11-喰らい尽くす虫けら
長雨が明けた翌日。肩にかかる雫を鬱陶しく思いながら、僕たちは狭間の街、通称ジャンクヤードを歩いていた。かつてはシティの繁華街として栄えていたそうなのだが、いまは北側に人とカネが流れている。かつて人々の生活を支えていた大型量販店は時代の波に飲み込まれ廃業、そうするとここに不法投棄物が集められるようになった。
壊れた機械、廃液を満載にしたドラム缶、あるいは人間。サウスエンドの中でも最も危険な場所に近付くのは、変える場所や家族を失い、捨て鉢になった人々くらいだ。彼らは危険な廃棄物で作られた山を登り、日銭を稼ぐ。あるいはそこから転がり落ちて死ぬか。
「村上はこの辺りの廃品回収ビジネスを仕切っていた。
かなりの安値で買い叩いていて、生活を続けられなくなった人間も多い。
借金を返せなくなった人間をプロジェクトに送り、女ならフロに沈め……
まあ、廃品だけでなく大量の恨みも買っていたのだろう」
エリヤさんは指先で煙草をもみ消し、携帯灰皿に仕舞った。
指先はいまも美しい。
「しかし、この辺りでヤクザに逆らう人間がいるかどうか……」
「あるいは、奴に復讐するためにここにやって来た人間がいるのかもしれん。
村上はサウスエンドだけでなく、シティ全域に仕事を広げていた。
法外な金利の金貸し、用地買収、恐喝、詐欺……
犯罪のバリエーションだけなら、誰にも負けんだろう」
エリヤさんが彼のことを語る時、そこには確かな憎悪が垣間見えた。その正体が僕には分からない。それを解き明かすカギになるのが、朝凪幸三という名前なのだろう。
朝凪幸三。初代朝凪探偵事務所所長。初代エイジア。僕は会ったことがないけれど、強く、そして優しい人だったという。野木さんは彼に憧れエイジアを目指し、壊れた。エリヤさんは彼のことを純粋に尊敬しているように見えた。いい人、だったのだろう。
そんな彼が死ぬ原因、それを作ったのが村上だったのだという。しかし、エイジアを殺せるような人間が果たしているのだろうか? 生身の時ならば出来るかもしれないが。
「よう、爺さん。
あんた、ちょっと前にここに移り住んで来たんだってな?」
そんなことを考えていると、エリヤさんがターゲットに話しかけた。工事現場で使われていた、ボロボロのブルーシートをレインコート代わりに纏った老人だった。
「ワシに何の用だ……?
金ェッ、恵んでくれるなら聞いてやるぞ」
エリヤさんは手元でコインを弾いた。空き缶をどれだけ集めれば手に入るのか、ともかく気の遠くなる金額だ。落ち窪んだ目が爛々と輝いたように僕には見えた。
「ここから7ブロック先にある空き地で、お前は暮らしていたそうだな?
だが、5日前からお前はここに来た。
あそこで人が死んだのと同じタイミングだ。どうしてだ?」
しかし、その言葉を聞くと老人は真顔になった。
そして顔を青くして震え出した。
「なっ……なんでもねえ。
なんでもねえよ、ただ、ねぐらを変えたくなっただけだ」
「何か知っているんだな、爺さん?
だからあそこから逃げて来たんだろう?
もしかして、あそこで人が死ぬところを見たんじゃないか?
そうなんだろう?」
「し、知らねえ! ホントに知らねえよ!
おっ、俺は何も見ちゃいねえって!」
「本当のことを言わないんなら、縁がなかったってことになるぞ」
そう言ってエリヤさんは懐にコインをしまおうとした。
老人はグッ、と呻いた。
「……5日前のことだ。俺はいつも通り、シートを敷いて寝てた。
あそこは軒と軒とが連なってて、雨が落ちて来ねえんだ。
動く気力もなくて、あそこで寝てたんだよ」
途切れ途切れで重複もある老人の言葉をまとめると、こんな風になる。
5日前の朝方、物音で目を覚ました老人は顔を上げずに目を開いた。上等なダブル・ヤクザスーツを着た男、村上佑が息も絶え絶えと言った様子で走り路地に入って来た。顔面には殴られたような痕があり、左肩を押さえていた。骨折していたのだろう。
村上は手に持っていた拳銃を自分が入って来た方に向け、7回発砲した。三度バッグを打つような音が聞こえたと思うと、村上はヒッと呻いた。彼の体を虫が這い回っていた。
「虫? 虫っていうと、あれか。
壁とか床とかを這っている、あれか」
そこでエリヤさんは言葉を切らせ、確認した。いきなりそんなことを言われるとは思ってもみなかったのだ。老人は少なくともそう信じていたので、続けさせた。
大小さまざまな虫が彼の体を這い回った。見ているだけでもおぞましいのだから、実際やられた方はたまったものではなかっただろう。彼の体全身を覆い尽くすほどに虫が集まり、そして噛み付いた。村上の悲鳴が狭い路地に木霊し、彼はずっとそれを聞いていた。やがて虫が太い血管を抉ったのだろう、鮮血が舞い、路地を汚した。
虫が村上を殺すまで、1分も掛からなかった。彼が力なく倒れ伏し、それと同時に虫たちは引いて行った。残ったのは、皮膚を食い尽くされ筋繊維を露出させた村上だった。
そして彼に近付いてくるものがいた。巨大な昆虫が……
「巨大な昆虫?
それはどういう奴だったんだ、よく見たのか?」
「よく見た! 見間違いなんかじゃないし、ウソも吐いていない!
デカいゴキブリみたいな奴が村上を見下ろして、そして、言ったんだ!
『まずは一人』って!」
まずは一人?
ということは、何人もターゲットがいるということなのか?
「ウソは吐いていない!
金のためにウソなんてつかねえよ、誤魔化すことはあるけど」
「分かった、私もそれは真実だと思う。手間をかけたな、爺さん」
エリヤさんは老人に2枚のコインを差し出し、握らせた。
ここで出来ることはない。
「まずは一人。つまりターゲットは複数いるということですね。
心当たりは?」
歩きながら問いかけたが、エリヤさんは考え込んでいるようだった。
「想像もつかない……だが、納得出来る話だ。
奴らはツルんで金をもぎ取ろうとする」
そして、それは朝凪幸三の死にも関わっている。
何となくだが、直観があった。
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闇の中で少女、御桜優香は目を覚ました。どこにいるかと考えて、いまはビルの屋上で眠っているのだと思い出した。地上は巡回の兵士や警備ドローンが飛び交っているが、上にはそんなものはいない。体が変わったせいで、寒空の下で寝るのも辛くない。
立ち上がり、臭いをかぎ、周囲の物音に耳を澄ませる。あの日から優香は狩りを行っていた、ロスペイル狩りを。人間ではなくなってしまったが、しかし化け物になる気にはなれなかった。何より、自分をこんな風にした人間への復讐心があった。
彼女の聴覚と嗅覚はロスペイルの中でも優れている。彼女の両目は闇の中で蠢く怪物を探し出し、彼女の耳は闇の中で胎動する化け物の音を逃さない。やがて、彼女は響き渡る悲鳴と金属音を聞いた。
自らの肉体を怪物のそれへと変換し、彼女は地を蹴った。器用にビルの壁を蹴り、ブレーキと軌道変更を行う。ドローンの反応速度さえ超えるほどのスピードで、彼女は誰に見咎められることなく路地に降り立った。悲鳴のあった路地へと。
「これは、なに? いったいどういうこと?」
彼女が想像していたものと、そこで起こっていたこととは違っていた。確かに、悲鳴を上げたものが倒れている。ただし、死体となって。彼らは上等なダブル・ヤクザスーツを着込み、銃で武装していた。胸元の金バッジが威圧的に光った。
(ヤクザの抗争?
とんだ無駄足だ、これなら来ることもなかったのに……)
踵を返して帰ろうとしたところで、裏口が開いた。そこから血塗れになった白いスーツを纏った男が出て来た。彼の血ではない、返り血か、あるいは浴びてしまったものか。彼は扉を施錠し、扉の前に物を置きバリケードを築いたところで優香に気付いた。
「ひっ! こ、ここにも化け物!?
な、何が目的なんだ! て、手前ら!」
出てきた男は優香の方を見るなり発砲して来た。一発だけ放たれた弾丸を、優香は爪と爪の間で受け止め、潰した。スーツ男の情けない悲鳴が路地裏に響いた。
「安心しなよ、アンタを殺す気は無い。
すぐに消えてやるからさ……」
そこまで言って、彼女は気付いた。
『ここにも』? 他にも化け物がいるのか?
重い扉を蹴破り、内から何かが出でた。スーツ男は腰を抜かしてそちらを見た。そこから出て来たのは、等身大のゴキブリとしか思えない、異形の怪物だった。
「二人目ェッ……!
マリオ=パッセリーノ、貴様を殺すために俺は地獄から蘇った!」
ゴキブリの怪物、ローチロスペイルは感情の読めぬ両目でスーツの男、マリオを見た。異様な光景を前にして、優香の心には高揚感があった。殺戮の高揚感が。




