狂気
「ちょ、ちょっと待ってください、ナオヤさん。あの方、一人でここへ来たなんて、有り得ますか!?」
「そうだよ、ナオヤっ。どう考えても、妙じゃないかい?」
アランをよく知らない、ミュウとレイバーグが俺の袖を引っ張ったが、俺は笑って手を振った。
「いやいや、あいつなら有り得る有り得る。なにしろ、肉の盾で生き残るくらい根性入ったヤツだからなぁ」
別に真の実力を知っているわけでもないのに、俺は半ばむきになって言ったね。
だが、実力を見たことなくても、あそこで生き残るのが奇跡に近いのは誰よりも知っている。俺の場合、本当に奇跡というか悪運かもしれないが、そんな奇跡や悪運がそこらにゴロゴロしているわけないさ!
「戦士将、ちょっとこちらへ」
アランがにこやかに手招きした。
「いやいや、俺のことはナオヤって呼んでくれよ」
当然ながら、俺はさしたる警戒もせず、笑顔でノコノコと前へ進み出た。
釣られて、後ろの二人もそれに続こうとしたんだが……途中でアランのヤツが、廊下の壁に手を伸ばす。
なぜかそこの窪みというか、ヘコんだ部分にある「なにか」を操作した。まあ、レバーみたいなものか? その瞬間――いきなり俺の背中でドガッと凄まじい音がして、緩んだ顔で歩いてた俺は、飛び上がりそうになった。
「な、なんだよっ」
振り向くと、なんと俺とミュウ達の間に、でっかい鉄板みたいなのが落ちてるじゃないかっ。こ、これは確か、天井の切れ込み部分に収納されてたヤツ? 俺自身が防御のための隔壁か? とか予想してたようなっ。
後ろを塞ぐ鉄の壁に呆然としてたら、次はいきなり背後で殺気がした。
底冷えするような本物の殺気であり、人がバタバタ死ぬ戦場でも、滅多に感じないほどの凄まじいものだった。
「――っ!」
こういう時、俺の身体は勝手に反応することがあるのだが、今もそうだった。
振り向く動作すら惜しみ、俺はその場から大きく横に跳んだ。
そっちに逃げる根拠など何もなかったのだが、勝手に身体が反応したんだから、しょうがない。
しかしその反射行動は、今回も俺の命を救ったようだ。
なぜならまさにその瞬間、背後からとんでもない速度で剣撃が襲ってきて、すぐそばを掠めたからだ。おそらく俺が振り向く手間をかけていたら、間に合わずに斬られていただろう。今だって、袖の辺りがすっぱり切れてるほどだし!
「な、なんっ」
「あっはっは!」
俺の焦った声と、アランの狂ったような哄笑が、廊下にガンガン響く。
なんで笑えるのか知らんが、大振りに振り切った刀を引き、アランが再び構え直す。女性のような繊細な顔は狂気に歪み、綺麗に分けた髪が乱れて目にかかっていた。
「嬉しいな、一撃で死ななくてぇええっ」
アランは哄笑しつつ、なおも斬撃を繰り出してくる。
こっちの頭を真っ二つにするような勢いがあり、これも反射的に抜刀した俺が、辛うじて受けるのに間に合ったほどだ。
隔壁じみた鉄壁の向こうで、微かにミュウとレイバーグの叫ぶ声がしたが、構っている場合じゃないっ。
いま俺の目の前にいるのは、どう見ても俺と互角かそれ以上の剣士なのだっ。
「心配してたよ、戦士将――いや、ナオヤっ。実のところ、僕はあんたのことを聞いてから、ずっと心配だった」
慌てふためく俺とギリギリ鍔迫り合いを演じつつ、アランが唾を飛ばす。
初対面の時に見た澄んだ瞳は、見る影もなく血走っていた。
「もしかしたら、あんたがあの呪われた肉の盾で生き残ったのは、マヤとかいう女に贔屓にされたお陰だったのかなってね! 魔王城の十三階で初めて会った時、未だに正気を失っていないあんたを見て、僕は本当にそれが心配だった。でも、違ったよ! そんなズルじゃないや。あんたは本当に強いっ。それだけは嬉しいなあっ」
「――っ!? くそっ」
ふっと力が緩み、アランがわざと後退しやがった!
今の今まで、力比べのように刀と刀で押し合っていた俺は、たまらずよろめいてしまう。その隙を逃さず、再び風のようにアランが踏み込んでくる。
というか、本当に風切り音がしたぞ。こいつ、凄腕なだけじゃなくて、動きも速いっ。
「はあああっ」
「くっ」
受けた手が痺れそうになり、俺はよろよろとよろめく。
向こうは嬉しそうに笑いっぱなしだ。
「そうそう、その調子だ、ナオヤ! 肉の盾で生き残った底力を出してくれっ。そして、少しは僕の溜飲を下げてくれよっ。僕とまともに斬り合える奴って、もうほとんどいなくなったからさあっ」
「お、おいっ」
そう広くもない廊下で何度も斬り結びつつ、このアランは平然と話しかけてくるのだ。殺し合いなど日常的にやっていたせいか、全く死の恐怖を感じていないように見える。
「はははっ。やり合えて良かったよ、ナオヤ! 君も僕と同じで、あの地獄を実力で生き延びてたんだねぇええ。刃を交えた今、初めてそれが実感できた。僕と君の違いは、多分、その後の運命だけなんだろうねっ」
「わわっ」
不意に、アランの姿が魔法のように消失した。
もちろん、これがとんでもない反応速度で動いたせいだと、俺には理解できた。
未だにうろたえている真っ最中の俺と違い、こいつは終始冷静だったしな。実際、俺がとっさに感じた殺気で「下かっ」とさっと目線を下げると、腰を落としたアランが狂気の笑みを浮かべているのと目が合った。
「だからこそ、僕はあんたが許せないんだよぉおおお」
大声で喚いた瞬間、アランの刀がふっと霞む。
再び、風を切る音がして、アランの斬撃が逆袈裟斬りに俺を襲ってきた。
――や、ヤバいっ。
背後に退いたはいいが、俺の背中が鉄壁に当たっちまった! 顔に迫る刀身が、ヤケにはっきり見えた。




