■56.首都騒乱!
前述の通り、東京都心――永田町の警備は過去に類がない水準の厳戒態勢が布かれていた。
まず始発から終電まで、東京メトロ丸の内線霞が関駅・国会議事堂前駅、東京メトロ有楽町線桜田門駅・永田町駅といった永田町周辺の地下鉄駅にて、徹底した手荷物検査が実施されていた。これは地下鉄を利用した危険物の運搬、工作員の移動を防ぐための措置であった。平時ならばICパスをタッチしてスムーズに入出場をする通勤客からは、当然ながら不満の声が上がったが、こればかりは致し方がない。
また地上の幹線道路でも検問が設けられ、一般車両の後部座席やトランクの検査、積荷を細かくチェックすることが難しい運輸トラックに対しては身分確認が徹底され、不審な場合は運輸会社に確認を取ることまで行われた。
加えて永田町周辺の官公庁施設周辺に関しては、警視庁機動隊の警備車が出動し、これを封鎖している。
ただし、懸念がないわけではなかった。
連日、国会前では2万名を超える規模の反古川政権デモが実施されており、警視庁機動隊はこちらに人員と警備車を割かなければならなかった上、また都内の大使館にも警察力のリソースを回さなければならず、警視庁の人間は上から下に至るまで連日の勤務を強いられていた。約4万5000名から成る警視庁であっても荷が重く、やむをえず神奈川県警察・千葉県警察・埼玉県警察・茨城県警察といった周辺の都道府県警察からも協力を得ている――が、それでも苦しい。もう財布をひっくり返しても埃しか出てこないのが、警視庁の現状であった。
都内に残る警備力としては陸上自衛隊第1師団しかないが、政治的判断から治安出動命令は未だ出されていない。治安維持のために事実上の軍事組織である自衛隊を展開させることは、激しい反発を招くことになるだろう。
「古川やめろ!」
「古川やめろ!」
「赤河もやめろ!」
「赤河もやめろ!」
「神野もやめろ!」
「神野もやめろ!」
「小谷もやめろ!」
「小谷もやめろ!」
「木下もやめろ!」
「木下もやめろ!」……。
Xデイとなった週末もまた国会前にて反・古川政権デモが繰り広げられていた。その人数は約5万。最前列のグループはスネアドラムのような打楽器を持ち込んで、リズムよくコールを上げ続ける。これに相対する警視庁第1機動隊の隊員達は、ただただ神妙な面持ちで、表面が湾曲している透明なライオットシールドを構えたまま、正面をじっと見つめていた。
そして午前10時――ドラムを打っていた男のひとりが、突如としてうずくまった。コールに夢中になっている周囲は、それに気づかない。男は自然な動きでドラムの片面を取り外した。動きを止めたのは、彼だけではない。デモ隊の一角で数人の男女が寄り集まって人垣を作ると、その中心にしゃがみこんだ男が赤ん坊のおむつを交換し――交換しながら周囲から何かを受け取った。
30秒後、コールの最中から乾いた音が響き渡った。
その瞬間、一部を除いた大勢はそれが何の音か理解出来なかった。理解する前に、人間の喉や打楽器によって震動する空気中を音速の鋼鉄が飛翔し、真っ直ぐに警備の最前列にいた隊員の顔面に突き刺さった。ディフェンス・ディストリビューテッドが公開した3Dプリンター銃『リベレーター』、それを北朝鮮当局が改良した完全プラスチックインク製拳銃『人民19』が放った9㎜弾は、隊員の眉間をぶち抜き、前頭葉を破壊した。
「撃たれた!?」
「撃たれた! 黒井が、黒井が!」
デモ隊の前面に立っていた第1機動隊第2中隊の陣形が崩れた。斃れた隊員を周囲の隊員が引っ張って警備車の合間へ下げようとすると同時に、小隊長が拳銃を引き抜いて前に出る。
そこに人垣から姿を現した男のひとりが、デモ隊最前列の背後まで進出し、その手に抱えた凶器を構えた。『茎』……かつて日本国内の宗教団体が製作したAK-74、その中でも最も完成度の高い一本が火を噴いた。フルオートで吐き出された5.56㎜弾は、拳銃を携行していた小隊長を蜂の巣にし、周囲の隊員のシールドを貫徹してその胸や腹に飛び込んだ。
それを確認することもなく男は背後へ踵を返し――目の前にいるデモ隊参加者を撃ちまくった。銃声、悲鳴、人体が破壊される音。ワンマガジン分を撃ち終えた男は、「機動隊が撃ってきた!」と怒鳴りながら後方へ逃走を開始する。
当然ながらデモ隊後方の参加者達は何が起きているか分からない。
「ガス弾撃て、ガス弾!」
「警備車の後ろに回れ! アサルトライフルがある!」
機動隊はガス筒発射器を曲射でデモ隊目掛けて撃ち始めた。これを煙幕代わりとして、負傷者と隊員を安全な警備車の背後へ避退させようというのだ。基本的に機動隊は幹部しか拳銃を携行していない。拳銃ならともかく、自動小銃を所持する相手に対しては撃ち負ける。銃器対策部隊やSATでなければ――否、彼らですらここでは発砲することは難しい。
「機動隊が撃ちやがった!」
「違う、あいつが撃った!」
「119番、119番しろ!」
「機動隊が撃った! 機動隊が拳銃とライフルで撃った!」
デモ隊参加者もまた、白煙の中を逃げ惑った。滅茶苦茶である。騒乱状態を故意に惹起しようとしている工作員の一味が「機動隊が発砲した」と喧伝し、爆竹を投げて混乱を煽る。この状況では組織的に大きな声を出した者が勝つ。一味の中には拡声器を持って「機動隊が発砲しましたッ! このような暴挙を許すわけにはいきませんッ!」と怒鳴りちらす者まで現れた。
「行け行け行け行け突っ込め!」
煽られた一部のデモ隊参加者が警戒線を破って警備車へ駆けていく。この状況で発砲した下手人を検挙するのは不可能だ。国会前は秩序なき騒乱状態となり、応援要請が飛び交う修羅場と化した。
それを背中に、自動小銃を棄てた男はほくそ笑んだ。
(陽動成功――)
本命は国会前ではなく、その正反対に迫っていた。
「ストップ! 止まってください、ご協力お願いしまーす」
「えー、検問!? 自転車も駄目?」
「すみません、規則なんでね……」
首相官邸の南側を走る外堀通りの前にて、十数台の自転車が警察官に止められた。赤坂方面を走ってきた彼らはみな、『Aber Eat』と書かれた食品配達のカバンを背負っている。最近見かけることも多くなったフリーの配達員に、警察官らの目には見えた。
「財務省の方々、時間にうるさいんですよ。なんとかならないですか」
先頭の配達員は自転車から降りながら、近づく警察官に文句を言ったが、警察官は「ほら、このご時世なんで……」と恐縮しながら最初に身分証明書の提示と、荷物の中を見せるように要求した。
「いや……保冷剤利かせてるんですけどね……」
平然とした動きで最先頭の男は食品配達用のカバンを開けると、Vz 61スコーピオン短機関銃を取り出して、視界に存在する警察官を10秒で全員皆殺しにした。




