03-酸の怪物
学生向けのアパートや施設が立ち並ぶ学園都市。猥雑な都市においては稀なことに、宵の刻は草木さえ眠る。もちろん、教員や警備員を除いての話ではあるが……
僕はライトを片手に校舎を見回った。20時を回り学生は殆どが帰宅し、校舎内は静まり返っている。僅かに残った生徒たちが、頼りない明かりに照らされ勉学に励んでいる。
「ううッ、夜の校舎って怖いですねぇ……
あ、あれだけ明るかったからでしょうか?」
「昼間は人でごった返していたからね。
人がいなくなるとその分、肌寒く感じる」
しかし、サイボーグが宵闇如きを怖がる必要があるのだろうか?
正直な話、彼女の身に秘められた力の方が僕にはよっぽど怖い。
もちろん、口には出さないが。
「で、でも、ロスペイルがここにいることは確かなんですよね?」
「うん。昼の内に配管を調べてみたけど、焼け焦げたところがあった」
調べたところ、ボヤ騒ぎさえ起こったことはない。あそこを這い回っていた何かがいたのだろう。それが女子生徒を殺害し、いまも我が物顔で校舎を動き回っている。
歩いていると、ゴボッ、ゴボッと言うくぐもった音が聞こえた。クーデリアがひきつった声を上げるが、僕は押さえた。冷静に音のする方向を見る。先にあったのは生徒会室。
「――ユキ!」
僕は走り出し、生徒会室の扉を乱暴に開けた。すぐにユキの姿が見え、配管から何かが這い出して来るのが見えた。僕はユキの襟首を掴み、引き寄せた。高い悲鳴が聞こえ、続けて配管から液体が飛び出して来た。それは床や机に飛散し、それらを焼き焦がした。
「こっ……これは? えっ、兄さん?」
「下がっていろ、ユキ!」
ユキを助け起こし、部屋の外に出した。
飛散した液体はひとりでに立ち上り、人型を取った。ドロドロした薄気味悪い黄色の液体で構成された、アシッドロスペイル。耐えがたい汚臭を放つそれは、僕たちに向かって『腕』を突き出して来た。
「危ない、結城さん! イヤーッ!」
僕の頭を飛び越え、クーデリアがアシッドに蹴りを繰り出した。液体がへこみ吹き飛ばされ、壁に激突。ガラスと壁をグズグズに溶かしながら立ち上がった。
「ムゥ、蹴りの手応えがありませんね。
液体はさすがに蹴れない、か」
そもそもあれを蹴っても大丈夫なのか?
サイボーグだとは言っても……
「クーデリア、ユキを頼む。
あいつの相手は……僕がする!」
キースフィアをバックルに挿入。
僕の全身が銀色に輝く装甲に包まれた。
「兄、さん? それはいったい……」
僕はユキの言葉を無視し、駆け出した。肩から伸びる赤いラインが発光、腕が赤熱する。燃え上がる拳を携え、僕は汚濁の塊に殴りかかった。
ジュウッ、アシッドの体が熱に晒され蒸発した。怪物は苦し気に体を捩る、だがそれは有害な液体が気体になったということ! 有毒ガスに晒された天井が黄色く変色する!
「ユキを出来るだけ遠くに連れて行ってくれ。早く!」
アシッドは腕を鞭のようにしならせ、僕に打ちかかって来た。逆の手の赤熱機構を作動させ、それを受け止めた。通常装甲では酸に晒され溶けてしまうだろう。いついかなる時も、この赤熱機構を解除してはならぬ。受け止め弾き、反撃の一打を繰り出した。
燃え上がる拳がアシッドの体に打ち込まれ、一撃ごとにその体を抉った。だが、アシッドは動きを止めない。体の一片さえ残っているなら支障はないということか?
「ならば、全身を一気に焼き溶かしてやる……!」
僕は一旦アシッドと距離を取り、キースフィアを一段強く押し込んだ。
両腕が燃え上がり、銀のガントレットが白熱する。込められたエネルギーを見て、アシッドは怯んだ。TCAに備えられた攻撃能力を、一時的にブーストさせるための機能だ。
中腰に立ち、構えを取る。踏み込み、一気に距離を詰める。
そして拳を繰り出した。打ち込み、引き戻し、また打ち込む。一打一打がアシッドの体を削り取る、強力な連打を。圧倒的熱量に晒され、液体で構成されたアシッドは瞬時に蒸発した。
「こんなに凶悪なロスペイルがいたなんて……でも、これで」
これで……何だ? 事件は解決したとでも?
そうではない、きっとこれは……
ともかく、ロスペイルは倒した。しばらくは大丈夫だろう、しばらくは。僕は窓を開け放った。未だに有毒ガスは高濃度で室内に滞留している、吐き出させねば。
「兄さん……兄さんなんでしょう? どうして、そんな姿に?」
ユキが僕のことを見た。真っ直ぐな瞳で。僕はそれに耐え切れなくなり、窓から身を躍らせた。追いかけようとするユキを、クーデリアが止めるのが聞こえた。
(ごめん、ユキ。ごめん、クーデリア。でも、僕は……)
僕はキミたちを否定するために家を出た。
どんな顔で会いに行けばいい?
それに、事件はまだ終わっていない。
隠された真実を見つけ出すまで、帰れない。




