その5 カニカニ カニ騒動
温泉でゆっくりするつもりだったのに、何故私はここにいるんだろう。
目の前に広がる湖をぼーっと見つめるアルクルミ。その横には同じ表情のキスチスが立っている。
「じゃお願いキスチスちゃん」
「な、何をだよ」
サクサクに肩を叩かれたキスチスからそーっと離れるアルクルミ、モンスターが出る場所でのお願いなんてろくなものじゃないのだ。
「キスチスちゃんは魚屋でしょ、知識を生かしてカニのモンスターをおびき出してきて」
キスには悪いけど、今回は魚介類のカニで本当に良かった。
アルクルミはホっと胸を撫で下ろしたが、お肉の仕入れでいつかこんな状況になるかも知れないと思うと、肉屋の娘としては他人事ではなかった。
「私は魚屋であって、モンスター漁の知識なんかねーぞ!」
「大丈夫だって、こんな感じのカニを連れて来てくれればいいから」
こんな感じと言いながら、サクサクはポンポンと後ろにある謎の巨大物体を叩いている。
「お、おいサクサク……」
「う、後ろ出たよ。カニ出てる」
「うん? 私何か出しちゃった?」
サクサクが自分のスカートの後ろを見ようと振り返った時、今まで彼女の頭があった空間を巨大なカニのハサミが挟んだ。
アルクルミたち三人の前にいるのは、湖から上がってきたモンスター。
胴体がでっかいクマくらいの大きさがある巨大カニ〝みずうみカニカニ〟だ。
「お? おお? カニだ! キスチスちゃん仕事早いね! さすが魚屋さんだ」
「そ、そうか、さすがだな私」
アルクルミはアホな幼馴染の腕を掴むと急いでその場から退避、サクサクの戦闘の邪魔をしてはいけない。
モンスターが出てしまった以上は、あとは冒険者のサクサク頼りなのだ。
サクサクは一瞬で腰のレイピアを抜くと、カニに向かって一直線にその剣を突き出した。
しかしレイピアの鋭い切っ先でも、カニの装甲は貫けずに弾かれてしまう。
カニのハサミによる攻撃を横に弾き飛ばし、もう一撃を入れるもやはり硬い甲羅は通らず、片方のハサミが襲ってくる。
サクサクはハサミの攻撃を後ろに飛んでかわした。
狙うのは口が良さそうだが、リーチのあるカニのハサミでモンスターの懐に飛び込む事ができない。
ジリジリと間合いを取る両者。
「ねえ、このカニ結構強いんだけど、レベル高かったりする?」
「た、確か熟練冒険者でも手を焼くって聞いたぞ」
遠くで見守っているキスチスがサクサクの問いに答えている。
「そうなんだ、こりゃ戦い甲斐のありそうなヤツだ。それにめちゃくちゃ美味しそう! そうか、手を焼くのか。カニのハサミを焼いたのは美味しいもんね! くうーコイツで一杯飲んだら最高なんだろうな! ちょっとだけ今飲んでもいいかな?」
さすがに冗談だろうけどサクサクは本当に飲み始めかねない。
というか現に左手でお酒のボトルを出すと『グビ』っとやった。
「うんめー! ガソリン入ったあ!」
なんだか変な事を言ったサクサクがもの凄い速さでレイピアの突きを繰り出し、カニが防戦一方になってしまう。
凄い戦いにアルクルミが目を丸くして見つめていると、遂にサクサクの剣がカニの口を貫いたのだ!
やった!
そしてサクサクが寝た。
『燃料』が切れたというヤツだ。
モンスターは! とアルクルミが見ると、カニは口にレイピアが刺さったまましばらく動かなかったが、突然暴れだした。
キスチスが慌ててサクサクを引きずってカニの前から逃亡したが、怒り狂ったカニのモンスターがアルクルミたちを追いかけてくる。
「キャー!」
「アル! 脱げ!」
「カニに裸を見られたってスキルなんか発動しないわよ!」
「あああ、しまったサクサクを落とした!」
「ええええ」
しかし迫ってくるカニはサクサクが目に入らなかったのか、キスチスとアルクルミをそのまま追いかけてきた。
サクサクを助けようと立ち止まっていた二人は慌てて逃亡を再開。
「キス! なんとかしてよ! 魚屋でしょ!」
「無茶言うな! でも、ちくしょう! 魚屋根性を見せてやるぜ!」
立ち止まったキスチスは輪にしたロープをクルクルと振り回し始める、そのロープはカニを持って帰る為にサクサクが用意したものだ。
「カニはな、ロープで縛られて鍋へドボンなんだよ! おりゃ~! これでも食らえ!」
キスチスの投げ縄は見事にカニのハサミを捕らえた!
この辺はさすが魚屋、さすが普段から男の子みたいだと言われるだけの事はあるのだ。
カニはロープが掛かったハサミを持ち上げ、それをグルグルと回し始めた。
当然ロープを持ったキスチスもグルグル空中で回って、そのまま吹き飛ばされて湖に『ポチャン』、湖面に仰向けにプカーと浮かぶ。
この辺はさすがキスチス、さすが普段からポンコツと言われるだけの事はあるのだ。
モンスターはキスチスも無視して逃げるアルクルミを追う。
「いやあ! 何で私なの!」
走るアルクルミに追いかけるカニ、青春の一ページがそこにあった。
アルクルミは必死に逃げるがカニの速度は速い、このままでは追いつかれてしまう。
「そ、そうだ! カニは横にしか歩けないんだった!」
自分の天才的な閃きに感動しながら、肉屋の娘はカニの正面にまわって走った。
だがカニはまっすぐそのまま追いかけてきたではないか。
「やだあああ、何でよおおおお! さっきより速くない? ねえ速くなってない?」
横歩きよりも速くなったカニに、とうとう彼女は追いつかれてしまった。
だ、だめだ――!
私はここで終わった――!
私はここで食べられてカニの泡と消えるのだ。
せめてこのカニを食べる人が、私の栄養分も美味しく感じて幸せになりますように……
『ジャキーーン!』
切れ味バツグンのカニのハサミがアルクルミを襲った、人間の胴体など一撃でジャッキンする強力なハサミである。
そのハサミを食らっては、アルクルミの可愛いひらひらのスカートなんかひとたまりもないのだ。
そう、いつものごとくアルクルミはスカートを切られてしまった。
そしてこれがカニの人生最大の失敗でもあった。
アルクルミのパンツが露出した瞬間、対セクハラスキルが発動!
アルクルミの両足がカニの左側の四本の脚を一気に挟むと、そのままモンスターをひっくり返してハサミを持ち、『ゴキッ』と関節を決めた。
カニに〝かにばさみ〟の技を繰り出したアルクルミは、相手の残ったもう一つのハサミも両足で挟むと、身体を捻ってモンスターの身体を逆さまに地面に叩きつけた。
「これ温泉旅行に行く為に出してきた、一番のお気に入りだったのに!」
ちょっと涙目のアルクルミの前には、彼女の文句など既に聞こえていないモンスターが、口から泡をぶくぶくと吹いてカクンと横たわっているだけだ。
「カニ! カニはどうした!」
「あれ、何で私湖に浮いてんだ? そうだ、ジャガイモ潰さなきゃ……」
カニが地面に叩きつけられる振動で、目が覚めたサクサクと寝ぼけたキスチスが歩いてくる。
彼女たちがカニを見て万歳三唱をしている横で、涙目のアルクルミは裁縫道具を取り出してスカートをチクチクと直していた。
「おおー姉ちゃんたち、でっかい獲物を取ったな!」
「いいところに来た! おっちゃん、包丁と鍋貸して! それとお酒もあったら嬉しい!」
ちょうど通りかかった漁師たちに、ニコニコ顔で話しかけるサクサク。
結局巨大なカニは持ち帰るのも面倒なので、その場で食べる分だけ茹でてもらい残りはカニ漁師たちに売り払う事になった。
茹でたカニでサクサクは早速飲み始め、漁師たちも巻き込んだ宴会は夕方近くまで続いたのである。
「寒い……はやく帰って温泉入りたい……」
びしょ濡れのキスチスがカニを食べながら震えていた。
次回 「温泉の町で変な子と出合った」
アルクルミ、サクサクたちとはぐれて自由を得る




