■55.そして最後の戦いへ。
無論、警察庁警備局外事情報課および警視庁公安部外事第二課は、朴陸軍参謀総長が率いる大韓民国臨時政府から情報提供を受ける前に、すでに陰謀の尻尾を掴んでいた。
まず東京都日野市所在の第2無線通信所や、東京都小平市に存在する無線通信所を初めとする通信施設を駆使し、朝鮮半島の通信を傍受している警察庁警備局外事情報部外事課が、北朝鮮が何らかの工作活動を始めようとしていることに気づいた。北朝鮮から発せられる電波量が明確に増大したからである。
同様の傾向は防衛省情報本部電波部も掴んでいた。
しかしながら、肝心の工作活動の中身はいまいち分からないままであった。以前より北朝鮮はラジオ局が流す楽曲によって日本国内の工作員に指示を下すことが知られているが、さしもの外事課員でも楽曲を流すタイミング、楽曲の組み合わせから相手が出している命令を分析することは難しい。さらに北朝鮮が今回の無線通信に用いた暗号は、従来のそれとは全く別個の物に変更されていた。
関係各所は連携を取りつつ通信情報収集に努めたが、決定的な情報を得られないまま、日韓戦争は推移していった。
その後、有力な情報が人的情報収集によって得られた。
「大韓民国国家情報院と朝鮮■■が結託し、某の拉致・殺害の計画を立案・実行に移そうとしている」
警察庁警備局警備企画課が指揮する作業班が、朝鮮■■の人間に接触し、情報を入手したのである。朝鮮■■も一枚岩ではない。当然ながら幹部の中には無茶な要求を突きつけてくる本国に対して、不満を持つ者もいる。そういう者を、所謂チヨダだとか、ゼロだとか呼ばれている彼ら作業班は平時からマークしており、情報を適宜得ているのであった。
が、その朝鮮■■の幹部達もその工作活動の実行犯の規模や武器の所在、セーフハウスの位置、訓練場所など工作活動の詳細までは知らなかったため、またもや捜査はそこで暗礁に乗り上げてしまった。
だがしかし、相手の目的さえ分かってしまえば、こちらにも手の打ちようがある。
警察庁関係者から報告を受けた宮内庁は、皇室と親交のある王室が存在する欧州諸国へ、皇族を外遊に出してしまった。本来ならばこうした外遊は関係各所と入念な調整を実施してから行うものであるが、事は急を要する。北朝鮮や韓国の協力者がどれくらい潜んでいるか分からない日本国内よりも、遠く離れた欧州に移って頂いた方がよろしい、というのが宮内庁関係者の考えであった。非合法活動は現地協力者の獲得や情報収集などが必要になるが、欧州の地でそれを行うのは難しかろう。
これで皇族を狙った相手のテロ計画を未然に防いだ形にはなったが、彼らがただで引き下がるとは思えない。皇族がダメなら政府高官を、と標的を移す可能性は十分に考えられるため、続いて警察庁・警視庁は合同で政府要人の警護体制と、東京都心の警備の引き締めにかかった。
朴陸軍参謀総長から大韓民国国家情報院の握る情報の一切合切が提供されたのは、このタイミングであった。
「シラコバト101、上空に達した」
埼玉県西部、払暁。未だ闇がわだかまる中、山岳と森林が連なる大自然の直上を、青地に橙の襷をかけた塗装のヘリコプターが翔けていく。埼玉県警に配備されている川崎重工業・メッサーシュミット社製の汎用ヘリ『むさし』である。その後に警視庁の中型ヘリが続く。
「降下予定地に人影見えず」
『むさし』は旋回して下界の様子を窺ってから、森林と森林の合間に分け入り、その両側面からロープを下ろした。
「GO――」
濃紺の出動服に漆黒の防弾衣を纏った男達が、白み始めた空を背景にしてロープを用いた懸垂下降を開始した。軟らかい腐葉土の上に降り立った者は、肩から吊った銃器をすぐさま外して構えた。得物はMP5短機関銃。
彼ら8名は降下地点周辺にて円陣を組み、全周警戒態勢をとった。その動きに淀みはない。軍事組織顔負けである。
それもそのはず、彼らは精鋭と名高い埼玉県警察機動戦術部隊(RATS)所属の隊員であった。現在、全国都道府県警察にはハイジャック事件や人質立てこもり事件に対応するための刑事部特殊事件捜査係や警備部特殊部隊(通称:SAT)、銃器を所持する犯人との銃撃戦を想定した機動隊銃器対策部隊を擁しているが、その中でもこの機動戦術部隊は別格と評されている。MP5短機関銃は照準器を中心にカスタムが加えられており、防弾装備としてプレート型防弾衣や移動式防弾盾を装備。陸上自衛隊第1師団に協力を仰ぎ、空中強襲や市街戦を想定した訓練も取り入れており、練度も高い。
埼玉県警察機動戦術部隊が周辺を確保すると、そこへ続けて警視庁の特殊事件捜査係(SIT)が下りて来た。こちらは刑事部の人間であり、交渉や逆探知、後方支援を得手とする(そのため通常は私服姿で捜査・投入される)が、今回の捜査員はみな特殊部隊の経験者で固められており、防弾衣とセミオート仕様のMP5短機関銃で武装している。
最後に89式小銃や狙撃銃を携えた特殊隊員3名が降着した。
「……」
全員が地に足を付けたことを確認すると、特殊事件捜査係の指揮役がハンドサインを飛ばし、彼らはみな無言のまま木々の合間を往く。その歩みに迷いはない。
韓国本国の国家情報院からもたらされた情報から判明した、工作員の武装革命キャンプを急襲する――それが彼らの任務であった。当然、激しい抵抗が予想される。
(マル暴でさえ自動小銃持ってる時代だぜ……)
相手は単なる犯罪者集団ではなく、国家機関に支援されている工作員だ。小火器は勿論のこと、爆発物や重火器を擁している可能性もある。相手が自動小銃や機関銃で武装していた場合、交戦距離によっては都道府県警察の銃器対策部隊に広く採用されているMP5短機関銃では歯が立たない場合もあるため、前述の通り特殊隊員は89式小銃を持ち込んでいた。敵の人数と武装によっては、この面々でのキャンプ突入は見送るという選択肢も考慮していた。
ところがブービートラップに注意しつつ、慎重に歩を進めていった隊員達は肩透かしを食らう結果となった。
「嘘っぱちの情報を掴まされた?」
「いえ、痕跡があります」
「ゴミを埋めた跡か」
「探せば排泄物も見つけられるかもしれませんが」
「いいよ探さなくて……」
隊員達が見つけたのは何者かがキャンプをした跡であり、肝心の人間は勿論のこと現行犯で逮捕出来そうな物品も残されてはいなかった。
◇◆◇
「また振り出しか」
関係者から報告を受けた古川首相以下閣僚達は、溜息をついた。
日韓戦争は休戦状態と相成った。朴陸軍参謀総長以下韓国臨時政府が発した命令を元に、対馬島を防衛する第1海兵師団の林中将が、まず陸上自衛隊西部方面総監部に対して停戦を申し入れた。続いて韓国臨時政府が米国政府を通し、日本政府に正式な休戦協定締結のための交渉を持ちかけた。
日本政府側に断る理由は、まずない。
日本政府が陸上自衛隊西部方面総監部に対して前線での停戦に同意するよう指示したため、JTF-防人は韓国軍第1海兵師団の提案を受け容れ、両軍は戦傷者の収容と治療に専念し始めた。
しかし政府間の合意に基づく休戦協定・講和条約に関しては、早期締結は難しいものがある。日本政府側では休戦条件・講和条件が未だ詰め切れていなかったし、韓国臨時政府側がどう出るかも読み切れていなかった。朴陸軍参謀総長は国際連合に仲介を願う旨と、国際連合安全保障理事会の勧告と決議に従う旨を表明していたが、日本政府とどのようなスタンスで交渉のテーブルに立つかまでは明言していなかった。「こっちはやられ損じゃねえか」と赤河財務相はぼやいたが、近代ならばいざ知らずこの現代に新たな領土や賠償金をとることは通常あり得ない。
「とりあえず停戦で荒事が終われば良かったんだけどなあ」
閣僚達の緊張感はむしろ高まっていた。害意を持った工作員が、いつどこで仕掛けてくるのか分からないのだから当然と言えば当然。さらに状況によっては、自分自身の生命や家族が直接脅かされるかもしれないのだ……。
そしてその瞬間は、予想よりも早くやってきた。
予定されていた閣議が終わり、それぞれの閣僚が待っている予定のために首相官邸を出る頃、彼らは遠雷が如き地響きを足裏と下腹で感じた。
「マジ?」
「よりにもよって永田町かよッ!」
「ま、そうだろうなあ……」
赤河財務相は納得したように頷いた。皇族を狙ったテロ計画の目標が政府高官――つまり閣僚に向いてもおかしくはない。続いて彼は何かを言おうとしたが、それは外から聞こえてくるけたたましい銃声に掻き消された。
当然ながら永田町は厳戒態勢。そこに実行班を叩きつけても、閣僚暗殺に成功する可能性など0に等しい。だが北朝鮮首脳陣からすれば、それで良かったのである。工作活動にかこつけて邪魔者を処分することが目的なので、むしろそちらの方が好都合――故に、最後の戦いがこの都心で始まろうとしていた。




