10-迫る彼女の死
「ありがとうございます。
娘の未練を晴らしていただき、本当にありがとうございます」
白髪交じりの男性は深々と頭を下げた。
僕の方も、思わず頭を下げてしまう。
「顔を上げてください。
ご遺体は警察が見つけ、数週間以内に戻されるでしょう」
僕は回収しておいた、血まみれのミサンガを渡した。彼女の誕生日に両親が送ったものだという。それを見て、二人はまた嗚咽した。見ていられない。
「ありがとうございます、本当に。少ないですが、お礼です」
彼は懐から厚みのある封筒を取り出した。
僕はそれを受け取り、バッグに仕舞った。
「この子の死を悼んでいたいですが……
しかし、私には実際時間がない。行かないと」
「あなた、こんな時くらい会社を休んだっていいじゃない。
あの子もこうして……」
「すまない、本当にすまない。
だが、私がいなければプロジェクトに遅延が……」
二人とも涙を流し、抱き合った。これ以上僕がここにいるのは、あまり良くない。僕はもう一度頭を下げて部屋から出て行った。外まで二人の鳴き声が聞こえて来た。
僕はマンションの一角に作られた公園、そのベンチに腰掛けて天を仰いだ。いつも通り伸び色の空が広がっているだけだった。とてつもなく気が滅入る。
「……あれ、どうしたんですか? 結城さん……ですよね?」
いきなり話しかけられ、僕は跳び上がるほど驚いた。
くすくすという笑い声。
「そんなにびっくりするなんて、何か悪いことをしているみたいですよ?
どうしてこんなところにいるの?
懺悔したいことがあるならお姉ちゃんが聞いてあげようか?」
「いいですよ、御桜さん。ちょっと気が滅入ることがあっただけですから」
『懺悔』と言う単語を聞いただけでも、少しだけ気分が悪くなって来る。シティで普通に信仰されている宗教団体でもよく聞く言葉だが、しかし彼らに悪用されてもいる。
「気が滅入る、って……ああ、やっぱりここにはお仕事できたんですね」
「うん、僕の両親が暮らしているところとも離れているからね。
普段は用がないんだ」
「気が滅入ること、って言えば……依頼人が嫌な奴だったとかですか?」
「そんなことはないよ。依頼人はとてもいい人だった。ただ、ね……」
少し考えて、僕は詳細をぼかして話した。
彼女への注意喚起と言う意味もあった。
「『真理射抜く瞳』っていう名前の新興宗教がある。聞いたことは?」
「新興宗教、ですか? この辺りじゃあまり……
っていうか全然聞いたことないです」
そうだろうな。彼らの拠点はサウスにあり、近付いた人間を引きずり込んでいるのだ。
「オーバーシアは危険なカルト宗教だ。
教主の言葉を第一義とし、それ以外の価値観を異端と見なす。
教義のためならば殺人も容認するような、そんな危険な宗教なんだ」
「殺人、って……! よくそんな連中が支持を得られますね?
引いちゃいますよ」
「まあ、その辺が巧みなところでね。
彼らと関わりの浅い人間に対しては、猫を被っているらしいんだ。
危険なところを隠し、文科系のサークルです、みたいな顔をして近付く。
その中で対象に耳に毒を吹き込み、洗脳していく。
場合によっては薬物を使用するようなこともあるらしい。
確か今日、警察発表があるって言ってたかな……」
御桜さんがヘッドラインを確認し、その記事を見つけた。
「広域指定団体に認定……ってことは、オーバーシアって連中は」
「これで完全な公共の敵、ってわけだ。
大っぴらな勧誘活動をするわけにはいかなくなった。
ただ、組織が地下化し、先鋭化する可能性もあるって話なんだ。
これいままで以上に強引な手段、例えば誘拐や通り魔殺人を行うかもしれない。
十分注意してくれ」
御桜さんは緊張した面持ちでぎこちなく頷いた。
少し怖がらせ過ぎてしまったか。
「まあ、サウスに近付かなければどうってことはないと思うよ。
あいつらの活動拠点は治安が悪い地域だからね。
昨今は物騒だから、市長軍も巡回しているし……」
僕が慌てて取り繕うと、ようやく御桜さんは笑顔を取り戻した。
「それじゃあ、僕はこれで。また、会いましょう」
「ええ。何かあったら。それから、結城さん」
立ち去ろうとする僕を、御桜さんは呼び止めた。
彼女は満面の笑みを浮かべて言った。
「この間は、助けてくれてありがとうございます。
あたしも、お父さんも」
それだけ言うと彼女は深々と頭を下げて、去って行った。ありがとう、か。ここしばらく言われてこなかった言葉だ。言われる資格もないと思っていた。
「……『ありがとう』はこっちのセリフだ。
ありがとう、これでまた戦える」
僕は踵を返して歩き出した。
オーバーシアの息の根を必ずしや止めるために。
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鼻歌さえ歌いながら、御桜優香は家路を急いだ。大丈夫、焦ることはない。ここは街の西側、それなりに治安はいい。そこから北側に向かうのだ、まったく安全だろう。
「オーバーシア、か。いったい何をしようとしているんだろうなぁ……」
軽く記事を見て見ただけでも、彼らが繰り返していたという『実験』と『洗礼』、そして『救済』について知ることが出来た。おぞましき教義と恐ろしき儀式、そして凄惨な殺人。写真こそ載せられていなかったが、それだけに想像力を掻き立てられる。
(あんな物を見てしまったからだよ。
家に帰って、それで寝よう。それで終わりだ)
こみ上げる吐き気を堪えながら、優香は歩調を速めた。と、その先に人影が現れた。彼女はそれをかわして先に進もうとしたが、しかし人陰は彼女がいる方向に足を踏み出した。右に踏み出せば左に、左に踏み出せば右に。まるで通せんぼをしているようだ。
「あの……あなたはいったい? 何かご用ですか?」
話しかけてしまって、後悔した。もし発狂マニアックの類だったら? 家族の方針で銃は持っていないし、スタンガンの類も持っていない。目の前の目麗しい、プラチナブロンドの髪の男が悪人だとは思いたくなかった。だが、独特の雰囲気を纏っていた。
「これは失礼。ですが、あなたをお待ちしていたんですよ。
一緒に来ていただきたい」
彼は目にも止まらぬ速度で優香の腕を掴むと、引いた。彼女は引き剥がそうとしたが、しかし華奢な体格に見合わぬ万力のような力に抵抗することが出来なかった。
「はっ……離してください! 何なんですかあなたは、さっきから!」
「おい、キミ! ちょっとやめないか!」
路地裏から市長軍と思しき制服を着た男が現れた。彼はアサルトライフルを構え、男を威圧した。それでも、男は優香から手を離そうとしない。余裕のある笑みを浮かべる。
「オイ、聞こえているんだろう!
ぶち込まれたくなかったら大人しくしていろ!」
二人組の兵士は一人が背後から銃を向け、もう一人が射線を遮らないように近付いて来た。兵士の一人はプラチナブロンドの男――クラークの肩に手をかけた。
その瞬間、兵士の首は宙を舞っていた。優香も、兵士も、クラークの腕が動いた瞬間を見ることが出来なかった。すべての力を失った体が地面に倒れる。それを合図にして、背後に控えていた兵士はトリガーを引いた。圧倒的暴威がクラークに迫る!
彼は腕を離し、駆けた残像すら目で追えぬほどの速度で兵士に近付く。そして、大口を開いた。兵士に見えたのは自分の首にクラークが噛み付く、その瞬間までだった。
首の筋肉と太い血管、脊椎の一部を食い取られ、兵士は一瞬で絶命した。死体が痙攣し、トリガーにかかっていた指が引かれる。出鱈目な方向に銃弾が撒き散らされ、その内一発が優香の腹を抉った。凄まじい痛みが彼女を襲い、口から赤黒い血が零れ落ちた。
「ああ、大変だ。キミはそのままでは死んでしまうぞ。
私の手を取りたまえ」
クラークは口元を拭いながら、優雅な動作で優香に手を差し出した。
「キミは生まれ変わるんだ。神の兵士として。いいだろう?」
優香に選択肢などなかった。
死の気配が近付いて来たから。




