8、麗しき人魚姫の中の人と人族の王子 4
めっちゃ痛くて、非常事態とはいえ気持ち悪い事をします。注意!
ついに帆船が沈没し、月明かりしかなくなった海の上。
助けを叫ぶ人々の声が高性能人魚耳に届かなくもない距離の岩礁へデメテレーシアを誘導した私は、比較的平らな岩の上に青年を横たえさせる。そのまま横から心配そうに青年を覗き込むデメテレーシアへ、私は指示を出した。
「シア、彼に口移しで息を吹き込みなさい」
「えっ?えぇっ?!・・・――――――はい!師匠!」
キッス的な想像をして顔を赤くしたデメテレーシアだが、私の真顔を見てすぐ、躊躇なく青年に口付けて息を吹き込み始めた。よしよしその調子と思ったところで、吹き込んだ息が青年の鼻から漏れていることに気付き、デメテレーシアに今度は青年の鼻を摘んで人工呼吸をさせる。
「やだもーいやーん恥ずかしいっチラッチラ見」とかやっている場合ではなかったので、師匠バージョンで指示をしたのだが、こういう一刻も争う場合に師弟関係というのが役立つとは思わなかった。
人間への興味を無くそうという意図に反して、順調に宮廷作法が身に付いちゃったりしているが、すべてが無駄ではなかったらしい。私の10年も報われるというものだ。
「もう少し彼の顎を上げて・・・そう。ゆっくり吹き込むんだよ」
デメテレーシアが息を吹き込むと同時に青年の胸が微かに上下するのを確認し、私は彼女と反対側に陣取って青年の胸に耳を付けてみる。すると幸いなことに、途切れがちながらも心臓が動いていた。
イケメンはしぶと・・・いや、かなり強い生命力の持ち主らしい。これは心臓マッサージをせずに様子を見た方がいいかもしれない。
そう結論付けた私は、腰まで海に浸かる岩までそっと移動した。
一度、デメテレーシアをふり返ってこちらを見ていないことを確かめ。ひとつ大きく深呼吸をして、もうひとつ大きく深呼吸をして、更にもうひとつ深呼吸をして―――私は自分の尾に歯を立てた。
「んんっ!んぐぅ!」
口いっぱいに広がる血の味と、予想以上な痛みに涙がこぼれる。
真珠になった涙も使う予定なので、それらも水に濡れないようにして受け止めつつ、私は自らの肉を噛み千切った。
「っぐ!いぃぃぃぃぃっ!」
先程の比ではないくらい大量に流れ落ちる真珠の涙を、濡れていない岩の窪みに片っ端から集め、そちらへ気を逸らせて悲鳴を飲み込む。痛みに泣く情けない姿も、自分の尾の一部を噛み千切る変態的な姿も、可愛い妹には見せられない。
私はデメテレーシアにバレないよう、声を殺してしばらく痛みに耐え。痛みが引かないので涙も引かないが、ボロボロではなくポタリポタリになったくらいで、次に行動へ移った。
細かく震える手の上に、口の中の物をゆっくりと吐き出す。そしてそれを海の中で揉むようにしてよく洗った。
そうこうしている間に、青年が上手い事、肺に入っていた海水を吐いてくれたようだ。
「お姉さま!息を吹き返したわ!」
そう言って目を輝かせるデメテレーシアの前に力なく横たわったままの青年は、自発呼吸をしてはいるものの虫の息である。これまでしぶとく生き残ってはきたが、彼の命の炎は今にも消えてしまいそうだ。
私は大きくひとつため息を吐くと、「これは人命救助。これは人命救助。」と心を無にして、手の中にある血の気の無くなった肉の一部を小さく噛み千切った。そして食感と味を意識的に遠ざけながら、飲み下せるくらいまで咀嚼する。
飲み込みたくない唾液を口の端からダラダラ流しつつ苦労して球にしたそれを指に摘まみ、えいや!っとだらしなく空いている青年の口の奥へ突っ込んだ。
「んっ?!かはっ!ぐっぐぅぅぅぅ!!!」
おそらく、抜けきっていなかった「人魚の血」に毒性の反応を起こしているのだろう。青年が眉間に皺を寄せ、呼吸を小刻みに途切れさせる。
まだ暴れるような体力が戻っていないので、体を押さえる必要は無さそうだ。
それに「人魚の血」は神経毒である。神経伝達を遮断して、骨格筋どころか心臓までも止めてしまうので、体力が戻ったところで筋肉が弛緩して動けなくなっていくのだ。よって説明している暇も無ければ、加減を間違えると死んでしまうため、目を離すこともできない。
オロオロするデメテレーシアをそのままに、私は次の肉片を咀嚼し始めた。
「はっ・・・はっ・・・」
頭部と欠損した足の出血が止まり、やや肉が盛り上がり始めたところで青年の呼吸がおぼつかなくなってきた。毒によって呼吸困難に陥っているのだろう。
私はまただらしなく空いている青年の口に、今度は「人魚の涙」を突っ込んだ。
「んっ?!はぁ・・・はぁぁぁ」
途端に青年の呼吸がゆっくりと深く、正常なものになり、弛緩しきっていた体に力が入り始める。しかし今、体力が回復しきってもらっては困るのだよ。
私はなんとなく正気に戻りかけているような青年の鼻を摘まみ、反射的に開いた口の奥へ、噛んでいた「人魚の肉」を容赦なく突っ込んだ。
「んっ?!かはっ!ぐっぐぅぅぅぅ!!!」
再び苦しみ始める青年。私はその上へ乗りあげた。
思ったよりも回復が早いな。暴れられるほど回復したのはいいが、これから筋肉が弛緩していくというのに海へ落ちてもらっては困る。落ちれば溺れることが確実な青年の体を抑え込みながら、私は「人魚の涙」を与えるタイミングを計った。
さて、私が何をしているのかは、敏い皆さまならばもうお分かりだろう。
1、万病薬たる新鮮な「人魚の肉」を与える。
2、怪我や欠損が回復する。
3、新鮮な「人魚の肉」に含まれる「人魚の血」のふぐ毒強化版的作用が発動。
4、「人魚の血」は少量でも猛毒なので全身に回れば確実に死ぬ。
5、その前にギリギリのタイミングで万能解毒薬たる「人魚の涙」を飲ませる。
を繰り返すことによって、青年を助けようというのだ!
ちなみに「人魚の肉」と「人魚の涙」を一緒に与えるという選択肢はない。
何故なら、薬と毒というものは結果の良し悪しが違うだけで作用機序は似たようなものだからだ。つまり一緒に与えると、互いに効果を打ち消し合い、何の意味もなくしてしまうのである。
ついでに伝説であり、定かではない「不老不死」も「人魚の涙」によって解毒されている―――はずだ。うん。そう思うよ。そうだといいな。
毒を与えては死ぬ寸前で解毒するという。明らかに鬼畜な行為を何度、繰り返したことか。
無くなっていた足が綺麗に生えそろい、体のどこにも異常が見られなくなった頃には、青年は息も絶え絶えだった。出血で失った血液も回復したのか顔色はいいので、死にそうという意味ではなく、限界まで全力で走り切った後のような状態、な。
「き、君は・・・」
「意識が戻ったのね!よかった」
未だ青年の上に乗っかったままの私を無視して、互いの頬へ片手を伸ばし合うデメテレーシアとイケメン君。イケメン君は生命力だけではなく、精神もしぶとかったようだ。あの鬼畜的な行為に耐え抜いた上に、恋愛までして見せるとは、やりおる。
雲に覆われがちな為ほぼ暗闇な月明かりの下に飛び散る、ベビーピンクなハイライトが見えた気がして、私はそれから逃れるように海へ飛び込んだ。
生まれ変わり、種族が変わっても、身内のイチャコラを目にするのは苦行であるらしい。
ついにはハートまで漂い始めた2人から目をそらした私は、偶然、高性能人魚目を向けたその先―――帆船が沈んだ辺りに、海面を漂うおっさんを見つけた。
「おっさん・・・」
小船を奪われたのか。
その小舟はまだ奪い合いの最中らしく、相変わらず助けを求める人々が集っている。そちらに興味はないが、海面に脱力しきった状態で浮かんでいるおっさんが気になった。
し、死んでないよね?
うつ伏せだったなら私も諦めたのだが、上向きに浮いているのならまだ息があるのかもしれない。と、私は水中からそちらへ近付き、そうっとおっさんの横に顔を出した。
「ひぃっ!・・・・・・・・・なんだ。人魚か」
反射的に身構えかけたおっさんは、すぐにまた脱力して、上向きに海面を漂い続ける。
生きていたことにほっとした私は、おっさんの服を引いてゆっくり泳ぎ、とりあえず先程の岩礁へ連れて行くことにした。他の人間たちはこちらを気にする様子もないし、ここまで来て見捨てるのはどうかと思うしな。
抵抗する気が無いらしいおっさんは暫くされるがままになっていたが、唐突に声を殺して笑い始めた。急に笑い始めたおっさんに焦った私は、一旦水中に身を隠し、そうっと目から上だけ水面に出して辺りを窺う。小舟を奪い合う人間たちには聞こえなかったのか、それどころではないだけなのか、幸いなことに誰もこちらを気にした様子は無かった。
笑い続けるおっさんは不気味だし、殺気立っている人間たちに見つかりたくないしで、ビクビクと怯えながら再び泳ぎ始めた私は、おっさんの目元に光る海水ではないそれを見なかった事にして先を急いだ。




