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少年探偵とサイボーグ少女の血みどろ探偵日記  作者: 小夏雅彦
第三章:闇の中より覗く瞳
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10-漆黒の獣、アルクトドス

 目算を誤った。そう思った時にはあたし――御桜優香――の体は固いコンクリートに叩きつけられていた。スピードの乗った体が横滑りし、ゴロゴロと転がる。フェンスに当たってようやく止まった。普段ならば人目を引くだろうが、いまは喧騒に飲み込まれ何も地上には届いていないだろう。

 ほんの50m下とでは世界が違っていた。


 よろよろと立ち上がりながら、あたしは自分の腕を見た。さっきの化け物みたいな腕は引っ込んでいたけれど、先ほど刻まれた擦過傷が凄まじい勢いで復元していた。


「何なの、これ……!

 あたしはいったい、どうなってしまったの……!?」


 家に帰りたかった。父と母に泣きついて、いっぱい泣いて、シャワーを浴びて、ベッドに横たわりたかった。けれどもそれは出来なかった、追跡してくるものがいるから。


 私は呼吸を整え、背後を見た。空に浮かぶ薄く気味悪い模様を描いた羽根を背負った人型が見えた。その両脇には両腕からローターを生やした化け物がいた。彼らは飛行を止め地上に降り立ち、私のことを嘲るような口調で話しかけて来た。


「御桜さん、そろそろやめにした方がいい。こちらに来なさい」

「いきなりあたしのことをおかしな化け物にするような連中に従うとでも……!?」

「反抗的だ、これはいけないぞ、御桜さん。主もお怒りだ。悔い改めよ!」


 あたしは血の混ざった唾を吐き捨て、構えを取った。

 見よう見まねの構えを。


「愚かなガキめ。覚醒したての未熟な力で、我々に勝てるとでも?」

「っさいよ、オッサン。

 あたしを一人で追い掛けられない腰抜けが言うじゃないか」


 蛾のような羽根を生やした男はそれを鼻で笑うと、腕を上げた。脇に控えていたローターを生やした化け物が近付いて来た。意識を腕に集中させる、腕が化け物のそれに代わる。自らの視界が血の色に染まっていくのが分かった。あたしたちは同時に駆け出した!


「本能に引きずられた粗雑な技!

 獣と人を分かつものが何か分かるか? 知性だッ!」


 蛾の男、モスマンは羽根をはためかせた。キラキラと輝く鱗粉が分泌される。あたしはサイドステップでそれをかわす、可燃性なのだ。こちらの軌道を予測し、すでにそちらに向かっていたローター怪物が攻撃を仕掛けて来る。殺人的な勢いで回転するローターを、あたしは下から打ち上げた。刃を打たれ腕が上向き、撃たれた刃が宙を舞った。


 左の爪を突き込もうとしたが、横からもう一体の化け物が迫る。あたしは攻撃を取りやめ、回転するローターを爪で受け止めた。攻勢に回られると厄介だ、化け物の力を機械でブーストしているのだろう。押し込まれたローターを流し、後退した。


 いつの間にかモスマンがいなくなっていた。チラリと上を見ると、そこにいた。上空で羽根をはためかせ、鱗粉を撒き散らす。あたしは連続側転で降り注ぐ鱗粉を回避、一瞬前まであたしがいた空間が爆発する! 猪口才な真似をしてくれる……!


「ッハッハッハ! 来るなら来い、来れるものならばな!」


 モスマンは激しく羽根をはためかせ、鱗粉の攻撃を加速させる。この野郎、そんなに来てほしいなら行ってやる! あたしは両足に力を込め、跳躍。化け物のそれに変わった足は、20m上空にいたモスマンに爪を届かせる!


 光が見えた。マズルフラッシュ、と言うんだったか?

 気付いた時にはもう遅い、空中では方向転換をすることも防御することも出来ない……何かが私を貫いた。モスマンが落下し、私の体を抱えたまま屋上に降りた。胸が貫かれているのが分かった。


「さすがだ、デッドマーク!

 下賤な殺し屋風情が役に立つじゃあないか!」


 モスマンが何か騒ぐ、うるさい。

 化け物が近付いてくる、鬱陶しい。


 体が熱い。胸からの出血でどんどん期は遠くなって来るのに、体の芯から燃えるほどの熱さが感じられた。身を任せてしまいたい、この衝動に。いや、それよりも眠りたい……


「エ?」


 モスマンが間抜けな叫びを上げた。

 もうどうでもいい、眠ろう。




 ……一方その頃、地上フェスティバル会場!


 陰鬱なサウスポイントには似合わぬ喧騒に、その日街は包まれていた。派手な出店、上がる花火、煌びやかなイルミネーション。通行人の顔にも笑顔が見える。


「チキショウ、泥棒だ!」「ワッハッハ!」「この野郎、殺せ!」


 無論、犯罪都市であるサウスポイントに安寧が訪れたわけではない。だが、それでも転機になるのは確かだろう。サウスの開発はここより始まり、繁栄の時代が始まる。少なくともここで暮らす人々は、まともな暮らしが出来るようになると信じていた。犯罪に手を染めずに済み、命のやり取りをせずに済む世界が来ると。


 祭りの一団の中に、朝凪探偵事務所の面々もいた。

 彼らは美味に舌鼓を打っていた。


「うむ、美味いな。

 恋ちゃん、また腕を上げたんじゃあないのか?」

「いえいえ、そんなことありませんよ。

 素材がいいんです、素材が」


 牧野恋は照れながらもまんざらではない笑みを浮かべた。今回の祭りでマーセルはバイオ食材の露出を増やそうと露店を出していた。バイオ生物は外見がグロテスクなものが多く、そこで嫌厭する者も多い。だから彼らは元の姿を残さないように苦心した。


「これはすり身にキモを加えて、コナを繋ぎにして混ぜたものです。

 どうですか?」

「魚のうま味だけが引き出されているような感じだ。

 雑味がないのがいいな、これは」

「これならええ宣伝になるわ。

 それに見てみぃ、クーたちの食いっぷりを」


 エイファは横目にクーデリアと、それからアリーシャを見た。二人は振る舞われた料理を次から次へと、『美味い美味い』と言いながら次々と胃へと送り込んでいる。それに興味を引かれた者たちが注文を行うという好循環が生まれつつあった。


「やっぱ、宣伝をさせるならバカに限るってことかいな?」

「ああ、気持ちのいいバカならば、みんなも気持ちよくなってくれるさ」


 そんな一団に興味を引かれて、彼らの知り合いもそこに顔を出して来た。


「やあ、いい食べっぷりだね。私にもお一ついただけるかな?」

「結城先生。お体の具合はもうよろしいんですか?」

「痺れるような感覚は残ってるけど、大丈夫。

 いざとなったら母さんに支えてもらう」

「あらあら、私だっていつでも支えてあげられるわけじゃないんですよ?

 出来る限り、命ある限り長さえしたいとは思っていますけどね。

 ウフフフフ」


 結城夫妻はナチュラルに惚気た。

 そんな二人を、ユキは苦笑して見た。


「あっ、ユキですの!」

「こんにちわ、アリーシャちゃん。楽しんでいるかい?」


 ユキはアリーシャに目線を合わせて、にこりと微笑んだ。

 和やかな風景。


 だが、突然ユキの表情が険しくなった。

 彼は勢いよく立ち上がり、天を仰いだ。


「いま、悲鳴が……」

「悲鳴? 何を言っているんだい、何も聞こえなかったけれど……」


 しかし、結城正幸は確かに悲鳴を聞いた。切実な悲鳴を、彼は家族を置いて、その場から駆け出した。彼を追い掛けようとしたアリーシャがエリヤに止められた。


 人波をかき分けユキは走った。

 彼が辿り着いたのは、休業日で人気のない倉庫の近く。


「ARRRRRRGU!」


 恐るべき咆哮が大気を揺らした。見上げると、何かが落ちて来ていた。それは倉庫の壁面に激突し、めり込んだ。両腕をもぎ取られ、苦し気に黒い液体を吐き出す怪物がいた。それに跨っていたのは……ユキのよく知る人物だった。


「……御桜、先輩? いったい、何を……」


 ユキは一歩近づき、そして息を飲んだ。

 それを見つめていた周囲の人間も同様に。


 メキメキと音を立て、優香の華奢な体が膨れ上がった。同時に、体の内側から黒くゴワゴワとした毛がせり出し、彼女を覆い尽くした。彼女の体は見る見るうちに大きくなり、すぐに2mを越え、3m近くなった。もはやそこに少女の面影はない。


 優香は腕を振り上げ、怪物の頭に打ち下ろした。

 モスマンロスペイルは爆発四散した。


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