(7)成果
全員の着替えが終わり、のんびりと「明日には帰ろうか」なんて話をしていたシゲルたちのところに、アドルフ王がやってきた。
「寛いでいるところ、すまないな。先延ばしすると明日にでも帰ると言い出しかねないと思ったのでな」
まさしくそんな話をしていたシゲルたちは、わざとらしくアドルフから視線を逸らした。
それを見たアドルフは、大きくため息をついた。
「……やはりか。其方らも、もう少し王都に寄り付けばいいものを……」
嘆くようにそう言ってきたアドルフに、代表してフィロメナが応じた。
「少しでも利があるのであれば、そうしますが?」
きっぱりとそう言い切ったフィロメナに、アドルフは苦笑を返すことしかできなかった。
ただ、アドルフは、そんなフィロメナに視線を向けて言った。
「これまではそうだったかもしれないが、これからは違うかもしれないぞ?」
そんなことを言ってきたアドルフに、フィロメナは黙ったまま詳しく話すように視線だけで促した。
本来であれば、そんなことをすれば、不敬だと言われてもおかしくはないが、ここにはアドルフを含めてそれを咎める者がいないので、そのまま見逃された。
それに、この場にいる者たちにとっては、そんな礼儀よりも話の内容のほうが重要だったのだ。
フィロメナからの視線を受けて、アドルフは一度だけ頷いてから続けた。
「其方の提案した素材研究の部署だが、それなりに成果が出始めているぞ」
アドルフがそう言うと、フィロメナは少しだけ驚いたような顔になって、身を乗り出した。
フィロメナにとっては、何よりも興味が引かれる話なのだ。
「ほう? それはどんな?」
「済まんが、詳しいことはまだ話せない。だが、そのうちそれを使った商品が出るはずだ」
多額の金銭をかけて作った部署が出した成果を話せないというのは、フィロメナにも理解できることだった。
そのため、話せないと言われても怒り出すようなことはしなかった。
提案をしたからと言っても、部外者であることには変わりがないのだから、それも当然である。
それに、フィロメナにとっては、研究成果そのものよりも重要なことがある。
「そうか。それにしても思ったよりも早かったな」
何が早いかといえば、素材研究の部署が成果を出すのが、である。
それはアドルフも同じだったようで、頷きながら答えた。
「うむ。吾も話を聞いた時には驚いた。同時に、なぜ今まで作ってこなかったのかと、反省したよ」
アドルフはそう言いながら苦笑をしていた。
為政者としては、それほど簡単に成果が出せる部署を作るどころか、気付きもしなかったというのが、不覚といえる事態なのだ。
そんなアドルフに、ラウラが慰めるように言った。
「フィロメナの提案を受けて、しっかりと実行をすると決めたのは父上です。それは王としての成果であって、恥ずべきことではありません」
「ああ。それは分かっているよ、ラウラ」
実の娘からの慰めに、アドルフは少しだけ笑いながらそう答えた。
何やら疲れさえ見せているアドルフだったが、それを指摘する者はここにはいなかった。
いくら近隣諸国に評判の王であっても、人であることには違いないので、疲れることもある。
家族を相手にそのような姿を見せたからといって、弱い王だと揚げ足を取るようなことをしても意味がない。
何となく微妙な空気になってしまったのだが、ここでラウラがさらに言った。
「それで、父上が話したかったことはそのことだけですか?」
「いや、違う。これは相談と提案なのだが、勇者の家の傍に、離宮のようなものを作ることは許されると思うか?」
アドルフがそう聞くと、ラウラが渋い顔になった。
「……そこまでうるさいのですか」
「いや。今はまだ何も言ってきておらんよ。だが、夜会での話を聞く限りでは、そう言ってくるのは時間の問題だ」
アドルフのその答えに、ラウラは盛大にため息をついた。
シゲルとラウラが婚姻関係を結ぶことによって、王国内の政治圧力が向かないようにするということは、一つの約束事であった。
アドルフはそれを了承したうえでシゲルとラウラの婚姻を認めたのだが、貴族たちがその隙を見逃すはずがない。
大精霊を召喚するという前代未聞のことをやってのけたシゲルを非難するのではなく、ラウラの嫁がせ方に矛先が向いたのだ。
すなわち、これほど素晴らしい婚姻であるのに、たった二人だけの従者だけでお茶を濁すのは何事かと。
シゲルに対する圧力をかけるのは持ってのほかだが、ラウラの立場が国外に対して弱くなるのは見過ごすことはできないという主張だ。
ラウラ自身は、侍女が二人だろうが、住んでいる場所がどんなところだろうが、全く気にすることはない。
そうでなければ、今まで一緒に生活してくることなどできなかっただろう。
だが、ラウラのことを知らない国外の者はそう受け取らない。
大精霊を従える男に娘を嫁がせて不幸にした非情な王だと言われてしまうことになるのだ。
さすがのアドルフも、そうした評判を得るのは本意ではないのだ。
それらの事情をきちんと理解したうえで、ラウラはため息をついた。
「面倒なことですね。わたくしは、豪奢の屋敷も多くの侍女も望んでいないというのに」
「其方はそうかもしれないがな。残念ながらそう受け取って貰えないというのが、実情だ。それに、今までは戻ってくる可能性もあったからよかったが、これからずっとシゲル殿と一緒にいるとなると、ふたりでは足りないだろう?」
アドルフはそう言うと、しっかりと部屋の片隅に控えていたビアンナとルーナを見た。
これから先、シゲルとラウラが正式に婚姻を結ぶとなると、ずっと同じ場所で生活をしていくということになる。
それをビアンナとルーナの二人だけで支えていくというのはどうかというのが、アドルフの言いたいことだった。
同じようにビアンナとルーナを見たラウラは、もう一度ため息をついた。
「言いたいことは分かりますが……」
ラウラとしては、いくらなんでもずっとビアンナとルーナだけに頼るつもりはなかった。
時期が来れば、交代要員を呼んで、新たな侍女に仕えてもらおうと考えていたのだ。
だが、そんな都合よく人員が確保できるとは限らない。
今はまだラウラを直接知る侍女はいるが、年数が経てば、そうした者たちも少なくなってくる。
そうした時に、ラウラのためにならない人員が送り込まれることになる可能性もある。
シゲルのためにもできるだけホルスタット王国の影響力をなくして行きたいと考えていたラウラとしては、出来ればアドルフの申し出は受けたくはないと考えていた。
だが、そんなラウラの思考に待ったをかけたのは、それまで黙って話を聞いていたシゲルだった。
「メリヤージュが許可すれば、別にいいんじゃない? あそこは別に、フィロメナだけの土地というわけじゃないんだし」
「え? シゲル!?」
シゲルの言葉に、ラウラは驚いたような顔をした。
まさかシゲルからそんなことを言い出すとは考えていなかったのだ。
ラウラから驚きの視線を向けられたシゲルは、肩をすくめながら続けた。
「魔物がたくさんいるあの場所に建物が建てられるかはともかくとして、それがラウラのためになるんだったら、別に構わないよ」
シゲルとしては、自分との婚姻によってラウラが肩身の狭い思いをするようになることまで望んでいるわけではない。
勿論、出来るだけ政治的な力を排除したいという考えは変わっていないが、ラウラの立場を守るためなら何でもするという思いもある。
それに、政治的な圧力であれば、契約精霊たちの力を借りればはねのけることができることもわかっている。
以前の時とは状況も違っているので、ラウラのための離宮を作ることくらいは、別に構わないと思ったのだ。
ただ、離宮といってもそこにラウラが住むようになるかは、話は別だ。
あくまでも、ラウラのための侍女が生活をする場所という位置づけであってもいいはずである。
それであれば、別に魔の森のフィロメナの家のそばではなく、例えばタロの町にそれらしき物を用意してもいいはずだ。
そんなことを提案したシゲルに、ラウラとアドルフは同時に顔を見合わせて頷いた。
「なるほど。確かに一考の価値はあるな」
「シゲルさんがそういう考えを持っているのであれば、わたくしとしても構いません」
ラウラはシゲルの立場に立って話をしていたが、父王の立場が弱くなってほしいと考えていたわけではない。
シゲルの提案であれば、その建前も守れるだけに、乗らない手はないという考えだった。
アドルフと意見が一致したところで、ラウラはフィロメナとマリーナを見た。
「それで構いませんか?」
「離宮に関しては私たちが関知するところではないな。シゲルとラウラがいいと思えば、そうすればいい」
代表してフィロメナがそう答えたが、同時にマリーナも頷いた。
ただ、それに付け加えるように、マリーナがさらに続けて言った。
「残念ながら私もこれから似たような状況になりますから」
「フツ教か……」
マリーナの言葉に、アドルフが意味ありげにそう言った。
この日の夜会では、しっかりとマリーナも婚約者としてその姿を見せていた。
そのため、聖女であるマリーナが正式に婚約を結んだということで騒ぎになるのは、ほぼ間違いがない。
婚姻を結ぶことによって騒がしくなるのはラウラだけではなく、マリーナも同じなのであった。
ラウラに限らず、色々と面倒なしがらみがあります。




