(25)捕縛
ミラン研究室の面々は突然の煙幕に驚いていたわけだが、それは煙幕そのものに驚いたわけではない。
それもそのはずで、学園の模擬戦では、ごく普通に煙幕という手段が取られることがある。
その手段を使われたくらいで驚くようであれば、研究生などできるはずもない。
問題なのは、その煙幕という手段を精霊が使ったということだ。
精霊が魔法を使うのであれば、攻撃手段や結界を張るなどもっと有効的な活用の方法がある。
それをせずに、わざわざ初手から絡め手のような手段を取ったことに驚いたのだ。
そもそも、これほど大量の精霊がいるのだから、煙幕なんて方法は使わなくてもいいはずなのだ。
その大量の精霊がいるところに、煙幕という手段を使われたので驚いてしまったということもあるのだが。
勿論、精霊には驚いたものの、煙幕そのものには驚かず冷静に対処しようとした者たちも存在している。
その中の筆頭は、やはりアーダムだった。
アーダムは、煙幕ごときで混乱している仲間たちに舌打ちをしながらも一言「落ち着け!」と怒鳴ってから、自分自身はすぐに動き出した。
煙幕のお陰で視界は悪くなっているが、話をしていた最中に位置関係はしっかりと把握している。
その記憶を頼りに動けばいいだけだ。
一瞬でそう判断したアーダムは、真っ直ぐにシゲルのいる場所へと向かった。
この混乱を起こしたのは精霊であり、その精霊を操っているのがシゲルだと分かっているのだから、その術者を倒しにかかるのは当然のことだ。
アーダムの周りにも数体の精霊がいたが、それは道具を使ってやり過ごした。
ミランが持っている道具ほどではないが、アーダムも精霊に効果のあるものは渡されていたのだ。
ただ、その魔道具は精霊を直接害するようなものではなく、一瞬の隙を作れるようなものだったが、アーダムにとってはそれで十分だった。
作られた一瞬の隙をついて、アーダムは真っ直ぐにシゲルの所に向かって駆け出したのである。
そんなアーダムに二人ほどの仲間が着いて行っていた。
彼らも煙幕と精霊にきっちりと対処して抜けられて来たのだ。
三人がシゲルのいる場所へと向かう最中に煙幕は晴れて視界の確保はでき、きちんとシゲルのいる場所は把握できた。
しかもそのシゲルは、アーダムたちが煙幕から抜け出したことに驚いたような表情になって突っ立っている。
それを見ていたアーダムは、やはり強い精霊に守られているだけの凡才だったかと、内心で嘲っていた。
ついでに、シゲルが操っているとみられる精霊は自分が持つのがふさわしいとも考えていた。
精霊はいくら強かろうとも、術者の言うことを聞くようになっている。
それが、精霊術を知る者たちにとっての常識なので、自分たちがシゲルの元に突っ込んで行っても例の三体の精霊が動きを見せなかったことについてアーダムたちが不思議に思うことはなかった。
シゲルが混乱して何の指示も出さないうちに、できる限り近づいて処理をする。
声には出さなくてもそれくらいの連携は、アーダムたちにもできているのである。
ありがたいことにフィロメナとかいう女勇者は、シゲルの傍にはいなかった。
恐らくミランを相手にしているのだろうと考えて、アーダムたちはシゲルの元へと駈けている。
さらに、シゲルの後方に控えていた学園長たちも特に動くような気配はない。
全てが自分たちにとって都合のいいように動いていると、アーダムはそんなことを考えていた。
煙幕が発生してからアーダムたちがシゲルの元へと近づけたのは、時間にして十秒ほどのことだった。
自分たちが近づいてきたことに驚いているのか、間抜けな表情をしているシゲルさえとらえれば、女勇者も抑え込める。
そんな皮算用をしていたアーダムは、シゲルを捉えるべく、持っていた剣を使って一撃を入れ――ようとしてその剣が空を切ったことに驚くことになった。
「「「なっ……!?」」」
アーダムたちがシゲルだと考えていたその人影は、幻影だったのだ。
アーダムたちがそう気付いた時には、別の方向から男の声が聞こえてきた。
「はい。残念」
勿論その声の持ち主はシゲルであり、アーダムたちがそちらへ視線を向けると、三体の精霊もしっかりと傍にいた。
そして、アーダムたちがその認識をするとほぼ同時に、身動きが取れなくなっていることに気が付いた。
「捕縛の術……だと!?」
それが自分たちを捉えるためのものだと理解したアーダムは、一瞬でその目的に気が付いた。
シゲルは、最初から自分たちを捕らえるために動いていたのだと。
わざわざ煙幕なんていう手段を取ったのも、多くの仲間たちから引き離して捕らえ易くするためだったのだ。
身動きが取れないまでも自分を睨みつけて来るアーダムを見て、シゲルは心底どうでもいいという表情になって言った。
「わざわざ罠に引っかかってくれてありがとう。手間が省けたよ。――ああ、他も見事にはまっているかな」
シゲルがそう言いながら視線をずらすと、ミラン研究室の面々が見事にそれぞれ個別に捕まっていた。
この時既に、煙幕は晴れている。
「ミラン教師も――ああ。流石に心配する必要はなかったね」
最後にシゲルが視線を動かした先では、フィロメナがミランを後ろ手にして捕まえているシーンが写った。
「貴様……!!」
「いや、そんな状態で凄まれても、滑稽にしか見えないんだけれど?」
凄みを聞かせながら自分を睨みつけて来たアーダムに、シゲルは呆れの視線を向けつつそう返した。
アーダムに着いて来ていた他の二人も同じような表情になっているが、シゲルは既に何の感情も抱いていなかった。
歯ぎしりをさせながら自分を見て来るアーダムを見て、シゲルは少し首を傾げてこう言った。
「それにしても、その程度の実力しかないのに、あれだけの大口を叩くって恥ずかしくないのかな? ……ああ、そうか。恥なんて概念は持っていないか」
一人納得した表情で頷くシゲルに、アーダムは睨み殺しそうな表情のまま言った。
「俺にも、俺にも貴様のような精霊がいれば……!」
「いや、それは無理だから。道具のように精霊を縛っている時点で、能力は落ちるし」
「だったら、俺がその能力を引き出して――」
「そんな力があるんだったら、普通に契約した方が精霊の力を引き出せると思うんだけれど……まあ、いいや。どうせ話は平行線にしかならないだろうし」
一瞬アーダムを説得しようかと考えたシゲルだったが、すぐにそれは諦めた。
どちらにしても、アーダムはこの後きちんと裁かれることが決まっている。
どんな裁きになるのかシゲルは聞いていないが、ろくな結果にならないことだけは確かである。
アーダムは身をもってその考えが間違いだったと知ることになるはずだ。
アーダムとの話を止めたシゲルは、彼らをそのまま放置してフィロメナがいるところへと歩き始めた。
シゲルの視界の端では、学園長たちも同じ方向に向かって動き始めている。
精霊たちによってとらえられている研究生たちは、この後入って来る衛兵たちによってきちんと処理がされる手筈になっている。
そう考えていたシゲルは、同じように傍に着いて来ていたラグから、手筈通りに衛兵たちが訓練場に入ってきたことを確認した。
ラグからそれを聞いたシゲルは、一度だけ訓練場の入り口を見て確かに衛兵たちが動き始めているのを見て、改めて歩き始めた。
最後の決着をつけるために。
はい。戦闘らしい戦闘にはなりませんでした。
この精霊の騒動もあと一話か二話で終わる……はずです。




