10-十三階段の罠
この街には境界がある。目に見えるものと、目に見えぬもの。そして目に見えぬ境界は、その隙間から覗く別世界は、時に人を引き付ける。西と南とを隔てる境界は、清廉なるものと穢れたものの境界だ。明暗のコントラストが否応なく人目を引く。
旧世代に建造され、放棄された倉庫の前に僕は立った。シャッターや扉は鉄錆に覆われ動かなくなっており、目に付く窓という窓からはガラスがなくなっている。壁面には猥雑で攻撃的なグラフィティが描かれ、見るものを威圧する。僕は裏手に回った。
裏口に立っていた見張りの首を絞め昏倒させ、僕は音もなく中に入った。倉庫内はがらんとしており、寒々しいが、しかしどこからか音が聞こえて来る。聞こえてくるのは大音声、何かを歌っているのだろうか? 僕は地下への扉に手をかけた。
蝶番が悲鳴を上げる。同時に地下から何人もの人間の歌声が聞こえて来た。禍々しい旋律、冒涜的な歌詞、熱狂的な雰囲気。内部に踏み入れると、生臭い臭いが鼻を突いた。
「アァァーッ! ヤメロ、ヤメテ! 助けて下さい!」
ところどころに亀裂の入ったコンクリートに覆われた地下室。どこからか汚染水が染み出してきていた。そこには5人のローブを纏った男女がおり、最奥部には祭壇らしきものがあった。前に立つ司祭の手には十字眼のシンボルを付けた杖が握られている。
「使徒ウェルズは窃盗の罪を犯した。
ナルスは彼の者の罪を許し、その頭を撫でた。
ウェルズは自らの罪を悔い改め土下座し、自ら爆発四散した……」
意味不明の聖句を唱える司祭、祭壇の上には全裸の男が縛り上げられていた。彼が緊縛趣味を持っていないことは、その必死な抵抗からも明らかだ。司祭は祭壇の裏に回り、男の頭を撫でた。右手にはいつの間にか鋭利なナイフが握られている。
僕は拳銃を抜き、天井に向けて一発放った。
跳弾が不幸にも司祭の頭を抉った。
沈黙が場内を支配する。人々がこちらを見る、彼らの姿はそれぞれ違っている。作業着、スーツ、学生服、ゴスロリ、半裸。僕は彼らに聞こえるように言った。
「祈りの時間は終わりだ。
現実に帰る時間が来たぞ、みなさん」
「現実? 異なことを。
これこそが現実だ、分かっているのか? キミは?」
頭を撃ち抜かれた司祭は、しかし足の力だけで立ち上がった。頭部から地を滴らせながら、異様な光を込めた目で僕のことを射竦める。僕はそれを真正面から見返した。
「お前たちに待っているのは殺人犯としての未来だけだ」
「否、これは祈りだ。
お前たち低俗な人間には理解出来ないかもしれないがな」
会話を打ち切り、男は両腕を広げた。
彼の体が光に包まれ、ロスペイルへと変身した。
同時に、ローブを纏った修道士たちはその懐から拳銃を取り出した! 危険な45口径弾の雨を、僕は変身して防いだ。エイジアとなれば生半可な銃撃は通用しない。
「祈りの火を捧げるのです、修道士たちよ!
エイブラヒムは聖人より賜った油をまき火をつけた。
罪業は浄化され、炎は悪魔を悉く飲み込むであろう!」
身勝手な聖句を口にすると、修道士たちがもう一度懐に手を伸ばした。そこから出て来たのは……手榴弾! この密閉空間、放てば彼らの方が重篤なダメージを受けるだろう!
彼らは一斉にピンを引き抜き、ほとんど同じタイミングで投げた。僕は身を低くして駆け出し、飛んでくる手榴弾を回避。殺傷半径より逃れ、司祭に跳びかかった。司祭は垂直ジャンプでそれを回避、天井を突き反動で致命的ストンピングを繰り出して来た。僕はもう一度地を蹴り、祭壇の方に跳んだ。簀巻きにされた男を抱えて祭壇の向こう側へ。
同時に、手榴弾が爆発した。飛散した破片が密閉空間を満たす。粗末な木で作られた祭壇をも貫通するが、それは僕が盾になって防いだ。男を床に置き、立ち上がる。修道士たちの方が負っているダメージは大きい、だがまだ彼らは立っていた。
「無駄だ、エイジア。貴様は俺には、信仰心には勝てん。
聖なる光を喰らえーッ!」
僕は祭壇を蹴り、聖なるシンボルを砕きながら天井に向かって飛んだ。ロスペイルは両掌を合わせ、僕に向けた。そこに光が収束し、光線が放たれた。天井を蹴り軌道を変え光線を回避、僕が一瞬前までいた場所が溶けた。トキシックほどの威力ではない。
地上に降り立った僕を銃弾が狙う。小刻みなジグザグ走行で銃弾を回避、人間の反射神経ではエイジアに追いつくことが出来ない。光線の反動で身動きが取れなくなっていたロスペイルが動き出す。赤熱する拳を固め、殴りかかって来る。あの光線は自身の体にもフィードバックをもたらすので、そうそう連射出来るものでもないのだろう。
迫り来る拳、僕は上体を逸らしそれをかわした。
「イヤーッ!」「グワーッ!」
不安定な姿勢のまま飛び上がり、全身を捻り回し蹴りを叩き込む。側頭部に蹴りを喰らったロスペイルが悲鳴を上げながら倒れる。反動を殺さぬまま空中で一回転し立ち上がると、僕は信者に向かって行く。
ロスペイルが悶絶しているうちに、仲間をすべて倒す。銃撃のダメージは微々たるものだが、まったく無いわけではない。衝撃が僕の視界を揺らし、時折基礎装甲に撃ち込まれた弾丸が無視出来ぬ痛みを生み出す。十分に加減し、5人の信者を気絶させた。
「グッ、グググ……バカな、この俺が……
信仰は、遍く我々のためにあるというのに!」
「妄想は終わりだ。現実が貴様を殺しに来たぞ」
僕は呻き、這いずろうとするロスペイルの背を踏んだ。
情けない悲鳴が上がった。
「アンダー・ザ・サーティーン。知っているな?
奴らがどこにいるか教えてもらおう」
「バカめ! 例え知っていたとしても教えるものか!
我らは尊く強固な信仰という名の鎖で繋がれた兄弟!
裏切ることなど――あってなるものかァーッ!?」
掌をくるりと返し、ロスペイルは決死の覚悟で光線を放とうとした。だが、僕がロスペイルの背骨を砕き、腹を打ち破る方が早かった。怪物は爆発四散した。
「また外れか……」
サウス住まいの人々やウェストの学生たちが誘拐され、死亡する事件がここ最近多発していた。そして、十字眼のシンボルを持つ怪しげな人物の目撃証言も増えていた。何か関係がある、そう考え僕は調査を開始した。ここのところ、空振りが続いていたが……
僕は誘拐された男性を抱え、血と錆の世界からの脱出を図った。
■◆■◆■◆■◆■◆■◆■
その有り様を、監視カメラから覗く者があり!
「素晴らしい残虐さだ。
ビームロスペイルは弱くなかった、が」
そう発現したのは、白い司祭服めいた衣装を着た男だった。流れるようなプラチナブロンドの髪、透き通るほど白い肌。彼の四肢には青い血管が見えた。
「儀式も全う出来ぬ軟弱者がいくら死んだところで、いささかの支障もなし」
レスラーめいた大男が椅子にふんぞり返りながら言った。
そしてそれは決して単なる比喩ではない。胸元には彼が実力で簒奪したタイトルバッジが誇らしげに輝いていた。彼の名は郷田玄介、危険な暗黒地下格闘場のタイトルホルダーであり、2mを越える巨躯の持ち主であり、そして油断ならぬ危険なロスペイルである!
「だがトキシックがやられたぞ。
彼もなかなかのお手前であったが……」
「所詮はテクノロジー頼みの三下だ。警戒するほどのこともなし」
郷田の言葉はあくまで冷徹なものであり、彼も思わず苦笑する他なかった。
「そも、十三階段の半分が集まっていないのだ。
つまりそれは、相手の危険性を少なくとも認識出来ないということ。
多少の強さはあるようだが、大局に影響を及ぼすほどではないだろう。
そういうことではないのか、クラーク?」
円卓の末席に身を置く女性が低く呟いた。薄暗い室内には部屋の大半を占領する円卓が設置されており、14個の椅子が等間隔に置かれていた。一つはその中でも豪華なつくりをしており、大きい。教主を迎えるためのものであるため、当然だ。
「ジャッジメントが死に、トキシックが死んだ。
警戒してしかるべきだが、所詮は一人」
「一人ではない。エイジアの仲間にも、おかしな連中がいるのは確かだ」
女性の目が細まった。
深い傷痕が、それに呼応するように醜く歪んだ。
「どういうことだ、デッドマーク?
言いたいことがあるのか?」
「俺は奴らと接触した……
奴は俺の射撃を回避し、あまつさえ一撃をくれようとした。
ただの人間にしか見えなかったが……
やはり油断出来ない敵であることは確かだ」
デッドマークと呼ばれた男はそう言うと、再びテンガロンハットを目深に被った。
「すでに『十三階段』が二人殺されている。油断するべきではないぞ」
「その通りだ。彼らは神敵、教義を理解することの出来ない人間だ」
奥の神聖なる座禅の間から、男が出て来た。
オーリ=ガイラム。
「追い詰めて、始末せよ。
神敵は流言と飛語を弄し我らの教化を妨害して来た。
神は己の言葉を人々に届けるべく、異端者の口を抉った……
これは聖戦ぞ」
ニッ、とガイラムは笑った。
そこには得も言われぬカリスマ性があった。
「すでに手は打っております。
新たな信者も獲得出来て、まさにWinWinです」
プラチナブロンドの男、クラークは端末を操作した。
モニターに少女が映し出される。
「彼女を囮に使いましょう。
エイジアの縁者で、恐らく適性があります」
モニターに映し出された少女、その名は――
御桜優香。




