手遅れ……か?
幸いというのもおかしな話だが、結局、俺達は一日中休まずに急ぎに急いで、日が沈む頃には、五千の魔界軍が宿営している街へ着いてしまった。
つまりこいつら、レイバーグの軍勢を破ってから、ほぼ全然その場を動いてなかったのだな。
俺が放っておいた斥候の話によると、ここ数日、ずーーーっと同じ街で滞在中ということになる。
ルクレシオン帝国も魔界も敵に回しているくせに、随分とのんびりとした話だ。
そこで俺は、今度は間諜体験者のエルザを放ち、できれば街の住人……それも、話のわかりそうなそこそこ立場の偉いヤツを連れてくるように頼んでおいた。
断られたらどうしようと思ったが、エルザは俺によって上等戦士に引き上げられたのが嬉しかったのか、今回は機嫌よく承知して、すぐに街に忍んでくれた。
その間、俺達は街へ入る少し手前の森で待機していたのだが……意外にも、エルザは二時間ほどで戻って来た。
なにやら、高そうなローブを羽織ったおじさんを連れて。
「ええと、レイマンさん? 前の市長さんだとか?」
エルザの説明を聞いた後、俺は彼と対峙した。
あいにく森の中なので、お互い立ったままである。
「左様です。ただし、自分では今も市長のつもりですが」
リーマンみたいに七対三に分けた髪が渋い、自称市長のレイマンが、鷹揚に頷いた。
なるほど、このどっしりした態度は、本当かもな。
「待て。今も市長のつもりというのは、どういう意味か?」
興味を持ったのか、わざと木陰に隠れていたマヤ様が姿を現し、俺の横に立つ。
その姿を見た途端、自称市長は今までの余裕が嘘のようにその場に平伏した。
「だ、ダークプリンセスもご一緒とは!」
「よい、拝礼は許してつかわす。それより、説明せよ」
「ははあっ」
あくまで平伏したままで、彼はざっと説明してくれた。
それを聞くうちに、俺達の顔色はどんどん悪くなっていった。
「つまりなにか……その軍勢に同行しているリベレーターの男が、本当に兵士達にまやかしをかけているわけだな」
マヤ様の言い方はやたら古臭いが、まあ要するに洗脳してるってことだろう。
実際、レイマンも何度も頷いた。
「あの者は軍勢と共に街へ来て、今は一番大きな宿を本陣としていますが。奇妙なことに、彼は初日に到着するなり、兵士と奴隷の別なく、ほぼ夜ごとに五百名程度の兵士を宿の大広間に呼びつけるのです」
そこで生唾を呑み込む。
「どうやらそこで、一時間ほど兵士達と歓談しているように見えました……最初のうちは。しかし、途中から私は気付いたのです。広間から戻ってきた兵士達が、全員、妙な思想に凝り固まっていることを」
「立って、楽に話すがよい。興味深い話のようだ」
「ありがたき幸せ」
マヤ様の許しを得て立ち上がったレイマンは、薄気味悪そうな表情で両手を広げる。
「ヤツと話した兵士は、少し会話しただけだと、前とそう変わっているように見えません。ただ一点、『ヤツの言うことに絶対服従となっている』という部分を除いて」
「催眠状態にあるってこと?」
魔法の翻訳がどこまで伝わるかわからんが、俺はそう訊いてみた。
「それが、他の部分ではごく正気に見えるのですよ。仲間同士で相変わらず雑談もしますし、食事がまずいと文句も言います……全て、以前と変わりません。そのおかしな格好をした男に不自然なほど服従しているという部分がなければ、私だって疑いませんでした」
「服従か……それは相当以上に強固な縛りか」
マヤ様が腕組みして尋ねると、レイマンは嫌そうな顔で頷いた。
「命令に絶対従うか、という意味でございましたら、まさにその通りです。彼らが話す様子を窺っていると、仮にあの男が『靴をなめろ』と命じても、即座に実行しそうですな」
ま、まさかそんなアレな力を使って、夜な夜な女兵士をナニしてんじゃないだろうなっ。
俺はすかさず、エロ方向に妄想しちまったね。
いやだって、いかにもあくどいヤツがやりそうやん……そんな精神支配の力持ってたら。
「どういう方法で兵士を縛っているのか、わかるか?」
マヤ様が肝心な部分を問うと、レイマンはぐっと声を潜めた。
「わ、私はそいつに呼びつけられ、滞陣中の細々した命令を実行するため、ずっと宿に詰めていたのですが――」
お陰で、周囲で聞き耳を立てていたギリアム達まで身を乗り出したほどだ。
「い、一度だけ、あまりにも不審で大広間を覗いたことがあります」
「それで!?」
「ヤツは、五百名の兵士を広間に並べた椅子に座らせ、自分はその前に立って何やら話し込んでました。盗み聞いた限りでは、戦況や今後の指針など、なんでもない話題だったようですが……ただ、時折ヤツの目が光るのですよ……薄気味悪く」
「あっ」
俺が声を上げると、マヤ様とミュウを除き、全員がびくっと震えた。
「お、脅かさないでよナオヤ君」
「ごめん、ネージュ。ただ……俺がエスメラルダと戦った時に、彼女の瞳が一瞬、光るのを見た」
「……とすると、ナオヤも危なく心を縛られかけたということか」
心配そうにマヤ様が言われる。
「いえぇ、そうは思いません。あの時の俺は『珍しい目だな』と思ったくらいで、他にはなんとも思いませんでしたし」
「きっと、ナオヤには通じなかったのであろう」
現金にも、マヤ様は少しほっとしたようだった。
「そのまやかしは、誰にでも通用するわけではないということかもしれぬ」
「かもしれませんが、私はもう、それを見ただけで十分でした。いつ自分も手下にされるか気が気ではなくなり、ちょうど、街から逃げるところだったのです」
「そこを、たまたまあたしが見つけて連れて来たってわけ」
後ろに控えていたエルザが、明るく言う。
ああなるほど、それでこんなに戻るのが早かったのか。
「まあよい。とにかく、その男が元凶なのはこれでよくわかった。後は、レイバーグが囚われている場所を探り出すことと、そこへの侵入経路だな」
「あの少年を助けにいらしたのですかっ」
いきなりレイマンが素っ頓狂な声を上げ、俺達は慌ててトンヅラしかけた市長に目を戻す。
「もしかして、あいつが囚われてる場所、知ってるとか?」
俺が勢い込んで訊くと、おじさんはなぜか痛ましそうに頷いた。
「ええまあ……ただ、もう死んでる可能性が高いと思います……あの有様では」




