝八は隊長に告げられた情報のまま緩に提案した。
ただでさえ容量不足なのだ。
限定的な設定を増やして緩の創造する余地を減らすこともあるまい。
だが、それに対して緩はゆっくりと首を横に振る。
「ううん。相手は世界の歪みだから、特別に言及しておかなきゃ。それに……」
普段は気弱そうな顔をしている緩の顔に、きらりと自信の片鱗が現れた。
「今なら、世界の容量が増えてる気がするの」
緩が弱気になればなるほど世界に歪みが出来る。
ならば、彼女が前向きになればその分異世界が広がってもおかしくはない。
「そうか。じゃぁ頼んだ」
何より緩がここまで生き生きとしているのだ。
それを止めたくないと考え、勝八は彼女を後押しした。
「うん!」
勝八に肯定されると、緩は次のページをめくって勢いよく設定を書き込み始めた。
一行、二行、三行と丸っこい字が追加されていく。
「何か、歪み対策にしては書きすぎじゃね?」
※この玉は黒肢病にも効きます。の一文で良いはずなのに、何を追加しているのだろう。
「せっかくだから、今思いついた設定全部書いておこうと思って」
勝八の問いかけに、緩は顔も上げずそう答えた。
覗きこむと、姫を守る騎士の愛が云々と背景設定らしきものが書き連ねられている。
「……まぁ、良いけどな」
緩が楽しそうなら勝八も安心である。
それに、例え歪みが発生しても自分が何度でも直してやると誓ったのだ。
「こうして……姫と騎士は新しい国を作り……そこに癒しの至玉が……」
「いや、根本から崩すのはやめとけ」
が、彼女の妄想がユニクールという枠を飛び出し暴走を始めたので、さすがにそれは止めたのであった。
そんなこともあって。
「ただいま」
勝八は異世界へと帰ってきた。
青空の下。
ゾマの里の中へである。
「オカエリ」
それに対してゾマだけがそう応え、周囲の人間は白目を剥きボォっとしていた勝八を不審そうな顔で見る。
「カッパチは神と交信していタ」
ゾマが周囲に説明をするが、破壊神を祀る部族の者たちでさえその言葉にはザッと一歩引いた。
ちなみに今回の帰還予定は24時間後。
今までで最長の滞在時間であった。
更に、地球での経過時間は二時間程度になる予定である。
これは、「緩が後ろ向きなこと考える前に解決してきてやるよ!」と勝八が啖呵を切った結果であり、魔物との戦いの最中に帰還時間が来るとさすがにまずいかもしれないという配慮でもあった。
「ところで君は、ユニクールまでの道のりは分かるか?」
一方、ゾマの言葉を気にしていないのかスルーすることに決めたのか。
隊長が勝八へ問いかけてくる。
「いや、分からん」
近くにある事は勝八も知っている。
だが、異世界の土地勘などある訳がない。
勝八が答えると、隊長はふむと考え込む仕草を見せた。
「ならばキュール君を同行させよう」
そうして、隣にいる眼鏡半裸の肩をポンと叩く。
「えぇ、僕ですか!?」
一番驚いたのは、当のキュール君である。
彼は狼狽のあまり頭を振って眼鏡を額の上にやり、慌ててそれを元の位置に戻した。
「フリオ隊長は?」
面白い芸だなと思いつつ、勝八は隊長の方へ尋ねる。
正直運動音痴の彼より、緩肝いりの「設定付き」な彼が来てくれたほうが嬉しい。
「私が同行するのは難しいだろう。が、ちょっと待っていてくれ」
すると、再びふむと鳴いた隊長は、勝八にそう言い置いて過激派蛮族達の群れへと向かっていく。
そして、3分ほどで帰ってきた。
「やはり私は地位のある人間なのでダメだそうだ。ゾマ君もダメ。代わりに君達は必ず帰ってくるという条件で自由行動を許された」
「早っ」
よくこの短時間で交渉をまとめたものである。
相手のリーダー格であるアリュナが放心状態だということを差し引いても……いや、だからこそ交渉など難しかったろうに。
「アリュナ嬢の腕が染まる前に戻ってこなければ、我々は処刑されるそうだ。頼んだぞ」
勝八が感心していると、すぐさま物騒な条件が付け足された。
よくよく考えれば勝八には、周囲の人間を全員ぶん殴ってゾマだけ連れて行くという選択肢だってある。
彼らとの交渉をする必要など微塵も無い。
このおっさん、有能なのは雰囲気だけなのではなかろうか。
「……ま、今のゾマを連れ歩く訳にはいかないしな。すぐ戻ってくるからゾマのことはよろしく」
勝八の中に疑いが芽生えるが、どうせ黒肢病の患者を放っておくわけにはいかない。
誰よりも、緩の為にだ。
「わ、私も行ク……!」
そんな中、ゾマが切羽詰った声でそんなセリフを言うので、勝八の青少年回路が作動しかける。
「黒肢病は体力消耗するんだろ。ただでさえ睡眠不足なんだから、ゾマは寝ててくれ」
だが、何とかそれを紳士的に押さえ込み、勝八は彼女を諭した。
あちらとこちらを行ったり来たりなので忘れがちになるが、今のゾマは相当消耗してるはずだ。
あちらこちら連れ回るわけにはいかない。
「確かに、今のワタシでは足手まといだナ……」
疲れのせいかゾマは勝八の言葉を若干後ろ向きに受け取りながら、唇を噛み締めながら呟いた。
「ゾマには沢山世話になったから俺が返す番だ」
そんなことは無い。
それを伝える為、勝八は彼女の前に回りこみ、両手を肩の上に置く。
この体にも幾分慣れたおかげで、力の調節を間違うことはなかった。
「ワタシは……そんなコト」
一度上目遣いに彼を見上げ、すぐに俯くゾマ。
「神様も嫉妬するぐらいだからな」
だが、彼女の献身ぶりはゾマの信捧する緩自身が保証しているのだ。
謙遜する必要など無い。
「シット?」
もちろんゾマは意味が分からず首を傾げる。
「ま、元気出せってことだよ」
適当に誤魔化して、勝八は隊長へ向き直った。
「ゾマ君の安全は私が命を賭けて守ろう。さて……では君にも軽くユニクールまでの道順を」
二人のやり取りをウムウムと頷きながら見守っていた隊長だが、勝八に視線を向けられるとそんな説明を始めだす。
「いや、方角だけ教えてくれ。そっちに真っ直ぐ走る」
それを断わって、勝八は彼に要請した。
細かい手順は覚えきれないし、二日……いや、出来るだけ短い時間で戻ってくる必要があるのだ。
なるべく無駄な時間は省きたい。
「ふむ……間に小さな山があるが」
「迂回するより楽だ」
「大きな崖があるが」
「飛び越える」
「川幅の広い川があるが」
「勢いつけて上を走る」
隊長が次々に難所を示すが、それらを全て跳ね除ける。
ユニクールへの行程はかなり複雑かつ険しいようだ。
ならば迂回にも相応の時間がかかるだろう。
最短距離で行けば、それだけ短縮できるはずだ。
勝八は単純にそう考えた。
「……僕要らなくない?」
彼らのやり取りを聞いて青くなったのはキュール君である。
彼には崖を跳び越すことも水の上を走ることも出来ない。
そもそも真っ直ぐ行くだけなら自分は必要無いはずだ。
「帰りが困るじゃん」
だが、彼に対して勝八は当たり前のように言い放った。
行きは確かにその通りなのだが、帰りは方向を示してくれるものが必要だ。
「方位磁針でも持っていこうよ!」
が、それに対してキュール君ももっともな言葉を返す。
現代っ子の勝八にその発想は無かったが、言われてみればそれで事足りなくもない。
「現地でトラブルが発生するかもしれない。そんな時ユニクールの知恵袋と呼ばれた君の力が必要なのだ」
しかし、隊長はそれを許さない。
彼にも言われてみれば、勝八はユニクールの事をまるで知らないのだ。
封印の扉とやらの場所は教えてもらったが、他にも土地勘や地元ならではのお得情報が必要な場面があるかもしれない。
「それに、交換条件とはいえユニクール最大の宝を奪取してもらうのだ。それを人任せにしてはいけない」
勝八が考えをころころと改めている間にも、隊長はキュール君の説得を続けている。
太い眉の下の熱い瞳に、キュール君の眼鏡アイもまた燃え上がった。
「確かに……そうですね。僕が間違っていました」
洗脳――もとい説得完了である。
「ゾマ、ロープあるか? キュール君を括り付ける為の」
「背負子もあるゾ」
それを確認して勝八が問いかけると、ゾマは頼られたことに嬉しそうな顔をしてそう答えた。
そうだよな。頼られるって嬉しいよなと自分と緩の関係を思い出しほっこりする勝八。
「え、あれちょっと?」
一方自らがこれからどうなるかを知ったキュール君は、早速戸惑いの声を上げる。
「ユニクールまでは、普通の人間では歩き詰めでも半日ほどかかる。だが、君の足ならばもっと早く着くだろう」
ゾマがテキパキと背負子と縄を用意し、キュール君に空気椅子の姿勢を取らせると尻の下と背中に背負子をあてがいグルグルと縄で固定していく。
隊長の説明を聞きながら、勝八は彼をよいしょっと背負った。
「重くないカ?」
「神輿とかゾマよりずっと軽い」
問われ、勝八はニヤリと笑ってそう答える。
「むぅ……」
寝不足の病人を体重ネタでからかうという鬼畜の所業に、乙女ゾマはむぅと唸って勝八の頬に両手を伸ばす。
が、黒肢病の右手は途中で止め、余った左手で彼の頬をつねった。
そのまま引っ込めかけられたその手を、勝八はがしっと掴む。
「ふぐ帰ってくるから待っててくへ」
片頬をつねられ不明瞭な発音になりながら、彼はゾマの手をぶんぶんと振って告げた。
その決まらない姿にクスッと吹き出して、ゾマは頷く。
やはり、彼女はどこか緩に似ている。
「それじゃ、舌噛むなよ」
思いながら、勝八は解放された口でキュール君に告げた。
「や、やっぱりやだー!」
自らの姿と二人のやり取りで何かの魔法が解けたのか。
キュール君が叫び出す。
それを了承の合図と受け取って、勝八は頭の中で自らのネジを巻くとそれを一気に解放した。
「いーやーだーー!!」
弾かれたように飛び出す勝八。
キュール君の悲鳴が集落に響き渡り、残響を残してすぐに消えた。
◇◆◇◆◇
――2時間後。
「ついた」
崖下を見下ろしながら、埠頭で船を待つ船乗りのポーズで勝八は呟いた。
どうも自分が街を発見する時は、崖上に出るジンクスがある気がする。
今回は山を無理やり昇ったり、頂点からジャンプして下りをショートカットしたのでそれも当たり前なのだが。
「生きてるかー?」
感慨に耽った後、先程から反応が無いキュール君に問いかける。
「死ぬかと思った……特に山から勢いよくジャンプした先が深い谷底だった時……」
「あぁいう死に方マリオでしたことあるな」
背負子をガタガタと揺らしながら呟くキュール君の生存を確認した勝八は、背中から彼を降ろした。
「ほら、故郷に着いたんだからしっかりしろ」
キュール君の体に巻かれた縄を解きながら、彼を励ます。
「水の上を走り出してからの記憶がない……」
「おいおい、帰る方向分かるか?」
死にそうな昆虫めいた動きををするキュール君に、勝八は無慈悲な心配を口にする。
ずりずりと腹ばいになりながら、キュール君はとにかく崖下を覗く。
「これが……今のユニクール」
そして、絶句した。
広がる森の中央に、ぽっかりと薄緑の絨毯が広がっている。
栄華を誇った城下町のほとんどが、成長したコケや地衣類に飲み込まれその下敷きになっているのだ。
用を成していない城壁の中には 誰がやったか中頃で折れた尖塔の名残。
主のいないユニクール城が、その骸を晒していた。
更には、そんな変わり果てたユニクールの上を無数の鳥が旋回している。
いや、鳥ではない。
確かに勝八から見れば小学生以下が書いた落書きのカラスだ。
それがくえーくえーと間抜けな声を上げている。
だが、キュール君が聞くその鳴き声は人の断末魔のよう。
死を鳴く不吉の権化。凶悪な鉤爪と嘴を持つ、デスラトルクロウである。
城下にも沢山の魔物が潜んでいるだろう。
だが、キュール君の瞳ではこれ以上の観察は出来ない。
「おい、大丈夫か?」
勝八に問われ、キュール君はハッと我に返った。
そうだ。失われたものに思いを馳せるのは後回しである。
死ぬ思いをしてここまで辿り着いたのだから、自分は自分の仕事を果たさなくては。
「それで、どこから潜入する? 残念ながら地下への直通通路は無いけれど……」
まずは至玉のある地下宝物庫への潜入ルートだ。
崩落の可能性も予測しつつ、キュール君は最善の道を計算する。
「え、潜入?」
だが、勝八はというと虚を突かれたかのように目を丸くする。
この男、あの数に正面からぶつかるつもりだったのか。
唖然とした後少しは説教をかましてやろうと口を開いたキュール君。
だがその時――。
「ギャアアア!」
恐ろしい悲鳴が、崖下から響いた。
それに釣られキュール君が覗き込むと、その頭がパクリと咥えられ体ごと持ち上げられる。
デスラトルクロウは悲鳴を餌に人を誘き寄せるのだと、捕食されてからキュール君は思い出した。
そのままスムーズに走馬灯へと意識が移行しかけたその時。
「そぉい!」
暗闇の中、続けて衝撃。
突如嘴から解放され落下するキュール君の足を掴んだのは、やはり勝八だった。
逆さ吊りにされたまま呆然とするキュール君の視界の中、殴りつけられたカラスが放物線を描いて飛んでいく。
もちろん自力飛行ではない。
あのきりもみ回転は弾道の安定に使えそうだ。
キュール君がこの世界では開発されていない施条銃の着想を得ているうちに、デスラトルクロウはユニクール城の半端に折れた尖塔にぶつかり土煙を上げた。
今度こそ完全に、哀れな尖塔は崩れ去る。
同時に周囲で旋回していたデスラトルクロウが次々に悲鳴を上げ、地獄の釜を開いたような死者の大合唱が始まった。
仲間が飛んできた方向から察したのだろう。魔物たちは一斉にこちらへと向かってくる。
「タマはどこにあるって言ってたっけ?」
「じょ、城内の礼拝堂から地下に入れる!」
そんな中、慌てた様子も見せずに勝八が問いかける。
何故一度説明されたことを覚えていないのか。
キュール君が恐慌の極みの中で答えると、勝八は彼を崖から苦も無く引っ張り上げて告げた。
「んじゃ、俺は行ってくるから適当に隠れててくれ」
言うなり、彼は少し後ろに下がると勢いをつけ跳躍。
「え、ちょっと!?」
向かってきたデスラトルクロウを踏みつけると高度を稼ぎ、次のデスラトルクロウへ着地。
その背中を次々に乗り継ぎ、勝八はついに空中歩行を果たした。
「本当に、僕は何でこんな所まで……」
それを遠い目で眺めながら、キュール君は心の底から息を吐いた。




