02-闇の中の少女
大気汚染に晒され、常に鈍色の雲が広がる都市にも、夜は来る。暗闇にたなびく煤煙を背景に、僕――結城虎之助――は跳んだ。闇と光の境目を、汚染を垂れ流す港湾工場を睨んだ。
僕がいま身に着けている鎧の名はTCA『エイジア』。
僕の探偵としての、そして戦士としての師匠、野木楽太郎さんから受け継いだものだ。彼はこの力を使って都市に蔓延る怪物、蒼褪めし者と戦ってきた。
だが戦いの最中、彼は重傷を負った。僕は彼の身に着けていたバックル『エイジアドライバー』を受け取り、戦った。これまでの戦いで負傷していた怪物を辛くも倒した日から、僕はエイジアとなった。
エイジアが何なのか、それは僕にも分からない。野木さんもこの力を先々代の探偵、朝凪幸三氏から譲り受けたのだそうだ。物質を電子サイズまで分解し、キーでありエネルギー源でもある黄金の宝石『キースフィア』を挿入することによって鎧を復元する。
原理を説明されてもさっぱり分からない。少なくとも、現代の都市には存在しない技術だ。それはエイジアに内蔵された高熱放出システムも同様だ。ロスペイルを易々と溶断するような力はこの街にはない。
エイジアはまさに、オーバーテクノロジーと呼ぶに相応しいものだ。誰にも解析することの出来ないテクノロジー、いまも躍起になって調べていると言うが、遅々として成果は上がっていない。
「……とりあえず、異常はないみたいだな。よかった」
定期的に僕は街を見回るようにしている。
ロスペイルは人の感情に惹かれ、それに応じた行動をとる。兆候を掴むことは出来るが、しかし犠牲者を一人出すということでもある。出来る限り犠牲者は減らしたい、だから不確実でもパトロールを行っている。
東西南北、大まかに四ブロックに分けられた都市の中で、ここはそれなりに治安の悪い場所だ。もちろん、南端とは比べ物にならない。だがヤクザと労働者、そして行政機構がひしめくこの街には独特の危険がある。そして、そうした危険と憎悪はロスペイルの好むものだ。
それに……牧野さんの件もある。
先日の件で、彼女は深く傷ついた。
何となくだが、気になってしまったのだ。
(とりあえず、何もないみたいだな。今日はもう帰るか)
僕は踵を返し、事務所に帰ろうとした。
ところで、強化知覚が何かを捉えた。それは、切羽詰まった足音。それを追い掛ける複数の人間。否、人間ではない。呼吸のパターンが人間のそれとは違う。これは……ロスペイルに追われている。
逃げているのは二人。
考えている暇はない、僕は跳んだ。
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バイトを終わらせ少女、牧野恋は家路についた。あの事件から数日、まだ心の整理はついていないが、しかし現実は重く彼女にのしかかって来る。生きるために彼女は働かざるを得なかった。
彼女はいま、『マーセル』というレストランで働いている。港湾部で取れるバイオ海鮮類を使った新鮮な料理が売りの店だ。まだまだ小さな店で、生活は決して楽ではない。それでも彼女は満足していた。
(いつかはお店を持ちたい。私だけのお店を)
少女は辛い現実を乗り越え、未来に向けて歩き出そうとしていた。
「……あれ?」
そこで、恋は奇妙なものを見つけた。
道路の真ん中に襤褸布が転がっているのだ。
それもただ転がっているのではない、膨らんでいるのだ。
まるで人が中にいるように。
「……」
サウスエンドほどではないが、ここも治安のいい場所ではない。強盗のトラップかもしれない。だが、恋は好奇心と胸騒ぎを抑え切れず、それに歩み寄った。襤褸布を剥がすと、そこには。
「……女の子?」
そこに転がっていたのは、年若い少女だった。
色素の薄い肌と髪、ピッタリと閉じられた目と潤んだ唇。ボロボロになった衣服を纏っているが、しかし乱暴の形跡はない。時折彼女は苦し気に呻き、身をよじらせる。恋にはワケが分からなかった。
「ちょっと、あなた大丈夫なの? どうして、こんなところで……」
そこまで行って、恋は彼女の大腿部に傷があることに気付いた。銃弾か何かを受けたのだろうか、抉られた傷跡は痛々しい。しかし、不思議なことに出血は殆どない。
(どうなっているの、この子?)
どうしようか決断しあぐねていた恋の耳に、複数の足音が聞こえて来た。重々しい金属音を響かせ、路地から出て来たのは金属光沢を放つ人型。すなわち、ロスペイル。
(……!? まさか、この子あいつらに追いかけられて……!)
考えるより先に体が動いた。
恋は彼女の体を抱え逃げようとした。だが、動かない。
彼女は華奢な体格からは想像も出来ないほど、重かった。
「なんでっ……!」
考えている間に、彼女はロスペイルに包囲されてしまった。鈍色の体をしたブリキめいた怪物5体が彼女を包囲した。このままでは、逃げることさえもできないだろう。
「大人しくその少女を渡したまえ。
そうすれば、キミに危害は加えないと約束しよう」
人の声? 然り、人の声だ。
ハスキートーンの声がロスペイルの一団、その後ろから聞こえて来た。一列に並んでいたロスペイルが割れ、そこから一人の男が現れた。厳めしいミリタリーコートに身を包み、帽子を目深に被った男が。
「あなたは……いったい何者なんですか?
どうしてこんな女の子を……」
「詮索する犬は長生きしない。
彼女の正体を知ろうとするのは得策ではない」
ワケの分からぬことを、男はべらべらと喋った。恋は世間知らずの少女だったが、道理を知らぬわけではない。彼に自分を生かして帰す気がないことは分かっていた。
だから、ポーチから拳銃を取り出し銃口を向けた。
男は呆れたように頭を振った。
「それ以上近付かないで。
周りの化け物が動くよりも先に、あなたを撃つ」
「困ったお嬢さんだ。
そんなオモチャが私に通用するとでも思っているのかね?」
男は帽子に手をかけ、コートを脱ぎ捨てた。
その下にあったは、金属光沢を放つ肉体!
「あなたも、ロスペイルだったの……!?」
「ほう、見たのは初めてではないか。
ならば、キミを生かしてはおけなくなった」
男は確かにロスペイルだった。だがどこか……違和感があった。
首元には後付けされたと思しきチューブが通っている。右腕には硬化クリスタルのシールドと銃火器が取り付けられている。まるで人間の技術で、ロスペイルを覆っているような……
いずれにしろ、状況は絶望的だ。
恋の力では、ロスペイルには勝てない。
(……結城さん!)
恋は敵を見据えながら、かつて自分を救ったヒーローの登場を願った。
だが彼は現れない。少女は夢半ばで怪物によって殺されてしまうのか?
その時、背負われていた少女が目を覚まし、地面に降り立った。そして、恋を優しく押し退けて前に立った。彼女の瞳孔がレンズめいて収縮した気が、恋にはした。軍服を着ていたロスペイルの前に。
「ありがたい、キミの方から来てくれるとは――」
男は左手を差し出した。
少女は左手を取り――それを握り潰した。
男は潰された左手に目を見張った。
少女はその場で反転、自身のウェイトと回転エネルギーを込めた蹴りを放つ。鋭い蹴りを胴に受け、男の体が後方に吹っ飛んで行く。素体を巻き込み壁にめり込む男を無視し、少女は周囲の敵を睥睨した。
左端にいた一体が鋭い爪を突き込んで来る。彼女はその側面に回り腕を取り、バットを振るように投げ捨てた。投げられたロスペイルは右端のものを巻き込み転倒、彼女はそれを無視した。一体目の影にいたロスペイルに水平チョップを繰り出す。チョップはロスペイルの首に当たり、何の抵抗もなく吸い込まれた。そしてその首を刎ね飛ばした。
その横合いから別のロスペイルが腕を突き込んで来る。彼女は限界まで身を低くして回避、懐に飛び込み跳ね上がった。全身のバネを使った掌打が相手を上空に吹き飛ばした。
彼女は駒のように回転し、最初に投げ飛ばしたロスペイルに向かって行った。そして跳躍、右足の踵で一体目の顎を蹴り、左足で二体目の延髄を蹴った。二体のロスペイルの首がおかしな方向に曲がり、回転。720度回り捩じ切れた。
(なんなの、あの子?
ロスペイルと、戦っている?)
恋はその光景を呆然と見上げていた。
それは、数秒以内に起こったことだったからだ。
一方で、壁に叩きつけられたロスペイルは体勢を立て直しつつあった。男は苛立ち、叫び声を上げながら素体の体を掴み、投げ捨てた。いきなりの出来事に身を固くする少女、男は仲間越しに彼女を狙った。右手に備え付けられた剣呑な火器が火を噴く。
モーターの回転音を伴い、秒間100発にも及ぶ弾丸が、人類には到底扱い切れぬ大火力が少女を狙う! 彼女は地を蹴り回避、射線上にいたロスペイルがバラバラになった! 火線は少女を狙い伸びていく!
「この私を虚仮にしおって! 許さんぞ小娘――」
鉛の獣が彼女を食い破らんと迫る!
だが、その火線が突如として跳ね上がった。
恋は拳銃を向け、放った。恐怖は不思議となかった。彼女が放った銃弾は、ロスペイルの目を正確に打った。射抜けこそしなかったが、確かなダメージを与えた。
「人間如きが――」
二の句を放つことは出来なかった。
少女はアパートの窓枠を蹴って軌道を変更、弾丸のような勢いで男に迫る。迎撃することは出来なかった。ギロチンめいて放たれた踵落としが男の頭頂に炸裂、彼に体を真っ二つに引き裂いた。
打ち上げたロスペイルが地面に落ちるのと同時に、男は爆散した。




