手応え?
「きゃ〜! トロワ!」
「あ、ごめんごめん」
いきなり抱きしめられてびっくりした私が思わず叫ぶとトロワが慌てて離してくれました。
やきもちかどうか分からんモヤモヤを可愛いと言われても!
あ〜、でもすっごいドキドキした。まだ心臓バックンバックンいってる。
「だってリヨンが可愛いこと言うから」
「言ってないし! もう!」
「だからごめんて」
それでもニコニコ笑ってるトロワに赤くなった顔を見られないよう、そっぽを向いておきましょう。
家に帰るとここからは大忙しです。
お義母様とお義姉様たちはどこかのお茶会にお呼ばれしていて留守ですが、帰ってきたらすぐに夕飯だのなんの言い出すので準備を急がなくちゃいけません。
買い物カゴから食材を取り出し、
「スープとパンと、サラダ。メインディッシュはステーキのリクエストだったわね。しかもこってりソースって……。これだから太るんだよねぇ」
スープの下ごしらえをしながら今日の献立を確認します。
お義母様たち、もともとぽっちゃりさんだったのに、最近さらに肉厚が増したみたいでドレスがきつくなってきたらしいんです。体型変わるとまた新しいドレスを新調しないといけないから出費がかさむ! せっかく私を使用人にしてまで削った出費を浪費に回さないでほしいです。こうなったらこっそりダイエットメニューにすり替えていこうかしら。痩せなくてもいいからせめて現状維持のままで。
そうこうしているうちにお義母様たちが帰ってきました。
「サンドリヨン! 帰ったわよ!! 出迎えなさいよ!」
「サンドリヨン、靴脱がせて〜」
「サンドリヨン、ドレス脱がせて〜! ああ疲れた。私眠い」
「はい、ただいま!」
それまで私しかいなかったので静かで落ち着いていたお屋敷が、一気に騒がしくなります。まるで『サンドリヨン大セール』。あんまり連呼しないでいただきたい。
よそ様で盛大な猫をかぶっていたからお疲れなのでしょう、各々ソファーにだらしなく座りこんで動こうともしません。
そして私は三人の間でてんてこ舞い!
お義母様の髪をほどいたり、リールの靴を脱がせたり、ニームのドレスを緩めたり。ねえ、靴くらい自分で脱いでくださいよ。だから太……あっ、失礼!
三人の間を忙しなく動き回り普段着に着替えるのを手伝ったところで一旦落ち着くかと思いきや、
「サンドリヨン! 今日の夕飯は言っておいたステーキでしょうね? さっさと用意しなさい」
もう夕飯の催促です。
ええ〜……。あなたたちさっきまでお茶会行ってて、たらふくお茶菓子食べてきたんじゃないんですか? だから太……以下略。
「今すぐご用意いたします!」
さっさと仕込みしておいて正解でした。
サラダと温め直したスープを食べてもらってるうちにステーキを焼いて……と、順番を考えながら各自のお皿にスープを注いで回ります。野菜をたっぷり入れてありますから、かなりお腹が膨れてダイエット効果アップ。しかもお肉の量も減らせて家計にも優しい。どんどんお代わりしてください。
「あら、野菜のスープ? 私が野菜嫌いって、何回言えばわかるの?」
ブツブツぶーたれるニームですがそんなの無視無視。
しれっとスープを注いでいたら、ニームは眠いのかしきりに目をこすっていました。そんなにこすっちゃ、濃ゆいメイクが落ちちゃ……あ、遅かったですね。コテコテに塗られた濃い紫のアイシャドーが擦れて目の周りに付いてしまってパンダ顏です。あらら、ニームったら顔が大惨事ですよ! だから濃いお化粧は……あっ。
お化粧といえば。アルルちゃん、大丈夫だったかしら。
アルルちゃんを送り出してからのあれやこれやですっかり忘れてましたが、アルルちゃんは幼馴染くんに告白できたんでしょうか?
アルルちゃんには幸せになってほしいけど、それはつまり彼女(一緒にいた人)からの略奪を意味するってことで。やっぱりそれはいただけないなぁ。
私としては、略奪された方の気持ちがすごくわかるから複雑な気分です。
今度アルルちゃんに会ったらどうなったか聞いて——
「ぎゃ〜!! サンドリヨン!! あっついあっつい!!」
ニームのパンダ顏をぼーっと見ながら考えにふけってたら、手にしていたスープをニームのスカートの上にドバドバこぼしていました。
あらやだもったいない!! ……ちがくて。
「申し訳ございません! 手が滑ってしまいました」
はい、大嘘です。ボーッとしてました。
大急ぎでセットしてあるナプキンを取りスープを拭き取りました。落ち着いたところで台所から氷水を持ってきてダオルを浸して冷やします。
処置が早かったのとこぼしたのが服の上だったので、太ももの皮膚が赤くなったくらいで済みましたが、お義母様とニームはカンカンです。
「何やってるの、サンドリヨン!」
「すみません!」
「そうよそうよ! 嫁入り前の綺麗な体に傷なんてついたらどうすんのよ」
「申し訳ございません!!」
「罰として今日の夕飯は抜きよ!」
「わかりました」
平謝りの私にお義母様は罰を下しました。
夕飯抜きですか。さっきちょっと味見でスープ飲んでいてよかったです。
その後もネチネチと嫌味を言いながらお酒を飲むお義母様たち。やらかしたのは私ですから、甘んじて受け入れますけどやけに今日はねちこいです。
うちのストックを全部飲み干す気なのか、どんどん進むお酒。これは明日大量注文コースですね。トロワ、細いけど配達大丈夫かなぁ? ていうか、もう足りなくなるかも。さすがにこれから買いに出るってこともできないしなぁ。
「もっと持ってきなさ〜い!! おつまみもどんどん作ってちょうだい!」
「はい、ただいま!」
仕方がないので薄めのお酒を作って出します。水で薄める作戦です。いつ私は飲み屋のお姉ちゃんに転職したんですかね!?
私からグラスを受け取ると煽るように飲む義母義姉たち。
そしておしゃべりも、私への嫌味から、今日のお茶会の愚痴へとどんどんシフトしていきました。
「ああもう、思い出しただけでも腹がたつわ○○伯爵夫人のやつ! 私たちのことをバカにして!!」
お酒で饒舌になったお義母様の口から出てきたのは、今日のお茶会のホステスでもあるお貴族様の名前。
ふむふむ、どうやら今日のお茶会で嫌なことを言われたんですね。
だから、私で鬱憤晴らしをしてたのね。
もう飲みねえ飲みねぇ。飲んで忘れちゃえ〜! ついでにさっきの粗相のことも忘れてください。
でろんでろんに酔っ払ったお義母様たちはすっかり上機嫌で部屋に戻って行きました。まあ最後は機嫌よく眠れてよかったんじゃないでしょうか。
次の日。
「あら。なんで私の足、赤くなってるのかしら?? それより二日酔いで頭がいたい……」
私がスープをこぼしたことを都合よく忘れてくれているニームでした。
お酒を飲んでぐっすり眠ったお義母様たちと反対に、私は昨日からのあれこれを考えていたら眠れませんでした。
アルルちゃんにはいいことをしたはずなんだけど、心にかかるものがある……。略奪の手助け……。うう〜っ、悔やまれるっ!
アルルちゃんに会いたいけど、会うの怖いなぁ。
それからトロワ。
私ってばなんで急にやきもちなんて焼いちゃったんだろ?
付き合いの長いショーレならまだしも、ぽっと出のトロワよ? 優しいけど見た目はもっさり……って、ノーモア・イケメンだからストライク? もっさりしてるのにたまにドキっとすること言っちゃうからギャップ?
ああもう、わかんない!!
とりあえず昨日のことはなかったことにしようそうしよう。
きっとトロワも、そんな深い意味ないと思うわ。
昨日深酒をしたお義母様たち、そんな次の日はいつもお寝坊と決まってます。
「今日はあの人たち予定なかったわよね。ということは一日中家にいるから、今のうちに買い物に出ますか」
三人の予定を思い出し、うるさいのが寝てる間に買い物に行くことにします。どうせ起きてきても昼過ぎ。お昼ご飯までに帰って来れば大丈夫。
「寝た子は起こすな〜ふふ〜ん。まずはトロワのところに行ってお酒を注文しなくちゃ……って、顔合わせ辛っ! ……平常心、平常心よリヨン。いつも通りにいきましょ」
家を出た時には鼻歌を歌ってたけど、トロワのことを思い出したら意識しちゃって顔が引きつってしまいました。いかんぞリヨン。
いつもなら酒屋さんの誰かが御用聞きに来てくれるのを待つのですが、今日はお酒のストックが底をついてしまっているので直接注文に行くことにしました。そしたら夕方には届けてくれる、便利なシステムなのです。
市場の中を真っ先に酒屋さんに向かいました。
「いらっしゃいませ」
接客に出てきたのは、ここのオーナーさん——トロワのお父さん?——でした。
な〜んだ。ドキドキしながら来たのに、肩透かし食らった気分です。
でもこれで気分は軽くなりました。
「フォルカルキエ家の者ですが、お酒の配達お願いします」
「はいはい、いつもありがとうございます」
ニコニコと注文を受けてくれるオーナーさんは頭頂部が寂しくなっ……いいえ、すっきりとした人の良さそうなおじさんです。
う〜ん、ニコニコしているのはトロワも同じだけど、あんまり似てない、かな? 髪の毛のせい……? トロワはもっさりとした黒髪なのにオーナーさんは金髪。トロワはお母さん似なのかも。
しかしトロワ、どこにいるのかしら。
ついつい目で探してしまいますが、私があれやこれやと注文している間も、店の中にも外にも、トロワの姿がありません。
「いつも配達に来てくれるトロワは、今日はいないんですか? じゃあ配達は違う人なのかしら」
さりげなく、本当になんでもないような感じでオーナーさんに聞くと、
「ちょうど今別のところに御用聞きに回ってるところなんですよ。夕方の配達はいつも通りトロワが行かせていただきます」
「あら、そうなんですね。わかりました」
ただの外出中だったようです。
顔合わせなくてホッとしたような、がっかりなような。
酒屋さんでの注文を終えたので、他の買い物を済ませようと市場の中を歩いていると、
「リヨンちゃん!」
花屋さんのところでアルルちゃんに呼び止められました。
「アルルちゃん! おはよう」
いつも明るく元気なアルルちゃん。今日はいつも通りのすっぴんに戻ってますが、いつもよりさらに一層輝いて見えるような……。これは、ひょっとして。
「リヨンちゃん、昨日はありがとう。リヨンちゃんが、魔法をかけてくれたおかげで、私、頑張れたの」
店先から出てきて私の手を取り、瞳を潤ませて見つめてきます。
「そ、そっかぁ! ……それで、どうだった?」
「うん! なんと、上手くいったの!!」
マジですか〜!!
頬を染めてはにかむアルルちゃんに眩暈を覚えました。
上手くいってよかった。よかったんだけど……複雑。
「……リヨン、ちゃん?」
「あ、ごめんごめん! よかったじゃない! ねえ、話聞かせてくれる?」
私の中で〝やったね! アルルちゃん!〟という気持ちと〝やっちまったね、アルルちゃん……〟という気持ちがないまぜになってリアクションしそびれてました。
「聞いてくれる? ほら、幼馴染が一緒に歩いていた女の人がいたって言ってたでしょ」
「うん」
それが私の罪悪感の全ての原因ですよ。忘れるもんですか。
「あの人ね、〝彼女〟じゃなかったの」
「え? まさか〝彼〟だったの?」
「何言ってんのリヨンちゃん! 違う違う!」
「あ〜びっくりした〜。じゃ、じゃあ彼女じゃなかったって」
「恋人じゃなかったってことだよ」
そう言って呆れ顔で笑うアルルちゃん。
あ、ああ! そうでしたか! 私ったら焦っちゃっておかしなこと言っちゃいましたね。
「恋人じゃなかったって、じゃあなんだったの?」
「あの人は友達の恋人なんだって。女心について相談してただけらしいの。あ、それって、私のことなんだけどね。ちなみにあの時、その友達も反対側にいたらしいんだけど、私ったらパニクってたからちっとも気付かなくて」
早とちりしちゃった、と舌を出すアルルちゃん。
「……ということは、普通にめでたしめでたしの両思いってこと?」
「そういうことだね。えへへ」
テレテレと笑うアルルちゃんはめちゃ可愛いけど。
なんだよ〜。略奪でもなんでもなかったのかよ〜。
ただのハッピーエンドだとわかると、私の足から力が抜け、その場にしゃがみ込んでしまいました。アルルちゃんが慌てて支えてくれます。
「リヨンちゃん!? 大丈夫?」
「大丈夫! あはは、よかった。ただのハッピーエンド万歳! アルルちゃんよかったね!」
「?? うん、ありがとう」
私の言葉にきょとんとしながらもアルルちゃんはお礼を言いました。いいのいいの気にしないで!
これで昨日から重たかった気分がすっきり軽くなりました。むしろ私もハッピー! 今夜はぐっすり眠れそうです。
「ああ、リヨンちゃん、それでね」
「ん? なあに?」
「この話を友達にしたらね、その子もリヨンちゃんに魔法をかけてほしいって言って……」
「えっ!?」
「その子も片想いしてる男の子がいるんだけど、勇気がなくて言えないんだって。だからリヨンちゃん、私の時みたいにあの子にも魔法をかけてあげてほしいの! お願い!!」
「え、う、うん、いいけど……」
これは……。ひょっとしたらいい流れになる……かも?




