9、麗しき人魚姫の中の人と人族の王子 5
前回のあらすじ。
ディアドラは身を削ってイケメンを助け、小舟を奪われて海面を漂っていたおっさんを拾いました。
「あ、あの・・・フラン?」
いろいろあった翌日、いつもの様に「海の魔女」たるフランへの依頼をつくっ―――どうしても依頼したい事があった私は、気分が表に出た鼻歌を歌いながら彼女の家までやってきた・・・わけなのだが。
どうして私は険しい表情のフランに、壁ドンならぬソファドンをされているのだろうね?
もしやこれは、文字通りに身を削って人命救助した私への、神様からのご褒美なのかな?
「ディアドラ。それを、その短剣を、一体どこで手に入れたのですか?」
フランが「それ」と目線で指したのは、実用性が二の次な装飾の施された華美な短剣だ。
ソファの前のテーブル上に転がっている「それ」は、昨晩あの後、感極まって号泣しながら私に「永遠の親愛」を誓ってきたおっさんが、いらないと言ったのに押し付けてきた代物である。おっさんの腰にいつもぶら下がっていた、鞘にシーサーペントを模した金の彫刻が施してある「それ」だな。
短剣の鞘は錆びにくい金でできていても、刃はそうではない。それを下げるためのベルトは皮でできているし。海の中は金属を錆びさせるのにも、革製品を腐食させるにも絶好の場所なのだ。すぐに錆びて使えなくなると分かっている物を与えられても迷惑でしかないのだよ。
でも捨てるには手渡してきた時のおっさんのテンションが高過ぎたし、持ち泳いで美しい刀身を錆びさせるのも良心が咎める。
そんな訳で錆びなくする魔法的な何かが無いかと、フランに相談に来たのだ。
が、しかし。短剣をテーブルの上に置いた途端、これである。
この、フランを間近に感じられる体勢は、いい。実にいい。心を寄せている女性に人魚生初のソファドンをされているとか、現在進行形で夢心地だ。それに鬼畜的な行為の末に助けたイケメンこそが、安否を心配していたおっさんの息子、イェルハルドだったからと、「永遠の親愛」を捧げてくれたのも、いい。
だが、その証にとおっさんから嫌々押し付けられた物せいで、フランとの仲がこのままこじれてしまったなら許さぬ。
絶対に!確実に!末代まで祟ってやるからな!
「おっさ・・・貰ったのだよ」
「誰から?!」
近い近い近い近い!
私の口元に貴女の馨しい息がかかってるからぁ!!
少しでも動いたらラッキースケベ的なキッスができそうな位置に、匂い立つような色気と、刺す様な怒気に溢れたフランの美しきご尊顔があって、私の悪魔が動いてしまえと囁きまくっている。でもそんなことをして、年単位の長い時間をかけて築いたこの距離感が失われてしまうのはもったいなさすぎるよな!我慢だ!耐えるんだ私!
フランともっと仲良くしたいのだろう?!
精神的にも、肉体的にも!
そんな下心を封殺しつつ、私は右も左も前面もフランによって囲われた至福の空間でもって、昨夜起こった出来事をキリッと3行で白状した。
知人の息子が乗った帆船が爆発。
その知人と共に息子を救助。
感極まった知人から「永遠の親愛」の証にと短剣を押し付けられた。
以上!
我ながらスッキリわかりやすくまとまっていると思う。
「親愛の証に・・・ですか」
「はい。持ち主その人に頂きました。」
話し終えてすぐ怒気がしぼんでいったフランは、崩れ落ちるようにして私の横に座り込んだ。そして膝に肘をつき、燃え尽きたボクサーのような姿勢で私に訊ねてくる。
「そもそも、人魚の貴女がどうやって公爵閣下と知り合ったのですか・・・」
フランのため息交じりな口調は、疑っているというより呆れている感じだ。つまり、彼女の私に対する信頼は、にわかに信じ難い話を口にしても揺らぐことは無いと!
ふふふ―――って、ん?
「公爵閣下?」
「そう。このサーペントの紋章はセーデン公爵家のものですよ。貴女、この海域に接した陸の地名を知らないのですか?」
「いやいや、それくらいは流石に知っているさ。ヴェンネル王国、セーデンホルム領だろう?」
ここ10年以内に、国が変わったとか無ければの話だけどね。
口調だけは堂々と。内心ではやや不安な知識を披露したが、どうやら正解であったようだ。フランは小さく頷いた。
「では、その地を治めている現在のセーデン公爵閣下のお名前は?」
「それは―――」
わからない。なにせ300年生きる人魚たちと違い、人間たちは60年やそこらで寿命を迎えるのだ。そうでなくてもお家争いだの権力争いだのでころころと変わっていく領主など、覚えきれるものではない。
お隣さんと言えど、正確かつフレッシュな陸の情報を仕入れるのは難しいしな。
「では、この短剣を頂いた方の御名前は?」
黙り込んだ私を見て、フランは私が知らないとふんだようだ。質問を重ねてきた。
おっさんの名前か。かなり長い名前だったが、ちゃんと憶えている。わかったフリをして流すよりマシだろうと昨夜、失礼を承知で何度も聞き返したしな。前世の知識を元に勝手に付けた呼び名が、案外と実名に添ったものだったのには笑ったが。
「それならわかる。オリヴェルド殿だ。オリヴェルド・セーデン・エット・ヴェンネルヴィク」
おっさんのオリヴェルド・・・間違えた。オリヴェルドのおっさんな。
私の答えに、フランはそうでしょうと大きく頷く。そして何かを促すように、じっとこちらを見つめてきた。
「えぇと・・・」
意図が読み切れなかったのと、見つめられて体温が上がってきたのとで、私の額が汗ばんできた。人魚は海上で歌うのが好きなせいなのか、海中では不要だろう汗腺があったりする。
今も必要ないのだから働かなくてもいいのに、と思いながら額の汗を手の甲で拭うと、フランにため息をつかれてしまった。
「この短剣を貴女へ捧げたのは?」
「オリヴェルド殿」
「フルネームは?」
「オリヴェルド・セーデン・エット・ヴェンネルヴィク」
「では、この海に接した陸の地名は?」
「ヴェンネル王国、セーデンホルム領」
ヴェンネル王国、セーデンホルム領の海に接した崖の上に住んでいる、オリヴェルド・セーデン・エット・ヴェンネルヴィク。
ヴェンネル王国のヴェンネルヴィク―――っ!!ヴェンネル王国の?!エット?!
まさか!
「ヴェンネル王国の第1王位継承者!!王子様?!」
「違います。王弟殿下です。現王が即位した際に臣籍へ下り、セーデン公爵を叙されました」
驚きのあまりにビョンっとバネの様に立ち上がった私を、間髪入れずに訂正したフランが眉をひそめながら見上げてきた。かなり答えに近いヒントを与えて、やっと短剣の持ち主が大物であると理解したと思ったら、見当はずれな結論を出したのが気に入らなかったのだろう。
「ヴェンネル王国の第1王位継承者であるところは正解です」
固まったままの私を心配してか、フランがフォローをしてくれたのだが、それを素直に喜ぶ余裕はなかった。
だって!おっさんは王弟殿下で、公爵閣下。そんでもって第1王位継承者なんだぜ!
王子様ではなかったからよかったものの、王族と関わるとか鬼門でしかない――――――・・・あれ?
「現王に子は?」
「いません。王子も、王女も。ちなみに後宮には王妃、側妃、寵妃の全てをまとめて20人います」
やべぇ。
おっさんの兄って事はだな、現王は40歳を超えているはずなのだよ。おっさんの子供なイェルハルドは今18歳。現王である兄より先に弟が結婚するなんてそうそう無いだろうから、それより前に後宮は機能していたはずだ。
何が言いたいのかというと・・・現王はたぶん、いやきっと。ううん。控えめに言っても100パーセントに近い高確率で種をお持ちでないと思う。
ま、まあ。王様とはいえ他人の下事情は置いておいてだな。
「で、では・・・その王弟の、第1王位継承者の子息となるとやはり―――」
「王位継承権を持っていますよ。それも第2位の」
ですよね!
だってイケメン君、シアの肩にべったりとしなだれかかりながら、イェルハルド・セーデン・トヴォ・ヴェンネルヴィクって名乗ったもんね!ヴェンネル王国のトヴォって!!
王子様キターーーーーーーっっっ!!!!
え?え?でも待って。
「王子」の定義は「王様の子供」であることだよな?!
決して「王位継承権を持つ子供」ではないよな?!
うふ。うふふ。うふふふ。
やはりこの世界、この状況は童話の「人魚姫」に似てはいても、非なる物なのだよ。
だって人魚の末の姫なデメテレーシアは人間に恋をしてしまったものの、その相手は王子ではないのだから!
よかった!
いろいろやったにも拘らず、デメテレーシアは人間を避けるどころか恋をしてしまったけれど、童話の世界でないなら問題ない。「人間になりたーい」とか言い出したら面倒だが、それに関しては私が「海の魔女」たるフランとお話しておけば大丈夫だろう。そうすれば可愛いデメテレーシアが声を失ったり、泡となって消えてしまう事も無いはずだ。
復活した私が意気揚々とソファへ座り直すと、隣のフランが静かに見下してきながら言いました。
「今年で50歳を超える現王が崩御されれば、公爵閣下が王となり、その御子息が王子となりますね」
真の命の恩人な私を「悪魔!」とか言って指差しやがったイケメンが、割と近い未来の王子様だったなんて!!可愛いデメテレーシアに免じて暴言は許してやったのに、王子になるなんてこの恩知らずめぇ!!
フランによって止めを刺された私は、ソファの背もたれに深くもたれかかり、天井へ向かって長く息を吐いた。




