(2)新しい調味料
魔の森の家に戻って来た翌日。
シゲルは、フィロメナたちが作業に出るのを見送ったあとで、味噌に続いて作っていたある物をチェックしていた。
それは、シゲルにとっては味噌と合わせて、どうしても外せない調味料のひとつだった。
そう。醤油である。
味噌と同時に作り始めた醤油だが、何度か失敗をしていたため完成するのが遅れていた。
これから確認しようとしている醤油は、試行錯誤を繰り返したうえでの結果である。
シゲルは、出来た醤油を小皿に垂らして、そこに指をつけてぺろりと舐めて味を確認してみた。
「……うーん。やっぱり、熟成期間が足りなかったかな?」
とても素晴らしく美味しいとは言えない状態の醤油に、シゲルは首を傾げながら呟いていた。
とはいえ、味がシゲルの望んでいたものよりも落ちるとはいえ、醤油は醤油である。
今後も改良の余地があるということは最初から予想していたので、むしろ原因がわかっているだけましだ。
あとは、細かい調整を行いながら味を調えていくしかない。
「正直、味に不満はあるけれど……まあ、仕方ないか。これはこれで完成!」
とりあえずは一区切りということで、シゲルはそう結論づけた。
あとは、味噌もそうだが、どう味を整えながら量産体制を取っていくかということになる。
本当なら良い職人になりそうな人材を見つけて、その人を中心に作ってもらうのが良いのだが、問題はその人材だ。
何しろ、この世界では初めての調味料なので、人々に受け入れられれば儲けは莫大なものになる。
正直なところ、シゲル自身は、味噌や醤油で儲けを出そうとは考えていない。
だが、利権といえるほどに儲けが出ることも予想できるので、下手な人物に作り方を教えるつもりもなかった。
悩めるシゲルに、先ほどからその様子を見ていたラグが、提案するように言ってきた。
「あの……シゲル様たちが食べる分でしたら、私たちが作ってもいいですが?」
そのあり難い申し出に、シゲルは少しだけ驚いたような顔になった。
「こんな物まで作れるんだ」
「それは……はい。シゲル様が作っていらっしゃるところは、きちんと見ていましたから」
それだけでもう作れるようになっているのは凄いと考えたシゲルだったが、精霊ならあり得るかとも思ってしまった。
精霊たちが味噌や醤油を作れることに驚いたシゲルだったが、ラグの申し出には首を振った。
「自分たちだけで楽しむんだったらそれでもいいんだけれど、折角だったらこの世界にも味噌や醤油が広まってほしいからね。それを君たちに任せてしまうのは、ちょっとやめた方が良いかな」
「そうですか。確かにそれなら止めた方がいいですね。……余計なことを申しました」
そう言って頭を下げて来たラグに、シゲルは慌てて手を振った。
「いやいや。実際、自分たちの分は作ってもらうのもありかなといまでも思っているよ? 言ってくれなかったら気付かなかったから、助かったよ」
シゲルがそう言うと、ラグは嬉しそうに笑顔を見せた。
その笑顔に一度だけ頷いて見せたシゲルは、再び思考を元に戻した。
「――いっそのこと、国に任せてしまうってのもありといえばありなんだけれどなあ」
それをすると、本当の意味で独占してしまいそうで、世界中に広めるという目的を達成するのが遅くなってしまう。
いずれは広まって行くだろうが、王権の世界で国が本気になれば、技術を広めないようにすることも可能になってしまう。
別にシゲルは、王権が悪いことだとは考えていないが、こういうときは融通が利かないとも思える。
まあ、国家の利益を一番に考えるのが王なのだから、それも当然といえば当然なのだが。
さてどうするかとしばらく悩んだシゲルだったが、結局この場で結論を出すのは止めた。
折角完成した醤油も手元にあるのだから、それを使った料理を作ったうえで、頼りになる仲間たちに相談しようと決めたのだ。
そう考えたシゲルは、出来た醤油を使って何を作ろうかと、別のことで頭を悩ませ始めるのであった。
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「な、なんだこれは!?」
「本当に、美味しいわねえ」
「どうやって作ったのよ?」
シゲルが作った唐揚げを口にしながら、フィロメナ、ミカエラ、マリーナの順に、感想を口にしていった。
どう見ても高評価を得ているようなので、シゲルとしては安堵していた。
もう少し醤油の出来が良ければ、唐揚げの味ももっとよくなるという不満があっただけに、多少不安があったのだ。
山盛りになるほどに作って置いた唐揚げだったが、フィロメナたちが次々に手を伸ばすので、あっという間に完売になってしまった。
まあ、シゲルとしては、それだけの勢いで食べてくれただけで充分である。
勿論、自分の分はしっかりと確保していたので、食べ損ねるということはなかった。
ご馳走さまでしたと皆で手を合わせてから、シゲルは先ほどの悩みを相談した。
「――なるほど。確かに信頼できる生産者の確保は、重要なことだな」
「そうね。でも国に任せると広まるのが遅くなるというのも、理解できるわ」
フィロメナに続いて、マリーナもシゲルの考えにそう同意した。
ミカエラもマリーナの隣で頷いている。
シゲルと同じように、フィロメナたちも味噌や醤油を独占しては駄目だという考えだった。
美味しい物は皆で共有すべきだという考えももちろんあるが、単純にこれほど儲けが出そうなものを独占すると、シゲルに恨みつらみが集まりそうだということもある。
フィロメナたちにとっては、そちらのほうが重要だった。
シゲル自身は、レシピにこだわっている様子がないので、尚更である。
まずは、シゲルの身の安全が最優先というのが、この場での共通の認識となっていた。
しばらくどうするかを話し合っていたが、ふとフィロメナが何かを思いついたような顔になった。
「いっそのこと、王都の交渉の場で、シゲルの紹介ついでに話をしてみるか?」
それはただの思い付きだったが、言葉に出してみるとフィロメナには良い思い付きのように思えた。
現に、フィロメナの言葉を聞いた他の三人は、真面目な顔になって考え込んでいた。
「――確かに、それはありかもね」
少ししてからミカエラがそう言いながら頷くと、マリーナも同じように続いて言った。
「シゲルを表に出す理由としては、十分すぎるわね」
単純に大精霊たちに好まれているだけだと、これまた変に恨みが集中することになるが、世界になかった調味料を開発したとなれば、その名も上がって、ただの渡り人という評価も薄まる。
調味料を開発できる能力があるから大精霊も気にかけているのだと、勝手に理解するのだ。
たとえそれが事実とは違っていても、それを訂正する義務はシゲルたちにはない。
納得顔で頷いているシゲルに、フィロメナが確認するような視線を向けて来た。
「ついでに、シゲルが渡り人だということも公表するつもりだが、問題ないか?」
「どうせアマテラス号のことで注目を集めるんだから、いいんじゃないかな? それに、色々重なると牽制にもなるよね?」
アマテラス号に味噌や醤油、それに渡り人とここまで色々なところから注目される要素が集まれば、それらがそれぞれの方面からの牽制にもなる。
引きこもっていない限りは、ずっと隠しておくことは不可能だということはわかっているので、シゲルとしてもこのタイミングで公表することは、なんの問題もなかった。
むしろシゲルは、この段階で積極的に言ったほうが良いと考えていた。
シゲルがそう決断してしまえば、あとは話が早かった。
シゲルが渡り人であることを公表することを含めて、今後の国との交渉の予定が組み込まれていく。
勿論、話をするうえで予定が変わったりすることはあるが、それはその場になってみないとどう動くかは分からない。
交渉するうえで、全ての条件を満たして終えることなど、ほとんどの場合であり得ないのだ。
そのため、必要最低限のラインだけは決めておく。
それが、国や組織と交渉するうえでの一番重要なことなのである。
それはともかく、まだ国との交渉に行く前に、アマテラス号の為の作業が残っている。
まだまだ交渉するために考える時間はあるので、とりあえずはこの場はそれでお開きとなった。
シゲルはシゲルでやることが山積みになっているので、それ以外にも考えることはたくさんあるのであった。
ひとまず醤油完成!
改良はこれから。




