(1)魔族の領域
シゲルがこちらの世界に来た当初、フィロメナから教えてもらった常識に、大陸の勢力図というのがあった。
この場合の勢力図というのは、各国の境界線のことではなく、魔族との境界線のことだ。
フィロメナが勇者である以上、この世界には魔王が存在したということで、当然のように魔族が存在している。
シゲルたちがいる大陸では、魔族たちは西側で暮らしている。
フィロメナが勇者になった原因は、その西側から魔族の王が魔族や魔物を率いて人が暮らす領域に攻めてきたことにある。
ついでに、その魔王を討伐したからこそ、フィロメナは東側で勇者と呼ばれるようになったのだ。
西側に魔族が住んでいて、定期的に魔王が攻めてくることが分かっているのに、なぜその西側に攻め込まないのかといえば、それは単純に地理的な理由がある。
東側の大陸を南北に分ける山脈が風の都を擁するオネイル山脈だとすれば、それ以上に巨大な山脈――オパール山脈が大陸を東西に分けるように存在している。
このオパール山脈があるために、東側諸国は魔族を完全に討伐することが出来ずにいて、定期的に魔王が攻めてくるという状況に陥っているのである。
勿論、歴史的に一度も西側に攻めなかったというわけではない。
各国連合が集まって、大規模な討伐部隊が編成されたこともあるが、最終的には大損害を被って失敗となった。
それ以来、東側諸国で魔族の領域に攻め入ろうとする国や組織は出てくることはなく、魔王が攻めてきたときに対処をするのみとなっている。
ちなみに、陸はそんな感じだが、海はそれ以上に不可侵領域となっている。
というのも、船で魔族の領域に行こうとしても大きな結界のようなものに阻まれて行くことが出来ないのだ。
それは魔族側にとっても同じようで、一度も海から攻めてきたことがない。
そのため、海ルートで魔族の領域を攻めるということも出来ないでいるのである。
いま一度それらの説明を思い出していたシゲルは、難しい顔をして話し合っているフィロメナたちを見た。
彼女たちのいまの話題は、果たしてポルポト山にアマテラス号で向かうことが出来るのか、であった。
何故そんなことを話しているかといえば、ポルポト山が魔族の住む領域にいるためである。
「――とりあえず向かってみたほうが早いと思うんだけれど?」
シゲルがポソリとそう言うと、他の面々は一斉に口を閉じてしまった。
フィロメナが、小さくため息をついてからその問いかけに答えた。
「あのな、シゲル。魔族の領域は危険地帯だと以前も話しただろう? 普通は、そんな気軽に向かってみようなんて発想にはならないんだ」
「そうよね。気楽に言っちゃうのが流石シゲルというところかしらね」
フィロメナに続いて、ミカエラがそう言ってきたのを聞いて、シゲルは心の中でやってしまったかと思った。
たとえ空からであっても、魔族の領域に向かうのは、常識はずれの行動だと理解したのだ。
ただ、それでもシゲルとしては不思議に思うことがある。
「魔王を倒したフィロメナたちにとっても、そんなに危ない場所なの?」
「当たり前だ。限られた勢力で攻めてきている者を討伐するのならともかく、土地に住まう者すべてを倒していくなんてことは、私には出来ないぞ?」
考えてみれば当然のことなのだが、たとえ魔族の領域に入って頂点に立つ者を倒したとしてもそれで終わりと言うわけには行かない。
必ずその後には、再び魔族をまとめる者が出てくるのだ。
それを防ぐためには、全部とは言わなくても、相当の数の魔族を倒さなくてはならない。
魔族がいる領域の広さのことを考えれば、それはほぼ不可能と言っていい作業になる。
さらにいえば、魔族領域では複数の国のようなものがあるとされている。
例え一人の王を倒したとしても、別の王がその領域を支配するだけなので、意味がないのである。
付け加えると、東側の人族の領域に来る魔王は、それらの王の意思を受けて攻めてきているか、戦いに敗れた王が領地を求めてきているとされている。
一口に魔王といってもその強さにはばらつきがあり、人族の領域で受ける損害もその時々によって変わって来るのだ。
ちなみに、フィロメナたちが倒した魔王は、歴代の中でも上から数えたほうが早いと言われるほどの強さだとされている。
それはともかく、フィロメナたちにとっても、大陸の西側に行くということは、よほどの覚悟が必要になるということなのだ。
「いや、言いたいことは分かるけれど、そうじゃなくてアマテラス号で空からこっそり忍び込むことは出来ないのかってこと」
「勿論できなくはないだろうが……こっそり?」
シゲルに反論しようとしたフィロメナだったが、ふとアマテラス号に備わっている機能を思い出して、少し呆然とした顔になった。
「――考えてみれば、こちらでは目立つためにわざと姿を見せていたが、何も魔族の領域でわざわざ姿を見せる必要はないな」
フィロメナがそう言うと、ミカエラとマリーナが同時に顔を見合わせていた。
両者のその顔は、言われてみればというものになっている。
それに対して、ラウラ組はそんなことが出来るのかと言いたげだった。
遺跡の存在を知らしめるために、特にラウラが来てからは、アマテラス号を隠すということをしてこなかったので、そんな機能があることを知らないのは当然だ。
「なんだ。こっそり行けることを忘れていただけか」
今までの話し合いは何だったんだという顔をしているシゲルを見て、フィロメナは釘を刺すように言った。
「言っておくが、それでも普通は西側に行こうなんて、気楽には言えないからな?」
呆れたような視線を周囲から向けられたシゲルは、素直に「ごめんなさい」と謝ることしかできなかった。
結局、エアリアルから教えてもらったポルポト山には、十分に準備を整えた上で向かうことになった。
アマテラス号がいくら姿を隠せるからと言って、空を飛べる魔族や魔物に絶対に見つからないとは限らない。
魔物に関しては、近寄ってこないような仕掛けがされているようだが、魔族の場合はどうか分からない。
むしろ、不審物だとして即攻撃対象になる確率のほうが高いはずである。
そのため、不測の事態に備えるのは、当然のことだ。
それらの話をまとめていく段階で、少しだけ問題になったのが、次のラウラの一言だった。
「父には知らせたほうが良いと思いますか?」
ラウラがそう聞くと、その場の空気がピタリと止まった。
フィロメナが魔族の領域に行くとなれば、それだけで東側は大騒ぎになる。
下手に噂が広まれば、かつて魔族の領域に攻めていった勇者と同じような扱いにされる可能性もあり得る。
勿論、フィロメナたちは、そんなことを考えているわけではないので、迂闊にそんな話は出来るはずがない。
だからといって、何が起こるか分からない場所に行くのに、家族に全く報せもしないというのは、どうかという気持ちもある。
出来ればこっそり行きたいという考えと、肉親の情の間に挟まれるシゲルたちを見て、ラウラは自嘲するように苦笑した。
「いえ。申し訳ありません。皆様を困らせるつもりはなかったのです。今の質問は、勇者として魔族領域に行くかを報せるかを聞きたかったのです。父親云々は考えなくてもいいです」
あっさりとそう言ったラウラを見たシゲルは、彼女が王族としてではなく、自分たちの仲間として発言したということを理解した。
それはフィロメナも同じだったようで、ミカエラとマリーナを見てから言った。
「出来れば、私たちが魔族の領域に向かうことは知らせたくはないな。ホルスタットの王はともかく、他がどう動くかは分からない」
「まあ、それはそうでしょうね」
フィロメナの言葉に、ラウラはあっさりとそう言って頷いた。
ラウラも同じことを考えていたのだが、実際に違っていた場合には、説明にずれが出てくる可能性がある。
そうならないように、しっかりと意識のすり合わせを行うためにも、きちんと口に出して聞いたのだ。
そんなラウラに、シゲルがそっと窺うように聞いた。
「ラウラはそれでいいの?」
「構いません。皆様と一緒に行動することになる以上、こういうことが起こり得るということは、もとより考えていましたから」
「はー、そうなんだ」
感心した様子でそう言ったシゲルに、ラウラは少しだけ笑って続けた。
「シゲルさんは実感が少ないのでしょうが、フィロメナと一緒に行動するということは、こういうことが起こり得ると皆が分かっているのですよ」
ラウラの言う「皆」というのは少し大げさだが、各国の上層部はそうした認識でいるはずだ。
現に、ラウラは弟たちとそういう話をしたこともあった。
ラウラの言葉にさらに感心して、何故だか自分に向かって微妙に胸を張っているミカエラを見たシゲルは、ちょっとだけ首をひねってからリグに言った。
「リグ、あそこで威張っている人にデコピンでもしてきて」
「はーい」
シゲルから命令(?)を受けた悪戯好きなところがあるリグは、少しだけウキウキとしながらミカエラの所へ飛んで行った。
「えっ? ちょ、ちょっと。嘘よね、リグ? シゲル、止めて止めて! ……ウキャン!」
額を押さえながらシクシクとわざとらしく泣き出したミカエラを見て、他の面々は揃って笑い出すのであった。
別にミカエラが落ち担当というわけではありません。
……タブン。
ミ「ちょ、ちょっと。タブンって何よ、タブンって!」




