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見えない敵

 


 いや、馬鹿なというか、俺は目の前に見ているものが今一つ、信じられなかった。



 なにせ、テーブルの上に生首が乗っていて、恨めしそうな目でこっちを見ているのだ。しかも、この首はまだ斬られて間もないらしい。

 なぜわかるかというと、未だにテーブルから血の雫がぽたぽた垂れているからだ。


 お陰で、高価そうな絨毯が血で台無しである。

 胴体の方はといえば、テーブルの前の金無垢の椅子にちゃんと腰掛けている。肘掛けに両手を置き、足を組んだ余裕の姿勢で。




 もしや、こいつが……ファルシオン伯じゃないのか?


 俺は混乱した頭でそう考えた。

 贅沢に金糸などの飾り縫いがされた服装を見る限り、それが正解の気がする……問題は、なんで俺が覗く以前から死んでるんだって話なんだが。


『ナオヤっ、どうした! 無事なのであろうなっ』

『ナオヤ殿、ご無事ですかっ。このカシム、突入して助太刀しますぞ!』


 ドアが分厚いせいか、石廊下から籠もった声が聞こえた。

 無論、外で待つマヤ様とカシムだ。心配してくれているらしい。

「いや、待ってくれ!」

 慌てて俺は叫んだ。

「まだ、いろいろ確認したいことがあるんだ。少なくともこの部屋にはもう危険は」


 ――ないから、安心してほしい。


 そう言いかけた俺は、次の瞬間、部屋に入って――いや、この魔王城に乗り込んでからこっち、最大の恐怖に晒された。

 元魔王陛下のこの私室は、ドアを開けたちょうど正面に大きな窓があるんだが……その窓が開いていて、しかも窓枠のところに誰かが腰掛けていたからだ。


「んな……馬鹿な」

 思わず、また声が洩れる。

 さっきまでは、確かに誰もそこにはいなかった……いなかった……はずだ。

 いや、よく考えるとそもそも自分がちゃんと窓を見たかどうかすら、もう覚えてない。しかし普通、有り得るだろうか? それなりに気配に敏感な俺が飛び込んだのに、正面の窓に堂々と人が座っていて、三十秒以上も気付かないなんてことが。


 俺だって十分に警戒して中に滑り込んだのだし、絶対に気付いたはずなのだ。

 これで気付かないほど注意散漫だったら、とうの昔に戦場で命を落としてる。


「……君、才能あるわよ」


 そいつ――というか、その女性がぞっとする笑顔でふいに言った。

 こちらを向いて窓枠に腰掛け、足をぶらぶらさせていたのだが、今は興味深そうに俺を眺めている。

 燃え立つような真紅の髪に、なんというか人を人とも思わないような輝く目つきが印象的だった。しかも、来ているのはこれまた真紅の戦闘スーツである。

 まあ、魔族軍でもたまに見るが、肌と一体化したような同じく真っ赤な戦闘服だ。知らなきゃコンパニオンが着る薄手の衣装に見えるけど。

 ただ、こいつのスーツはなんというか……デザインが遥かに未来的だった。


「な、なに?」

 俺は思わず訊き返す。

 いきなりファルシオン伯が死体になっていたことといい、ちょっと思考が追いつかない。

「鈍感そのものの人間が、こんなに早く気配を絶っていた私に気付くなんて、思わなかった」

 辛抱強く、そいつは続ける。

「君は、なにか特殊な才能の持ち主だと見たわ」

 好奇心が窺える表情で言うと、その女性は弾みをつけて音もなく室内に飛び降りる。


「ずっと見てたけど、そう言えば部屋に入ってくる時の足の運びも、心得がある者に特有の歩き方だったわね。この魔界とやらの精鋭の一人ってこと? 魔王が負け惜しみのように言ってた『これで勝ったと思うな』ってセリフは、君のことを指していたのかな」


 そのセリフを聞いた途端、俺の足下から衝撃が一気に押し寄せた。

 一瞬で、こいつの正体がわかってしまったからだ。

 まだ証拠はないが、おそらく間違いない――はずだ。




「まさか……まさかまさか……あんたが……り、リベレーター……」


「ああ、そう。やはりそうなのね。君が魔王が言い残した『私達の敵になる者』……か」

 特にどうということのない顔で、女は可愛らしく小首を傾げる。

 もちろん俺に対する怯えなど微塵もなく、顔中に無邪気な笑みが広がっていた。

「でもねぇ……その程度じゃ、もはや敵以前の問題だわね。他の有象無象うぞうむぞうよりはだいぶマシだけど、真面目に相手にする気にならない」

 つかつかとこちらへ歩いてくる。

 刀は既に抜いていたが、相手の放つ一種異様な妖気に、俺は未だに斬り掛かれずにいた。


『ナオヤあっ! どうしたっ、誰と話している!? さっさと返事をせぬかっ。これ以上は待てぬぞ。今から踏み込む故、ドアのそばから離れるがよいっ』


 待つのに飽きたマヤ様の叫び声が、また聞こえた。

 しかし、リベレーターの女はまるで気にせず手を伸ばし、白い指で俺の顎に軽く触れた。


「外は気にしなくていい……私が望まない限り、誰もここには入って来られないから。それより君、私の奴隷になる気はない?」


「な、なにっ!?」

 未だに斬りかかるタイミングが掴めない自分に苛々していた俺は、素っ頓狂な声を上げてしまった。

「君のように例外的な男の子、嫌いじゃないのよね……私は変わり者だから。どうせこの世界はもうすぐ私達のものになる。後から仲間も大勢来るし、時間の問題よ。なら、せめて生き残ろうと思わない」

 顔を近づけ、囁くように言う。

 間近で見る顔はやはりぞっとするほど綺麗で……輝く黄金の瞳が俺を覗き込んでいた。黄金色といえばネージュの瞳もそうだが、この女性はなんか瞳自体が薄く光ってる!


「決めなさい、少年。今ここで死ぬか、それとも私の奴隷になるか。奴隷になるならいい思いもさせてあげる。なんなら、君の元主人も生かしてあげる。……どう?」


 外の喚き声には一切反応せず、女はまた問いかけた。



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