■51.ゾウとゾウが争うとき傷つくのは草。
小雨降りしきる中、夜明けと同時に陸上自衛隊の攻撃は始まった。
水陸機動団のAAV7と交代する形で第42即応機動連隊の16式機動戦闘車が先陣を切り、県道24号線(大町通り)を北上。敵中にある対馬市役所と周辺市街地を奪還し、最終的には陸上自衛隊対馬駐屯地まで進出する計画である。第42即応機動連隊はその名に恥じず、16式機動戦闘車や96式装輪装甲車等を装備する機械化部隊で、敵歩兵の小火器を弾き返し、その火力によって家屋に潜む敵の粉砕を期待されていた。
「敵装輪戦車ッ――擲弾手、前へ!」
12.7mm重機関銃の連射を弾き返すと、105㎜戦車砲で火点を叩き潰しながら前進する16式機動戦闘車を、初めて目撃した海兵隊員達の動揺は隠せない。
すぐさまパンツァーファウスト3を担いだ擲弾手や、TOW対戦車ミサイル・ソ連製メチス対戦車ミサイルを積んだ多用途車が前に出て反撃を試みるが、問題は目の前に16式機動戦闘車が迫っていることのみにあらず。自衛隊が重装備の陸揚げに成功している、という事実が彼らを驚かせた(夜陰に乗じたナッチャンWorldの入港に、韓国側は気づいていなかった)。
轟、と105㎜戦車砲が咆哮する。次の瞬間、パンツァーファウスト3を構える擲弾手が潜んでいた半壊状態の一軒家に榴弾が飛び込み、爆風と破片で内部を蹂躙した。残されていた家具類と血肉がないまぜになって弾ける。さらに96式装輪装甲車から下車していた普通科隊員が、小銃擲弾を撃ち込んだ。
16式機動戦闘車は突出することなく、普通科隊員との連携を崩さなかった。敵兵が潜んでいそうな家屋を次々と攻撃し、虱潰しに破壊していく。疑わしきは破壊。いたずらに民間資産を損壊することに対し、隊員の心は多少痛んだがやむを得なかった。16式機動戦闘車は主力戦車ではない。
(キューマルとは違って、キドセンは撃たれたら終わりだ)
というのが16式機動戦闘車を駆る乗員達の共通見解であった。戦車砲の攻撃に抗甚する正面複合装甲と、機関砲の掃射を弾き返す側面装甲に守られた90式戦車や10式戦車と、16式機動戦闘車の防護力を比較する気にはなれない。あくまで自走可能な現代版歩兵砲と心得て、撃たれる前に撃つを徹底した。
だがしかし、それにも限界はある。
TOW対戦車ミサイルを車載した敵ジープが、突如として16式機動戦闘車前方の路上に現れた。攻撃や回避を試みる猶予はない。数キロの炸薬が詰め込まれた弾頭は、その車体に飛び込むと、内包されていた暴威を解き放った。
火球がぶち上がる。周囲の隊員は思わず首を竦めた。鈍い断末魔を上げながら、砲塔が力なく車体上部から転げ落ちる。それでも後続の自衛隊車輛は撃破された先頭車を抜き、果敢に反撃した。
陸上自衛隊西部方面総監部が、10式戦車を装備する西部方面戦車隊ではなく、16式機動戦闘車を有する第42即応機動連隊を投入したのは、対馬市の道路事情を鑑みてのことである。県道のみならず、市街地に分け入って普通科隊員を支援するのであれば、16式機動戦闘車や96式装輪装甲車の方が向いているという判断であった。
96式装輪装甲車もまた、40㎜擲弾銃あるいは12.7mm重機関銃を民家に向けて連射する。コンクリート製の塀は一瞬で粉砕され、木造の壁をぶち破る凶器と化した。擲弾が玄関ドアの中央を貫き、玄関内部で炸裂すると爆風でドアを外側へ吹き飛ばす。木造の外壁も似たようなものだ。次々と撃ち込まれる銃弾を前に悲鳴を上げながら砕け、無数の木片と土埃とで?室内の空間を埋め尽くした。
重火器による掃射が終わると同時に、建物の傍に普通科隊員達が張りつく。
「手榴弾」
と言いながら、ひとりの隊員が破片手榴弾を室内へ投擲した。
ハンドサインを使うか予め決めておいた符丁を使うか、部隊によって流儀は違うが、この普通科隊員達は後者にしているらしい。手榴弾やLAM(パンツァーファウスト3)、ハチヨン(84㎜無反動砲)といった周囲を事故に巻き込む可能性が高い武器に関しては、周囲に使用を報せる必要があるが、流石に韓国兵が潜んでいるかもしれないところで、「グレネード」とは口が裂けても言えなかった。
手榴弾が炸裂したのを確認して、隊員達は破けた壁から家屋内へ侵入する。このように隊員達は一室一室を手榴弾で制圧してから突入する室内戦闘の定石を守り、建物一軒一軒を確保していった。
敵兵が潜んでいない家屋もあれば、韓国軍の携行火器やハングルが印刷してある書類の束を放置してあるだけの家屋もあった。賢明な隊員達はみな韓国兵が残していった物品に、触れようとはしなかった。ワイヤーで結ばれた手榴弾が仕掛けられている、といったブービートラップの可能性が高いからである。
そして分隊単位の敵が潜む家屋も当然あった。偶然かち合った不運な両隊は、血みどろの接近戦を繰り広げるほかない。閉まっているドアでもおかまいなく小銃弾を浴びせかけ、その向こう側にいる敵を殺害し、ドアを蹴破って手榴弾を投げる。廊下の曲がり角や小部屋にお互い身を隠し、一本の廊下を巡って銃撃戦を展開する光景がそこかしこでみられた。
とある班では、日常生活で容儀に気を遣うことが習い性になっていた陸士が、偶然所持していた私物の鏡や、あるいは陸曹が「プライベートライアンの真似だ」と冗談で持ち込んだそれが役に立った。
あまりにも敵の抵抗が頑強で負傷者が多数出た場合、隊員達は一度退いた。その後に訪れるのは、105㎜戦車砲か12.7mm重機関銃といった車載火器による蹂躙だ。木造家屋が相手ならば戦車砲は勿論、重機関銃でも屋内の敵に対するダメージが期待出来る。何も敵を殺傷出来ずともいい。射撃を続けることで海兵隊員達が士気を失い、裏口から撤退していくケースもあった。
(ゾウとゾウが争うとき傷つくのは草、だったか。アリだったか)
所謂U出(University出身=一般大学卒業者)の三等陸尉は、戦闘と戦闘の合間にそんなことをふと思った。これはインドか中国か、あるいはアフリカのことわざで、強者と強者が争うとき周囲の環境や、弱者が犠牲になるという意味のものだ。
先程制圧した一軒家もそうだが、当然ながら誰かのマイホームであり、おそらく開戦前までは平凡な家庭が生活を営んでいたはずの空間だったはずだ。それが小銃弾の応酬と、一撃で壁を打ち砕く重火器の攻撃により、全て吹き飛んでしまった。戦争による損害を補償する保険などあるのだろうか。法的に日本政府が賠償するのかもしれないがどうであろう。若い幹部である彼は、そのあたりのことをよく知らなかった。前例がないだけに、B出(防衛大学校卒)の人間でもよく分からないだろう。
故に彼は、心の奥底にやるせなさと、韓国軍に対するぼんやりとした怒りを沈殿させていく。それと同時に、敵兵に対する同情もあった。先程制圧した家屋には、105㎜戦車砲が放った榴弾の炸裂をもろに受けたのか、内臓を飛び出させた下半身が転がっていた。あるべき人間の上半分は周囲のどこにも見当たらない。よく見れば、数メートル離れた壁に数十キロの肉塊と3、4リットルの血液が叩きつけられた跡があった。
それを目撃した時の彼の感想は、(リフォームしても住む気にはなれないな)だった。当然、驚いた。目の前の惨状にではなく、遺体を前にしてもリフォーム工事などという呑気な考えが浮かぶ自分に対して、である。
(誰かさんが戦争を決意しなければ、こいつも対馬で死ぬこともなかったんだろ)
本当に馬鹿げている、と思った。
奴らが投票で選んだ大統領は、こうやって次世代、次々世代へ生命を繋ぐはずだった日本人と韓国人を無為に殺戮し、その先に繋がるはずだった未来を消し飛ばしたのである。
(駄目だ)
市街戦が激しさを増す中、自衛隊員達は前進するだけではなく、後退もしていた。負傷者の後送である。赤十字をつけた車輛が小銃弾を受けて斃れた隊員を収容し、厳原港近辺に設営された野戦病院の天幕や、輸送ヘリに移し替えて『おおすみ』艦上に展開した野外手術車へ運び込む。特にこの野外手術車は手術台や電気メスといった医療機器を完備しており、本格的な外科手術が可能で、多くの隊員の生命を繋いだ。
(駄目だ)
だがその一方で失われる生命もあった。野戦病院の天幕に運び込まれた自衛隊員は、冷徹なトリアージの対象になる。建前をどう繕っても自衛隊は軍事組織であり、軍事組織であるが故に戦力回復に繋がる者を優先して治療する。四肢に深刻なダメージを受け、いま潰えようとしている生命を助ける余力と時間はない。
駄目だ、とトリアージを担当する衛生科隊員は、死亡あるいは治療しても死亡するであろうという判断を下す度、目の前の負傷者の向こう側に帰りを待つ家族の姿を幻視した。彼もまた頭脳のどこかに客観的な思考を有していて、(俺にはメンタルケアが必要だ)とも思った。
「湯を配る。腹が減っただろ?」
最前線から退却した一部の韓国軍将兵は、食事にありついていた。震える手で即席麺の袋を空け、調味料を全て取り出すとその袋の中にお湯を注ぎ、かやくと即席スープの粉を入れる。合理的な国軍式の調理方法だ。そのまま袋を持って食らう。韓国の食文化は基本的に器を持たないから、これは娑婆では絶対にやらない食べ方である。
森の中に次々と湯気が立った。
体力的・精神的に優良という評価を受け続けてきたひとりの海兵隊員は、ほとんど固いままの麺に齧りついた。箸の先は震えている。戦闘中は意識しなかったが、手の震えが止まらないのだ。
「PTSDってやつか」
いつぞやの座学で習った症状と酷似しているな、と彼は思った。自覚したからといって止められるものではない。周囲には嘔吐している者もいる。酷い光景を思い出したのかもしれなかった。
「白飯が、欲しい」
隣で食事を摂る仲間の呂律が怪しい。
が、まだいい方だろう。辛味が利いているラーメンを前にして飯が欲しいというのは、思考が正常な証拠だと思う。最悪は錯乱状態に陥って本隊から離脱したり、同士討ちに走ったりすることだ。
「な」と白飯を求める戦友に同意しつつ、彼はすぐに食事を終えた。
ふと、この戦争は勝てないな、と思った。こうやって一袋のラーメンを啜っているのは、物資集積所が日本軍の空爆を受けてしまい、まともなレーションが失われた、あるいは補給路が敵の攻撃で遮断されたかのどちらかであろう。だいたいラーメンの袋自体、ハングルと日本語が書いてある日本向けの韓国製ラーメンだった。おそらくは対馬市内のスーパーマーケットかどこかから調達したのだろう。
「大丈夫かよ」
誰かが嘔吐する隊員に声をかけるのを耳にしながら、男は(せめて部隊鍋を食べたいな)と場違いなことを考えていた。
精神的ショックによる影響は、メンタル面が強いとか体力が優れているとか、そういうことで緩和されるものではない。人間ならば、誰もが平等にダメージを被る。どんな症状が出るか、それははっきり言えば運だろう。
人間ならば――日本人も韓国人も、この対馬諸島の攻防戦に参加した人間は後々にまでストレス障害に悩まされることになる。
……さて、場面は転換する。
「それで。戦況は?」
“草”達が苦しむ対馬諸島から遥か北方に離れた青瓦台では、開戦を決めた“ゾウ”である白大統領が閣議を開いていた。




