最後の告白
「わっ」
以前の時のように、またしても俺の眼前でエスメラルダが消えた。
例によって俺は、何も考えずに気配のみを読んで横っ跳びに避ける。幸い、一瞬で間合いに飛び込んで来たエスメラルダの剣撃は、俺の胸を僅かに掠ったのみで終わった。
ところが、俺が跳んだ先には大剣を振り上げたマヤ様がいて、今度はこの方に体当たりしてしまう始末である。
とはいえ、俺は半ば、わざとやったんだが。
無残に斬られないよう、マヤ様にしがみつくようにして押し倒した結果、俺達は馬鹿みたいにゴロゴロと大地を転がる。
その間、俺はマヤ様の瞳を至近で見ていて、確信した。
やはりそうだ……この人は未だに抵抗を続けている! どうもいつもより動きに精彩がなかったのも、瞳が真紅に染まっていたのも、そういうことだったのだ。
でも俺は、もはや無駄な説得をしようとは思わなかった。
呼びかけに効果がないとは思わないが、やはり完全にエスメラルダの支配を打ち破るには、時間がかかりそうだ。悔しいが、五秒や十秒でどうなるものではない。
あいにく今はその時間がないし、この薄赤いゲートの中にいる限り、魔王陛下達の助太刀も期待できない。
だから俺は、もはやマヤ様に最後の言葉のつもりで、本音をぶつけようと思った。
暴れるしなやかな身体を強く抱き締め、生涯言うつもりではなかった言葉を、囁こうとした。 これから俺は賭けに出る。だから今を逃せば、おそらくもう二度と言う機会はないだろうから。
「マヤ様っ、俺は――ぐっ」
ちくしょー、最後まで言えなかった!
マヤ様は途中で、無情にも俺をクソ力で突き飛ばしたのだ。
まるで女の子じゃなくて、巨人に吹っ飛ばされたようなとんでもないパワーであり、俺は軽々と宙を舞って、大地に叩き付けられた。
おまけに、すかさず駆け寄ってきたエスメラルダが、起き上がろうとした俺の身体がを、遠慮なく蹴飛ばしやがった。
マヤ様と同じくらいの力が籠もっていて、多分、肋に罅が入ったのは間違いない。遠くからレイバーグや魔王陛下の叫ぶ声が聞こえたが、もはやそれも俺にはほとんど届いていない。
ヤバい、意識が持って行かれそうだ。
「ほら、ボーヤ。私が手伝ってあげるわ」
舌なめずりするような声と共に、エスメラルダが俺を引きずり起こす。右腕を背中の方へねじ上げられ、否応なく手にした刀が落ち、首筋にはこのクソ女の腕が巻き付いてきた。
すかさず締め上げられて、たちまち酸欠状態である。
こ、これは本気でピンチだな……さすがに今までは、これほどまでのピンチは経験しなかった。
いや……集中だ、集中しろ……とにかくまだ左腕は動くのだ。この手が動くうちは、まだ最後の手段が使える。
使わずに済ませたかったが、もうやむを得ない。
よい方に考えれば、この女の底意地の悪さのお陰で、相打ちの成功率が上がったかもしれない。
「ほら、ボーヤ。ご覧なさい、お仲間がゲートの外で勢揃いしてるわよ……ご苦労様ねぇ」
エスメラルダに言われてみれば、確かに薄赤いゲートの外に、魔王陛下やレイバーグのみならず、ギリアムやヨルンやネージュ、それにエルザやカシムまで来ていた。
ギリアム達には城で待機してろと言ったのに、命令を無視したらしい。
みんなして、なんとかゲート内に入ろうとしているようだが、果たせないでいる。
「さあ、これからが本番よ。ボーヤを殺した後、あの魔王の娘を殺し、そして外にいる全員を殺す。その後、私は悠々と元の世界に戻り、今度は軍勢を引き連れて戻って来るわ」
耳元で囁くエスメラルダの声に言い返そうとしたが、あいにくしゃがれ声しか出なかった。
「そんな真似は……させるか……よっ」
「強がりは終わりよ。ほら、ボーヤにトドメを刺す人が来る。驚いたことにあの子も抵抗してるみたいだけど、あいにく一度かかった以上、私の能力は跳ね返せない。少なくとも、私が生きている間はねっ」
エスメラルダの言う通りだった。
大剣を引っさげたマヤ様が、苦しそうに一歩一歩、近付いてくる。内なる自分の中で抵抗はしているのだが、エスメラルダの能力に抗しきれないのだ。
というより、抵抗するだけでも、かなりの苦痛があるのだろう……表情は苦しそうだった。
その顔を見ていると、俺は申し訳なさで胸が一杯になった。本来、このような事態を避けるために、俺がいたのに。全ては俺の責任だ。
だがまあ……もうこれ以上、この方を苦しめる気はない。
これが、本当の本当に最後だ。
「マヤ……様」
エスメラルダに首を絞められたまま、何とか声を絞り出すことに成功し、俺は汗だくの顔で笑った。
このラストチャンスに、ちゃんと言えるといいが。
機械仕掛けの人形のようにぎこちなく接近するマヤ様の瞳を真っ直ぐに見て、酸欠に喘ぎながらも、俺は声を絞り出した。
「俺は……ずっとマヤ様のことが――」
……最後の部分がちゃんとマヤ様に届いたかどうか、あいにくわからない。なにしろエスメラルダにとことん首を絞められてて、ロクに声がでなかったからだ。
しかし、マヤ様の歩みが一瞬、止まったのは事実だ。ということは、ちゃんと届いたのかもしれない……そう信じたい。
ともあれ、これ以上遅らせば、唯一動く左手まで、痺れて動かなくなってしまう。幸い、既に上着の懐に手は入っている。
そこで俺は、きっぱりと行動に出た。
元々、レイバーグがバルバレスに人質に取られた時、ヤツのやりようを見て思いついたんだが、俺の場合はあいつよりさらに無茶である。
ズボンのベルトに挟んでおいた魔力付与の小刀を手にし、そのまま自分の腹ごとぶっ刺したのだ。
この際はそれが一番早いし、気付かれにくい。
他のやり方だと、攻撃の挙動が大きくなって、あっさりエスメラルダに避けられる――そう判断しての、苦肉の策だった。
――俺の捨て身の策は成功した。
一財産使い、あえてこの武器を入手した意味はあったということだ。
耳元で凄まじい喚き声がして、ふっと首に巻き付いた腕が緩むのがわかった。俺はその僅かな隙を逃さず、痛みをきっぱり無視して小刀を引き抜き、血飛沫をまき散らして振り向く。
腹を押さえて離れようとするエスメラルダに向かい、防御を無視して躍り込んだ。
一体型のスーツを着てた彼女の方がダメージは浅いし、この機を逃せば、永遠に勝機を失う。
「逃がすかあっ」
「おのれえ!」
俺の怒声と、エスメラルダの怨嗟の声が重なった。
彼女は手にした剣を振り上げようとしたが、傷のため動きに精彩を欠いている。それを言うなら俺もだが、俺はこいつと違い、自分が斬られることを覚悟して飛び込んでいる。
今は、その差が出た。
心臓は逃したが、エスメラルダの胸に小刀を突き立てることに成功したのだ。またヤツの呻き声と……それにスーツを纏った身体が痙攣するのがわかった。
効いている、効いているぞっ!?
効果に意を強くし、俺はそのまま、思いっきり小刀を横に引こうとした。バルバレスの時のように、追い打ちを掛けようとしたわけだ。
しかし、さすがにエスメラルダはあのバルバレスよりはしぶとかった。
ふらつきながらも、未だに手放さずにいた剣をなんとか持ち上げ、俺の肩口に叩き付けようとしやがった。もしこいつが万全の状態だったら、俺はこの時点で死んでいただろう……しかし、今は彼女の腕にも以前の力が籠もってなかった。俺が僅かに身を逸らしたお陰で、剣撃は俺の肩口を浅く斬り裂いたのみで終わり、しかもその剣もこいつの手から落ちた。
……とはいえ、どうせ俺も致命傷コースだと思うが。
その程度には、今の斬撃は効いた……もう痛みも感じないから、どうでもいいが。
まあ、即死しないならいいさ。
俺は血塗れの身体で凄惨な笑みを浮かべ、そのまま最後の力で小刀をぐっと引いた。
「あぐうっ」
彼女らしくもない呻き声と、それから盛大な痙攣が伝わってきた。しかし、エスメラルダは最後に震える腕で俺の首筋を掴み、至近から黄金色の瞳で睨み付けた。
「……ボーヤの……望み通りにはならない……わよ」
その瞬間、ゲート内に真紅の閃光が弾けた。




