逃走中!
王子様はお義姉様たちが足止めしてくれています(図らずも)。
今のうちに会場を……いや、会場と言わずお城を脱出してしまわなくちゃ!
今日はゲストが多いのがわたし的には幸いしています。だって、どこを見ても『人・人・人!』だから!
木を隠すには森の中って言うしね。人もしかり。
そして私が人ごみに紛れて目指すところはたった一つ、最初に確認しておいた逃走用の扉。
私はひしめき合う人々の間を縫うように移動し、扉を目指しました。
幸い誰にも止められることなく扉の近くまで来れましたが、これは勝手に開けて出て行っていいものかしら? 躊躇われたので少し様子を窺っていると、その扉は使用人が料理や飲み物を補充するのに使われているようで、頻繁に開閉しています。
「これなら私が開けて出て行っても怪しまれないわね」
私はこっそりではなく堂々と扉を開けて外に出ました。
あっけなくと言ったらなんですが、とにかくあっさり舞踏会会場から出ることができました。
あとはこのお城を脱出するのみ。
足早にエントランスを目指します。
順路はわかってます。焦る気持ちはあるのですが走ると靴音が派手に響くので、できるだけ早足でエントランスに向かっていると、
「おや、どうなされましたか?」
明らかに舞踏会途中で抜け出してきた私に、騎士様が声をかけてきました。
ここはお城。そして今日は舞踏会。場内警備の近衛兵や使用人がウロウロしてるんですよ。
「あの……馴れない舞踏会に疲れてしまって……」
エントランスの方を指差し、帰る意志を伝えました。舞踏会に紛れた盗賊と思われちゃ困ります。
「ああ、そうでしたか。ではお気をつけて」
「ありがとうございます」
疲労感を漂わせてそう言えば、騎士様は疑うことなく通してくれました。
おそらくもう何人もそういうリタイヤがいたのでしょう。それからも何人か近衛兵や使用人に出会いましたが、特に怪しまれることなく「お気をつけて」と送り出されるばかりでした。ほんと、今日が国中の女の人を招待した舞踏会——要するに庶民から貴族まで貴賎問わず——でよかったです。貴族だけだったらお一人様で途中リタイヤとかなかなかないですしね!
とにかく急ぎ足で廊下を進んでいましたが、人気が途切れたところで駆け出しました。一刻も早くここから出たい。
エントランスを抜けると真正面に見える門を目指します。
たくし上げたドレスの裾をなびかせヒールの音も高らかに、夜のお城を駆け抜けます。
しかしこの靴、本当に強化ガラス製(?)なんですね。足に響く衝撃は硬質だけど、全然割れる感じがしない。でも靴底もガラスだからグリップしないんですよねぇ。どうせならスパイクつけといて欲しかった。
なんて思っていると、やっぱりというかなんというか。
「あっ!」
足元に衝撃が走りました。
小さな石を踏んだのでしょう。ガリッという音がしたかと思うと私の体はバランスを崩し、その拍子に靴が片方脱げてしまいました。
靴脱げた〜〜〜っ!! ちょ、これ、物語通りじゃないの!!
思わずセルフツッコミ。
うわぁ、本当に脱げちゃった!! 早く拾って履きなおさなくちゃ。
私は数歩後ろに落ちている靴を拾うためにいったん止まろうとしたのですが。
「令嬢がいなくなったそうだ! 探せ! まだそんなに遠くへは行ってないだろう」
「水色のドレスに金の髪が特徴の令嬢だ! 探すんだ!」
あ、拾ってる時間なさそうです。
お城の中からそんな声とともに大勢の足音が聞こえてきました。やばい。トンズラしたのがバレたようです。
物語では、片方のガラスの靴を拾った王子様がそれを手がかりにサンドリヨンを探すんでしたね。そしてサンドリヨンは大事に持っていたもう片方を見せて『自分が本物』だと証明したんでしたっけ。
じゃあそんなリスキーなもん(私がサンドリヨンだっていう証拠品)、放棄するに限る!
片方脱げたんなら両方脱いじゃえ!
ちょうどいいや、裸足の方が走りやすいし。
私は躊躇うことなくもう片方も脱ぎ捨てて裸足になるとまた走り出しました。
開きっぱなしだった門を抜けてお城の外に出る頃には追ってくる人たちの音がかなり近くに迫ってきていました。
「急げ!」
「騎馬隊は先に行け!」
「歩兵隊は周りに注意を払いながら行け」
走る靴音、馬の鳴き声、指示する声。
たかだか女子一人捕まえるために何人投入してるのよ! てゆーか、騎馬隊まで出さないで! 馬で追いかけられたらあっという間に捕まっちゃう。私は罪人か〜い!
ドレスも髪も明るい色だから、下手に動いたら見つかる危険性大。ここはしばらく身を潜めて追手をやり過ごすのがいいですね。
私は道の両脇に広がる森の中に分け入り、暗がりに隠れました。
キラキラする金髪が目立ってはいけないので、そこら辺に落ちてる葉っぱのついた枝をカムフラージュに、ドレスのドレープはできるだけかき集めて、なるべく茂みに体を隠して。
どれくらい身を潜めていたでしょうか。
馬の蹄の音も、歩兵隊が周囲を探す音も、静かになったのを見計らって私はそっと隠れていた茂みから出てきました。それでも道を行くのは危険なので、道沿いの森の中を慎重に進みましょうか。いつでもまたすぐに隠れられるし。
人の気配に気をつけながら歩いていると、
「痛っ!」
パキッという音がしたと同時に足裏に走った痛み。
「あちゃ〜。枝を踏んじゃったか」
その場に座って確認すると、刺さってはいませんがどうやら切ったようです。周囲に気を配りすぎて足元なんて注意してなかったから、いつの間にか足の裏は大小傷だらけの血だらけ。当たり前か。裸足で森の中歩いてたらこうなるわな。
「このまま裸足で進んだら、家に帰り着く頃にはさらに血まみれの惨状間違いなし」
子爵家まで点々と続く血の足跡……って、どこのホラー映画ですか。やだやだ。
靴は脱ぎ捨ててきたから、何か足を覆えるものがあればいいけど……ハンカチとか。でもハンカチ持ってないや。
どうしよう。
その場でしばらくじっと考えていた私。ハッと閃きました。
……そうだ、ドレスを使えばいいじゃない。
適当にドレスを破って足に巻きつけて、とりあえず裸足回避しましょうか。今使えるものってこれくらいしかないし。
そうと決めた私はドレスの裾を掴みました。
握りしめた布の感触はしなやか柔らかく、夜のかすかな光の中でさえつやつやと光沢も申し分なし。
見たらわかる高いやつやん。じゃなくて。
破るのに躊躇うほどの高級品。しかも私のドレスじゃないし……。
「いやいや、借り物ドレスだけど、無理矢理押し付けられたんだから返す義理もないっての!」
私は自分を納得させてから、ビリリッと裾から膝丈くらいまで一気に引裂きました。女は度胸!
引き裂いた布を何重か足に巻きつけて簡易の靴(地下足袋?)にしました。ついでに、出血してるところは厚めに巻いて包帯代わりに。
「よし、いける」
私は何度か地面を踏みしめ、感触を確かめました。傷は痛みますが歩けないことはなさそう。
私は再び歩き出しました。
「物語の中のサンドリヨンてさぁ、魔法解けてからどうやって帰ったのかしら」
ぼちぼち歩いて街まで帰ってきました。ブツブツ文句……ではなく、独り言を言いながら。足がズキズキと疼くので、それから気を紛らせるために。
「ガラスの靴は片方落としてきてるし、かぼちゃの馬車はただのかぼちゃに戻ってるし。いや、マジで気になってきたわ。どうやって帰ったかわかってたら、私だって真似してたっちゅーの」
片方だけじゃ歩きにくいからきっともう片方も脱いでるはず。つまり、今の私と同じく裸足でしょ? 家に着くまでに絶対怪我してるって。
これを研究して『サンドリヨンはいかにして無事帰宅したか?』ってなかなか面白い論文書けるかも。
なんて現実逃避しながら歩いていると、町の明かりが見えてきました。
「とりあえず、帰ってこれた」
一瞬ホッとしましたが、気を緩めるのはまだ早い。町はまだ酔っ払いたちが騒いでいます。まだ夜中の十二時過ぎだから『夜はまだまだこれからさ!』なんて嘯いてるのかしら。女の人たちなんて、今夜は夜通しパーティーするんだもんね。
町まで帰ってきたのが第一関門だとしたら、家に着くまでが第二関門てところかしら。
ここからは酔っ払いたちに絡まれないよう、慎重に道を選びながら家を目指します。
「居酒屋は市場とかその周辺が多いけど、宅飲みしてるってこともあるしね」
壁に隠れたり、物陰に潜んだりしながら道を選びんでいきます。
「そっちはいないか?」
「はい、酔っ払いの男どもが騒いでるだけですね」
「そうか。引き続き探せ!」
「はっ!」
人の気配を感じてよそ様の家の影に隠れたら、騎士様が捜索しているのに出会いました。
そうだ、まだ騎士様もうろついてるんだった。
いつもは町の警備をしてくれていて頼もしい騎士様なのに今日は憎らしいったらありゃしない。
しばらく息を潜めて隠れ、気配が無くなったところで安全確認してから、また人気のない暗い路地へと走り込みました。
こういう時ですが、使用人やっててよかったーなんて思ってます。
だってお嬢様だと町の中の様子や、どの道が危ないとか、わからないでしょ? 使用人してるとなんとなく町中に詳しくなるから、安全な道を選べるってわけ。
今日はちょっとくらい遠回りしてもいいから、とにかく安全第一。
酔っ払いだけじゃなく、まだウロウロしている騎士様たちからも隠れながらね!
いつも以上に時間をかけて、ようやくうちにたどり着きました。
子爵家とは道を挟んで向かい側のお屋敷の塀に身を隠し、どうやって家の中に入ろうかを考えているところです。
なぜなら、玄関に、騎士様が数人来てるから……!
いや、普通に考えて当たり前ですよね。だって王子様は私のことを『フォルカルキエ家の令嬢』だって知ってましたから。
いなくなったらまず家を探しに来るのは当たり前。大事なので二度言いました。
「お嬢様はまだ帰ってきておりません」
「本当に本当に本当か?」
「はい。何度も申し上げましたように、迎えも、明日の昼頃とお聞きしております」
「それは……確かに明日の昼頃の解散予定だが……」
うちの唯一の使用人——御者を捕まえて、騎士様はものすごい念の押しようです。御者は、同じ質問をもう何度もされたようで、若干うんざり気味に答えています。
ナイス、御者!
騎士様は『フォルカルキエ子爵令嬢』と聞いただけで、リールなのかニームなのか、そしてリヨンなのか、名前を言ってませんからね!
王子様、抜かりましたね。ありがとうございます。
「家の中を探させてもらってもいいか?」
騎士様がずいっと詰め寄りました。
あ、家の中はやめて。『ご令嬢』はいないけど、『私』もいませんから!
『家の中には誰もいない』
騎士様的にはなんの問題もありませんが、御者的には『リヨン様がいない』ということに気付いてしまいます。
私は舞踏会に行ってないはず(送って行ってない)なのに、どうしてこんな深夜に姿が見えない? と疑問に思って、何かしら騎士様に余計なことを言ってしまうかもしれない。
まずい。
こそっと裏口から家に入る? そして屋根裏でさも寝てたかのような演技、できる?
私がそっと裏へ回ろうとした時。
「私の他に使用人が一人いるだけですが……もう休んでおりますので、起こすのは忍びのうございます。朝から晩まで働き詰めでございますから、疲れているのです。そっと静かにしてくださるならどうぞお入りください」
御者がきっぱりと騎士様にお断りをしてくれました。
御者〜!! 私のことをそんなふうに思ってくれてたなんて! ……うるっときちゃいました。
「そ、そうか。わかった。では案内せよ」
「かしこまりました」
騎士様も了解してくださったようで、一同は屋敷の中に入って行きました。
「この隙に裏口へ回ろう」
私は普段の出入りに使っている裏口に回り、台所の窓から中の様子を伺うことにしました。
勝手口の扉に耳を当てれば、ちゃんと屋根裏部屋で寝ている私に気を使って控えめな足音ですが、それでも家の中を歩き回っている音が聞こえます。
「わたくしは専ら外仕事ばかりですから、中のことはちょっとわかりかねるのですが……」
と、御者の困ったような声が聞こえてきたりします。
そういえば今日、お義母様たちの部屋掃除してない。
ということはあの〝汚部屋〟を騎士様たちに見られたってこと……? うわぁ……。
『フォルカルキエ令嬢の部屋は汚かったであります!』
なんて報告されたらどうしよう。私の部屋はいつでも整理整頓、ピッカピカなのに!
あ、でも、その報告を聞いた王子様が幻滅して諦めてくれるかも?
よし、ここはポジティブシンキングよ。




