(2)隙
ラウラとの婚約発表を翌日に控えたシゲルは、王城の一角でしまったと考えていた。
発表の準備のために昨日のうちに王都入りをしたフィロメナたちは、ドレスなどの微調整を含めて、忙しく動いている。
シゲル自身大した準備があるわけではなく、午前中のうちに準備が終わっていたので、きちんと許可を得たうえで城の中を見学していたのだ。
ところが、その見学を邪魔するように、現在複数の貴族たちがシゲルの行く手を阻んでいた。
無視して通り抜けることができないように、しっかりと通路を塞いでいるところが嫌らしい。
王女と婚約をするということで、ふたりの護衛がつけられているが、彼らはあくまでも物理的な攻撃があったときの盾なので、口撃の時に助けてくれることはあまり期待できない。
「聞いているのか、貴様!」
立ちふさがっている貴族のうちの一人がそう言ってきたのを聞いて、シゲルはその男へと視線を向けた。
詳しくは知らないシゲルだが、その貴族が目の前にいる者たちの中で一番立場が上だということはわかっている。
たまたま知っていたというわけではなく、貴族たちの態度を見て、そうではないかと当たりを付けていたのだ。
「勿論です、お貴族様」
嫌味を込めて敢えてお貴族様と呼んだシゲルだったが、どうやらそれは通じなかったらしい。
「だったら、貴様が言うべきことがあるだろう?」
にやにやとした笑みを浮かべながらそう言ってくる男を見て、シゲルは内心でため息をついていた。
貴族たちが主張しているのは、要はシゲルからラウラとの関係を清算しろということだった。
翌日に婚約発表を控えているので、今のシゲルは少なくとも表向きは、王女と仲がいいだけの一般人でしかない。
一つ屋根の下に住んでいる以上、そんなわけがないことは誰にでもわかることなのだが、彼らの脳内ではそうなっているようだった。
それだけでも呆れたくなってくるのだが、彼らはシゲルから離れるように言ってきている。
ラウラとの関係は、そもそも王家側からの要請でもあるのだが、彼らの中ではそれはなかったことになっているらしい。
要するに、今のところただの平民でしかないシゲルには、自分たちのごり押しが通じると考えているのだ。
正式に婚約をしているならまだしも、今のシゲルは王家に気に入られて姫の一人を押し付けられている一般人でしかない。
勿論、普通であればそんな言い分は通じないのだが、相手が貴族である以上は、それを指摘することもできない。
下手に今のシゲルが王家の立場(威)を借りれば、貸しを作ることになってしまうので、できればそれもしたくはない。
……したくはないのだが、そろそろ今の状況にもうんざりしてきたシゲルは、諦めてその威を借りようかとさえ考え始めていた。
どうやったら穏便に事を済ませられるかと頭を回転させるシゲルだったが、中々言葉を発しようとしない様子に、目の前の男はイライラしてきたのか、目が険しくなってきた。
そして、そろそろやばいかとシゲルが口を開こうとした瞬間、これまでなかった第三者の声が後ろから聞こえてきた。
「一体、何の騒ぎだ」
聞き覚えのあるその声に、シゲルは少しだけ緊張して振り返った。
今のところまだ二回しか会ったことがない上に、直接の会話もほとんどしたことがないので、どういう態度で接すればいいのかわからなかったのだ。
そんなシゲルのちょっとした緊張を余所に、これまでシゲルに向かって言葉を吐いていた男が、少しだけ狼狽えたような顔になった。
「で、殿下。なぜここに?」
「何故も何も、ここは王城の廊下だぞ? 私がいて不思議なことがあるのか?」
「いえ、そんなことは……」
カインの問いかけに、その男はぐっと言葉を詰まらせながら、どうにかそう返してきた。
その顔を見れば、言いたいことはあるが、相手が王太子であるだけに、下手なことは言えないと書いてあることが分かる。
貴族がそんなに簡単に表情を読まれてどうすると内心で考えていたカインだが、そんなことはおくびにも出さずにさらに続けて言った。
「そうか? では、シゲルを借りていくが構わないか?」
「は? ……それは構いませんが、殿下がわざわざそのような者と直接話をされなくても……」
カインとしては、仮にも姉の相手とされているシゲルに対して、そんな物言いをするだけでも噴飯ものなのだが、気付かなかったふりをして首を左右に振った。
「いや。せっかくの機会だから遺跡についての話を聞きたくてな。直接その目で見てきた者の意見は重要だろう?」
カインからそう言われてしまっては、男としてもそれ以上の反論はできなかった。
古代遺跡の扱いに関しては、政治的にもカインが一任されている状態なので、口をはさむ余地がなかったのだ。
カインのお陰で、どうにか何事もなくやり過ごすことができそうだと安心していたシゲルに向かって、貴族たちは憎々し気な表情を向けながらその場から立ち去っていた。
勿論その様子はカインの目にも映っていたが、彼らがいる間は特に何かを言うことはなかった。
そして、彼らの姿が消えてから、ようやく呆れたように首を左右に振りながら、シゲルに向かって言った。
「やれやれ。仮にも姉上のお相手だということを、どう考えているのでしょうね」
「まあ、彼らの言い分もわからなくはないですが。彼らからすれば、私などどこの馬の骨とも知れない者でしょうから」
「それにしても、です。姉上のことがなかったとしても、シゲル殿は渡り人なのですから」
そんなことを言ってきたカインに、シゲルは微妙な表情を返すことしかできなかった。
今のところシゲルが渡り人として役にたったことは、味噌や醤油のことくらいしかない。
そんな状態で渡り人としての恩恵を与えたとは、シゲルは全く考えていないのだ。
渡り人のことをこのまま話していても仕方ないと考えたシゲルは、思い出したようにカインに向かって頭を下げた。
「とにかく、助かりました。どうすればいいか、考えていたところでしたので」
「気にしないでください。むしろ謝罪をすべきはこちらですから」
最初にシゲルの気持ちを無視してラウラを押し付けたのは、王家の事情が多分にあったためだ。
最終的にシゲルが受け入れる決断をしたとしても、その事実がなくなるわけではない。
そのことがよくわかっているカインは、さらに続けて言った。
「それに、遺跡の話を口実にしていましたが、完全に嘘というわけでもないのですよ」
「――というと?」
「どうせ姉上たちは忙しくしているでしょうから、この機会にシゲル殿から直接話を聞いてみたかったのです」
女性たちの身支度は時間がかかるでしょうからと続けたカインに、シゲルは苦笑を返した。
まさしくそれが原因であの貴族たちに絡まれることになったのだから、否定することもできない。
そんなシゲルに対して、カインは真面目な表情になって言った。
「姉上からの手紙で前々史文明についてのことはある程度聞いています。それで、他の者の意見を聞いてみたいと考えていたのです」
「そういうことでしたら構いませんが、お役に立てるかはわかりませんよ?」
そう返したシゲルに、カインは首を左右に振った。
「そんなことはないでしょう。少なくとも私の疑問への答えは、シゲル殿が一番あるはずです。……勇者たちは、あまり興味がないようですから」
そう言ってきたカインに、シゲルは首を傾げて見せた。
勇者たちというのはもちろんフィロメナたちのことだが、遺跡に対して興味があるのは、今までの経緯からしてもわかることだ。
それでもカインがあえてそう言ってきたことに意味があると、シゲルは考えたのだ。
そのシゲルの顔を見て、カインはさらに付け加えて言った。
「話を聞く限りでは、今とは比較にならないほどの文明だったようですが、なぜそんな文明が跡形もなく滅んだのか」
カインがそう言ったのを聞いて、シゲルはなるほどと頷いた。
現在のところ、フィロメナたちの思考は、文明の興亡の理由ではなく、そこで培われていた技術や学問に向いている。
為政者としてのカインがそちらに興味を向けるのは、当然だとシゲルは理解したのだ。
「話をするのは構いませんが、私も確証を得た情報は何もありませんよ?」
フィロメナたちほどではないにしろ、シゲルも文明が滅んだ理由はあまり調べようとはしていなかった。
ただ、いくつかの推論はあるので、それについては話をすることができる。
そう言ったシゲルに、カインは頷いて見せた。
「それで構いません。むしろ、そうした話を聞いてみたかったのです」
そう言ったカインは、シゲルに確認を取ってから自室へと案内し始めた。
この時のシゲルは気付いていなかったのだが、王太子であるカインが自分の部屋に案内することは非常に稀で、それだけでも特別扱いになる。
カインのこの行為は、先ほどまでいた者たちのような貴族に対する牽制を含んでいるのであった。
ちなみに、シゲルが大精霊を召喚できることは、まだ王家とその護衛の間だけで止まっています。




