消えたあいつ
「行っちゃ駄目ですっ。殺されますよ!」
「マヤが奴に負けると言うのかっ」
「そ、そうは言いませんけどぉ。でも、陛下が自らが前線に立つのはやっぱり護衛としては反対――」
黙れっと言いかけ、マヤは辛うじて我慢した。
差し出口は片腹痛いが、しかしエルザの護衛としての立場から見れば、止めるのは当然なのだろう。マヤもそこまで分からず屋ではない。
それに、そもそも既に遅かった。
アランは未だに狂ったように笑っていたが、その声はどんどん遠ざかりつつある。
理由はさっぱりわからないが、敵軍がアランを保護したまま急速に退いていくのだ。しかも、敵の殿軍が死力を尽くして我が軍の追撃を阻み、完全に捨て石として踏みとどまっている。感情が全くない人形兵士でもないと、有り得ないことだった。
「みすみす逃がすのかっ」
マヤはアランの姿が遠ざかるのを、歯軋りして見送るしかなかった。
馬に飛び乗って追いかけたいのは山々だが、さすがにマヤ一人で敵全軍を追うほど無謀ではない。いずれ連中の本拠を突き止めて思い知らせてやるにしても、ナオヤが戻ってからのことだ。
ナオヤと相談して、もしも可能ならルクレシオンの方は一時放置して、新たな敵に専念するのもよかろう。
そこであの者の帰還を待つ間、カシムの様子を見に行ったが……こちらは一刻を争う状態だな。というより、物心ついてから戦場で過ごしたカシムだからまだ生きているが、そこらの二等戦士ならとうに死んでいるような傷だった。
アランの奴め……あえて、瀕死の状態になるように斬りつけおったな!
とにかく、既に治癒を始めている魔法使いに加え、ついてきていたエルザにもカシムの治癒を命じたが、「な、内蔵はみ出てるぅうううっ」などと涙目になっているほどで、今一つ頼りない。
これは正直、ネージュにやらせるのが一番だろう。
傷口からして、ネージュクラスでないと手に負えまい。
「陛下、ご報告がっ」
本陣に戻り、苛々して西の方角を見る間に、前線の方から伝令がやってきた。
「どうした?」
「先程、陛下が始末された空飛ぶ魔獣と、後から魔法使い部隊が落とした魔獣どもですが」
「ああ、潰したあいつか……それがどうしたのか?」
「その……ご報告すべきだと上官が言うのでご報告しますが」
「前置きが長いっ。さっさと言え!」
「は、ははっ。散らばっていた死体の群れが、すっかり消えております」
地面に額を擦りつけ、震えながら伝令が言いおった。
「なにっ。それはまことか? 死体が回収されたわけではないのだな?」
「いえ、誰も近付いておりませぬ。ただ、死んだ後も内臓が蠢いていたので、皆が気味悪い思いで眺めていたところ……痙攣が止んだのを境に、全て煙のように消えましてございます」
「……ふむ」
ふと思い出し、マヤは魔獣の血がかかった頬を撫でてみた。
しかし、もはや完全に乾いていて、まったくぬめりが残っていない。あたかも、最初から血など浴びてなかったように。
「つまり、今攻めてきた黒い兵士どもと同じか……完全に死滅すると消えてしまう」
不機嫌に呟くと、伝令がまだ平伏して震えているのに気付いた。
「わかった、報告ご苦労。下がってよい」
「ははっ」
すっ飛ぶようにして戻っていく伝令を見もせず、マヤはまた西の方角を遠望する。
いい加減、ナオヤが戻ってもよさそうなものだが。
今判明した事実を踏まえ、一刻も早く今後のことを話し合わねばな。
「……おっ」
長らく見ていた甲斐あって、ようやく西の彼方から軍勢が戻ってくるのが見えた。
とっさに、前線まで出迎えに行こうかと思ったが、さすがにそれはまずいだろう。多少は心配していたし、気持ちとしてはそうしたいところだが――今回は、そもそもマヤを置いて行ったのを叱責せねばならんからな。
仮にそういうことがなくても、さすがに出迎えに赴くのは、少し照れくさい。
それに今思い出したが、ジャスミンが「男はよくつけあがる生き物なので、ベタベタ接しすぎるのはまずいかと」などと、前に真面目な顔で忠告したことでもあるし。
そう考えて我慢していたが、どこかそわそわした様子だったのは隠しきれなかったようだ。本陣付きの武官どもが、首を傾げてこちらをちらちら見ている。
それはどうでもいいとしても……ナオヤの軍が我が陣に接近するにつれ、マヤはいつもと違う点に気付いた。
こういう場合、いつも先頭を進むナオヤの姿が、今回はなぜか見えない。
遠望する限り、軍勢の先頭にいるのはネージュとギリアム、それに妙にきょろきょろと我が陣中を見渡しているミュウだ。
しかも、ネージュとギリアムはどうもかなり疲弊しているらしく、表情に疲れが見える。
これは余程に激戦だったらしい。
待て――そういえば、嫌なことを思い出したぞ。
マヤは確か、ナオヤに援軍の有無を尋ねる伝令を送ったはずだ。その伝令が未だに戻っていない。
マヤが眉をひそめていると、陣地をやたらと見渡していたミュウと、マヤの目が合った。途端に、どういうわけかミュウの顔から血の気が引いて、こちらへすっ飛んできた。
それこそ、脇目も振らずにだ。
この時、既にマヤは嫌な予感がしていた。




