■50.白龍vs海龍!(後)――厳原港攻防戦、決着。
陸上自衛隊の厳原港強襲から始まった戦闘は、苦しいものになった。両陣営にとって、である。空中強襲・強襲上陸を仕掛けた自衛隊側は、陸上自衛隊西部方面総監部が“予想した通り”多くの死傷者を出した。K55・155㎜自走榴弾砲と、KH179牽引式155㎜榴弾砲を擁する第1海兵砲兵連隊が、厳原港を目標に連続射撃を実施したためである。
前日の通り、事前に陸海空自衛隊は海兵隊の砲兵陣地に対して攻撃を実施していたが、それを潜り抜けた敵火砲の数は少なくなかった。もとよりK55自走榴弾砲の退避は自由自在だ。KH179牽引式155㎜榴弾砲は、陸上自衛隊が装備するFH70・牽引式155㎜榴弾砲とは違い、エンジンを備えていないため、迅速な陣地転換は困難であったが、その分陣地は強固に築かれていた。
対する第1空挺団はCH-47J/JAに吊り下げる形で120㎜重迫撃砲を厳原港へ持ち込んではいたが、これで榴弾砲に反撃するのは難しい。洋上に展開する特科部隊か、航空攻撃と艦砲射撃が敵砲兵を1秒でも早く黙らせてくれることを祈るほかなかった。
しかしながら、同時に韓国軍第1海兵師団も多大な損害を出した。
空海を排除した二次元的な地上戦ならば、第1海兵師団は第1空挺団・水陸機動団に圧勝しただろう。彼らは厳原港に上陸した自衛隊側にないものを持っていた。つまりそれはK1A1主力戦車であり、砲兵陣地に潜む榴弾砲であり、よく擬装された機関銃陣地であり、“海兵師団”を名乗るに足る人員と車輛であった。
が、現実には第1海兵師団は、自衛隊の上陸部隊を追い落とすことが出来なかった。現代の地上戦は海・空を切り離して考えられるような、平面的戦闘空間で行われるものではないことが災いした。
厳原港周辺に配置されていたK1A1主力戦車は、第1空挺団・水陸機動団に反撃し、第一撃こそ多くの戦果を挙げたものの、その後は対戦車ヘリコプター隊の餌食となった。
自衛隊側を苦しめた第1海兵砲兵連隊は、砲撃を開始すると同時に激しい対砲兵射撃を浴びた。航空優勢を握っている相手は、すぐに砲兵陣地の所在を再把握したらしい。陣地は堅牢であり、火砲自体も操作要員もよく耐えた。ところが相手は執拗に攻撃を継続した。航空攻撃を反復し、榴弾砲か艦砲かは不明だが次々と砲弾を送り込んでくる。おそらく陸海空自衛隊は海兵隊の火砲1門を潰すのに、50発から100発近い砲弾を使ったであろう。
第1海兵砲兵連隊が制圧されてしまうと、いよいよ韓国軍第1海兵師団側には有効な反撃手段がなくなってしまった。厳原港を見下ろせる県道24号線は、第1空挺団が空輸した120㎜重迫撃砲や水陸機動団のAAV7が持ち込んだ簡便な60㎜軽迫撃砲の連続射撃を受け、死の道となった。
海兵隊員達は不利な戦況にもかかわらず抗戦を続けたが、上空をAH-64DとAH-1Sが乱舞し、敵迫撃砲弾が降り注ぎ、目前に水陸機動団員と協同するAAV7が迫る状況では損害を重ねるだけだった。
「厳原港は諦める。市街地と山間部を利用し、敵を厳原港に釘づけにしよう」
厳原港の守備にあたっていた韓国軍海兵隊は、南北二手に分かれて退いた。厳原港の北側を守っていた海兵隊員らは、対馬市役所を中心とする市街地や山城跡の方面へ撤退した。市街地は火力を吸収するし、山城跡のある山間部は攻撃路が限定される。
そうやって足止めしている間、撤収と展開が容易な迫撃砲で厳原港を攻撃し続けることが出来るだろう、という算段であった。厳原港を無理に再奪取する必要はない。入港してくる艦船や舟艇を攻撃し、敵の軍需物資の荷揚げや装甲車輛といった重装備の揚陸を阻止出来れば御の字である。
一方、厳原港の西側から南側に布陣していた海兵隊員達は、半包囲の憂き目に遭った。撤退先になっていた総合公園や自動車教習所、小中学校に陸上自衛隊中央即応連隊が空中強襲を仕掛け、一足先に奪取してしまったのである。
こうして南方へ撤退しようとしていた海兵隊員達は、前門の水陸機動団・後門の中央即応連隊に挟撃される形となった。陸自最精鋭の二部隊を前にしても、彼らは総合公園と厳原港の中間にあるパチンコ店や教育委員会の研修施設に立て籠もって抗戦を試みた。が、CH-47Jが空輸によって持ち込んだ120㎜重迫撃砲が総合公園に展開し、継続的な射撃を開始すると、死傷者が続出。半数以上が戦闘力を喪失したところで敗北を認めて降伏した。
自衛隊員と韓国軍将兵はこの日、夕暮れを見ることはなかった。第1空挺団が厳原港に対して空中強襲が敢行した時分には晴天だった空は、暗雲に埋め尽くされた。雨水が地を叩く。水蒸気のカーテンの向こう側で太陽が水平線の下に沈むと、闇が厳原港周辺を塗り潰した。
「山狩りだ。徹底的にやれ」
厳原港の東部に所在する飯森山を初めとする森林地帯に、西部方面隊隷下部隊や第1空挺団の中から選抜された隊員達から成る部隊が投入された。レンジャー資格保持者や偵察部隊出身者が多数を占めており、みな揃って暗視装置を鉄帽に装着し、ドーランで顔を汚している。目的はただひとつ、厳原港周辺に潜んでいるかもしれない韓国兵を駆逐することであった。観測役を担う韓国兵がいれば、厳原港は常に砲迫の脅威に晒されることになる。
このレンジャー部隊の隊員達に対するプレッシャーは大きい。森林内の戦闘は火力支援が期待出来ない。敵が機関銃を取り揃えて待ち構えていれば、全滅する可能性もあった。
だがしかし、杞憂に終わった。
厳原港に隣接する森林地帯から敵部隊はすでに撤収しており、起こったのは本隊とはぐれた遊兵が散発的な反撃を仕掛けて来るか、降伏するかのどちらかであった。飯森山と周辺の森林地帯に潜んでいた海兵隊員達の多くは、さらに北東の漁火公園方面へ脱出していたのである。なにせ森林、といってもベトナム戦争の戦場のようなどこまでも広がる密林ではなく、港の東にわずか2、300メートルの奥行きしかない。本格的な攻撃には耐えられない、というのが海兵隊側の判断であった。
日付は変わって夜闇が最も濃くなる深夜帯、ついに厳原港へ1隻の水上船舶が姿を現した。
その姿は、戦場には似つかわしい異形である。純白の身にあしらわれているのはラッパを吹く小鳥、雪だるま、歌う子供、ロボット、ゾウ、キリン、恐竜の群れ。構造は所謂双胴。ウォータージェット推進器を4基備え、護衛艦に匹敵する35ノット以上で航行する。
――ナッチャンWorld。
船首には青文字で、そうペイントされている。
本当に戦場には似つかわしくない船舶であるが、この高速フェリー船は華々しい戦歴の持ち主だ。東日本大震災ではその快速を活かし、救援物資や部隊の輸送に尽力。日韓戦争勃発後も物資の集積に一役買っていた。ナッチャンWorldは防衛省が借り上げている船舶であり、平時から海上輸送訓練を実施してきた。事実上の高速輸送船である。
彼女は約1万トンの巨躯を岸壁に接岸させると、次々と自衛隊車輛を吐き出していく。おおすみ型輸送艦に比較すれば一回り小さいが、それでもこの船舶はトラック数十輌や数百名の隊員を積載出来る。過去には90式戦車を輸送したこともあり、今回も物資を満載した73式トラックと第42即応機動連隊の16式機動戦闘車を降ろした。つまりこれで厳原港周辺の自衛隊側の戦力はさらに強化された、ということだ。
ちなみに民間航路に就役していた時代、ナッチャンWorldは約50分で下船と乗船を完了させている。訓練された自衛隊員による車輛の積み下ろしと、負傷者の収容は数十分で終わった。
そのままナッチャンWorldは厳原港を後にする。
船体側面に描かれた子供の絵からは、おびただしい数の雨粒が流れ落ちていた。




