トロワという人
「午前中は御用聞きとか配達をしてるから店にはいないけど、午後からは店にいると思うから。市場に来ることがあったら遊びに来てね」
そう言ってふわっと微笑むトロワ。
そういえば私、市場にはほぼ毎日行ってるけど、酒屋さんは御用聞きしてくれるから行ったことなかったですね。たまにはお酒の種類とか見に行くのも楽しそう。あ、お酒はたしなみとして飲めますよ。たしなむ程度でやめておきますが何か? お嬢様が酒豪とか、ちょっとアレでしょ。前世はよく飲んだなぁ。夏のきりっと冷えたビール……サイコー! 麦ウメェ。……ちがうか。
「ありがとう」
後で買い物ついでに寄ってみますか。
午前中の仕事をさっさと終わらせお義母様たちにお昼ご飯を食べさせたら、私は愛用のマルシェかごを手に市場に出かけます。明日の朝食に必要なものとか日用雑貨を買いに行かなくちゃ。
今夜お義母様たちはどこぞのお家でパーティーなので、あの人たちの夕飯は必要ないから楽チンです。私一人分のご飯を用意するだけだから、手抜きの適当ご飯でいいか。残り野菜のスープとパンでオッケー。
あ〜でも、こういう時コンビニとかあったら便利なんだけどなぁ。ひとりご飯作るの面倒な時なんかに、お弁当買っちゃったり。作るのが面倒だからといって町の食堂なんかに行ったら、夜だと結構いいお値段するので躊躇するのよねぇ。行かないけど。
まあそれはいいとして。とりあえず今日のお買い物ですよ〜。
市場に入ってすぐのところのスダンの肉屋さんで燻製肉……っと。
「こんにちは〜」
「おう、リヨン! 今日こそうちの特上肉買っていくだろう? 安くしとくぜ!」
「ごめんなさい、スダン。今日は燻製肉だけでいいのよ。明日の朝ごはん用の」
「そうかい、じゃあおまけしておくぜ! このあいだのアップルパイのお礼さ」
「そう? いつもありがとう」
スダンはニカっと笑うと、燻製肉を私の注文より多めに盛ってくれました。ありがたいですね。おまけの分は夕飯のスープに入れて食べちゃいましょう。
次は二軒隣のジヴェの果物屋さんで朝食のフルーツを。ビタミンは美容にいいから欠かしちゃダメ。
「ジヴェ〜」
「あ、いらっしゃいリヨン。ちょうど試食用の洋梨を剥いたところだよ。ほら、あーん」
「ん〜! 美味し〜い! むぐむぐ。あ、そうそう。りんごとバナナとオレンジをお願い」
店によるなり早々に渡された洋梨をもぐもぐしながら、私はジヴェにいるものを注文します。今日はただ食いじゃないんだからね!
「今日はいいのが入ってるからね。リヨンのためにとびきりいいのを選んであげるよ」
はい次はこれねと、私にバナナを渡すと、ジヴェは注文した品物を揃えて私のマルシェバックに入れてくれます。さっきの洋梨も甘くてジューシーで美味しかったけど、このバナナも熟れてて美味しい〜。
「ありがとう。このバナナもとっても美味しいわ! 洋梨とバナナの分もお支払いしなくちゃ」
「それは味見だからお代はいらないよ。リヨンのその幸せそうな顔を見せてもらうだけで僕は十分だ」
「そ、そう?」
ジヴェがあま〜い笑顔で見てくるもんだから、思わず赤面しちゃったわ。そっすか。
イケメンがこんな甘い言葉を囁いてくれるんだから、商売繁盛するのも頷けるわ。
「うえ〜。重たい。買いすぎた」
同じ調子でヴージエのところで野菜を調達したら、今日もいい感じで大荷物になりました。食料のほかにも石鹸とかなんだかんだと日用品も入ってますからねぇ。
「またかよリヨン。ほら、かしな」
よろよろしながらバッグを持ち上げようとしたら、やっぱりヴージエが見かねて飛んできてくれて、私からバッグを取り上げようとした時でした。
「こんなに重いもの、リヨン一人じゃ持って帰れないでしょ」
違う方向からにゅっと手が出てきて、ひょいっと取り上げられた私のマルシェバッグ。
「あ、ちょ……っ、て、ええ? トロワ!」
ギョッとしながらその手の主を見ると、口元に微笑みを浮かべたトロワでした。相変わらず目元は鬱陶しい前髪と分厚いメガネでわかりにくいですが、確かに微笑んでいます。
「おい、お前!」
ヴージエが抗議の声を上げましたが、
「リヨンの荷物は僕が持っていくから」
トロワはさらっとそう言うと、私に向かって手を差し伸べてきました。
「さ、リヨン、行くよ?」
「あ……うん。じゃあね、ヴージエ」
その手には何か抗いがたい力があるのか、私は自然とその手を取ってしまいました。
「お、おう」
ヴージエも何も言えずこくこくと頷き、フラフラっと手を振っています。
「リヨンてば、いつもこんなに重たい荷物を持ってるの?」
「そうじゃないわ。いつも誰かが後で配達してくれるの」
「誰かって誰?」
「スダンだったりジヴェだったりヴージエだったり……よ?」
「ふうん」
私とトロワは手をつないだままマルシェの中を歩いています。買い物は全部終わったからもう帰ろうと思ってたんだけど、トロワったら手を離してくれないし。
「ところでトロワ、どこに行くつもり?」
「うちのお店。美味しい果実酒とその果汁が入ったから、リヨンにどうかなって思って呼びに来たんだ」
んんん? それって私が市場をふらふらしてるのバレてたってことかなぁ?
確かトロワとは今朝が初顔合わせだったはずなんだけど? ……ま、いっか。
「ありがとう」
「荷物は僕が預かるから」
「ええ?!」
「ちゃんと送り届けた時に渡すってば」
「えええっ? 送ってって……何を?」
「リヨンに決まってるでしょ。お屋敷までだよ?」
使用人が家まで送ってもらったとか聞いたことな〜い!! あ、荷物を配達してもらうのは大歓迎よ。
トロワってばもっさりした見た目だけど、その言動から『実は彼女途切れないタイプ』臭がするっ。そんなまさかのそんな紳士的振る舞い〜っ!
今までも私の荷物はいつも誰か(男の人)が家まで運んでくれてたけどね、私自身を送ってくれた人はいなかったですよ。
そりゃ、店番あるから仕方ないけど。
「いやいやいやいやいや。私、いち使用人だし? わざわざ家まで送ってもらわなくても通い慣れた道だから大丈夫よ!」
トロワの「家まで送る」発言に動揺した私は、思いっきりお断りを入れたんだけど、
「だってリヨンは女の子だよ? しかもこんなに綺麗なんだから、何かあったらって思うと心配でいてもたってもいられないよ」
いかにも「おかしなこと言うね?」みたいな顔してコテンと首を傾げるトロワ。
ぴぎゃーーー!! なんてこと言うんですかトロワさん!!
いきなりの女の子扱いにまたドキドキしちゃいます。
確かこんなことをショーレにも言われたことあった気がするけど、あの時は全然ドキドキすらしなかったのに。ショーレはあんな見た目(超イケメン!)だから、こういうことを言っても違和感ないからかな? トロワが言うとギャップを感じさせるから?
「い、いきなりなんなの……」
トロワの天然発言にドギマギさせられているうちに、トロワのお店に着きました。
自国だけでなく他国からの輸入もののお酒なんかも豊富に取り扱っているトロワの酒屋さんは、市場の中でも奥の方にあります。
私がよく行くお店はだいたい市場の入り口近くに集中しているので、奥の方まで来ることは稀です。そして先ほども言ったけど、酒屋さんは御用聞きしてくれていましたので、店自体には初めて来ました。
丸っこいボトルやシュッと細長いボトル。お魚の形をしたボトルや果物の形をしたボトル。
ボトルもいろんな形があって楽しいですが、お酒自体も赤や白、琥珀や、黄色なんてものもあります。
赤白はワインよね。琥珀は蒸留酒? 黄色は……リモンチェッロ!?
どれもこれも珍しいものばかりで、私がお店の中をキョロキョロしていると、
「まあとりあえずこれ飲んでゆっくりしていきなよ」
トロワが濃い葡萄色した果汁をコップに注いで渡してくれました。
「これは何?」
「さっき言ってた、珍しい果汁」
そりゃそうか。さすがに若い娘が昼下がりからお酒は飲めないよね。しかも仕事中だし。
「ありがとう」
ゆっくりといっても、お義母様たちがお昼寝から起きてパーティーの支度をし始めるまでには帰らないといけませんけどね。ジュースくらいは飲む時間はあります。
「トロワって、前からこのお店にいたの?」
ジュースをいただきながら、私はトロワについて聞きました。
私の使用人生活が始まってまだそんなに経ってませんが、それでもトロワがうちに配達しに来たことが一度もなかったので。いつものおじさんが都合悪い時は、別の人が来てました。
いつものおじさんが異動になったんなら、引き継ぎは、普通なら何度か面識のある人を配置しそうなもんでしょ?
「いいや。今までは別の店にいたんだけど、そろそろ武者修行はいいから帰ってこいって呼び戻されたんだ」
武者修行? 呼び戻す?
トロワの言ったことがよくわからなくてキョトンとしていると、
「いちおう僕、この酒屋の跡取り息子なんでね。最近まで経営の修行にって、別の町にある支店を任されてたんだよ。だから、本店に戻ってきたのはつい数日前なんだ」
トロワはさらに詳しく教えてくれました。なるほどなるほど。
「そうだったのね」
「これでも王室御用達の酒屋だからね、経営はきっちりしておかないといけないんだよ」
「大変だね〜。ところでトロワはいくつなの?」
「僕? 僕は十七歳だよ。そういうリヨンは?」
「私は十五よ。そっか二つお兄さんだ」
「だね」
そんな他愛のない会話をしながらも、トロワはお店に来たお客さんを相手したり商品を並べたりしています。
そんなトロワを、ぼーっと見る私。
トロワって、私とたった二つしか違わないのになんかしっかりしてるなぁ。




