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■53.盤面がひっくり返されてもなお、残る駒。

 朴陸軍参謀総長主導で決行されたクーデターは、特に目立った混乱もなく粛々と進行した。

 前述の通り、白大統領と閣僚のほとんどは、朴陸軍参謀総長の手中に陥ちた。

 ソウル特別市、釜山広域市を初めとする大都市では、既に治安出動していた韓国陸軍の諸部隊が朴陸軍参謀総長の意を受けて動いた。交通管制を布き、暴徒を排除するためという理由で官公庁街を占領した。韓国軍内に内紛は起こらなかった。制服組のトップにあたる任義求合同参謀本部議長は、朴陸軍参謀総長に押し切られる形でクーデターに同意していたし、空軍・海軍も消極的賛成の立場を採っていた。任合同参謀本部議長以下、韓国軍の指揮系統がそっくりそのまま生きており、下された命令を前線部隊は何の疑いもなく受領した。

 韓国国防部の背広組や他の省庁の高級官僚、国会議員らの中には反発する者も現れたが、大きなうねりとなって朴陸軍参謀総長に襲いかかることはなかった。朴側は最初から白大統領の辞職と韓日即時停戦を掲げて行動したため、これに反対することは『親・白大統領の人間』、『戦争継続に賛成する人物』であるとレッテルを張られる可能性があった。落ち目の韓国大統領に味方したり、無謀な負け戦に肩入れしたりする人間は早々いない。

 唯一、朴陸軍参謀総長と対決する可能性があったとすれば、それは約5000万の一般市民であろう。だがしかし、彼らもまた起つことはついぞなかった。彼らもまた白政権と戦争に飽き飽きしていたのだ。


 さて、朴陸軍参謀総長が韓国軍の総意として国内外へ発表した政治方針は、主として以下の通りである。




①韓日戦争の即時停戦。


②野心欲と誇大妄想から戦争を選択し、韓国国民と日本国民を虐げる白大統領の辞職と、早期の韓日戦争終結に向けた新国務会議(内閣)の発足。新大統領を選出する選挙の実施。


③国際外交関係の回復。アメリカ合衆国をはじめとした友好国との信頼回復と、我が国の安全保障体制の抜本的見直しを要求する。




「朴くん、なかなかの手前であった」


 戦争博物館の老学芸員にして朝鮮戦争の英雄である楊祖韻は、大韓民国国軍陸軍本部で指揮を執る朴陸軍参謀総長を訪れるなり、そう言った。過去に現代韓国は複数回の軍事クーデターを経験しており、その多くが流血を伴うものとなった。だがしかし、朴陸軍参謀総長が起こしたそれに、血生臭さは感じられない――表向きは。


「我が大韓民国の主敵は日本国にあらず」


 楊は朗々、声を上げた。この一室には楊と朴のふたりしかいないにもかかわらず、その様子と声調はまるで世界に宣言するかのようであった。彼の日本国に対する認識は、朝鮮戦争の頃からあまり変わっていない。大韓民国が前線国家であるならば、日本国は兵站となる後方国家。北韓(北朝鮮)と対峙する我が国が、日本国と刃を交えるのは愚行でしかない。


「仰る通りです」


 朴陸軍参謀総長は、大いに頷いた。

 しかしながら、朴陸軍参謀総長は楊祖韻の“次代”の人間であった。韓国軍がこれより最大の仮想敵とするべき相手は日本国自衛隊ではない。そして、朝鮮人民軍でもない。


(我が国は従来、先軍政治を採る独裁国家と睨み合ってきたが、これからは海の向こうで台頭しつつある勢力とも対峙しなければならない)


 朴陸軍参謀総長が警戒しているのは、黄海を挟んだ向こう側にその身を横たえている中華人民共和国であった。中国人民解放軍空・海軍の拡張は著しい。そして日本国と比較すると、韓国はあまりにも中国本土に近すぎる。軍事衝突が生起すれば、韓国は不可逆的なダメージを被ることになるだろう。中国人民解放軍に対する抑止力を軍備と外交を以て拡張することが急務である、と朴陸軍参謀総長は考えていた。対日戦にうつつを抜かしている場合ではないのだ。


(そこで鍵になるのが、アメリカ合衆国と日本国だ)


 アメリカ合衆国が保持する軍事力・政治力の強大さは言わずもがなである。にもかかわらず、南北融和の名の下に白政権は在韓米軍の縮小を働きかけてきた。発展した大韓民国は自国を自国の力だけで守ることが出来るという驕りもあったのかもしれないが、朴陸軍参謀総長からするとこんな馬鹿げた話はない。

 そして日本国である。朴陸軍参謀総長は日本国に対して、親しみの感情など抱いていない。おそらく多くの韓国軍人がそうであろう。だが、それでいいのだと彼は考えている。国家と国家の関係に必要なのは無邪気な友情ではない、互いに利用し合う利害関係で結びついた連帯ではないだろうか。

 有事の際に日本国自衛隊が救援してくれるかは分からない。

 が、有事が起こるその瞬間まで彼らを利用することは出来る。隣国である日本国が航空母艦を持てば、我が海軍が航空母艦を保有するハードルは下がる。彼らがステルス戦闘機を開発すれば、我々もステルス戦闘機の研究と開発にさらに注力できる。「隣国もやっているから」、それだけで世論は説得しやすくなる。彼らには同じ陣営の健全なライバルとして存在してもらわなければならない。


「さて。それではあとひとつ、後始末かね」


 あれこれと思いを巡らせていた朴陸軍参謀総長に対して、楊が話を振った。


「我々に協力的な国家情報院の者が、北韓と通じていた国内の国家情報院職員を拘束してくれています。白大統領ともども国家情報院長の辞職も時間の問題でしょう」


 勿論、朴陸軍参謀総長に抜かりはなかった。後始末、とは国家情報院が日本側に仕掛けようとしていた非合法工作活動の阻止、である。韓国軍が直接に国家情報院内部へ手を下すことは出来ないが、協力者を通じて自浄させることは可能だ。

 また、計画の概要が明らかになり次第、日本側に情報を提供するつもりである。日本国内に潜伏した国家情報院職員に対してもこちらは手を出せないが、それは日本側が処理してくれるであろう。


(しかし融和ムードに乗っかって、北韓の連中に協力を仰ぎ、非合法活動に手を染めるとは馬鹿なことをしたものだ)


 その後しばらく、朴陸軍参謀総長の意識からこの一件は外れた。国内の国家情報院を抑え、日本側に情報を提供すれば、それで情報院・北韓両工作員は動けなくなると彼は踏んだのである。だからこの問題は、彼の中ではもうほとんど解決したようなものだった。


 実際には、国家情報院・朝鮮労働党統一戦線部・朝鮮人民軍偵察総局・在日朝鮮系組織による工作活動は最終段階を迎えており、その決行は間近に迫っていたのだが。

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