姫として
「アンジェ姫、周囲に異常はありません」
「ご苦労です」
元魔道士団の団長の一人であるオムトが率先して見回りに行ってくれた。
数多の同胞が魔族に篭絡させられた中、このオムトだけは本当に頼りになる。
グランシア国が魔族に攻め滅ぼされたあの日、復讐心に駆られた私をオムトが止めてくれた。
何せ彼がいなければ私はあの黒き魔族タウラスに挑んで命を落としていたのだから。
今のように再起をうかがうことすらできなかった。
「……そろそろ動きたいところね」
「しかし、この隠れ家には国を追われた難民がたくさんいます。彼らを連れての大移動はリスクを伴いましょう」
「そうだけど、永遠にここに立て籠っているわけにはいかないわ」
「幸い食料はまだ足りています。周辺の情報をできるだけ集めきってからでも遅くはありません」
オムトの言う通り、この洞穴の隠れ家には多くの難民がいる。
普通であれば暖かい食事と布団が用意された生活を営んでいるはずだった。
それが魔族によって奪われてしまう。
住むところも最愛の命も尊厳も、すべて踏みにじられてしまった。
だからこそ、こんな洞穴でコウモリのような生活をしているわけにはいかない。
無様にも落ち延びた一国の姫として、私にはその使命がある。
「せめてレイティシア様と合流できれば……」
「オムト、その名を口にするなと言ったはずよ。あれは姉でもなければ姫でもないの」
「お気持ちは察します。しかし」
「言うことが聞けないの?」
オムトが押し黙った。
いけない。彼に八つ当たりするなんて。
でもお姉様、レイティシアは私の前から消えた。
一国の姫であることを捨てた。
あの人は卑怯者だ。
一番苦しいのは民だというのに、あの人は。レイティシアは。
「アンジェ姫ー……。いつおうちに帰れるのー?」
「ひめー、あそぼー」
「ママはどこー?」
ここにはまだ現実を認識できない幼い子ども達だっている。
でも時が経てば、いずれ理解するはず。
そんな子ども達に私は頭を撫でてごまかすことしかできない。
私もまた無力だ。
だから姉だけを責めるべきではないというのはわかっていた。
姉やオムトに八つ当たりすべきじゃない。
わかっているのだけど――。
「姉様はどうして……!」
ついに洞穴の壁を拳で打った。
壁にまで八つ当たりか。
私もいよいよ参ってるのかもしれない。
魔族との闘いが起こるたび、優秀な魔術師達が一人二人と倒れていった。
後退するにも命をかけなければいけない。
そうして辿りついたのがこのデイダラック渓谷だ。
運よく見つけた洞穴がなければ、どうなっていたことか。
洞穴から出たところで私は周囲を見渡す。
なんとかここを動かなければ。仲間を見つけなくては。
「冷静になろう……」
一人、そう呟いた時だった。
遥か崖の上から何かが見下ろしている。
逆光でよく見えないが、あれは人ではない気がした。
人であればあの異様に長い手足の説明がつかない。
「オムト! 敵襲だ! 難民を洞穴の奥へ!」
「ハッ!」
戦力は私とオムト、二十人程度の魔術師達のみ。
皆、今日までよく戦ってくれた頼もしい者達だ。
「が、崖を下ってくる!」
「しかも二匹だ!」
そいつ、いや。
そいつらは器用に跳ねるようにして、急斜面となっている崖を下ってきた。
一つは猿だ。長い手足と尾が印象的な魔族。
もう一つは筋骨隆々の人型の豚で、最後は全身が緑色の怪人だ。
頭の中心部分に皿のようなものが乗っているように見えた。
こいつは空中を泳いで下ってきている。
「ゲーラゲラゲラァ! ほぉーら! ゴウジョ! オレの言った通りだろぉ?」
「ソンゴ、おめーはホンットものを見つけるのがうめーな」
「ぶびびびっ! でも残飯食いはオデ、チョハッカが一番でんがな!」
先手必勝!
まとめて仕留める!
「氷属性上位魔術ッ!」
「あぎゃっ!?」
「うぉっ!」
「ぶっひぃ!」
三匹がみるみると凍結していく。
よし、次は――
「いきなりそれはねーわ」
凍りついたと思ったら皿頭の魔族がするっと抜けた。
まるで氷などなかったかのように宙を泳ぎ始める。
バカな! どうなってる!
「おーい! ゴウジョ! てめぇだけずるくねえか!?」
「おめーらも適当になんとかしろや」
「ったく……ふんぬっ!」
猿の魔族がりきむとあっさり氷が剥がれた。
豚の魔族は問題ないといった様子で、手で氷を払いのける。
これは。こいつらは。
「あのなぇ、オレら魔闘獣隊の中じゃいけてるほうなんだよぉ? ゲーラゲラゲラァ!」
「魔闘獣隊、三獣士。別動隊とも言うなぁ」
「ちょっとかっこいいだろ? ぶびび!」
猿の魔族が飛び跳ねて、皿頭の魔族が空中遊泳して迫ってきた。
そこでオムト他、魔術師団が総攻撃を開始する。
「雷属性上位魔術ッ!」
数多の雷の槍が三匹に襲いかかった。
いかに速かろうと光の速さには――
「知ってるか? そういうのしゃらくせぇってんだよ!」
猿の魔族が背中から棒を外して激しく回転させた。
一斉に放たれた雷の槍がすべてかき消されてしまう。
「ニョイボーのぉ……薙ぎ払いってやつだぜぇ!」
更に棒が伸びて、私達を掃除するかのように払った。
剣で受けきれず、全身に亀裂が入ったかのような激痛だ。
「うぁぁッ……!」
呻いて倒れ込んでしまった。
クソ、まだだ。まだ終わるわけには。
「あん? もしかしてもう終わりかよ? 猿知恵きかせた割にはそれか! ゲーラゲラゲラァ!」
「猿はおめーだろ」
「そうだった! ゲーラゲラゲラァ!」
オムト達もまとめて倒されたようだ。
呻いて起き上がれず、そこに皿頭の魔族と豚の魔族が向かっている。
なんということだ。
こうも呆気ないとは。
ダメだ。たった一発でとてつもない威力だ。
その証拠に洞穴の入口ごと削り取られているのだから。
「お? まだニンゲンがいるのかぁ?」
「アンジェ様ー!」
皆、奥へ避難させたはずだ。
なぜ出てきている。
「おいおいおいぃ! こんなもん守ってたのかよ! ゲラゲラゲラァ!」
「ソゴック。飽きたから終わらせようぜ」
ダメだ。体が動かない。
度重なる戦いの傷が癒えていなかったのか。
ここにきて立てないとは。
「ニンゲンちゃーん? 大人しく殺されよーねぇ? ゲラゲラァ!」
「アンジェ姫! 立ってくれ!」
「負けないでくれ!」
最後まで私を信じてくれているというのに、なぜ私は立てない?
目の前で父上と母上を殺されて、国を追われて。
民も守れず、私はなぜ生まれてきた?
「クソッ! 近寄るな!」
「いいねぇいいねぇ。その頭をぷちっと潰しちゃおうかなぁ? ゲラゲラゲラァ!」
こんな時、姉ならばどうしていただろうか?
やはり逃げ出しただろうか?
いや、今になってなぜかわかる。
姉ならばきっと――。
「はい、そこまでですね」
「あ?」
なんだ?
猿の魔族の前に誰かいる?
いつの間に?
「間に合ってよかったです。ここが反乱軍のアジトでしょうか?」
誰だ?
あの白いローブをまとった女は何者だ?
ダメだ。またもや逆光でよく見えない。
あれは姉上? いや――。
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