(16)エアリアル
梯子を降りて小さな部屋に入ったシゲルたちは、周囲を警戒しつつ何もいないことを確認した。
森の遺跡に向かう途中にあった部屋や通路と同じように、地下にもかかわらず明かりが必要ないくらいには光源が確保されている。
「相変わらずの謎技術だなあ」
天井や壁に光源になるような魔道具もないのに、なぜ暗くないのか不思議だが、そういうものだと受け入れるしかない。
そんなことを考えていたシゲルに、マリーナが意味ありげな視線を向けて来た。
「明かりのことだったら、壁がそういう材質で造られているのよ」
「え? そうなの?」
シゲルが少し驚きながらそう聞くと、フィロメナが目をパチクリとさせながら言った。
「なんだ。気付いていなかったのか? 全体的に淡く発光している気付きにくいが、遺跡ではごく稀に見つかる素材だな。ここまで贅沢に使われているのは、ほとんど見たことがないが」
「へー、そうなんだ」
今更ながら疑問のひとつが解決したことに、シゲルはすっきりしたような顔で頷いた。
「納得したんだったら、先に進みましょ」
ぐるりと室内を見回しているシゲルに、ミカエラが部屋の中にあったさらに下に向かう階段を指した。
「あっと。ごめんなさい」
思わず反射的に謝ってしまったシゲルに、ミカエラは「いいのよ」と軽く手を振りながら首を振るのであった。
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小部屋から続いていた下に向かう階段は、かなりの長さがあった。
「随分と続いているけれど、どこまで降りるんだろうな?」
シゲルの感覚では、既に五階分ほどの階段を降りている。
階段自体は真っ直ぐ下に降りているので、下限があれば見えるはずなのだが、今のところ見える様子はない。
そんなことを呟いたシゲルに、フィロメナがなんということはないという顔で言った。
「もうすぐ着くはずだぞ? ここの灯りは、私たちが移動に合わせて点いているようだから分かりづらいかも知れないが」
「え? そうなの?」
「うむ。反射してくる音が段々近付いてきているからな」
あっさりと鋭い感覚を持っていることを暴露して来たフィロメナに、シゲルは呆れたような視線を向けようとして、すぐにやめた。
何故なら、ミカエラやマリーナも当然だというような顔をしていたためである。
(あれ? 音で距離を聞き分けるのは、こっちの世界では常識?)
そんなわけがないのだが、ミカエラやマリーナがあまりにも普通な状態なので、シゲルはそう思い込んでしまった。
ちなみに、ミカエラやマリーナは、フィロメナの感覚が鋭いことは慣れているし、何よりもそれぞれの方法で距離が分かっているので、あまり驚くことが無かっただけである。
シゲルは後からその事実に気付くことになるのだが、少なくとも今は混乱させられるだけだった。
結局シゲルが聞くに聞けないまま階段を降りると、すぐに階段室のような場所が見えて来た。
先ほどまで暗かったところが、光が点いたことにより、シゲルでも確認できるようになったのだ。
「あ、ほんとだ」
シゲルが思わずそう呟くと、フィロメナがジト目で見た。
「だから言ったじゃないか。信じてなかったのか?」
「い、いや、そういうわけじゃないけれど、実際に目で見るまでは、良くわからなかったというか……」
シゲルの言い訳になっているようでなっていない言葉に、フィロメナは不満気な視線を向けた。
立ち止まってそんなやり取りをしていたシゲルとフィロメナに、ミカエラが少しだけうんざりした顔になって言った。
「ほらほら。仲が良いのは分かったから、さっさと先に進まない?」
「あ、ごめん」
「むう。まあ、仕方ないか」
シゲルはこれ幸いとミカエラの言葉に乗って動き出し、フィロメナは不満顔のまま渋々と頷いた。
それを見ていたマリーナは、くすくすと笑っていたが、それに気付く者は誰もいなかった。
階段室にあった扉を開けると、そこは森の遺跡に向かう途中にあった小部屋と同じ作りの部屋だった。
そして、その部屋の中央に、ある意味で予想通りの存在が待っていた。
「よく来たわね、シゲル」
そう言いながらニコリと笑ってシゲルたちを出迎えてくれたのは、ショートカットの白い髪を持った風の大精霊だった。
威圧してくるような存在感は相変わらずだったが、すでに慣れてしまっているシゲルは丁寧に頭を下げながら挨拶をした。
「お会いできたことを光栄に思います。風の大精霊」
「むー。固い固い。普段の貴方は、そんなに畏まっていないでしょう?」
「え、いや、ですが……」
「いいから、いいから。そんなに畏まれると、面倒くさいのよ」
右手をひらひらさせながらそう言ってきた風の大精霊を見たシゲルは、木や水の大精霊以上に気さくな存在だと感じた。
もっともそう思っているのはシゲルだけで、ほかの三人は、風の大精霊の力に圧倒されていて言葉を発することができていなかった。
これは、風の大精霊が敢えてそうしているのだと、三人とも気付いている。
話すのはシゲルだけで、自分たちとは話すつもりはないという風の大精霊の意思表示なのだ。
風の大精霊の機嫌を損ねるつもりが無いフィロメナたちは、当然のように黙ったままだった。
そんなフィロメナたちの様子に気付かないまま、シゲルは風の大精霊との会話を続けていた。
「まあ、それは追々でいいわ。それよりも、早く私にも名前を付けて」
「えっ、貴方もですか?」
これはもしかしなくても、これから会うかもしれない大精霊の全員から要求される流れなのかと思いつつ、シゲルは不思議そうな顔で風の大精霊を見た。
「そうよ。貴方がどんな名前を付けてくれるのか、楽しみにしていたんだから。さ、早く早く」
風の大精霊からそう急かされたシゲルは、少しだけ考えてから名前を言った。
「エアリアル」
既に二度も名前を付けていたので、もしかしたら風の大精霊も同じかも知れないと考えて、あらかじめいくつか考えていたのだ。
その中で、実際に会ってイメージと合いそうだったのが、その名前だった。
何度か「エアリアル」と呟いていた風の大精霊は、ニコリと微笑んでから頷いた。
「それでいいわ。これからは、その名前で呼ぶように。大精霊なんて無粋な名前で呼んだら駄目だからね」
「はい。わかりました」
「あとはその口調ね。それはじっくりと行きましょうか」
改めてそう念を押してきたエアリアルに、シゲルとしては苦笑を返すことしかできなかった。
これは、いずれは口調を改めさせられるという予感がシゲルの中で走ったが、流石に初対面で変えられるような勇気はなかった。
目の前にいる風の大精霊は、なぜかそう思わせる雰囲気を持っていた。
そんなシゲルの考えに気付いているのかいないのか、エアリアルがさらに続けて言ってきた。
「これはお礼ね」
エアリアルはそう言いながら手を差し出したが、シゲルは何もないように見えた。
「目には見えないものだから、シゲルにはわかりづらいかもね。とりあえず、そっちの娘に渡しておくわ」
エアリアルの言葉に合わせるように、リグが姿を現して何かを受け取るような仕草を見せた。
ただ、シゲルには何を受け取ったのか、さっぱりわからなかった。
半ば強制的にアイテムの受け取ることになったシゲルに、エアリアルは反論を許さないというように、更に話を続けた。
「これで私の用事は終わったわ。あとは、そうね。この部屋は、あの人が作業部屋として使っていた場所。貴方は、あの人が残したヒントに気付くことが出来るかしらね?」
楽しそうな表情でそう言ったエアリアルは、これで終わりとばかりに手を振りながらあっという間に姿を消してしまった。
言いたいことだけを言って去ってしまったエアリアルを見て、シゲルはなるほど風の大精霊っぽいなと、どうでもいいことを考えていた。
エアリアルから何かを受け取ったリグは、大事そうに両手に持ったまま、姿を消した。
シゲルに確認せずに勝手に行動したともとれるが、そもそも見えない物をどう扱えばいいのか分からなかったので、咎めるつもりはない。
それに、『精霊の宿屋』で使わない場合は、取り出すことが可能だとわかっているので、怒るようなことでもなかった。
そんなことよりも、シゲルは他に気になることがあって、フィロメナたちを見た。
「ずっと黙ったままだったけれど、何かあった?」
いつものフィロメナたちであれば、一つや二つくらい会話をしてもおかしくはないと思っての問いだった。
そんなシゲルに、フィロメナは苦笑を返す。
「やはり気づいていなかったのか。私たちは、風の大精霊に圧倒されて、言葉を出すことすらできなかったんだぞ?」
「えっ!?」
「無理やり話そうと思えばできたかもしれないけれど、あれは風の大精霊の意思だと思って、話すのはやめておいたわ」
ミカエラが、肩を竦めながらそう付け加えて来た。
フィロメナとミカエラの言葉に、マリーナが頷いているのを確認したシゲルは、不思議そうな顔で首を傾けた。
「なぜ、そんなことを?」
「木や水の大精霊が特殊だったのよ。むしろ、風の大精霊が私たちの前にも姿を見せてくれたほうが幸運だったのでしょうね」
マリーナがそう言うと、フィロメナとミカエラも同意するように頷いた。
そして、それを見たシゲルは、やっぱり自分の精霊に対する感覚は一般とずれているのだと、再認識することになるのであった。
エアリアルは本来、空気の精霊のことですが、「風」に含まれると思ってください。
ちなみに、シゲルはエアリアルの雰囲気を見て、風というよりは空気のほうが合っていると考えて、名前をつけています。




