(6)名付けとは
緩やかに下っている溶岩の川(?)の先には、巨大な地底湖のような溶岩だまりがあった。
ちなみに、どういうわけかその間は魔物が出現することはなかった。
結界があるので当然かもしれないが、それでも山の中にある洞窟としてはあり得ないことで、フィロメナたちは少しだけ神経をとがらせていた。
そして、その地底溶岩湖に着いたシゲルたちは、魔物が一切出なかった理由を目の当たりにすることとなる。
あまりに大きな溶岩湖を見たシゲルたちが、湖の縁まで近づいたときにそれは姿を見せたのだ。
「よう。よく来たな、《導師》」
久しぶりに呼ばれたその名前と、目の前に現れたその圧倒的な姿に、シゲルは思わず息を飲んでしまった。
この世界にいるということは聞いていたが、まさかここで会えるとは思っていなかったので、虚を衝かれたということもある。
「…………ドラゴン」
シゲルに向かって軽い調子で話しかけてきたその存在は、紛れもなくドラゴンだった。
姿形は、西洋風のそれではなく、東洋風の細長い体になっている。
ただし、首(?)から下は溶岩の中に隠れているので、どれくらいの大きさなのかは推測するしかなかった。
もっとも、顔の大きさからみても数メートルで済むわけが無いだろうなということは、考えるまでもなく理解していた。
驚いているシゲルを見ながら、そのドラゴン――火の大精霊は、カカと笑いながら言った。
「おう。ドラゴンだぞ。我の姿を見てそこまで驚く者は、久しぶりだな。……うん? そもそも人の子に会うのが久しぶりだったか?」
そう言いながらカカカともう一度笑ったドラゴンを見て、シゲルは「そうですか」と答えた。
その姿を見慣れて驚きさえやり過ごしてさえしまえば、あとは今まで通り他の大精霊と同じような対応をすることが出来た。
その男性的な声と口調から、シゲルは何となく今まで以上に話しやすささえ感じ始めていた。
そんなシゲルに向かって、火の大精霊は続けて話しかけてきた。
「まあ、そんなことはどうでもいいか。それよりも、我にも名前を付けてくれるのだろう? 楽しみに待っていたのだ」
その火の大精霊の言葉を聞いて、シゲルは思わず苦笑をしてしまった。
いつの間にかシゲルが大精霊に名前を付けることが、確定事項になっている。
畏れ多いという気持ちが無いわけではないので、こうまで気軽に言われると、本当に名前を付けることが大事なのか一瞬分からなくなってしまったのだ。
そんなことを考えたシゲルは、折角の機会なので聞いてみることにした。
「名前を付けるのは構わないのですが、そもそもなぜ私なのでしょうか?」
「口調が固いぞ。もっと気楽に話してくれていいのだが? まあ、それはともかく、名付けの理由か。木や水からは聞いていなかったのか?」
そう問いかけられて首を縦に振ったシゲルを見て、火の大精霊はそうかと答えてから続けた。
「そもそも、我らのような存在に名前を付けられる者は少ないからな。それに、其方のような力があるのであれば、むしろ頼みたくなるのは当然だと思わないか?」
何がどう当然なのかはさっぱり分からなかったので、シゲルは「ハア」と曖昧に頷いた。
シゲルの顔を見て、欲しい答えではなかったと理解できたのか、火の大精霊は「ふむ」と少し考える様子を見せてから再び話し始めた。
「そもそも名前を付けるという行為が、契約の一種だということは知っているか?」
「はあ、それは、まあ……」
一口に契約といってもその形態は様々あり、シゲルが大精霊に対して行ってきた名づけは、名前を付けましたよというちょっとした約束のようなものだと認識していた。
勿論、そのこと自体は大変なことだということは理解していたが、あくまでも名前で呼ぶことを許されたという程度のことだと考えていたのだ。
そんなシゲルに対して、火の大精霊は予想外のことを言ってきた。
「我らのような存在に対して、名前を付けるのが許されたということは、契約精霊として呼び出すことが出来る、もしくは出来るようになるということだ」
「えっ!?」
初めて聞くその内容に、シゲルは驚きを示してからミカエラを見た。
そんな話は全く聞いたことがないという意味があったのだが、ミカエラが自分と同じような顔になっているのを見たシゲルは、彼女も知らなかったのだと理解した。
そのシゲルを見て、火の大精霊は少しだけ呆れたような声音でさらに続けて言った。
「なんだ。あ奴らは、そんなことも説明していなかったのか? 別に秘匿事項というわけではないのだがな」
そんなことを言いながら顔を傾けている姿を見れば、それが不思議がっている仕草だということはわかる。
「まあ、それはいいか。以前のことは知らないが、今の其方であれば、一体くらいは呼び出すこともできるのではないか? 折角だから水か風でも呼び出してみるといい」
さあと促してくる火の大精霊を見て、シゲルは困った顔になった。
名づけが大精霊との契約を示していることも今知ったのに、呼び出し方など知っているはずもない。
そのシゲルの考えが分かったのか、火の大精霊は相変わらずの軽い調子で言ってきた。
「別に難しく考える必要はない。其方が普段から他の契約精霊に対してやっている通りにすればよい」
「普段通りに……ということは、名前を呼ぶ?」
確認するようにシゲルがそう言ったが、火の大精霊からの答えはなかった。
ただ、その目はどう見てもやってみろと言っていたので、シゲルはこれまでに名付けた大精霊の中で誰を呼ぶかを少しだけ考えてからその名を口にした。
「――マニュスディーネ。こっちに来てもらえますか?」
シゲルがそう言った瞬間、シゲルの右斜め前、火の大精霊との間くらいに、水の大精霊の姿が現れた。
あっさりと姿を見せたディーネを見て、シゲルは驚いていた。
だが、それを無視するようにディーネは火の大精霊を見ながら言った。
「あらあら。話しちゃったのね。自分で気付くようにしたほうが面白かったのに」
「そうかもしれんが、これ以上風から愚痴を聞かされるのは勘弁して欲しかったからな」
「あらあら。貴方にそんなことを言いに来ていたの、あの子は」
少しだけ呆れたような顔でやれやれと肩を竦めるディーネに、火の大精霊がカカと笑った。
「それもあ奴の性質のひとつだろう。それはともかく、肝心の《導師》が置いて行かれているぞ?」
火の大精霊がそう言うと、ディーネはもう一度「あらあら」と言いながら目を細めてシゲルを見てきた。
二体の大精霊から注目を浴びることになったシゲルは、内心で恐縮しつつ何とか疑問を口にした。
「ええと……特に抵抗を感じなかったのですが、こんなものですか?」
普通、力が強い精霊を呼び出すには、それなりの魔力を消費すると言われている。
それなのに、ほとんど何も感じずに呼び出せたことを不思議に思ったのだ。
「そんなものよ。というよりも、シゲルが成長したからこそ、それで済んでいるのだけれどね」
「はあ」
成長していると言われても、まさか大精霊が呼び出せるほどになっていたという実感がなかったシゲルとしては、そう答えることしかできなかった。
そんなシゲルを見て、クスクスと笑ったディーネは、さらに続けて言った。
「まあ、今のシゲルでは、呼び出したといっても私たちの力を十分に発揮できるわけではないけれどね。ずっと呼び出していたいのであれば、話し相手くらいにはなれると思うわよ?」
「あー、そういうことですか」
がっかりと納得が混ざったような顔になったシゲルを見て、ディーネはクスリと笑いながら頷いた。
「勿論、いざという時の手助けをすることくらいは出来るけれどね。それだったら、よほどのことが無い限りは、他の契約精霊を呼び出していたほうが良いと思うわよ?」
この場合の他の契約精霊というのは、ラグたちのことを指している。
すぐにそれを理解したシゲルは、なるほどと頷いた。
要するにディーネは、戦闘中に大精霊を呼び出す場合は、本当に最後の手段として使えと言っているのだ。
そんなシゲルに対して、今度は火の大精霊が続けた。
「一応言っておくが、我らに対しての契約と、其方が持つ箱庭による契約とはまた別のものだからな。その内容は……まあ、追々知っていけばいいだろう」
「あら。そこは親切に教えて上げないのね」
「そう思うのであれば、其方が教えてやればいい」
「うーん……止めておくわ。口でどうこういうよりも、身をもって知ってほしいから」
「そういうことだ」
ディーネの答えに、火の大精霊はそらみろと言わんばかりに返した。
大精霊二体がそんな会話をしているのを聞いて、シゲルはスパルタ形式ですかと考えていた。
今の会話の内容は、どう聞いても習うよりも慣れよと言っているようにしか聞こえない。
だからといって、ここで文句を言っても答えは返ってこないだろうということは分かっているので、シゲルはただ黙って会話を聞いているのであった。




