18、麗しき人魚姫の中の人と王都の少年 2
「かじったのが母なら猛毒耐性を得られただろうが、父では微毒耐性までだった」
ここでお約束の全裸ではないのは、身に纏っている枯草色のチュニックと腰に巻かれたベルト、ベージュのズボン、ひざ下まであるブーツも込みで彼の体だからである。つまり、そんじょそこらの剣では傷どころか、逆に刃が折れてしまう程に硬い、竜種リヴァイアサンの外皮であるのだ。
「その、口の中に異空間収納があるというのは、服薬には便利だが、他の道具を出したりするには格好がつかないね」
王都に来てから手に入れた中古の剣と剣帯、丈が長くて立て襟の、黒いジャケットを口から吐き出しているラシュオロフにそう言うと、彼は装備に付着した唾液を魔法で飛ばしながら答えた。
「・・・おいおい改善する」
上着まで外皮で形成しなかったのは、見た目はともかく感触が硬い鱗のままで、飛び跳ねようが強風にあおられようが、形状が微動だにしなかったからだ。それに切りつけても綻び1つないどころか、刃物を弾くジャケットとか、目立つどころの話ではないだろう。
同様に手から離れない、離すことができない剣とか不審過ぎた。
ラシュオロフ曰く、もっと研鑽を積み、術の精度を上げれば変化した生き物の特徴だけでなく、身に纏う物の材質まで再現できるのだそうだが、習得してまだ1年足らずではこれが限界らしい。
帯剣し、ジャケットを羽織ったラシュオロフはこちらへ近付いてくると、慣れた動作で絹でできた大きめの巾着袋を私の尾にかぶせ、くびれた部分できゅっと絞って紐を縛った。次いで同じような袋状の、今度は縦に長い綿の袋の口を上にして床に構えたところへ、私が尾を入れて立ち上がる。スルスルっと腰まで持ち上げて袋の口を絞り、また紐を縛った。
これで人魚の尾の保護、目隠しを兼ねた、私の外出装備の完成である。
腰までたくし上げていたスカートのすそを下ろすと、しゃがんだままだったラシュオロフが丁寧に整えてくれた。そしてすぐ近くにあった桶に手をかけると、これまた慣れた動作で中の海水を飲み干し、桶もひと飲みにして異空間へ収納した。
口より明らかに大きいものが出入りする様が、最初は奇妙で気色悪かったが、慣れるほど繰り返されたこの光景にはもはや、便利だなという程度の心の動きしかない。それと、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるラシュオロフへの感謝な。
「ありがとう」
立ち上がり、自らの服装も整えるラシュオロフに感謝を伝えると、彼は視線を私としっかり合わせて小さく頷いた。
下僕かと言う程に想う相手の世話を焼いてしまうのは、竜種としての性質らしい。それをする事で、なんとも言えない多幸感を得るのだとか。現に今も、オーラが見えたのならきっと珊瑚色だろう雰囲気を醸し出している。
もちろん、あわよくば好意を返して貰えないだろうかという、下心もあるのだろうが。
初めは私も、好意を返す気もないクセに世話を焼かれるのが心苦しくて、いちいち断っていた。しかしそうして数日過ごすうちに、ラシュオロフが見る間に窶れ、ぐったりしてしまったのだ。
今にも死にそうな様子にかなり焦った私は、「好意を返されないより、世話を焼けない方が辛い」と言うラシュオロフの懇願に折れる事にしたのだった。若干、謀られた気がしないでもない。
足取りも軽く、着替え等の荷物を口の中へ収納し、忘れ物がないか点検し始めたラシュオロフの動きに、おかしな所はひとつも無い。流石は「人魚の涙」である。後遺症を微塵も残さず、全身を侵していた「人魚の血」が瞬時に解毒されている。
「毎晩の苦行の成果はどうだい?」
「今のでやっと強毒耐性といったところだ。もう十数回繰り返せば、猛毒耐性が得られるかもしれない」
「ふうん。しかし、命がけで人魚を食べたのに、毒無効が得られなかったのは残念だったね」
他のリヴァイアサンがどうだか知らないが、ラシュオロフは食べて解読したものの特性を得ることができるのだそうな。それを利用して変化もしているので、今姿を変えている人間と、ついでに人魚も、捕食経験があったりする。
で、人魚を食べたのであれば、人魚の持つ「毒無効」なる能力も得られているはずなのだが―――。
「まさか、あのビオの爺さんが消えていたとは」
ビオの爺さんはその呼び名の通り、随分お年を召した人魚で、所謂「冒険家」というやつだった。数十年姿を見ていないなと思えば、ふらっと帰って来たりして、遠海の状況やら武勇伝やらを好き勝手に話し、またいつの間にかいなくなっているという感じの。
かなりのレアキャラなので、私も話には聞いていても直接顔を合わせたことが無い人魚だった。
それが、まあ、なんだ。
昨年の夏あたりに、ラシュオロフが食ったのだとか。
とはいえ、ラシュオロフが人魚に変化したくて積極的に狩りに行ったわけではなく。
「やあやあ我こそは!」的な感じに喧嘩を吹っ掛けられ、何度も半殺し程度で撃退し続けていたのだが―――ついに。加減を誤って瀕死状態にしてしまったところ、「我が人生に一片の悔いなし!」とか言って泡になりかけたので、「これはもったいない!」とご馳走様したのだとさ。
殺す気で喧嘩をふっかけた挙句、逆に食われたのを知ったとて。誰も、親族でさえも恨むどころか同情さえしない。ビオの爺さんには年老いた兄弟はいても、生涯独身を貫いたために嫁も子供もいないけどな。
人魚の常識は、どちらかというと野生の掟に近いものがある。
よって、自分の行動に責任を持てというような、自己責任の考えが強いのだ。たからビオの爺さんの最期は、自業自得で人魚は皆納得というわけだ。
ついでにその常識からいくと、第2位の王位継承権を持つ妹の旦那とはいえ、その救出を私がする義理なんて全くないのさ。
けれども、ほら、私の場合は私欲がふんだんに含まれているからな。
妹の子が男児で王位継承の順位が入れ替わったりしないかなとか、生もの以外を食べたいとか、王都散策とか何それ胸熱!とかね。
「ビオの爺さんでは耐性が得られなかったのは何故なんだい?」
この後に備えて厚手の皮手袋に手を通しながらラシュオロフを見れば、彼は苦々しい顔で目をそらした。
「・・・解毒の涙を飲むのが早すぎた」
なるほど。
毒が回るのに怖気づいて、完全解読前に「人魚の涙」で解毒してしまったと。
彼には私がウミヘビだと思って飼っていた時に、大量に「人魚の涙」を与えていたからな。きっと余ったいくらかを口の中の異空間に収納していて、それを飲んだのだろう。
何故そんなに与えていたのかというと。
よ~しよしよしと気分よく撫でまわしながらベロベロと顔や口の周囲を舐め回すのが、私のペットへの愛情表現だったのだが、人魚は生魚が主食なせいか、口の中が切れていることが多々ある。すぐに治ってしまうし毎度の事なので気にも留めていなかったが、愛情表現の過程で、その血がラシュオロフに入ってしまった事が何度もあったからだ。
その度に慌てて海面にあがり、ぐったりしたラシュオロフへ絞り出した涙を飲ませて事なきを得たが、あれは毎回肝が冷えた。自分でも気が付かないような小さな出血で殺しかけるだなんて、「人魚の血」の毒性の強さには驚きを通り越して、戦慄したね。
「さて、そろそろ頃合いではないかな」
人魚程の高性能な5感を持っていなくとも感じられるほどに、部屋の中は焦げ臭い匂いが充満してきている。まだ炎が入ってきてはいないが、この様子からして廊下は火の海であろう。騒がしかった隣や上の階が静かになって、逆に外が騒がしくなってきているしな。
お得意の起立跳びで扉の方へ向かおうとしたら、慣れた動作のラシュオロフに自然な感じで横抱きにされた。どうやら最近定番の、移動手段になってくれるらしい。
「ありがとう、ラシュオロフ」
素直に彼の首に腕を回し、抱きやすいように体を預けると、ラシュオロフは小さく頷いてから歩き始めた。
人間はしっかり解読したらしく、人型のラシュオロフは手足の動きもスムーズである。
これが解読不完全な人魚の方だと、泳ぐことさえ上手くできなくて、それがまた非常に無様で、何度見ても爆笑ものだった。結局、あきらめたラシュオロフが原型のリヴァイアサンの時と同じように、触手で移動するものだから、それでもまた笑い転げたものだ。
両手が私でふさがっているラシュオロフは、扉まで来ると当たり前のように蹴り破った。
正体はリヴァイアサンの外皮なブーツはもちろん、傷一つなく。内開きのはずな扉は、抵抗さえ感じさせずに廊下側へ吹き飛んだ。
さすが竜種。
圧倒的な筋力である。
途端に吹き込んできた熱風にたまらず顔をしかめたら、次の瞬間には逆に涼やかな空気に包まれていた。視線をラシュオロフの方にやれば、どうだと言わんばかりの紅い瞳が向けられている。どうやら魔法的な何かを行使したらしい。
「ありがとう。楽になった」
本日、何度目かの礼を述べたら、ラシュオロフのドヤ顔が近付いてきた。
「ご褒美はキスでいいぞ」
言いながら迫ってくる口元を手のひらで遮って、押し返す。不満げなラシュオロフの顔を、ニヤニヤしながら見上げてやった。
「そういうことは、命の危険なくできるようになってから言うんだな」
ぐっと唸ったラシュオロフが目をそらし、前屈みになっていた背を起こす。その前に。
見た目に反して硬い青銀の髪を撫でれば、ラシュオロフが紅い瞳を潤ませて嬉しそうに笑った。




