3、麗しき人魚姫の中の人と海の魔女 2
「おい!大丈夫か?!」
「う・・・うぅ・・・」
幸いにも意識はあったが、もうろうとしていて、何より服の上からでもわかるほど体が熱かった。ざっと全身を確認したが、怪我をしている様子はない。
原因はわからないが、とにかくこの冷たい床に熱を出している人間を寝かせておくのは酷だ、と。私は日ごろの訓練を生かし、引きこもり女子にしては意外に骨太そうな魔女殿の体を持ち上げて、少し離れた所にあったソファへと横たえた。そして、きっと普段もこのようにしてソファへ横になることがあるのだろう。背もたれに厚手のブランケットがかかっていたので、それを魔女殿の体にかぶせた。
「薬は無いのかい?」
ここは魔女殿の家だ。きっと彼女の症状に合った薬もあるのではないだろうか。
そう思った私が魔女殿の肩を揺すると、フードの影、長い睫毛の隙間から薄く、暗い黒の瞳を覗かせた彼女が震える声で言った。
「キッチン・・・右上の戸棚・・・赤黒い・・・」
「わかった」
人様の家の奥へ侵入するのは気が引けたが、本人の了承が得られたものとして居間に続くキッチンらしき扉を開けてみる。予想通りだったことに安堵しつつ、所狭しと様々な瓶やら壺やらが並ぶキッチンを奥に進み、言われた通りの棚を開ければ、色とりどりの粉や丸薬の入った瓶の中にやや赤みがかった黒い粒が入ったものを見つけた。指定の棚の中に毒々しい色合いの物はこれしかないので、きっとこれの事だろう。
瓶を手に取り、飲み下すための水も欲しかろうと見回せば、明らかにこの時代にはあっていない、水道の蛇口を見つけた。
はて。この世界はまだ上水道の整備などされていなかったように思うのだが・・・。それに、私の思い違いでそこまで文明が進んでいたのだとしても、海底に水道が通っているはずもない。
困惑しつつも近寄ったら、物に埋もれたコンロらしきものが目に入った。
「・・・・・・・・・」
うーむ。
もしこれが地上の普通なのだとしたら・・・私は人間になりたい。
だって海底には調味料どころか、調理法さえないのだよ。生の魚も、生の貝も、生の海藻も、飽き飽きしている。
ついでに前世の記憶がある私には、当然ながら美味しい食べ物の記憶なんてものも存在するのだ。比べた上に落胆してしまうのは無理もなかろう。
人間になるにはやはり、王道として溺れる王子様に惚れるところからだろうか。
とか馬鹿なことを考え始めた私の耳に、居間で苦しむ魔女殿のうめき声が聞こえた。
「はっ!いかん、いかん。煩悩よ去れ!」
わざと声に出すことで現実を意識して煩悩を振り払い、たぶんこれだろうと蛇口の付け根にある水色の石に触れたら、すんなりと水が出てきた。しかしこれを魔女殿のところへ運ぶには入れ物がいるので、今度は付近の戸棚を開けてグラスなり、コップなりがないのか探す。
シンクの真下は外れ。
その左の棚には大き目の壺や布袋しか―――っ!こ、これは!!
「米か?!」
布袋からこぼれたと思われる白い粒が棚底へ落ちているのを見つけ、つい衝動のままにそれの一番近くにあった袋の口を開いてしまった。
「あぁ!やはり!」
そこには記憶通りの魅惑的な白さを誇る、米粒様たちがおられた。炊き立てのこれを口に入れた瞬間の感動を思い出し、無意識に口の中へ唾液が溢れる。
ぼんやりとしか浮かばない家族のことより、食に関することの方が鮮明であることに若干戦慄するのだが・・・まあ、今更どうにもならないしな。今世はそうならないよう、家族を大事にしようと思う。
唾を飲み込みながら、米の炊き方を思い出そうと記憶を漁る私の耳に、居間で苦しむ魔女殿のうめき声が聞こえた。
「おぉ!いかん、いかん。煩悩よ去れ!」
わざと声に出すことで現実を意識して煩悩を振り払い、立ち上がって、今度はシンク上の棚を開ければ、そこに目当ての食器類が並んでいた。どれを使っていいのかわからないが、一番手前にあった素朴な柄のマグでいいかとそれに水を満たして、魔女殿の元へと向かった。
「薬はこれでいいかい?水も持ってきたが、飲めるかな?」
「・・・う・・・はぁ・・・」
のろのろと魔女殿が震える手を差し出してきたので、その上に瓶から出した丸薬を1粒置いてみる。それを確認した魔女殿は横たわったまま口に入れ、そのままごくりと飲み込んでしまった。
「・・・水もなしによく飲み込めるね」
感心しつつ、水の入ったマグを口元へ持って行ったら、手をついて少しだけ上半身を起こした魔女殿がそれを受け取り、一気に飲み干した。そしてぱたりと倒れ込むようにして、またソファへ横たわる。
他にも要望は無いものかと待つ私の耳に、暫くして先程より安らかになった魔女殿の寝息が聞こえてきた。
体調不良を改善するための基本は、体を休める事だと思う。
音をたてないように立ち上がった私は、薬の瓶とマグを戻しておこうとキッチンへ向かった。薬を元の棚へ、マグは洗ってシンク近くにあった清潔そうな布で拭いて戻す。
体調の悪い魔女殿に取引の話をするわけにもいかなので、また後日にしようとシンクを離れかけた私に、悪魔・・・いいや。天使が囁いた!
先程の米を使って、お粥を作ってあげたらいいのではないか?、と。
「よし!お粥ならば記憶に曖昧なご飯を炊くのに適性な水分量も関係ないし、なにより病人食の定番だし、―――完璧だろう!」
意図的に口にしなかった「言い訳が」という言葉をなかった事にして早速、戸棚から蓋のできる鍋を探し出し、シンクへ置く。適当なカップに1杯の米をすくい、鍋に入れ、倍量の水も入れた。
「ん?水で洗うんだったか」
入れた水がかなり白く濁ったのを見て、思い出す。じゃかじゃかと音を立てて洗い、水を変えるのを3回してみたらほとんど濁らなくなったので、これで良しとした。
「水は・・・多めにしておけば失敗しないか」
先程、米をすくったカップで米の5倍となるよう水を入れた。蓋をしてから鍋を、周囲の物を退かしたコンロにかける。
水道の蛇口と同じ原理だろうと踏んで、コンロの手前にあった赤い石に触れれば、予想通りに火がついた。3つ並ぶ石は右のもの程炎が大きくなったので、まずは1番左の弱火にしてみる。ちなみに、出力中の石へもう1度触れると消える仕組みのようだ。
「始めチョロチョロ中パッパ、赤子泣いても蓋とるな」
何となく浮かんできたフレーズを適当なリズムで歌いながら、チョロチョロした弱火で鍋を温め。どのくらいが中なのかさっぱりわからないが、なんとなく中の水が温まってきたのを感じたところで強火にしてみた。
「えぇと・・・これがパッパかな?」
沸騰して鍋の蓋がパッパと揺れるようになったが、その後どうしたらいいのかわからない。
とりあえず蓋を開けてはいけないようなので、開けずに見守り続ける。すると鍋の中の水分が減っているだろうという頃に、粘り気のある泡が立っているような音が聞こえ始めた。
「ふむ。このままでは焦げてしまいそうだな」
一旦火を止め、中の様子を確認しようと蓋へ手を伸ばして―――やめた。
「赤子泣いても蓋とるな!・・・だったな」
しかし。いつまで開けてはいけなのだろう。
まあ、もう粥が出来上がっていたのだとしても、食べさせるには熱すぎるからな。もう少し放置してみるか。
私はキッチンにあった椅子を勝手にコンロ近くまで移動させて、腰かける。そして背もたれに体を預け、腕を組んで鍋を見つめ続けた。
え?苦痛でないのかって?
ははっ!人魚の暇つぶしスキルを舐めてはいけないよ。私たちは揺れる海藻を見ているだけで、1時間は余裕でつぶせるのさ。
そんなこんなでぼーっとする事、暫し。なんとなく、記憶に近いような香りがしてきた。
それに誘われた私は、我慢できなくなってついに!ふたを開けた!
「おぉ!!」
水分を吸って粒がふっくらと大きくなった米は柔らかそうだが、思ったよりドロドロしていない。もっと流動食っぽくなる予定だったのだが。
失敗かと落胆しつつ、コンロ近くの引き出しからスプーンを取り出し、それで炊きあがった米をすくう。そしてほんのり湯気の立つそれを、口に突っ込んだ。
「うあっち!!」
残念。人魚は猫舌らしい。
ん?冷たい物しか受け付けないのなら、魚舌か?
どうでもいい事を考えながら、口から出したスプーンの上の米をフーフーして冷ます。何度か舌を近付けて確認し、ようやく口に入れられたころには冷めきっていた。
無念。
しかしうまい!!
生の魚介類にはない、しっかりとした甘みと、この独特のふんわりもっちりした食感が素晴らしすぎて泣ける!!
「ふむ。水の量が少なかったかな?白米寄りの粥といった感じだ」
改善点はあるが、心配した芯はなく、病人にも食べられそうな出来だった。
私としてはこれだけで美味しく感じてしまうが、人間はどうなのだろう。やはり塩気が欲しくなるだろうか。
そう思い至った私は、キッチンを物色する。しかし棚に並ぶのは、どこか怪しげな粉の入った瓶や、植物が漬かった液体など、調味料なのか、薬の材料なのかが定かでないものばかり。
続けて視線を巡らせた私の目に入ったのは、ダイニングテーブルの上にあった恐らく塩が入っていると思われる小さな小瓶だった。
「・・・これでいいか」
ちょうどダイニングテーブルの上に木製のトレイもあったので、その上に器へ盛った粥と塩の瓶、とりわけ用の小皿とスプーンを乗せた。
あぁ、それからマグへ水を入れて。
「よし!」
気合を入れた私は両手でトレイを持って立ち上がる。それからズリズリと移動を始めた。
厳しい起立訓練のおかげで、私は尾びれでもって人の様に立つことができる。しかし尾びれの構造上、歩くなんてことはできないのだ。
こんな時、左右交互に足が出せる人間を羨ましく思う。今の私は、足を揃えて縛られた人間が立って移動するような状態だぞ?難易度の高い移動方法であることを察して欲しい。
スクワットもスイスイこなせる私は、マグに入った半分ほどの水くらいならば溢さず、ピョンピョン跳んで移動することもできる。しかし、熱いものを持って跳ぶのは恐いからな。
よって、腰を軸にしたツイスト運動を駆使し、左右交互に尾びれを引きずりながら進んで行くしかない。
「クイックイップリプリヒップアップヒップホップジャンプアップぽぅ!」
ジリジリとしか進めないやるせなさを、阿呆な歌で誤魔化しながらキッチンから出る。
勿論、小声だ。心配するな。
「プリプリプリケツお触り禁止ぃ」
だんだん気分が乗ってきたので、腰の動きを大きくし、クネクネしたセクシーダンスっぽい動きも追加してみた。
どうせ亀より遅いのだ。楽しみながら進まなければ、途中で心が折れてしまいそうだからな。
それはそうとして、日々の鍛錬を怠らなかった自分は、称賛に値するのではないだろうか。こうして下半身を激しくリズミカルに動かしても、上半身の平衡を保つことができているのだから。
そんなこんなでニヤニヤしつつ、ジリジリ尾を進める私の視線は、両手でしっかり支えられたトレイへ固定されている。
自分の力量に自信はあるが、こぼしてしまっては元も子もないからな!
それにトレイに乗った粥は人には丁度いい温度になりつつあり、それでも私には熱くて口にできないのだが、香り立つ湯気を堪能することくらいはできるのだよ。
クンクン、ニヤニヤ、ジリジリ・・・その間、ずっとプリプリしながら、ようやっと魔女殿が横になっているソファ前のローテーブル付近までやってきた私。
そっと、音をたてないようにトレイをテーブルへ置いたその瞬間、魔女殿がガバリと起き上がった。




