■46.白龍、覚醒。(前)
対馬諸島に夜の帳が下りようとしていた。
日中に響き渡った砲声と呆気なく吹き飛ばされる生命と鋼鉄の断末魔は絶え、山は、森は、街は、静寂に包まれていた。陸上自衛隊の砲爆撃によって重傷を負った海兵隊員達は次々と野戦病院に運び込まれたが、その彼らの悲鳴と呻き声は空間を支配する闇に吸い込まれ、対馬市民や最前線の戦友、そして韓国本土で帰りを待つ家族達まで届くことはなかった。
陸海空自衛隊の本格的反撃により、初日から韓国軍第1海兵師団は少なくない死傷者を出した。手も足も出ない、とはこのことだろう。反撃もままならないまま、一方的に打撃された師団司令部の作戦参謀は歯噛みした。
だがしかし、前線の海兵隊員達の士気はむしろ高揚した。夜間の監視にあたる兵士達は、任務の前に大声で『滅共の松明』をはじめとする軍歌を歌い、眠気を吹き飛ばしていた。来るなら来い、逆落としにやっつけてやる、というのが海兵魂溢れる彼らの心意気であった。
一方の陸海空自衛隊は攻撃を中断していた。
戦術レベルでは何ひとつ問題は起きていない。すべては政治上の要請である。古川内閣・政権与党・関係省庁はみな対馬奪還作戦に伴う武力行使で、島民に死傷者が出ることを極度に恐れていた。日韓戦争開戦以来、自由民権党・公民明大党の支持率は概ね上昇傾向にあるものの、近くに予定されている国政選挙への影響を彼らは念頭に置かねばならなかった。自衛隊の武器使用で、多くの対馬市民が傷つくことがあれば、支持率と選挙はどう転ぶか分からない。
故に日本政府は国際社会の面前で、いま一度韓国政府に対して要求を突きつけた。
その内容は、ジュネーブ第4条約(戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーブ条約)の第15条に盛り込まれている中立地帯の設定と、対馬市民の中立地帯への避難を韓国軍は阻害しないことを求めるものである。
中立地帯とは何か端的に説明すると、①文民・②傷病者(非戦闘員・戦闘員双方)を保護するために、武力紛争当事国の代表者同士が合意の上で、戦闘地域に設定するものだ。
これまで韓国側は赤十字国際委員会の圧力を受け、対馬島内に病院地帯(同条約第14条)を設けていたが中立地帯は設定しなかった上、対馬市民の避難に対しても消極的だった。これは戦闘員と非戦闘員が混淆する状態を作っていれば、陸海空自衛隊は海空からの攻撃を躊躇するであろう、という期待があったためだ。
当然ながら、白大統領ら韓国政府首脳部は、日本政府側の要求を拒絶した。
「いや、日本政府の申し出に乗っかった方がいい」
ところが韓国軍関係者の考えは違っていた。
いざ戦端を開いてみると、この消極的な人間の盾は戦略的にも戦術的にも失敗なのではないか、という感触を受けた。
クラスター爆弾や純然たる攻撃機・爆撃機を有さない陸海空自衛隊は、広範囲を面制圧する能力こそ大したことがないかもしれないが、その代わりに誘導爆弾・砲弾の使用や高い練度を背景としたピンポイント攻撃を得手としており、非戦闘員の居住地と隣接していても攻撃を受ける可能性は高い。
逆に対馬市民と韓国軍が隣接している状況は、自衛隊側の有利に働いているのではないか、と第1海兵師団長の林中将や、戦況報告を受けた本土の海兵隊司令部、また朴陸軍参謀総長らは疑った。
(自衛隊側は精密に下島の防空陣地、砲兵陣地を叩いてきた。つまりこちらの布陣がある程度、向こうに伝わっているということだ。その情報源は対馬市民、あるいは市民に紛れた自衛隊員と考えるべきかもしれない)
この推測が正しければ、非戦闘員を隣に置いておくことは、韓国軍の動向を自衛隊側に伝えることに他ならない。盾にならないのであれば、さっさと中立地帯に追いやって隔離してしまった方が、防諜の観点からしてみれば有利である。
また政治的な立場から言っても、中立地帯を設けるべきであった。
先に白大統領の命令を受け、韓国軍は日本海沿岸の原子力発電所を目標としたミサイル攻撃を実施したが、これは国際法で禁じられている“危険な力を内蔵する工作物等”(原子力発電所・ダムなど)に対する攻撃にあたり、このとき韓国政府は国際社会からの非難を浴びた。
これに対して韓国政府側は原子力発電所を標的にしたわけではないと疑惑を否定したものの、何者かが韓国陸軍の内部事情と録音された白大統領の肉声をアメリカの報道局にリークしたため、単なる疑惑は国際問題にまで昇華してしまった。
故に彼らは国際社会の目を意識せざるをえない。
また今回の中立地帯設定の仲裁に入ったのは、米国政府であった。
「ホワイティ(※白大統領)とマサヨシ(※古川誠恵首相)はなんであんな小指ほどの島に固執するんだ?」
この1ヶ月の間、米大統領はハンバーガーセットの昼食を豪快に食らいながら、よく左右にそう聞くことが多かった。彼自身は対馬諸島や日本海に大した興味はない。日本国自衛隊が対馬諸島の奪還に乗り出した今日に至っても、対馬諸島の位置を覚えようともしなかった。
だがしかし、その一方で彼は日韓戦争の勃発と長期化に伴い、アメリカ合衆国が世界から舐められるのには耐えられなかった。
「世界からみれば、ウチの東アジアにおける影響力が落ちているように見えるじゃないか。もはや日韓すら御せないのか、と。風評被害も甚だしい」
であるから米国政府は――というよりも米大統領は(早期講和は不可能にしても)、日韓関係は米国政府のコントロール下にあるのだ、と国際社会にアピールしたかった。
そこに日本政府から、非戦闘員を保護するための中立地帯の設定、その仲裁の依頼が舞い込んだので米大統領はかなり積極的に動いた。イギリスやフランスをはじめとする他国を巻き込んで働きかけ始めたので、韓国政府も折れざるをえない。
こうして対馬島の西部に中立地帯が設定されることが決まり、対馬市民の本格的な避難が始まった。
一方の日本政府は中立地帯の設定から24時間後に対馬諸島を占拠中の韓国軍に対し、武力行使を再開すると宣言。国内外のマスメディアはいよいよ陸海空自衛隊が対馬諸島に対して、強襲上陸を仕掛けると報じた。




