■9.安保理、沈黙す。
■大韓民国による日本国に対する武力の行使、および対馬諸島侵攻は国際平和に反する行為であることを認定し、大韓民国を非難する。
■大韓民国・日本国両政府に対して、事態収拾に向けた協議を開始するように勧告する。
■大韓民国は大韓民国国軍を5月時点の配備状況に、無条件で可及的速やかに戻すこと(①対馬諸島からの撤退・②韓国南部に現在集中している戦力の分散、2点の要求)。
以上が6月1日の国際連合安全保障理事会で検討された決議案である。軍事的オプションを除外した制裁を規定している国際連合憲章第41条(※1)と、軍事行動を認める第42条(※2)に関する言及はない。話題にもならなかった。
(※1)安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、かつ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部または一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。
(※2)安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持または回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍または陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。
だがしかし、アメリカ合衆国代表は当初から決議に対して難色を示した。彼らに韓国政府をコントロールする自信はもはやなかった。それどころか韓国政府は何をしでかすか分からない、という恐怖さえあった。国際連合安全保障理事会の対韓非難決議が通っても、韓国政府がそれに従うとは限らない。そのとき韓国政府は少なくとも国連という一種の国際秩序に反する悪、となる。
(ならば安保理の決議を通さない。これしかないではないか)
全面的に韓国を庇っているわけではない。ただ未だに中華人民共和国を睨む最前線として、韓国に利用価値を認めているアメリカ合衆国代表としては、ここでかの国を国際社会の敵とすることだけは避けたかった。またここで韓国を見棄てれば、彼らは北朝鮮と急速に接近するかもしれない。
おそらく座視していれば、対韓非難決議は通るだろう。第二次世界大戦を終戦に導いた主要戦勝国の特権、拒否権を行使して安保理の決議を拒否するほかない。予測不可能な行動に出る韓国政府は苛立たしい存在だが、予測不可能ゆえに放ってはおけなかった。
(拒否権を発動して時間を稼ぐ。そこからもし要請があれば、24時間以内に国連総会の緊急会が招集されるが……)
アメリカ合衆国代表は表情を一切崩すことなく、安保理の進行を注視した。安保理決議が拒否権の行使により流れた場合、国連総会にて緊急会が招集されることがある。いわゆる“平和のための結集”だ。加盟国2/3の賛成があれば、国際平和のための措置を勧告することが出来る。この国連総会の緊急会には、当然ながら安保理常任理事国の拒否権は存在しない。
「大韓民国国軍の武力行使が平和の破壊、侵略行為にあたることは誰の目から見ても明らかではありませんか。我が国は約30年前に隣国からの侵略を受け、王子殿下をはじめ、多くの人命が失われ、国土と誇りを傷つけられました」
クウェート代表の言に、アメリカ合衆国代表は耳と心が痛む思いがした。
彼の発言は堂々たるものであり、まさしく正論であった。安保理は国際平和に責任を持ち、決議内容に加盟国を拘束出来る数少ない組織である(国連総会の決議は法的拘束力をもたない、所謂“勧告でしかない)。その安保理が目の前の侵略を見過ごせば、世界は理不尽な暴力を容認する修羅界と化すではないか。
「30年前のクウェートと今日の日本国の間に、どんな違いがあるというのですか?」
ここでクウェート代表はロシア連邦代表を一瞥してから、言葉を続けた。
「勿論、安全保障理事会はあらゆる脅威に対応出来るわけではありません。むしろ機能不全に陥っている、と目されることが多い。国際紛争を解決するために武力を行使する実例が、残念ながら近年でも散見されてします。しかし、世界中に惨劇が転がっているからといって、目の前の惨劇を止めない理由にはならない!」
最後に「安保理の矜持を!」、という言葉で彼は自身の意見開陳を終えた。
だがアメリカ合衆国代表は、僅かに視線を落としただけであった。
クウェート代表の言葉により、非常任理事国の間では正義と勇気の旋風が吹き荒れた。が、それはたった一国の権利で叩き潰される。この世界は理不尽な暴力を容認する修羅界であった。国際社会は常に弱きものに手を差し伸べるとは限らず、結局のところ国連加盟国は40億年前からの生命普遍のルール――つまり“自分の身は、自分で守れ”――を守らなければ生き残れないのであった。
一方、アメリカ合衆国大統領はSNSに、
「F■■K S・KORIA」
と投稿していたが、これは脊椎反射的本音であって政治的判断に拠るものではなかった。
……。
さて。韓国軍の先制攻撃を受けた日本国自衛隊が、即時反撃に移るのが困難である旨は前述した通りである。防衛出動命令が下されない限り、日本国自衛隊は武力を行使することが出来ない。ではその肝心要の防衛出動命令はいつ下せるのかと言えば、上記の通り気が遠くなるような手続きが必要になるのが現状であった。
①武力攻撃と考えられる事態の発生。
②政府は対処基本方針案を作成。
③対処基本方針案を国家安全保障会議に諮る。
④国家安全保障会議は内閣総理大臣へ対処基本方針案の答申を行う。
⑤対処基本方針を閣議決定し、国会に提出する。
⑥対処基本方針の国会承認を得る。
⑦国会の承認を受け、内閣総理大臣は防衛出動命令を下す。
⑤の対処基本方針の閣議決定まで進めれば、あとは国会の事後承認を求める代わりに内閣総理大臣が防衛出動を下すことが出来る。だがそれでも②から④までをパスするのに、順調にいっても2、3日以上はかかるだろう。
時間を浪費する可能性のある不安要素は山積している。対処基本方針案を作成する前に、防衛省制服組(武官組)は前線部隊の得た情報を、軍事に関して素人である防衛省背広組に理解させる必要がある。また対処基本方針案の検討にも時間が要る。国家安全保障会議における大臣級会合も、関係省庁が準備を整えてからでなければ開くのは難しい。
「国民の生存権どころか生命権が脅かされているのに、悠長な真似は許されない」
それでも国防族として有名な衆議院議員、小谷雄介防衛相は早期の防衛出動を実現させるべく、防衛省政務官とともに防衛省内の背広組に対して圧力をかけた。制服組・背広組で主導権争いをしている場合ではない、両者は協力して早急に報告を上げろ、というわけである。
明言こそしなかったが、小谷防衛相は今回の防衛出動に至るまでの手続きにおいて、非協力的な態度をとった防衛省職員を、今後の人事において不利にするくらいの決意を以て事に当たっていた。それを感じ取った防衛事務次官以下、防衛省の背広組は震え上がった。
(小谷ならやりかねん)
中央官庁の高級官僚達からすれば、生まれも育ちも宮城県、最初の就職先も宮城県庁水産業振興課のこの男は“田舎者”に過ぎない。だがしかし、衆議院議員選挙当選後はすぐさま頭角を現し、外務大臣政務官・外務副大臣に続けて就任。そして数年前の激甚災害で宮城県が被災し、自身の実家も倒壊して以来、“たがが外れた”と評されるようになった。
それはすなわち、彼の中に“力への信仰”が生まれたからであった。大自然の脅威、降って湧く理不尽から国民を守る力を欲した。こうして安全保障方面の知識を身につけた小谷雄介は、複数回に渡り防衛大臣に起用されている。国民を守るためならば、内閣人事局を動かして高級官僚以下の人事を差配するくらいのことはやるだろう、と誰もが思った。
が、その小谷防衛相を以てしても、防衛出動命令に漕ぎつけるまで一筋縄にはいかぬ。
しかしながら中華人民共和国に“上に政策あれば、下に対策あり”(中共政府が規制等の決定を下しても、民衆の側は法律の不備を衝いて規制をくぐり抜けたり、儲け話に利用したりする)という言葉があるように、自衛隊にも同様に策があった。




