08-強大なる敵、ベヒモス
いきなり何を言い出すんだ、こいつは。
外に出ろ? 子供を連れて?
「どうして僕がそんなことを……
っていうか、あんたが連れて行けばいいだろう?」
「これでも追われる身だし、犯罪者なんでね。
この子の教育によくないんだ、俺はね。
それを言うとキミは免状持ちの私立探偵だし、家族は金持ちだ。
この子のためになるし、キミの方が俺よりも追われにくい。
まあ、頼まれちゃくれないかね? 虎之助くん?」
僕はカプセルの中から出て来た少女を見た。
規則正しい呼吸、取り敢えず生きてはいるようだ。だが、こんな環境で長く生きていくことは出来ないだろう。そして、ジェイドにはこの子を助ける気など欠片も無いようだ。僕はため息を吐いて、頷いた。
「分かったよ、仕方がない。この子は僕が預かる。
それでいいんだろう?」
「グッド、契約成立だ。
では、キミを出口へと案内しよう……」
その時、足音がした。僕たちは慌てて振り返った。
そこにいたのは、怪物だった。
全身を鱗で覆った、トカゲのような生命体。だが、身体特徴は明らかに異なる。ねじくれた角、盛り上がった筋肉、肉体の強さを誇示するような六つ割れの腹筋。背中からは薄く黒い翼が生えており、口元からは鋭利な牙が露出している。その姿を見て、僕はカートゥーンに登場する悪魔の姿を連想した。
「ベヒモスか。
参ったな、こんな奴に目を付けられることになるとは……!」
ベヒモスはレスラーめいた構えを取った。
両腕を軽く曲げ前に突き出し、腰を落とした前傾姿勢。両足で踏ん張っているので生半可な衝撃は効かず、パンチやキックは懐の深さが防ぐ。戦い慣れている、立ち姿を見ただけでもそれが分かった。
「虎之助くん、合図とともに右から抜けろ。
振り返らずに行くんだ、いいね?」
僕は子供を抱えて頷いた。
貫頭衣にはネームが入っている、『アリーシャ』と。
ジェイドは4枚のカードをロード。『PLAIN』の後に『MIRROR』が3回続いた。プレーン態のロスペイルが生成され、その姿がセラフのものに変わった。そして、中空から僕とセラフの姿も生じる! セラフが展開した鏡の力だ!
僕は駆け出した。ベヒモスと呼ばれたロスペイルは鉤爪を振るい僕を狙う。首筋に一撃を喰らうが、しかし砕ける。鏡像だ。それに構わずベヒモスは爪を振るう、振るう、振るう! 四つの胸像が砕け、プレーンロスペイルが青い光に還元される!
そして、僕たちはその影からベヒモスに飛びかかった!
狭い室内と入り口、ベヒモスを振り切ることは不可能だ。だから僕たちは蹴り抜けることにした。ダブルキックを喰らったベヒモスはさすがによろめき、その隙を突いて僕たちは両脇を抜けた。素早く入り口に飛び込み、外を目指す!
「一瞬だって止まるなよ、虎之助くん!
死にたいってんなら話は別だけどな!」
走る僕の視界が赤く染まった。
振り向くと、僕たちが出て来た扉から赤々とした炎が吐き出されていた。火炎はもっとも単純なエネルギーの放出パターン、この力を使うロスペイルは多い。だが、桁違いの出力に僕は戦慄した。
「あいつはいったい何なんだ!
お前、あいつのことを知っているんだろ!」
「ああ、よく知っているよ!
だが普段はこんなところにはいないんだ、まさか目を付けられるとはね!
驚きだ! アリーシャ嬢は彼らにとっても大事なものらしい!」
背後から焙られながらも、ジェイドは笑った。
こいついったい何を考えている!?
「何がおかしいんだよ、ジェイド!
ちょっとでもミスをしたら、死ぬんだぞ!」
「分かっているさ虎之助くん! だが愉快でね!
俺の嫌がらせが効いてるってのが!」
ワケが分からない。直線の通路を駆け抜け、曲がり角に飛び込み、それを何度か繰り返して僕たちは地上に出た。その直後、入り口から煌々と炎が立ち上った。
「何か使えるものはないのか!?
あいつの足止めが出来るようなものが、何か!」
「悪いがこっちはタネ切れだ。
短時間に使えるのは6枚が限度、疲れるんだよ」
使用制限がある能力、ということか。
少なくともジェイドはもう役に立たない。
「それより早く逃げるぞ、虎之助くん!
この程度、まだ序の口だからさ!」
「序の口!? あんな化け物みたいな炎が序の口だって?
面白いことを言う!」
僕たちは走った。ビルとビルの隙間に入り、呼吸を整える。
「確かに凄まじい力だけど、力を合わせればどうにかならないことはない。
違うか?」
「違うね。まだキミはベヒモスの力をすべて見ていない。
だからそんなことが言える」
恐ろしい咆哮が聞こえて来た。ベヒモスのものだ。僕は物陰から様子を伺った。ベヒモスは周囲を見回し、時折怒りをぶつけるように壁やアスファルトを殴っている。
「相手はこちらを見失った。いまのうちに動こう、ジェイド。
出口はあるんだろう?」
「もちろんさ。そしてそれなら好都合、こっちに来い。
逃がしてやるからさ……」
僕たちはそこから動こうとした。
ところで、低い声が聞こえて来た。
「まだるっこしい……鬼ごっこはもうたくさんだ。
終わりにさせてもらうぞ……」
それは、人語だった。
間違いない、あいつも人の心を持ったロスペイル……!
だが、真に驚くべきはそこではなかった。メキメキと言う不穏な音が聞こえて来た。僕は物陰からそれを見て、息を飲んだ。ベヒモスの体が、段々と変形しているのだ。
変形、否、そんな生やさしいものではない。筋繊維が肥大化し、骨格が変化していく。それに呼応するように、周囲のアスファルトがひび割れ、風花していった。ベヒモスの体が大きくなっていくたびに、周囲の物体が萎んで行っているのだ。不可思議な光景。
「ベヒモスは周囲の物体を取り込み、再構成する能力を持つ。
どういうことって?」
言われなくても、言わんとしているところは分かった。目の前で繰り広げられているのだから、当たり前だ。あんなロスペイルが存在するなど、想像もしなかった。
「デカくなるんだよ、あいつはな。
建物を踏み潰してしまえるほどに……!」
30mをゆうに超えるであろう怪物が、そこに現れた。
黄金の目が僕たちを捉える。




