安堵の眠り
舞踏会から逃走した私を探してフォルカルキエ子爵家に来た騎士様たちは、屋敷内をざっと捜索していましたが、御者が言う通り誰もいないことを確認したようで、またエントランスの方に出てきました。
はっきりとは聞き取れないけど御者とまだ何か話しているようなので、この隙に私は勝手口から家の中に入り、こっそりだけどダッシュで屋根裏部屋に戻りました。
急いでドレスを脱いで普段着のボロワンピースに着替えると、メイクも手早く落としました。綺麗に結わえられていた髪も、適度に乱れた無造作寝癖ヘアくらいに崩して。
足の保護用に巻いてた布は外してる時間が惜しいので、そのままにしてボロい布靴を上から履きました。きついけど我慢。
完璧な寝起きリヨンちゃんの出来上がりです。
鏡でチェックして……大丈夫!
さあ、これからアリバイ作りに行かなくちゃ。
階下を窺うように階段を下りエントランスに向かうと、ちょうど御者が玄関の扉を閉めたところでした。
「どうかしたの?」
さも眠たそうに目をこすってみたりあくびをしてみたりと『寝起き感』を演出しつつ御者に聞きました。
「ああ、お嬢様。起こしてしまいましたか」
「こんな時間に誰か来ていたの? なんかザワザワしてたけど……」
「静かにするように言ったのですが、申し訳ございません。お城の騎士様が来られて『令嬢は帰ってないか』と聞いてこられたのでございますよ」
「まあ? お義姉様が?」
「はい。リヨン様は最初から舞踏会には行っておられませんから、リール様かニーム様のことと思います。騎士様も『今日の舞踏会に出ていた令嬢だ』と申しておりましたので」
私は確認の意味も込めて『お義姉様』と言ったら、御者はなんの疑問もなく頷きました。よしよし。末端の騎士様には王子様の探し人が『リヨンという娘』だということまでは伝わってませんね。
これでまた逃げる時間稼ぎができる——一瞬にやけそうになりましたがここはぎゅっと引き締めて。
「あんなに舞踏会のこと楽しみにしていたのに、お義姉様ったらもう帰ってきちゃったの?」
「いいえまさか! お迎えに行っておりませんし、他所の馬車で戻られたということもございません」
「そうよね。それに、お義姉様たちが静かに帰ってくるとは考えにくいものね」
「はい」
御者もそう思ってたのね。深く頷く姿に笑いそうになりました。
「何があったのかよくわからないけど、とりあえずお義母様たちは帰ってきてないんだし、もう少し寝ましょう。帰ってきたらまた忙しくなるわ」
「そうなさいませ。お起こししてしまって申し訳ございませんでした」
「いいのよ。おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
私と御者はそう言って各々の部屋に戻って行きました。
屋根裏部屋の扉をそっと閉じると、自然と大きなため息が出てきました。う〜ん、自分でもわかってなかったけど緊張してたのかな。
それはいいとして、とりあえずアリバイ完了です。
お義母様たちが帰ってきて、『サンドリヨンがお城にいた!』と騒いでも『いえ? こちらにいましたよ?』と御者は証言してくれるでしょう。
私は舞踏会の時間、ずっと家にいた、と。(実際はキセルみたいなもんだけど)
そしてそのあと行方不明になった、ってね!
王子様は逃げた娘のことを『フォルカルキエ子爵令嬢』と言ってたけど、リヨンはずっと家にいたから舞踏会の令嬢ではない。じゃあ、あれは誰? となるはず。
さ、一息つくのはまだ早い。ここからは急がなくちゃ。
「このドレスは証拠品になっちゃうからここに置いとけないわよねぇ……。この屋敷のどこかに隠したら、あの令嬢はやっぱりフォルカルキエ家につながりがあるとバレてしまうから……どこか子爵家に関係ないところに捨てる方がいいですね。できれば燃やしてしまいたいけど、煙が出たら怪しまれるし」
せっかくアリバイまで作ったのに部屋に置いていっては元も子もないでしょ。
元はとっても素敵だったドレスなのに、森の中を歩いてきたせいで葉っぱや小枝がひっかかり、すっかり汚れてしまってます。しかも大胆に破れてるし(あ、これは作為的なものか!)。
私はドレスを無造作に丸めて、適当な麻袋に詰めました。
ドレスの布を巻きつけた両足は、靴を履くためにいったん布を外したら、思っていた以上に傷は深かったようで、布が血まみれになっていました。
「うわぁ。結構血が出てたのね」
見なきゃよかった……とは後の祭り。
しかもまだ血は止まってなくて、少し疼きます。でも今は何もできないのでとりあえず清潔なハンカチで巻き直しました。これはおばあちゃん家に行ったらちゃんと診てもらった方がよさそうですね。
きついけど靴を履いたら準備万端です。
私はドレスを入れた麻袋と、前から用意していた家出荷物を手にすると、またこっそり勝手口から家を出て行きました。
町中にはまだ酔っ払いと騎士様がウロウロしていました。
「男の人たちは本当に夜通し飲むつもりね。いつもうるさく言う女将さんたちがいないからって、羽目を外しすぎでしょ。そして騎士様たちは、私を見つけるまで帰れない、とか? 連れて帰ってこなかったら、王子様、怖そうだもんね〜」
私はお城から帰ってきた時同様、避けたり隠れたりながらおばあちゃん家を目指しました。いつもなら十分ほどで着く道のりが倍以上かかったけど、身の安全には代えられないですからね。
酔っ払いにも騎士様にも不審者にも捕まることなく、なんとか無事におばあちゃん家に着きましたが、まだ夜明け前。辺りは薄暗く、今が何時かわかりませんが、おばあちゃんは寝てるはず。老人は朝が早いっていうけど、さすがにこんな早朝に訪ねて行くわけにもいきません。
「朝までどうしよう。このままここにいたら騎士様に見つかっちゃうしなぁ」
家と家の隙間に身を潜めておこうかとか、塀の内側に隠れていようとか色々考えているうちに、おばあちゃん家には納屋があったことを思い出しました。
『おばあちゃ〜ん。まだ加工してない薬草の束、どうする?』
『それは納屋にしまっておいておくれ』
『納屋?』
『裏から出たらあるよ』
『は〜い』
おばあちゃん家を片付ける時に教えてもらった納屋は、薬草や道具をしまうためにあり、決して大きくはありませんが人一人入っても大丈夫な広さがあったはずです。
とりあえずそこで朝まで潜んでおきましょう。
私は家の裏に回って、おばあちゃん家の納屋に潜り込みました。
納屋の中に収まるといろんな疲れがどっと押し寄せてきて、うとうとしてしまったようです。気がつけばすっかり日が昇っていました。
「うお。今何時? 寝過ごした?」
慌てて起きて、納屋から顔を出しました。まだ朝早い、かな?
ドレスの入った袋はチャンスを見て処分するとして、しばらくここに置かせてもらいましょう。そもそも麻袋に入った薬草なんかが積まれている場所、麻袋が一つ増えたって気付きもしないしむしろ馴染んでるというか。
私は家出荷物だけを持って納屋から出ました。
「表は……まだ危ない、かな」
玄関の方——表通りにはまだ騎士様たちがうろついてるかもしれないので、そのまま裏口からおばあちゃんを呼んでみることにしました。
「おばあちゃん、おばあちゃん、いる? リヨンだけど」
時間によってはもうおばあちゃんはお店に行ってるかもしれないけど、とりあえずノックして呼びかけました。
「なんだい、こんなところから」
家の中からごそごそと音がしたかと思うと、おばあちゃんがひょっこりと扉から顔を出しました。在宅でよかった。
「子爵家から暇もらってきたの。今日からよろしく」
「ま〜た急だねぇ、この子ったら。……まあいい、早く入りな」
「は〜い!」
ありがたいことにおばあちゃんは私を一瞥しただけで、特に何も聞かず家の中に入れてくれました。
思っていたよりも時間は過ぎていなかったようで、時間は朝の八時過ぎ。おばあちゃんはまだ朝食の途中でした。
私にもパンとスープを出してくれたので、ありがたくいただきます。
「じゃあ今日からここで暮らすんだね?」
「うん、お世話になります。急でごめんね」
「まあそりゃいいんだけど。お店はしばらく無理そうだね」
「なんで?」
唐突なおばあちゃんの言葉に、私は首を傾げました。
〝リヨン的事情〟では、まだ騎士様が私を探して町中をうろついてるからお店に立つのは危険度が高いけど……おばあちゃんはそんな事情知らないはず。なのになぜ?
私がキョトンとしていると、
「あんた、熱があるでしょ」
おばあちゃんが私の顔をじっと見ながら言いました。
「え? 熱?」
「そう。顔が赤い」
どれどれ、と言っておばあちゃんが私のおでこに手を当てるとひんやり気持ちがいいです。
納屋でさっきうたた寝したから風邪引いたのかしら?
足の傷はまだ疼くけど、頭は痛くないし。
「やっぱり熱があるね。……どこか怪我してないか?」
じろり。
おばあちゃんが私の目をじっと見てきました。
「え? 怪我? 病気じゃなくて?」
「そう。病気の兆候はない。これは傷からきてるね」
おばあちゃんは断定的に言います。
怪我って……足の傷? まあちょうどよかった。おばあちゃんに診てもらおうって思ってたんだったわ。
「……あ、あの、足の裏を、ちょっと……」
「見せてごらん」
そう言うとおばあちゃんは立ち上がり、テーブルを回って私の前に来ると私の足をとりました。
「血は止まってるけど、これ、悪い汚れが入ってるね」
「ええっ?」
ハンカチを解き傷口を見たおばあちゃんが言いました。悪い汚れって、ばい菌とかかな?
「化膿しかけてるよ。だから熱があるんだ」
「そうなの?」
「ああ。しかしこれはどうしたんだい?」
「ええ、と……昨日お屋敷でお皿を割っちゃったの。それを片付けてる時に不注意で踏んでしまって」
おばあちゃんに深夜の逃走劇は口が裂けても言えません。私はとっさに話を作りました。
私の顔をじっと見てくるおばあちゃんの目を、こちらも逸らさずじっと見ながら説明しました。キョドキョドしたら嘘ってバレやすいけど、こうして堂々と言えばバレにくいはず。でも苦しいい訳だから深く突っ込まないで!
なんか不思議な間があったけど、おばあちゃんはふっと息をつくと立ち上がりました。
「……ふうん。これはしばらく安静だよ。今すぐ薬を取ってくるから、リヨンはじっとしてな」
「はい」
そう言って薬を取りに行ってくれました。
「うえ。苦い」
「良薬口に苦しって言うだろ。黙って飲む」
「ふぁい」
傷口を消毒してから薬を塗ってもらうだけでなく毒消しの薬を飲むと、疲れとか傷の痛みとか、熱のだるさとかが一気に押し寄せてきました。
私の部屋にと整えておいた二階の部屋のベッドに横になると、勝手にまぶたが落ちてきます。
「……しんどい」
「よしよし。傷が良くなるまでしばらく安静にしておきなさいな。ご飯は私がやってやるから、リヨンは何も気にせずゆっくりしてたらいいんだよ」
「……ありがとう」
おばあちゃんの優しさが沁みます。久しぶりに弱音、吐いたかも。
何も考えずに眠るって、何年ぶりかしら。
これからのことは、目が覚めたら考えよう。
おばあちゃんが私の髪を優しく撫でてくれる心地よさにホッとしながら、私は眠りに落ちました。




