17、麗しき人魚姫の中の人と王都の少年 1
「人の営みというものは水を必要とするものだが、まさか王都を2つに分けるように川が流れているとは思わなかったねぇ」
窓枠に片肘をつき、上向けた手のひらに顎を乗せた姿勢で、私はぼんやりと闇に染まった外を眺める。
金のある商人や下級貴族をターゲットにしていると思われるこの「銀の鱗」という宿は、景色の良さを売りにしていて、やや値の下がる2階の端部分であっても客室から隣接する川を、そして遠くに対岸の王城を眺めることができた。夜警のためであろう魔法の光に下から照らし出され、真夜中の済んだ空気もあって存在をくっきりと主張する白壁の王城は、まるで絵画の様に美しかった。
今日はこちら側が明る過ぎて、霞んで見えるのが残念だ。
王城、貴族街、高級商店街のそれぞれを隔て、そびえ建つ3重の壁に守られた対岸は、主に貴族が住む場所であり、あちら側に住居を構えることは貴族であってもステータスになるのだそうな。王族の住居たる王城もあるのだから、警備ももちろん厳重である。
姫は姫でも残念ながら人族に通用しない人魚姫な私は、当たり前だがそんな場所へホイホイと乗り込めるような伝手などない。よって平民街と呼ばれる対岸で、捕らわれの人魚たちの情報を集めることにした。
「人魚の血」を毒として使用する目的で捕えているのならば、裏組織が関わっているとみるのが妥当であろう。
私は手っ取り早くいこうと、こちら側にあるスラム街で、適当なスリ小僧をとっ捕まえてリーダーの元へ案内させた。そして金貨をチラつかせながらこの辺りを牛耳る裏組織を聞いたらば、古参の「バジリスク」と新参の「スティブナイト」の2つだと言われた。現在、その2つが王都の闇に紛れ切れていない、派手な縄張り争いをしているらしい。
この王都まで川を遡上して来る間に、結構な頻度で流れてくる人の死体と出会ったのは、その裏組織同士の抗争が関係しているのかもしれない。切り傷、刺し傷による死体がほとんどだったが、その中に紛れていた、死に至るような傷がなく、まるで眠っているかのように安らかな表情を浮かべた死体は、死因に「人魚の血」を連想させた。
ふぐ毒、テトロドトキシンの強化版の様な「人魚の血」は、神経毒だ。服毒からものの数分で全身に麻痺が回り、体を動かすための骨格筋や表情筋どころではなく、呼吸に必要な筋肉、果ては心筋でさえも麻痺させてしまう。そして意識が消失し、呼吸が停止。死に至るのだ。
王都に捕らわれの人魚がいるとは限らない。
しかし王都より上流からは死体が流れてこなかったのだから、「人魚の血」を扱う者がここにいる事は確かだ。
沈没船にあった足が着きにくそうなお宝を王都と港の中間あたりで売ったので、私は割と潤沢な活動資金を手にしている。
けれども残念ながら、金に物を言わせたところで無い袖は振れないわけで。スラムの少年たちから得られる情報に、有用なものは無かった。
よって今度は、噂が集まりそうな場所に出入りすることにした。しかし目的もなく頻繁に出入りする人間なんて怪しすぎる。情報集めなんていう、本来の目的を話して回るわけにもいかないしな。
ならば長居しても怪しまれず、招待したい職種の人間を装えばいい。
そんなわけで。
「人魚なんだから、吟遊詩人とか天職だろうさ」
淑女たるもの楽器の1つくらい弾けなければ・・・と、デメテレーシアのなんちゃって淑女教育の過程で、海底で拾った竪琴を修理して練習したのが大いに役に立った。
人魚なのだから私も例外ではなく、歌うのが好きだ。
一晩中歌ったところで苦になんてならない。それにBGM程度の声量で構わないのだから疲れもしない。
まあ、その声に、ちょっと気分がよくなる系の共感を混ぜるのが、手間と言えば手間であったが。
それも気分が高揚した酔っ払いどもの財布の紐が緩くなり、酒がすすみ、口が軽くなり、私へのおひねりと情報が増えるのであれば、軽い仕事であったな。
そんな感じに場末の小さな酒場からスタートし、何軒も酒場をはしごして歌いながら、噂話に聞き耳を立てたところによると。川辺の宿「銀の鱗」は勢いに乗っている新参の方の裏組織「スティブナイト」の幹部がオーナーらしい。
先日、やっとこさ招待された「銀の鱗」のステージで一仕事終えたらば、客の反応に満足したらしい支配人によって割といい部屋を与えられ、長期滞在を勧められた。もちろん滞在には毎晩ステージで歌うことが条件に付いている。
計画通りだ。
待ちに待った瞬間であったが、ニヤつきたいのを抑えてすぐには飛びつかず。その日の報酬を受け取って辞する旨を伝えれば、翌日からの報酬を今晩よりも上乗せすると言ってきた。
私が欲しかったのは、どうしてもと懇願されて滞在する吟遊詩人といった立場だ。それに金に魅力は感じないが、在っても困らない。
これ以上条件を上げる必要も、提案を断る気もなかった私は、「まあ、それならしばらく滞在してみようかな」といったふうを装って、支配人の提案を受けたのだった。
この「銀の鱗」に滞在し、毎晩歌いながら耳をそばだてて情報を集める事、3週間目。私のすぐ下の妹、ドロテアの夫である義弟とその友人が捕らわれてから、2か月を過ぎたところである。
友人の方は不明だが、義弟の方はドロテアに無理を言って借りてきた「番の鱗」の1枚が原型を留めているので、消えていない事だけはわかっている。ドロテアにベタ惚れな義弟が、連ねてオブジェにできるほど贈りまくった鱗のうちの1枚なので、母体のストレスにはなっていないはずだ。
友人の方が無事なのかは残念ながらわからない。1点物の「番の鱗」を借りてくるわけにもいかなかったのでな。
この事を踏まえて、私に番ができたなら、義弟の様に惜しまず鱗を贈り続けようと思う。
時刻は真夜中。
毎晩歌って集めた情報と、付近をうろつく奴らの動きからして、今夜あたりが長く王都を牛耳っていた古参の「バジリスク」と、最近のし上がってきたという新参の「スティブナイト」が繰り広げている、縄張り争いの最終戦。カチコミ実行日かな、と夜更かししているわけであるが。
商売道具である高級宿で歌うのにふさわしいレベルのドレスではなく。平民にしては上等な方のワンピースのをたくし上げ、小さな桶に無理やり尾びれを突っ込んでいる私は、退屈すぎて眠りに落ちそうな頭を深呼吸でもって無理やり覚醒させた。
なぜ部屋でくつろいでいるのに上等な服を身に纏っているのかというと、人魚の尾を隠すのにスカート丈が長い必要があったからだ。苦労してここまで来たというのに、楽にしてくつろぎたいとかいう理由で身バレして終了とか嫌すぎる。そしてくつろぐのに向かない裾の長さの服は、だいたいが高貴な女性向けにあつらえてあるので、中古品であっても上等であることに変わりがないのである。
人魚は暇つぶしが得意だが、退屈が苦痛でないわけではない。
無意識に漏れたため息とともに、尾を揺らめかせて桶の中の海水を弄ぶと、それまで石の様に動かなかった者がウネウネともがき始めた。
私は窓枠にもたせ掛けていた体を起こし、この位置に椅子と桶を設置してくれて、さらに桶を海水で満たしてくれて、さらにさらに陸上での移動手段兼護衛役な生き物を見下ろした。
「生きているかい?ラシュオロフ」
時間にして小1時間ほどであろうか。「人魚の血」を口にしておきながら、未だに苦し気にのたうち回る事ができるのは、彼が竜種であるからではない。
「竜種は皆、毒も効かない無敵に近い生き物だと思っていたよ」
5メートルはある巨体を複雑に絡ませ、テーブルを端へ避けた室内で器用にも小さく纏まったまま、青銀のリヴァイアサンが紅い瞳をこちらへ向けた。いつもは先端まで細かい動きを見せる背中の触手が力なく垂れてしまっている所から推測すると、だいぶ毒が回り末端は麻痺してしまっているようだ。
だらしなく開いていた口を閉じ、何かを飲み込むような仕草をしたリヴァイアサンの姿がにじむ。そして境界の曖昧になったそれが人型にまとまると、そこには青銀の髪に紅い瞳の美丈夫が立っていた。




